2015年1月アーカイブ

夕方便だとゆっくり出来る[11日目]

6時少し前に目が覚める。今日の夕方の便でヤンゴンに戻り深夜便で帰国予定、今回の最終日だ。

今朝も寒くなく霧は少なそうだが最後の朝なので裏の村へ散歩。
近くの僧院から南に少し行った所で撮影。日が出てくると水蒸気が立ちこめて雲越しの朝日が綺麗だ。ニャウンシェの方向に気球が上がっているのが見えた。
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ホテルに戻り造り中のホットスパ、プール、ジャグジー、マッサージルームを見せてもらう。ここのホテルの裏の土地か横の土地を購入しいろいろプランを考えているようでアンさんの創造性にはいつも関心させられる。
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朝食後Shwe Inn Tha Hotelに移動しアンさんの元叔母さんの家へむかう。数年前に他界してから放置されていたが1月下旬に150人規模のランチの予約が入っており、オールドハウスだけでは入りきらず急遽叔母さんの家を改装しているところたそうだ。鍵を開けて中に入ると埃と蜘蛛の巣が多いが建物の作りはとてもしっかりしているように思える。1980年のカレンダーがそのままかかっていた。
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お昼前、Shwe Inn Tha Hotelに戻りDr.とランチ。先日、FB友達になった彼女がプロフィールで19歳と有ったのでDrに話すと早速からかっていた。本当は29歳とのこと。周りに居たスタッフにも冷やかされていたようだ。ランチ後コーヒーを飲みアンさん、Drとはお別れだ。アンさんはこれから先ほどの現場に戻らねばならないそうだ。
私はホテルに戻り着替えてチェックアウト。今回もアンさんがいろいろ配慮してくれた。しかもパダウン族のスカーフの件もありいろいろ助けてもらっている。
13:30すぎホテルを出る。さすがにこの時間だとボートの風が心地よい、次はいつ来れるだろうかと考えているうちにニャウンシェ到着。
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待っていた車に乗り込み出発。以前より車が増えたと言ってもヤンゴンのように渋滞は無くへーホー空港に概ね予定通り14:40着。しかし空港は停電中でチェックインは昔ながらの紙チケットだった。荷物検査だけは発電機で動かしているようで、預け入れ荷物も手荷物も同じ機械でやっていた。フィルムが被らないように気をつけて、出来るだけ機械から離れたところでハンドチェックを依頼した。
出発待ちはかなりの人。奥の壁には私の写真は飾ってある。そろそろ何とかしないと思いつつ随分時間が経ってしまった。
いつもは国内線の遅れや欠航に備えヤンゴンへは帰国前日に戻るようにしているが今回は乾季だし、最悪欠航なり何かあっても帰国日が正月にかかるだけと思い当日乗り継ぎの日程にした。
16:20定刻より10分遅れで搭乗の案内が始まる。座席はフリーなので後ろの方の窓側に座る。
程なく離陸し左に大きく旋回するとして山の向こうにインレー湖が見える。約1時間15分でヤンゴン空港に着陸。国際線ターミナルにANAの機体が止まっている。アレに乗ってしまうともう明朝は日本だ。
飛行機のタラップを降りるとAir KBZと車体に書かれたバスに乗り込み国内線ターミナルへ。バスの中は日本語の表示がそのままだ。
預けていたスーツケースを拾いターミナルの外へ出る。タクシーと声を掛けて来る人は居るが国際線へ乗り継ぎだから不要だと答えればそのまま居なくなる。ヤンゴンの国内線と国際線ターミナルは建物内で繋がってる訳では無いが隣なので歩いて直ぐ移動できる。国内線は昔ながらの薄暗い木造のように見えるが国内線は今風のガラス張りのターミナルでエアコンもしっかり効いている。チェックインが多分、20時ごろだろうから、まだ2時間以上たっぷりある。8月の時にも時間を潰した到着口側のカフェでパンと甘いコーヒーを頼む。テーブルが有るのでメモ入力などもやり易い。しかし出発待ち側には店らしきものは何も無く、到着側にしかカフェが無いのは不思議だ。
20時前、そろそろと思い出発口に向かうとチェックインが始まっていた。スーツケースを預け身軽になる。出国しゲートに向かう前に少しだけ買い物ゾーンがある。時間も有るしいろいろ見ていたら、以前よりは買って義理お土産になりそうなモノが有る。ミャンマーで作っているクッキーやチョコなどだ、あとは5ドル以下のアクセサリー類が結構売れているようだ。私も試しにインレー湖の絵の描いてある箱のクッキーらしき箱を買った。店員さんは日本語で金額を話していた。
ゲートに降りる時にもう一度手荷物検査が有り、最後のフィルムハンドチェックを依頼。成田では全部出して確認するが、こちらだと一つだけ見て後は同じか?の質問にYesと答えれば終わる。
21:40から搭乗開始とアナウンスがあり、だいたいその時間から乗り始め、ほぼ定刻に出発。2時間くらい前に飲んだドリエルが効いているのか眠い。うとうとしているが熟睡出来るわけでも無い。しばらくすると機内の照明が付き朝食。6:45成田に到着予定が30分早めに到着するとの案内。気温は-1℃、晴れだとのこと。
早朝の成田は人気も少なくルーター返してダウンジャケット受け取って相模大野行きバスに乗り込むといつの間にか寝てしまった。
今回は前半がミャウンミャで後半がインレー湖。全く別の場所に行ったのだが現地の印象に大きな差は感じなかった。説明書き的に見ればミャウンミャはキリスト教徒が多かったり、インレー湖は湖だったりと民族・産業なども大きく異なるのだろう。しかしカメラを通した彼らの姿は私の知っている「ミャンマーの人々」だった。
今まではミャンマーへ行ってもインレー湖が90%以上だったがこれからはミャウンミャ、そして知り合いの増えたヤンゴンもあり益々楽しみが増える。
そして変わりゆくかも知れないミャンマーをフィルムに留めて行きたい。銀塩フィルム・印画紙を取り巻く環境は年々厳しさを増すだろうが。

85歳の元気な女性に再会[10日目]

そろそろ考えていた行くところプランが無くなって来た。明日昼過ぎにインレー湖を発ち深夜便で帰るのたが、、ひとまず午前中はカウンダイへ向かうことにした。

今朝は寒くない、よって霧も出ていたなかった。後で聞いたら今朝は15℃くらいだそうだ。時間もあるので朝食はのんびり目で9時過ぎににいつものボートマンと共にカウンダイへ向かう。
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前回、8月に来たときとボートマンが違うため、見覚えの無い場所に到着した。湖畔から離れる方向へ歩けば通りに出るだろうとメイン通りを探す。どうやら今回は相当入り組んだ場所にボートが着いたようで、戻る時迷わないため道すがら写真を多めに撮っておく。
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何度となく角を曲がり道を上るとメイン通りに辿り着いた。しかし右か左、どちらへ行けば良いか分からないホテルに着いたら行き過ぎとわかっている左へ向かった。5分ほど歩くとホテルの看板で間違え確定。来た道を戻りさらに進むと何となく見覚えのあるY字路へ出た。村に入り写真を見せるともう少し先だと言われ進む。見覚えのあるやたら吠える犬が二匹居て無事第1の目的地に到着した。
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85歳の女性Daw Sar Yeeさんは元気で私のことも覚えて居てくれたようだ。家族や近所さんと写真を撮るとお礼に彼女が作っているお餅と揚げドーナツのような甘い甘いお菓子をくれた。
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前回立ち寄ったときは誰も居なかった近くの寺院から例のバーリ語のお経が流れてくる。入ってみると白装束の男性が分厚い経典をひたすら読む修業中だった。英語を話す日本の友人によく似たお兄さんがいろいろ説明してくれた。そして私がさっき写真を渡した女性の話をすると彼女の名前を聞かれた。私はメモ帳を見ながら答え、iPadに残っていた写真を見せると彼女は村でも有名で、その理由を詳しくいかに尊敬すべき生活を送っているか説明してくれた。その内容は私が8月に来たときにガイドさんに通訳して貰いながら聞いた話とほとんど同じ内容だった。
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彼女は毎日深夜1:00に起きてお餅やお菓子などを作り4:00ごろから3km離れた僧院まで寄進に歩いている。そして近くに子供達の家族も住んでいるが基本は1人で自活している。寺院に寄進する以外にも手作りの食品類を市場などで売っているそうだ。なので85歳と思えないほど元気でしっかりしている。そして私が日本から来たと話すと、第2次世界大戦中、日本軍がここカウンダイに沢山来ていて、その時にお菓子を貰ったりしたことも話してくれた。カウンダイには温泉があるので、怪我をした兵士達が療養に来ていたのだろう。
そしてもう1枚、8月に雨宿りしたところでドーナツを揚げていた女性を写真を見せながら探すとあっさり見つかった。村全体というか隣近所は皆顔見知りで現在どこで何の仕事をしているかお互い知っているようだ。今はさっきの寺院の先で仕事中らしく、教えてくれた家の小さい男の子2人に案内をするようにしてくれた。
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彼らの少し後を着いて歩くと、近所の子供達からいろいろ声を掛けられているようだ。からかわれているようにも見えなくも無いが・・・
写真の彼女再会すると、道路工事現場らしきところで土埃にまみれながら働いていた。写真を渡すと喜んでくれて、周りの仲間もあれこれ興味津々だったようだ。何人かまた撮って失礼した。ここカウンダイもしばらくは訪問先になりそうだ。先ほど貰ったお餅と甘いドーナツ?は道案内してくれた子供達に御礼として渡したら嬉しそうにドーナツをかじっていた。
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そして記憶を辿りボートの所を目指すが意外と迷わず辿り着いた。自分の記憶力と方向感覚はまだ大丈夫だろうと思えた。今日はDrもインレー湖に来るので予定を聞くためShwe Inn Tha Hotelに行くと夕方の便で来るとのこと。私は今回用意してきたプランはほぼ使い果たして時間も有ったのでニャウンシェへ迎えに行くとフロントマネージャーに提案するとアンさんが新しいホテルに居るから相談したらどうかと話してくれた。そうこうしているとコーヒーが出てきたので頂いてからホテルに行く。
アンさんにDr.を迎えに行く話をすると是非そうして欲しいとの答えだった。彼女が持っているボートが連日のフル稼働でエンジン不調になっているのが数隻あってやりくりが大変らしい。昨日私が遭遇したエンジン不調もそのひとつなのだろう。丁度午後にチェックアウトしてニャウンシェに戻るShwe Inn Tha Hotelのお客さんが居るのでそれに便乗することになりそうだ。
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少し時間もありそうなので2階のデッキ席で中国茶をすすりながら。待つこと30分くらいニャウンシェへ戻る客のボートが来てDrを迎えに出た。
私が毎日使っているエンジン付きボート、これには定員が決められており、外国人観光客は椅子に座り救命胴衣を用意し6人まで乗れる。ローカルの人はそのまま座り20人までだそうだ。
20141228-001.jpgボートの舳先のところに整備用の工具や写真のような弁当箱、これはボートマンさんのお昼ご飯が置いてある。ミャンマーの弁当はほとんどこの金属円筒積み重ね形しか見かけない。後は食べる量に寄って高さがちがうのだろう。
ニャウンシェまでは約30分、インレー湖では多くの漁師が魚を捕ったり、湖底の水草などを取ったりしている。Dr.が来るまで少し時間が有ったので街を散歩。お金を崩したかったコトも有り私はチュッパチャプスを1本、アンさんにポテチを1袋お土産に購入した。ボート乗り場に戻ると程なくDr.も到着した。いつもは東京で会うことの多いDr.なのでインレー湖で会うと少し不思議な感じもする。丁度夕暮れ時にボート移動で今日は夕焼けがきれいだ。
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今夜はDr.もアンさんも新しいホテルに泊まるのであれこれ話しながらそのまま夕食。夜になると気温は下がってくるが今夜はそんなにでも無い。
久しぶりに日本語を沢山話す。23時過ぎに就寝。やっと少し現地時間に体が慣れてきたと思っても明日は帰国だ。

昨夜は眠るつもりの無いうたた寝からそのまま、多分21時過ぎに寝入ってしまったため変な時間多分3時ごろに目が覚めて2度寝してしまった。眼が覚めるともう外は明るくなっていた。なので朝霧は出遅れ。数は撮れずとも、それでもまあまあか。

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朝食後、今日はボートマンが居た。
アンさんと電話で話をしたら、相変わらずの忙しさで急遽タウンジーまで行くことになったそうだ。お役所からホテルの何かの許可だかで直ぐに来いと呼び出されたそうだ。
それでも私が今日タウントゥーへ行きたいと話したのを覚えていてくれて、わざわざランチボックスまで準備しておいてくれた。なので、一度Shwe Inn Tha Hotelに立ち寄りランチボックスを積み込み出発。途中ナンパンでボートマンが自宅に立ち寄る。結構マイペースな人のようだ。タウントゥーの仏塔群が見えて来て、もうすぐかと言うところで、突然ボートを止める。
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エンジンの調子がおかしいらしく、工具箱を持ってゴソゴソとボートマン。大丈夫かなぁと待っていると数分でエンジンの再始動しタウントゥーへ到着。ここは2008年に私自身初めての写真展を新宿のepiste galleryで開催した時にDMにも使ったメインイメージを撮った場所だ。ただその時の景色は今はもう無い。8月に来た時に山頂の寺院へ続く参道を延長する工事をしていたがそれが概ね完成していた。私が好きだった坂の途中にあった参道入り口の門、日本で言えば鳥居のようなものだろう。そこからインレー湖を望む景色が美しかったのだが参道を延長してしまったからもうその景色が無くなってしまったのだ。
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きょうは市場の日だが少し時間が遅いのかそれもとナンパンやインデンと比べるとこじんまりとしていた。来年のミャンマーカレンダーを1000チャットで購入。市場散歩を切り上げて上まで参道を登っていく。少しインデンと似ているがこちらの方が人も少なくて落ち着いている。
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上まで登る途中、参道が折れているところに気付いた。下を見ると両側に対の獅子像があり、元々の参道はこちらだったのだろうか。獅子の所まで降りて見上げると圧倒される。
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少し撮影して参道に戻り、寺院の入るため靴を脱いていたら、フランス人のグループの男性が私のローライに興味を示し英語で話しかけてきた。私が日本から来たと話したら時々日本語混じりで話している。グループの一人の女性が日本語が話せると紹介してきて、確かにそのようだった。インレー湖に来て初めて話す日本語がフランスの人だとは思いもしなかった。
グループの中の4人が家族で1年半ほど日本に住んでいたことがあるそうだ。私はエンジニアとして働くかたわらフォトグラファー活動をしていると話すと、グループの中の若い女性もフォトグラファーだと紹介してくれた。HPがあるのかと聞かれたので名刺を渡した。彼女のURLは後日私の名刺のメアドに送ってくれるらしい。
丘の上にある寺院で仏像をしばらく眺めて目を閉じると心地よい風と共に仏塔の鈴がなりとても静かな気分になる。以前はインデンでも同じような感覚だったがここ最近は観光地化が進み、私にはここ、タウントゥーのほうが落ち着いていて良いと思う。
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湖畔まで降りて、8月に訪れた家を写真を頼りに探す。何人かに聞いて無事に辿り着くプリントしてきた2L写真を渡すととても喜ぶ。しかし母親によく似た親子だ。今回は親父さんも居た。
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ボートに戻りボートマンへインパッコンの織物工房へ行きたいと告げ、ボートで移動しながら船上ランチ。焼き飯とサンドイッチとトマト、みかんも入っている。インパッコンでインレー湖模様のスカーフを2枚購入。引き伸ばし機のカバーに使う予定で、帰国後掛けてみたら丁度よかった。
Shwe Inn Tha Hotel に戻りランチボックスを返す。顔馴染みのスタッフがコーヒーとパンケーキを出してくれた。8月に工事していたプール側の渡り廊下が全てコンクリート化されていた。ホテルのフロントマネージャーの女性とFBの友達になる。FBは今や世界に広がっているのをここでも実感する。数年前には考えられなかったことだ。私がミャンマー語教室で練習したミャンマー語の歌を知っているか聞くと彼女は知っていた。なぜか一緒に歌ったが不思議な親近感を覚えたのは歌よ持つ普遍性なのだろうか。
1度ホテルに戻り小休止。インレー湖はこの時期カモメが沢山居る。渡り鳥だから乾季になると来るらしい。日本では海に居るイメージが強いカモメだが湖にもいるのだろうか。ボートの観光客がパンなどをちぎって投げると空中で器用にキャッチしるから面白がって投げていると自然とカモメの行列がボートに併走する姿をよく見かける。これもハイシーズンならではだ。
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8月に寄ったタバコ工房へ再び向かう。今度は記憶を頼りに途中、写真を見せながら辿り着く。ここでも写真を渡すととても喜ぶ、写真を撮って渡しての繰り返しで何となく繋がっていく。
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まだ時間もあるし、昨日も行った僧院まで行ってみる。というのも隣にあるし学校の前で撮った写真もあり、もし誰かに会えれば渡そうと思っていたからだ。昨日は学校に誰も居なかった。今日も居なかったのでもう年末年始休み?なのだろうか?
ところが手前の橋のところに手招きをして俺を撮れと言うジェスチャーのおじさんがいた。
写真を撮ると私に僧院に行こうと誘っているようだ。昨日も来てるが時間もあるし付き合うことにした。最初に大きな魚の居るレイの池に。ただ昨日のお坊さんのように餌をやることが出来ないので魚も集まってこない。次に僧院に入れと手招き。入って本尊にお参り、そして多分、ここで一番偉い?お坊さんお部屋へ。私も挨拶して少しお布施をしてみるも、話は出来ず。おじさんがお坊さんはもう寝るからという?仕草で部屋から出ようとゼスチャー。
部屋を出て、外に出て最初に会った橋まで戻ると、俺の家に来て飲んで行け、多分お茶だろうとのジェスチャーしばらく一緒に歩くと、途中、あの一角は俺の土地で何かを建てる予定だ、多分そんな感じの事を言っていたのだろう。少し歩いて何人かにおじさんお友達らしき男たち3人も合流して歩く。ある分かれ道まで来ておじさんが指を一本立てて何か言っている、ダタウン?多分1000?そして何かを飲む仕草を繰り返す。周りの男たちはクスクスと笑っている輩もいれば、もう止めておけというような雰囲気を醸し出している人も、なんかよく分からないが私が1000チャット出しておじさんに渡すと突然、ハグして来た。???で居ると手を振り笑いながら脇道に消えていった。周りに居た男たちも一緒に。
言葉が分からない私がからかわれた?のだろうか?それとも僧院を案内し、僧侶に会わせた対価を要求したのだろうか・・・多分両方あったような気もする。
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やはり次回までもう少し言葉をどうにかしておかねばとこの時が一番思ったのだが。。。
確かに第一印象が怪しげで、しかし憎めない感じだったがその通りの展開だったことに思い出すと妙におかしい。
ホテルに戻ると、ここでもコーヒーを出してくれた、パンケーキも一緒にと?聞かれたが夕飯もあるので遠慮してコーヒーだけ頂いた。どうやらアンさんかShwe Inn Tha Hotel のスタッフかがここのマネージャーさんに伝えたのだろう。昨日までは無かったコーヒーを出してくれた。ここでは私はそうとうなコーヒー好きと思われている。
不思議な1日だった。今日はインレー湖に来て一番暑かったと思う、結構汗もかいたので夕食まえに先に風呂に入ってさっぱりした。
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今日も夕暮れの湖を部屋からボーッと眺める。ほとんどのボートは北へ、ニャウンシェに帰って行く。この景色をここでは眺めて居られることがインレー湖の魅力のひとつだと思うし、眺めてみないと多分気付けないのだとも思う。私が偶然知り合ったアンさんがここでホテルをやっていなければ私もあのボートの中だったのかも知れない、人の縁は不思議で大切だ。

スイスの人とランチ[8日目]

時計はみてないが早朝、昨日ほど激しい霧は出ていない。その分少し寒くない。後でホテルスタッフに聞いたり今朝は13℃だったそうた。

インレー湖は東西を山に囲まれているから山の向こうから日が差し初める。そのころから外に出で歩くと空の変化が一番美しいと思っている。夕暮れのマジックアワーの逆のような感じかも知れない。Shwe Inn Tha Hotelだと湖上にあるからホテル内を歩くしか無いが、ここは裏手が陸地なので自由に歩ける。いつもの石橋辺りまで行き、僧院の裏手から南方向へ歩くと周囲が開ける所に出た。

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霧は少ないが陽が出ててきて湖面を照らすと水蒸気が幻想的になる。良さげなロケーションは見つかるがもう少しベストな場所がありそうなので後で探してみようと思う。山裾から太陽が離れるくらいになると乾季の空になってくる。撮影は切り上げてホテルへ戻り始める。

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早朝は気温も低いため地元の人達は焚き火で暖を取っている。なんとも焚き火が魅力的に見えて仕方無い、私も便乗する。
言葉は通じなくても思いは通じる。
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ホテルに戻り朝食。朝食はホテルメイドのパン、卵は調理方法を指定、フレッシュジュースとフルーツ盛り合わせ、そしてコーヒーか紅茶だ。パンは本当に美味しく日本でも普通に売れるあじだ。私はスクランブルエッグが好きでほとんど毎日それを頼んでいた。
昨日ボートマンが明日はニャウンシェに行くから来らないようなことを言っていたが、やっぱり来ないようだ。マネージャーの女性にナンパンマーケットに行きたいと話すとホテルのスタッフが連れて行ってくれる事になった。
ナンパンに来るのは4年ぶりくらい。インレー湖界隈のマーケットは5day market と呼ばれ、5日間違う場所で市場が立ち、6日目は無し。ただこの日はインレー湖ではほぼ、観光目当ての水上マーケットになるが動き回ることも出来ず私にはさしたる魅力は無い。なので滞在期間と市場の巡り合わせで行きたくても行けない市場が出できてしまうからナンパンが久しぶりになってしまった。
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ここは規模が大き市場で陸と湖と両方から人が大勢集まってくる。ここでも観光目当ての土産物屋が目に付く。人混みをかき分けるように進むとHigh Class Toiletと書かれた立派な公衆トイレが出来ていた。
外国人は無料で、ローカルは200チャットというもの。私は当たり前のように入り口近くの店番らしき女の子に500チャット差し出すと、看板を指差し戻してきた。赤ん坊を抱えながら笑顔でお金を返す様をみるとそのまま上げてしまいたくなってしまうくらいだ。
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さて、歯医者を探したのだが見つからない、いなくなってしまったようで何人かに拙いミャンマー語で聞いたが分からないようだった。
途中、ボートマンに遭遇、再びニャウンシェに行かないのか?と聞く。ニャウンシェで何があるのだろうか??(後で聞こうと思っていたが忘れたので謎のままだ)
ホテルに戻る途中、ナンパン村(水上集落)でホテルのスタッフを一人乗せてホテルに戻る。ナンパンの水上集落はノンビリとした雰囲気で好きな場所のひとつだ。
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ホテルに戻り、部屋に荷物を置き、2階のダイニングルームに上るといつもの私の席の向かいに座っている女性がいた。フル稼働していないホテルなのでダイニングの席も少なめのセッティングとなっている。私は到着以来窓側の同じテーブルを使っていた。その席の向かい側に彼女が居り、私に気付いてニッコリと微笑んでいた。私は人との出会いで第1印象が重要だと思っている。初めて会ったときの印象ですんなり入っていける場合はその後の会話も付き合いも順調なことが多い、彼女の静かな表情を見たとき、漠然と大丈夫な気がした。
他のテーブルは用意されていなく、ホテルのマネージャーさんもニコニコしている。私の方から相席を確認するとウエルカムとのことで相席についた。
話をすると彼女はスイスから来たそうだ。4年前にインレー湖に来たことがあり、そのときにランチに寄ったアンレストランを訪ねてきたらホテルになっていて驚いたそうだ。でもランチが食べられるのがそのまま入ったらしい。
年齢は多分私より少し上かなぁという、感じ。流暢に英語を話すのでイギリスの人かと思ったらスイスの人だった。旦那は遠出旅行は嫌いで彼女は数年に一度自分へのご褒美に東南アジアを旅するのが好きなそうだ。私はスイスに行ったことないし、彼女も日本に来たこともないので、お互い勝手に思っていた両国のイメージを話したりしながらたのしいランチだった。自分の英語力や知識を思うと会話が持つか心配だったが向こうが気を使ってくれたのか大丈夫だった。自分の英語が良くなったと錯覚してしまうほどだ。
今日は午前中から気温がじわじわ上がっていた。昼間はそこそこ暑いので少し部屋で休み、14:30過ぎにホテルに裏の道を歩いた。8月に訪れたタバコ工房を目指すが、イマイチ分からない。多分ここだろうと思ったところが有ったが窓は閉まっているし中に誰か居る雰囲気は伝わってこない。途中の小学校もだれも居なかったし休日かそれとも年末年始休みなのだろうか、出直すことに。
上手くいかない時もあるようで、そのまましばらく歩き池に大きな魚の居る僧院まで来た。
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建物の前で何人かでブロックを手作り中だった。しばらく眺めていると、近くにいた僧侶が手招きをしている。そちらへ行くとベンチの側に猫が顔を洗っている。そしてえさを近くに置き、手には竹で作った小さめの輪っか。そう猫に輪っかを飛んでくぐらせる、インレー湖にはある有名な?ジャンピングキャット僧院を目指しているのか彼が仕込んでいるようだった。
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何枚か写真を撮っていると池の魚に餌をやるからと誘ってくれた。数年前にも見たが確かにでかい魚が多い。鯉だけでなくナマズもでかいのがうようよ餌に集まってきた。
ホテルまで戻り、ボートマンも居ないしそのままホテルでノンビリ夕暮れを眺めて過ごしていた。部屋の窓が額縁のように外の景色を切り取っている。何とも贅沢な時間が過ぎていく。
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一安心な日[7日目]

5:30、今朝は寒さで目が覚めた。覚悟していた以上の寒さ、体感温度は10℃くらいだろうと思ったが後で聞いたらその位だったようだ。この時期、日本の自宅界隈は氷点下近くまで下がる時も有るが自宅の中は寒くても15℃程度だから久しぶりの寝起き寒さだった。まだ暗いし戸棚に入っていた毛布引っ張り出し重ねてもう一度ベットに潜った。うとうとしてるとカーテンから外の明るさが漏れているのに気付く。

窓から湖を観ると湯気が立ち上っているようだ。しかき幻想的で美しい。陽が出てくると一気に霧が濃くなり真っ白に。7:00の朝食の頃になると一気に陽射しが強くなり水蒸気が増え霧が濃くなるが、数分経つと所々霧が薄くなり刻一刻と変化する景色に見とれてしまうが20分くらいで消えた。
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8:30過ぎ、今日の市場開催場所であるインデンへ向かう。昨日アンさんが用意してくれたダウンジャケットが暖かくありがたい。予想していたがインデンに近く付くとボートが増えてくる。船着き場に着くとやはり観光客が多い。
市場を歩くと観光客に群がる様々な物売りが増えた気がする。しかも以前よりしつこい。ここもローカルと観光客相手とが入り乱れた感じは面白いと言えば面白いが、ここは来る度に観光地化が進んでいる。川辺はすっかり護岸工事され、小洒落た観光客相手のレストランも増えてる。寒さを考えて厚手の靴下を購入。何故か私がミャンマー語「いくらですか?」と聞いたらとなりの店の人とえらく盛り上がっていた。ただ金額を聞くときには「How mach?」と聞かざる得なかったが・・
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市場で売っているモノにも幾つかの変化が、携帯ショップがあったり、そしてここでも複数のビリヤード場が数カ所あった。もしかしてミャンマーではいまビリヤードがホットなのだろうか。
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人混みを避けて参道を登っていき頂上の寺院で小休止。
ここの古びた仏塔も来る度少なくなり、代わりに真っ白な真新しい仏塔が建てられていた。ミャンマーの仏教徒の人達は日々の徳を積みより良い来世を信じて暮らしていると聞く。そして得を積むうえで1つの目標が仏塔を建てるコトだという。なのでここにも新しい仏塔が次々建てられているのかもしれない。仏塔群を抜けて少し歩き、以前何度か訪れたパオの集落へ。ある家の前を通ると窓から笑顔で手招きをしている。お茶を頂き写真を撮っていると、その先に有る小高い丘のパゴタへ行くよう勧められ、そのまま行くことにした。近所の10歳くらいの男の子私の前を歩く。どうも道案内の様だが、案内など不要な簡単な道なので少し嫌な予感がした。岩場と階段を上り10分弱で到着。眺めは良いが最後に彼は「Money」と連呼。ここでは私のように観光客が村をふらふら歩いているのだろう。なんとなくさっきの家族と合わせ技で1本取られたような気もするが、以前はこのようなコトは無かったような気もする。だんだん「普通の国」になって行くのだろうか。
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あれこれ考えながらボート乗り場まで降りてくるとボート待ちの列になっていた。乗り降りできる場所が限られているため降りる人乗る人を待たねばならない。
お昼前、昨日の首長さんのお店へ寄ると明らかに昨日とお店の人の対応が違う。纏めて注文するためかお店の人は終始笑顔。昨夜手書きで作った注文書のようなメモを渡し、これにて正式にスカーフを発注。全て手作りのため時間はかかるが確実な品物を手に入れられる目処が立ち一安心だ。
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昼はホテルに戻り少し遅めのサンドイッチランチ。
1つタスクを済ませホッとしたのか眠くなり部屋で小休止。
小1時間ほどで目が覚めいつものレチェ村の仏像屋へ向かう。ボートが近づくにつれ少し気が重い。8月に来たときオヤジさんは病床に伏せっていて遠目に見るとかなり悪そうな感じだったから、もしかしてもう会えないかもしれないと覚悟していた。家に着くといつもの元気な女性が私の顔を見ると笑顔で手を振ってくる。そしてまぁ上がってくれという仕草に従い2階へ。8月に撮った写真ともう少し前に来たとき撮った写真を渡すと懐かしそうに見ていた。今回はガイドさんが居ないため意思疎通はかなり厳しいと思っていたがボートマンも一緒に合流し彼が少し通訳してくれてなんとか伝わる。そして一番気になっていたオヤジさんのコトを聞くと今は回復して1階に居ると言われ階下へ。彼は少し奥に入ったところで椅子に座り外を見ていた。そして私の姿に気付くと自由の効く右手を差し出してきた。3年くらい前に軽い脳梗塞を患い左半身が不自由になってしまったことは以前聞いていた。数年ぶりにオヤジさんを撮影し終えるとさっき渡した写真をオヤジさんに見せていた。すると初めて笑顔を見せて懐かしそうに何度も写真を観ていた。この笑顔を観れて私も一安心して嬉しくなった。そういえば女の子2人は不在のようで少々残念だ。
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レチェ村はインレー湖の中では少々特殊で職人が集まっている。ここでは観光業を除くと漁業若しくは農業が主な産業でそれ以外で生計を立てている家は少ないと聞いている。路地を少し歩いてからファンダウンパゴタへむかうがここも観光客が多すぎで落ち着かない。聞いていると心地よいパーリ語の経典読み修業もやってない。パゴタを抜けて奥に歩いて行くと妙な矢印を見つけた。
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時間も有るしその矢印を辿っていくとファンダウンパゴタの本尊を小さくした五体の金仏像をおいた家というか建物に行き着いた。片言の英語を話す人の説明に従い1000チャット払ってお水をお供えし最後に持ち帰る。聖なる水になるのだろうか、不思議なところだったがトイレ借りれたので良しとすべきだろう。
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夕方、ホテルに戻り裏手の村を少し散歩し。途中の石の橋まで行った。乾季なので川の水は極端に少ない。
橋の側にある僧院でサッカーに興じる少年僧と近所の子供達。ミャンマーではサッカーが人気のスポーツでテレビをつけると何時でも何かのサッカーの試合を放送している。
となりの学校のグランドでバレーボール。バレーボールは本格的な高校の部活のようだった。ここでも段々「普通の国」になって行くのだろうか。
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ホテルの戻り部屋から夕暮れの湖をぼんやり見て過ごす。仏像屋さんでお土産に貰ったミカンをゆっくりと、種が多いから日本のミカンのようにパクパクとは行けないのだが、これも贅沢な時間だ。何かと忙しい今のご時世で時間を優雅に使えるのは何事にも代え難い贅沢かもしれない。
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夕食後、下のフロアのXmasツリーに名前の書いたプレゼントがあるからとマネージャーさんに言われて探すと程なく見つかる。薄手のスカーフ?だった。
今夜はダイニングルームも昨日より賑やかで宿泊客多いようだ。こちらのホテルは未だ全てが完成している状況では無く、積極的なプロモーションはしていないとアンさんは言っていた。プールやジャグジーなどフルオープンのは2015年9月になるだろうとのコト。そうするとここも多くの観光客が連日泊まるのだろう。今は静かで、それはそれで私には大歓迎だ。今日も22時を過ぎるともう眠い。暖かくして就寝。

インレー湖へ[6日目]

今日はいよいよインレー湖に向かう日だ。昨日までの5日間を思い返すと全てが鮮明に甦るようだ。今まで行ったことの無い南部デルタ地帯。2008年に総死者数は10万人を超える甚大な被害をもたらしたサイクロンナルギスが直撃した一帯だ。インレー湖の友人アンさんもちょうどこの時ヤンゴンに来ていて大変だったと後日聞いた。そしてインレー湖から大工さんなど復興に必要な資材や人員を連れて支援に向かった話も後日同行したDr.田中氏から伺った。その時名知さんもこのデルタ地帯に救援のため入り活動しており、その報告会を2008年10月5日、東京高田馬場で聞いたのが名知さんと知り合うきっかけだった。その時がきっかけで今回こうしてミャウンミャで数日間だけだが行動を共に出来たのも人の縁ということだろう。そしてこの報告会を主催したJMCC(日本ミャンマー・カルチャーセンター)へ私は昨年9月からミャンマー語を勉強に行っている。もう少し早くミャンマー語へ取り組んでいれば、と思う今回のミャンマー滞在だった。
今日のフライトは8:00ヤンゴン発。空港に7時前着を考えて5:30にホテルをチェックアウトし空港へ向かう。さすがにこの時間だと道路は空いている。6時少し過ぎにヤンゴン空港国内線出発ターミナルに到着。早朝にもかかわらず出発ロビーは人が多い、さすが乾季だ。チェックインはまだ始まっていないし、昨夜アンさんからメールがあり、ホテルまで荷物をひと箱運ぶことになっていたからしばらく外を眺めながらターミナルの外で座っていると丁度東の空に朝日が昇ってきた。以前沢山いた鬱陶しいポーターの姿は無くノンビリとしている。
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それにしてもヤンゴンの朝がこんなに涼しいとは忘れてた。この感じだと明日朝のインレー湖はどれだけ寒いだろうかと少々心配だ。
予定の7時前にチェックインカウンターへ向かうとアンさんのヤンゴンスタッフが荷物を持って待っていた。中身はクリスマスディナー用の何からしい。自分のスーツケースとその荷物をチェックインし一安心。手荷物検査を済ませ出発ゲート前待合室に入ると大賑わいだ。
約1時間遅れて離陸。このくらいは良くあることで特に誰も騒がない。翌朝に分かったのだがやはりここ数日は朝の冷え込みで、霧が発生しヘーホー空港の霧が晴れないと離陸できないのが遅れた原因だった。
離陸して間もなくシートベルトサインが消えた。ミャンマー国内線は飲み物とオヤツが出る。今回もクロワッサンぽいパンとカステラの様な甘いのが入っていた。そろころ降下を始めるだろう時間になると眼下にインレー湖が良く見える。8月に初めて行った3つ目の湖の島も良く見える。遠くの山々は水墨画のようで綺麗だ。たまには乾季も良い。
空港に着いて荷物2個を無事にピックアップしてイミグレーション、何故か国内移動にもイミグレがある。ゲートを出ると私の名前を掲げた女性が待っていた。空港を出でヘーホーの街を抜けて峠を越えるいつもの道だ。ヘーホーからシェニァウンを経由しニャウンシェに至る道で増えたのがガソリンスタンド。建設中の国内線飛行機会社オフィス。初めて見たのがピリヤード場。
ニャウンシェに11時過ぎに到着。ここからホテルから迎えのボートに乗り暫くは幅の狭い水路を行く。
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湖に出たところで足漕ぎボートの観光客向けデモンストレーションを演っていた。乾季の爽やか、と言うより肌寒いくらいの風を受けてボートは進む。今回は新しい方のホテル、Ann Heritage Lodgeに到着。4ヶ月ぶりにAnnさんに再会。Annさんの話を聞くとShwe Inn Tha Hotelは満室だそうで今回はこちらにチェックイン。
チェックインして2階のダイニングルームでランチ。インレー湖のあっさり目の魚料理と久しぶりのサラダを堪能した。
1度部屋に行き撮影機材など支度を整えると今回の重要なミッション、首長族がスカーフを作っているお店に向かう。
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8月のときとは違うメンバーが居た。残念だが彼らと直接会話は私には無理なので英語を話すお店の人と話をする。私の拙い英語でなんとか今回の主旨を説明し、スカーフの必要数や時期を話しおおよその感覚はつかめた。8月の買って帰り好評だった三角柄は在庫が無かったが他にも綺麗なスカーフが沢山有ったので20枚ほど購入した。明日か明後日もう一度まとめた数量で正式にお願いに来ると言って店を後にした。
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このままホテルに戻るには時間が早いし、どこか遠出するには遅い。ホテル裏の村を歩く元気も無いし近くのジャンピングキャットで有名な僧院へ向かうことにして、ボートマンに伝えると「今は猫は飛ばないけど良いか?」と私は「猫は飛ばなくて良いよ。私はあそこの僧院に沢山ある仏像が好きで行きたい」と答えたら嬉しそうに頷きながらボートを走らせた。
僧院に着くと予想していたがボートの数が多く中も観光客が沢山居る。8月は人も少なくのんびりと30分くらいゴロゴロしていたが今回は落ち着かない。早々に出てホテルに戻ってのんびりすることにした。
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ホテルに戻り、2階の展望席?からコーヒーを飲みながら湖を眺めていた。夕方になると北へ向かうボートが圧倒的に多い。インレー湖観光を終えてニャウンシェへ戻る人が多い。するとアンさんが来て、スカーフの交渉内容(値段や納期)を話すとアンさんが幾つかの提案、アドバイスをしてくれた。この件もアンにはいろいろお世話になってしまうことになりそうだ。本当に助かる。そして、朝は寒いからダウンジャケットを着た方が良いとDr.田中氏のを貸してくれた。ダウンジャケットはいくら何でも・・と思ったがありがたく受け取り部屋に戻った。
スカーフ交渉の目処が立ち一安心し空腹を覚え少し早めに夕食を取った。食後部屋に戻るとスカーフ交渉の経過をFBに報告したら眠くなり21:30頃に寝てしまった。

ヤンゴンへ戻る[5日目]

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長いようで短く濃かったミャウンミャからヤンゴンに戻る日でやはり5:00過ぎに目が覚める。朝は相変わらず涼しい。半袖は歩けない涼しさで、ここでこれだとインレー湖は相当寒いのでは?と、久しぶりの乾季にすっかり気候を忘れている。
最後の朝もゲストハウス近くを少し散歩。良く目にした野良犬となんか立派な鉄塔。

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ご要望のあった名知さんの写真を早朝の寺院前で撮影。道行く人達が不思議そうにこちらを見ている。
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朝食はバスで食べようと前日のケーキ屋&レストランで購入した食パンのようなほんのり甘いパン。
町外れのターミナルまでのフェリーはギュウギュウの乗合いトラック。来たときは遅れて乗り込み苦労したが今回は早めに乗り込み板張りの長椅子に座れて問題無かった。しかし彼らはこれでもかというくらい器用に人と荷物を詰め込んでくる。それも日常の様で皆普通にお菓子をつまんだり、ミカンを剥いている。
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ターミナルに着くと来た時と同じ三菱ふそうのバスに乗りこむ。座席は指定されているから安心だ。途中2時間少し走ったところで往路と同じ所で休憩。網走バスと書いてある。かなり寒いところから東南アジアという常夏に来たのだと思うと少々不思議だ。
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バスは再び走り出し13時過ぎにヤンゴン郊外のターミナルに到着。
ダウンタウンまでは来た時と違ってフルローカルな中型バス。エアコンは無く唸るように走る遅いバスだか、暑くもなく意外と快適。ヤンゴンというかミャンマーの空気を満喫できる。
それは、ターミナルに着いた時、どのフェリーか分からず遅れて乗りこんだ時に席を空けてくれたミャンマーの若い男性が爽やかで気持ち良かったこともあったのかもしれない。フェリーはどこまで行くのか分からなかったがダウンタウンのどこまでは行くだろうと言うことで何となくヤンゴン川近く、多分もう少しいくと中国寺院の辺りだろうと思うところで突然停車した。途中所々でぽつぽつ降りる人も居たがここは全員が降りていくから終点なのだろう。
近くでタクシーを捕まえてホテルカードを見せると2000チャットだというから近そうだ。14時半頃、ホテルに到着し広い部屋で小休止。
さて、今夜帰国の塚本さん、私は明日からインレー湖で最終日はヤンゴンのダウンタウンに来れない予定。なのでお土産など買い物するなら今日しか無い。
先ずは、塚本さんがミャウンミャに行く前に注文していたロンジーを引き取りにサンチャウンへ向かいたいところだが細かい場所までは分からない。しかし塚本さんが持っていた福島さん(今回のホテルの手配などしてくれたヤンゴンの旅行社)の事務所の住所が英語で書かかれたメモを持っていて、そこまで行けばお店が分かるかもと言うことで、ホテルのスタッフにメモを見せてタクシードライバーへ頼んで貰う。タクシーに乗り10分くらい、それらしき場所がここだと言われて降りる。周囲をキョロキョロする塚本さんだが私は全く初めての場所なので着いて歩くしかない。少し迷うかと思ったが塚本さんの記憶であっさり店が見つかり無事ロンジーを入手。
名知さんのアパートが通り一本隣だということで、今後?のために確認しにアパート前まで行った。サンチャウン通りを少し入った建物で分かりやすい。
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後は日本へのお土産を買うためと、塚本さんに1カ所くらいは定番スポットをと思い、アウンサンマーケットへ向かう。タクシー捕まえてアウンサンマーケットへ向かうが近づくと大渋滞で見えているのになかなか辿り着かない。するとドライバーが中途半端な所で降りるように進めて来たので降りて狭い路肩を歩いてマーケットに入る。
私は前回買った美味しかったクッキーを購入。塚本さんもクッキーを購入しお店でやっていたサービスでThankaを初体験していた。
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私もインレー湖では何度も塗ってもらったが都会のヤンゴンで塗ってもらう勇気は無かった。そして彼女は着物を着るそうで髪刺し?を購入していた。私ひとりではまず視界に入らない1品だ。
シュエダゴンパゴダにも行こうかという話もあったが、そこそこの時間だし荷物整理をしたいとの話でこのままホテルに戻るコトに。マーケット前の道路は大渋滞なので私には馴染みのある環状線に架かるいつもの橋を渡りタマダホテル側へ歩く。
そいういえば、買い物などに夢中で昼を食べていないことを思い出す。私の記憶に残っていた美味しいパン屋でパンを買ってホテルで食べることに。近くのお店で塚本さんはお土産用にミャンマービールの缶を2本購入。
後は適当に配れるお菓子系のお土産が買えればと思い、パークロイヤルホテル隣の何度も行ったスーパーマーケットへ。しかし、お店は無くなり、エアアジアの事務所、パソコンショップ、会計事務所など入るオフィスビルになってた。
仕方無い、タマダホテル前に戻りホテルまでのタクシーを頼もうとしたら、見慣れただみ声のおじさん。何度も空港までなど頼んだドライバーさん。私を覚えててくれたようで嬉しい。出来ることならこの辺りに泊まった方が渋滞は酷いが、出歩いたり買い物には便利だ。
ホテルに戻りかなり遅いランチ。砂糖ミルク別のネスカフェで甘くないコーヒーを久しぶりに飲む。ミャンマーでコーヒーを頼むと砂糖ミルク入りが標準のようでやたら甘い。
塚本さんの帰国便は22時過ぎのフライト。空港までの渋滞も読めないし18時過ぎに塚本さんを空港に送り出す。
1人部屋に戻ると何だか取り残されたような感じもするが、明日からインレー湖が待っていると思うと嬉しい。
しかも今回のインレー湖ではマフラー購入の大事な役目もあるし、一先ずMFCGのブログアップを試みるも重くて断念。
遅めの夕食はまたルームサービスで軽く済ます。再度ブログアップを試みるが全くダメだ。仕方無くFBにテキストと写真をアップしてメンバーに託し22時過ぎ就寝。

キーパーソンなところへ[4日目]

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今朝も5:30に目が覚める。朝食まで時間はあるしミャウンミャに来てから寺院に行ってないことも気になっていたしダウンタウン近くのお寺にお参り。お参りして奥に入ると今回初めてボーミンガウンと対面。最初見たときは???だったが仏教と並びミャンマーで広く信仰されている土着宗教のようなものらしい。しかしリアルで厳ついのにどことなく愛嬌がある気がする。
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ホテルまで戻ると朝食は名知さんオススメのミャウンミャモヒンガーを食べようと再びダウンタウンへ向かう。名知さんの記憶も定かで無かったようだが人に聞きながら市場内の奥まったところにあるお目当ての店に辿り着く。
20141222-003.jpg途中、お寺のフェンスにこのようなミャンマー語で書かれたレリーフのようになっていた。9月からミャンマー語の勉強を始めたが、まだまだ幾つか覚えたフレーズを口走る程度で、何が書いているのかさっぱり分からない。でも多分仏教的なコトなのだろうが・・・
今日はこの先、ミャウンミャでMFCGとして活動していくうえでのキーパーソンに会いに行く予定だ。昨日の孤児院は支援するひとつのかたちを具体化するところだったのに対して、今日行くのは少し雰囲気が違う。彼らの理解、協力無くしてこの先の活動の継続はあり得ないだろう。
朝食後、これから会う僧侶U Thur Patiが今日が偶然にも誕生日だと名知さんが阿吽仁さから聞く。なのでまた昨日のケーキ屋へ向かいパウンドケーキを購入。ついでに午後から会う予定のWorld Visionへも手土産にパウンドケーキを購入、昨日今日で何個買ったのだろうか。。ついでに塚本さんと私はおやつ用に美味しそうなクッキーを購入しゲストハウスに戻る。このころになると町の大きさと土地勘が出てきてサイカーに乗ることはほとんど無くなっていた。しかし、これから行く僧院Priyati Swan Aarは少々距離があるとのことで、ゲストハウス前に居るサイカーを呼ぶ。
僧侶U Thur Patiはまだ若いが地元で医療に力を入れており、人々の尊敬を集めている居るそうだ。その彼にMFCGのこれからの活動を説明しアドバイスを求めるとと共に、僧院Priyati Swan Aarで地元の人々への料理教室を開くことへの理解と協力を求めることが目的だ。私はケーキを持って阿吽仁さんバイクに乗り、名知さんと塚本さんはサイカーで向かう。阿吽仁さんが僧侶の待つ部屋に入ろうとしている。名知さんたちの到着を待とうかと阿吽仁さんに話したが、取りあえず中に入ることになった。ケーキを渡し僧侶U Thur Patiに挨拶していると名知さんたちが到着。彼の協力と理解を得られたようで先ずは一安心だ。僧院内に最近出来た白内障手術設備があるとの話で設備を見学させてもらうと日本製のしっかりとした機材が揃っていた。稼働はこれからだとのコトだが今後の活用は期待できる。この僧院には他にもクリニックや酸素吸入設備も備えており、町の中心を担っているのが良く分かる。
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誕生日を祝う11:30からの食事に呼ばれたが10:30にミャウンミャ病院のドクターにアポを取っていたので急いで向かうと、少し歩くとミャウンミャのメインストリートにあっさり出た。ケーキ屋からゲストハウスまで歩いて移動していることを考えると歩ける距離だった。少し時間に遅れて病院に到着。ここのDr達と連携して活動していくことは不可欠で、MFCGがこれからモバイルクリニックで活動する村の候補を選んでもらう。
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11:30過ぎに僧院に戻り昼食を頂く。タミンジョー(焼き飯)やおかずと共にアイスクリームまである。今回のミャウンミャは昨日といい誕生日に縁がある気がする。誕生日に当たる確率は1/365しかないし、名知さんの持っている何かがあるのだろう。
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塚本さんはなんと、ミャンマーに来てお寺を未だお参りしていないということで、船着場の先にあると言う大きなお寺を目指すも、名知さんの記憶以上に距離がありそうで断念、暑くてにゲストハウスに戻りシエスタ。
15:30、この地域と言うか世界中で活動しているNGO、World Visionの事務所へ向かう。手土産はいつものケーキ屋さんのパウンドケーキ。ここは本当に遠いのでサイカーで移動する。確かに歩くと相当ありそうな距離だった。
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ミャウンミャのダウンタウンから少し離れた一軒家がまるまる事務所になっている。ミャウンミャでも幾つかの村々で活動していて、村の確認や意見をもらう。長年活動しているので参考になる。
パテインにも大きな拠点があり、ここも現地スタッフだけで22人いるそうだ。
二階の部屋も案内してもらうとコンピュータールームが2つ、ミーティングスペース、ダイニングルーム兼ミーティングルームなど設備も充実。
ゲストハウスに戻り一休み。今回宿泊しているゲストハウスは外観がこのような感じでこぎれいだ。2階建ての母屋?に平屋の宿泊部屋がいくつか有る。私が泊まっていたのは正面奥、給水塔?のとなりの薄緑色の部屋だ。
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夕食は3人で最後の晩餐、いつものケーキ屋はケーキやクッキーだけでくレストランも併設している。食事も有り少々高いが美味しいと言うことでそこへ向かう。メニューはミャンマー料理だけで無く、タイ料理、韓国料理、インドネシア料理などもある。
名知さんは不思議な色をしたパフェのようなのを頼み美味しそうに食べてた。食後、ゲストハウスに戻り就寝。明日はとうとうヤンゴンへ戻る日だ。

孤児院へ[3日目]

20141221-001.jpg今朝も5時ごろ自然と目が覚める。近所を散歩するが朝靄と朝日が綺麗だ。(路肩のゴミは多いが)朝はあちらこちらで炊事やらたき火で煙が立ち上り朝日が当たり木漏れ日に彩りを添えているようだ。
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散歩は1時間くらい切り上げホテルに戻り、名知さんの提案で毎日開催されている市場へ。近づくと拡声器の大声が聞こえる。ミャンマーではお坊さんの話が拡声器で流されていることが多いが、音を聞くとどうもそれでは無いようだ。近くまでくると拡声器を載せた車の回りに人だかりができている。何を話しているかは分からないようだがしばらく見ていると・・・ガマの油売りのような、多分蛇を漬け込んだ油のようなのを傷口?に塗り込むような実演販売らしい。
ここでは名知さんが毎朝数量限定で美味しいおやつが有るとのことで、1枚50チャット(約5〜6円)のナンのようなパンケーキのような美味しい。
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市場を少し歩いてみると様子はインレー湖の市場と大きく変わらないがインレー湖の方が観光地感と多民族感が高いかんじがした。こちらは普通のローカル向けの日常市場だ。市場をフラフラしながら私はミカンを3個購入。
ゲストハウスなので食事は無い、名知さん馴染みの路上屋台のような所へ歩き朝食。ビーフンが食べやすい。名知さん市場で買った蒸しトウモロコシ、私は食後のみかんをシェアして食べる。トウモロコシは季節なのか街中で見かける。
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食後にMFCGの拠点となる事務所の建物まで歩く、予定では明日家主さんと会い中に入れるので楽しみだ。幼稚園で借りていた建物なので壁などにらしさが残っている。(しかし、明日家主さんが来れなくなり、塚本さんと私がヤンゴンへ発つ日になってしまい入れなかった。今回の滞在で残念だったコトだ)
孤児院に行くのは12時頃で時間も有るし少し町を散歩することに。
今日は偶々孤児院でもカレン族の新年のイベントが有るそうで、手土産にケーキでも持って行こうとの話になりケーキ屋も散歩ルートに加えることにした。
名知さんも分からない道を歩くとスピーカーから流れる大きな歌声が聞こえ、それを目指して歩く。きっとこれもカレン族の新年イベントだろうと思い暫く歩くと、カレンの教会裏から聞こえている。カレン族はミャンマーでは少数民族のひとつで、4%くらいと言われているがカレン族にはキリスト教徒が多いと聞く。
しかし、音の元に着いてみると普通の一軒家。聞いてみると1歳の赤ちゃんの誕生日祝いとのことで、我々は当然手ぶらだが寄って行けとしきりに勧められ家に入りお茶をもらう。
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甘い紅茶を頂き、主役が目を覚ましたので記念撮影をして家を後に。道はどこだか分からないがスマホのコンパスで方向だけ確認して歩くと大きな通りにでた。ケーキ屋は右か左か分からないとの名知さん、まずは左に行くと町の中心、病院が見えてきたと言うわけで逆だったようで戻るとケーキ屋に到着、孤児院の新年祝いにパウンドケーキらしきのを10個買った。
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ゲストハウスに戻り、12時前に孤児院へ向けてバイクタクシーで出発。孤児院へ行った後孤児院の菜園にも行くため半日バイクタクシーをチャーター。料金を交渉し6000チャットで折り合いが付く。
阿吽仁さんバイクに名知さん、私と塚本さんはバイクタクシーに乗ったが、バイクタクシーの2代が途中で行き先が?になり、迷う。近くまで来ているようだが辿り着かない。塚本さんが持っていたミタース通信の小さい集合写真を見せてなんとか辿り着く。ミタース通信が無かったらどうなっていたか。。
名知さんの挨拶の後、塚本さんの本職の歯磨き指導。子ども達は真剣に塚本さんの歯模型を使った実演に見入る。
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次はとうとう、私のお役目。折り紙・・・最初は手順も少なく遊べそうと思い飛行機を折った。しかし名知さんから鶴もやりましょう!と提案。私は鶴の折り方なぞすっかり忘れてしまっていた。塚本さんに聞きながらなんとか思い出す。
20141221-008.jpg元々100円ショップで買っていた千代紙や柄折り紙セットに、成田空港で見つけた綺麗な柄の折り紙付き和英並記の図解本を渡す。興味のある子が居れば本を見ながらいろいろ楽しんでくれることだろう。
集合写真を撮った後、年長の子ども達に孤児院の中を案内してもらい、炊事場、勉強教室、宿舎などが広い敷地に建てられていた。
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その後は孤児院所有の農園へ向かう。そこはバイクで30分くらいの、ミャウンミャ市街地の外にあり、孤児院に寄付された土地で孤児院出身の家族が住みながら畑、水田、養鶏をしている。しかし昨年指導者が不在になり名知さんが考えていたほど上手く行ってないようだ。
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夕方ホテルに戻り一休みして今回いろいろお世話になっている阿吽仁さんを招待して近くの食堂で夕食。塚本さんはMa Shwe Zin Thet のミャンマーネームを付けて貰った。
孤児院の食生活を改善するためのサイクル、鳥を飼い週に2回卵を食べて、育った鶏肉を食べて残る卵や鳥を売り、生活に必要なものを買うサイクルが安定するのは簡単では無い感じだ。名知さん曰く、サイクルが上手く行っていた時は子ども達の肌つやがもっと良かったとも話していた。
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それでも孤児院で会った子ども達は明るく元気だった。孤児院に居ると言うことは、さまざまな事情を背負っているのだろうが、これからも元気に生きていって欲しい。そして私もまた彼らに会える日を楽しみにしている。

ミャウンミャへ[2日目]

目覚ましを仕掛けた5:00を待たず、4:20に目が覚める。外を見てもまだ暗い。
5:15にフロントに降りてチェックアウト。そして23日にまたここに泊まるからスーツケースを預かってもらう手続きをするとしっかりとしたタグをスーツケースに着けて控えも貰えて一安心。どうなるか分からないし念のためホテルの部屋の前でスーツケースの写真を何枚か撮っておいた要らぬ心配だったようだ。ダウンタウンから遠いが綺麗でスタッフの対応も良く今後も利用したいと思えた。フロントにはチェックアウト済みの塚本さん、そして名知さんも既に到着していた。
予定通り5:30にホテルをタクシーで出発。フェリーバスの会社はダウンタウンに有るようで多分ヤンゴン川にほど近い場所だと思えた。
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待合室で出発を待っているとテレビでちびまる子ちゃんをやっていた。英語放送にミャンマー語字幕。しかし、あの見た目で流暢な英語を話す友蔵ジイさんとまる子は違和感たっぷりで新鮮だった。途中の大きなバスターミナルまではマイクロバス(フェリー)で移動、1時間弱でターミナルに到着し、大きなバスに乗り換える。日本製の観光バスに乗り込むと冷房完備で寒いくらいだ。ターミナルを出発し約2時間半くらいで休憩。ドライブインのようなところで遅めの朝ごはん。約30分後に出発し午後1時過ぎ、ミャウンミャの街はずれのバスターミナルに到着した。そこからビックアップトラックの荷台になんとか乗り込み街の中心部まで約10分のフェリー移動。5時間プラスフェリー移動だったが想像していたより早くあっけない移動だった。これだったらヤンゴンまで来てちょっと遠出で行ける感じだった。
ミャウンミャの町の第一印象は病院や店が立ち並ぶ中心部に港が隣接していて人の往来も多く私が勝手に想像していたより活気のある雰囲気だった。私はミャンマーに何度か来ているが、ヤンゴンとインレー湖が殆どであとはバガンくらいしか行っておらず他の町の雰囲気はあまり知らないと今更ながら気付いた。ミャウンミャの町を歩いているとインレー湖入り口の町、ニャウンシェに似ている感じがした。乾季で誇りっぽいメインストリートに店が並び所々3階以上の高い建物がある少し古い感じの街並み。こんな感じがミャンマーの地方都市の一般的な姿なのかも知れない。
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ミャウンミャの滞在先、ゲストハウスにチェックインする時にパスポートとビザのコピーが必要との話で街角にあるコピー屋に行くも2時まで停電らしく、仕方ないので近くの食堂でお茶して時間をつぶす。しかし2時になっても電気はダメで街中を買い物がてらぶらぶら、取り敢えず現地の蚊にも効く虫除けスプレーを薬局で購入した。名知さんの経験で日本の虫除けではあまり効かないらしく現地には現地のモノという原則は正しいのは私も経験がある。何度目かのミャンマーでヤンゴン滞在中に激しい腹痛になり日本から持参した薬は全く効かなかったが現地の医者で処方してもらった薬を飲むと1時間くらいで効果が現れ半日ですっかり治ってしまった。しかし宛も歩き回るには日中は暑さもあり、違う食堂でトイレ借りつつお茶して更に時間をつぶす。そこで何時に電気が来るのか聞くと4時だと言う。そこまで待ってるのも時間が勿体無いので先ずはゲストハウスに向かうことにした。歩くと20分くらいかかるらしく、荷物もあったので近くでサイカーを捕まえてゲストハウスへ向かった。
パスポートとビザを預けるのは避けたかったがホテルのスタッフに託し部屋で少し休憩。1泊20ドルのゲストハウスだがツインルームで広く思っていたより綺麗でクーラーも効くし十分だ。夕暮れの時間帯、少しゲストハウスの周りを歩く。
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明日は日曜、名知さんがいつも訪れ、菜園の実現にむけて支援している孤児院に向かう予定だ。そして今回一緒に来ている塚本さんが歯科衛生士なので歯磨き指導を行う。そのために必要な歯ブラシと歯磨き粉を購入し町へ向かった。移動に良く使ったのがサイカー、自転車の横に前後に2人座れる。
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ここでミャウンミャの名知さんの友人というかMFCGの支援者、阿吽仁氏(ミャンマー人だが英語を話し、独学で日本語も勉強している方で本名はU Aung Zinだがあえて漢字名を使う)が来てくれて地元の問屋を紹介してくれた。ヤンゴンで購入しようとしたのだが値段が高く一先ず止めておいて正解。ここのお店ではヤンゴンで見たときよりだいぶ安く購入できた。彼はとても親切で重い歯磨き粉の段ボールを我々が夕食中にゲストハウスに運んでおいてくれた。翌日以降ミャウンミャ滞在中、彼抜きでは活動不可能と思えたほどいろいろ手を尽くしてくれた。
夕食は中華系の食堂で焼き飯、焼ビーフンなど織り交ぜてシェアしながら食べた。普通に美味しい。
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21時ごろ、ゲストハウスに戻り翌日の予定を確認し22時過ぎに就寝。相変わらず2時間半の時差は埋まらなく眠い。

Yangonへ[1日目]

今年は8月に続き2回目のミャンマーだ。ANAのマイルチケットを予約可能日の約11ヶ月前に早々取っておいた。その時は、まだまだ遠い先だと思っていたが8月が過ぎ秋が深まるとあっという間だった。
出発の12/19(金)は平日で、通勤ラッシュをにスーツケースプラス大きめの撮影機材一式バックは迷惑だし、朝6時に起きて町田からメトロロマンスカー北千住へ向かいJR常磐線で日暮里に戻りスカイライナーで成田空港へ向かうルートを選択した。
スカイライナーに乗り落ち着いたところで今回のミャンマー行きが今までと違うことについて考えてみた。
いつもは自分の好きなところへ行き適当にマイペースで撮影だけしていれば良かったが、今回は幾つかの重要な役目がある。MFCGの活動拠点となるミャウンミャへ名知さんと一緒に向かい多少なりともの手伝いと活動拠点との一端を撮影してくること、さらにreadyforで賛同してくれたひとたちへのお礼に必要なパダウン族(日本では首長族と紹介されている)の女性が製作しているスカーフを必要見込み量プラス調達すること。(出発の時点は予定金額の100%を超えていたのはありがたいことで、調達の意義も重要になってきた)
成田空港に予定通り到着し、ダウンジャケットを預けて、WiFiルーターレンタルして出国へ。FBを見ていたら知人が里帰りのために偶然同じ飛行機に乗ることを知り少し話をした。彼女は会社の仲間と一緒に帰省するらしく空港で買い物(恐らくお土産なのだろう)をしたようで荷物を沢山持ってゲートに現れた。フライトは定刻通りで順調なスタート。
ヤンゴンへもほぼ定刻通りで到着。入国審査、スーツケースをピックアップして両替、ホテルへタクシーを頼むと7000チャットだと言われた。8月に来た時は空港そばのホテルに泊まったが今回は翌朝のミャウンミャ移動を考えて名知さんオススメのホテルを取ってもらっている。以前良く利用していたタマダホテルはアウンサンマーケットに近いダウンタウンで相当激しい渋滞が予想出來る。そこに比べれば名知さんのアパートのあるサンチャウンに近いアロン地区にあるGrand United Hotelの方がダウンタウンを通らずに行けるので少しはマシだろうと。それでも所々激しい渋滞でホテルにまで1時間半くらいかかった。
チェックインすると予想以上に立派で綺麗なホテルだった。外は暗く近所の様子は分からないし、名知さんからいつ連絡が来るかも分からないし、値段も手頃なルームサービスを注文した。スープに焼き飯、カプチーノを注文。カプチーノも量が多かった事を除けば十分な夕食だった。
食べ終わりテレビを着けてゴロゴロしていると名知さんから「これから行く」と部屋に電話。これからと言われても何処からどのくらいの時間がかかるかも分からないがそのまま待つこと30分くらいですぎた20時過ぎ、名知さん、そして初めてお目に掛かる今回のミャウンミャ同行仲間の塚本さんが私の部屋に来た。塚本さんが両替をしたいとのことで、ホテルマンに21時過ぎたこの時間でも両替できるところを聞くと、お勧めの両替がシュエダゴンにあると聞きタクシーで向かう。さすがにこの時間は道路も空いてる、5分くらいで到着。両替所の前からライトアップされたシュエダゴンパゴタが見える。
 
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ホテルに戻り、明日のバスターミナルへ向かうフェリー乗り場をホテルの人に聞くと、ここから10分もかからないと言われ、名知さんがホテルに来て合流することにして、解散。名知さんはサンチャウンにあるアパートに帰っていった。
翌朝は5時30出発なので早めに就寝。時差の2時間半はそのままの体内時計で22時で相当眠い(日本時間で0:30)。念のため目覚ましをかけたがきっと、自然と早起きのはずだ。

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