Myanmar_2010/10の最近のブログ記事

10/31 最終日(2010 Myanmar)

 

MM1010_01.jpgほぼ定刻にバンコクを出たタイ航空機は早朝成田に到着した。台風の余波を多少心配したが特に揺れることもなく私としては3時間くらい寝れて順調なフライトだった。

成田着陸前に気温13℃と案内があったが思っていた以上に寒い。バスの中で今回撮ったデジタル画像を見返していた。

今回はボートで1時間以上移動することもなく、昼はホテルで一休みなど今までで一番のんびりとした滞在だった。

大変な状況のホテルに少しでも力になればと思いあれこれ買い込んでスーツケースに詰めて出発したのが随分前のような気がする。あとは祭りの雰囲気を味わえればと思っていたが、これは思っていた以上に熱い彼らの姿は新鮮だった。

年末か、3月ごろにアンさんが来日する予定と聞いているので今度は日本で会えるのが楽しみだ。Drは月に1回程度のペースで帰国されているので次回までに頼まれた写真のデータを用意せねば。そしてヘーホー空港の写真も貼り替えを考えている。

9日目までの日記はにこれを使って書いていた。バーで酒を飲むコトのないので夕食後はテレビもネットも無いし時間はたっぷりあった。毎日記憶が新鮮なうちに書いて翌日読み直して加筆修正を繰り返していた。ただ自分の荷物を少なくするためにノートPC持参を辞め、iPhone+キーボード(あと、リチウムイオン外付けバッテリ)にしていたが、コンパクトで打ちやすいキーボードで非常に有用だった。

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10/30 9日目(2010 Myanmar)

THAMADAホテルにあるちょっと不思議なレストラン365でアメリカンブレックファースト。何度見てもAセットとBセットの違いが分からないが2種類ある。特にすることも無いので7時半にチェックアウトして空港へ。DrがTGゴールドメンバーなのでビジネスカウンターでチェックイン。手荷物検査でフィルムのハンドチェックを頼むが過去に記憶が無いほど細かく見る。そもそもブローニーフィルム自体珍しいのだろうが、撮影済みフィルムを剝いて見せろと言われ、それは勘弁してほしいから未使用を一本開けて見せて要約開放された。
これまたDrのおかげでラウンジでゆっくりくつろぎバンコクへ。バンコクではDrが提携しているスクンビット通りのスイスホテルにデイユースでチェックイン。夜8時までお土産を買ったりCFのバックアップや荷物に整理でノンビリ過ごし再び空港へ向かう。
関東に台風14号が接近か上陸のニュースを見て飛行機が飛ぶか心配したが今日の成田からバンコクの朝便の出発済みを成田空港HPで確認し、TGのサイトで予約しているフライトの状況を確認。特に遅れなどの案内もないから普通に明日朝成田に着く予定だ。

8時にホテルをチェックアウトして荷物を預け昼行った日本食屋へ特に期待もせずかき揚げ丼を注文し待っていると店内はバンコク駐在の日本のサラリーマンらしき人達の愚痴と少し調子ハズレなタイガールの単語とが交錯する不思議な空間だ。
かき揚げ丼は予想を大きく上回る美味しさで正直驚いた。ご飯はいわゆるタイ米では無いようでタレも美味しく天ぷらもサクサクだ。
8時半過ぎにホテルに戻りタクシーで空港へ。昼に空港から乗ったタクシーは飛ばすはシートベルトしてないは携帯電話で話すはで酷かったが今回は100キロ以上出さないしシートベルトもしてて安心して乗って居られた。土曜夜の高速道路はガラガラで順調に空港到着。
早々チェックインして免税店で少し買い物し間もなく搭乗。そろそろドリエルでも飲む時間だ。

インレー湖のホテルの部屋が懐かしい。

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10/29 8日目(2010 Myanmar)

今日はインレー湖を出てヤンゴンに戻らねばならない。

今回は午後便なので朝はゆっくり出来る。そして8時半過に近くのレストランで開かれる結婚式に向かう。
ボートを降りると一階がロンジーや、シャンパンツ、シャンバック、普通のシャツなど売っている店舗になっていて以前ここで長袖シャツを買ったコトを思い出した。披露宴会場になっている二階のレストランに上がると綺麗なドレスとお化粧で着飾った女の子が団扇をくれた。殆どミャンマー語なので分からないが名前らしきところだけ英語併記なので読めるが発音はできない文字の並びだ。アンさんが一通り説明してくれたがようは、新郎新婦紹介と場所、日時とお礼の言葉が書かれている。これも何かの縁だし記念に持って帰ることにしよう。

 

MM1008_01.jpgまぁ、一年も待たずに文字が消えてしまいそうだが。早目の到着でまだ人も少なかったが10時や11時ごろには数百人の村人が集まり大混雑になるらしい。なので早目に行き新郎新婦や知り合いに一通り挨拶して戻るとアンさんが話していた。新郎新婦とも裕福な家庭で新郎はロシアの大学を出て軍政府関係の仕事をしているらしく借り物のような軍服で正装していた。新婦は人の良さそうな穏やかな雰囲氣をもつ綺麗な人だ。
前回ミャンマーに来た時はヤンゴンで偶々結婚式を観たが、こちらの習慣なのか結婚式に来た人は日本の御祝儀にあたるものはお金では無くお土産を持参するらしい。日本で言えば高砂の両側の机は贈り物がどんどん増えていく。アンさんは他の贈り物に埋もれないような気の効いたものと手作りのお祝いメッセージ付きウェディングケーキを持参し新郎新婦の目の前に置いていた。この辺りの考えは流石だと感じる。
10時ごろホテルに戻る。11時半に軽くラーメンを食べて12時にチェックアウトすることにして一度の部屋に戻り最後の荷物に確認。
そのあとホテル内をウロウロしながら顔見知りになったスタッフの写真を撮る。前回までは私がカメラを向けると、特に女性は恥ずかしがってか逃げてしまったりが多かったが今回は皆カメラの前に立ってくれた。Drと一緒に手土産を持って来たのが効いているのだろうか。
キッチンやオフィススペースなどもDrと一緒に入って食器を洗ったりラーメンを作ったりお餅を頼んだりしているうちにかなり馴染んだのかもしれない。
ホテルを出てボートで一時間弱、ニャウンシェに到着、途中でカモメの群れを見かけた。例年だとボートの近くを餌をねだりながら飛んでいる時期らしいが今回は全く見掛けなかった、渡ってくるのが遅れてるのだろう。


MM1008_02.jpg街を出て間もなくするといつも立ち寄る僧院がある。ここは来る度に土産物屋が増えているように感じる。今回も寄ったが本堂?に人影は無く観光客が多すぎる。あまりの撮影せずに車に戻る。

 

MM1008_03.jpgミャンマーの国内線は軍人とか来ると予定時間前に出てしまう場合もあるから早目にヘーホーに向かう。チェックインして出発ロビーに入ると2年ぶりの私の写真と対面した。2年経っていたがさほど傷んでいる感じは無かったが、改めてみるとトーンの暗い写真が多い気がする。今回撮ったのも含めそろそろ張り替えようと思う。
やや遅れ気味のフライトを待つ間しばらく座っていたが多くの人がじっくりと私の写真を眺め、なかには仲間と何処だろうとか、どのホテルをだろうかと話していた。各写真の隅にアンさんのホテルの名前とHPアドレスを書いてある

マンダレー経由のヤンゴン行きヤンゴンエアウェイズのフライト。ほぼ満席で18時にヤンゴン到着、渋滞気味のヤンゴン市内をタクシーでTHAMADAホテルに19時過にチェックイン。
近所のネット屋に行き久しぶりのネット、但しやたら遅い。それでもメールを少し見て、日本のYahooに台風接近の文字。私が帰る30日夜発31日早朝はもう台風一過の予報円だが、日本から来る便に影響があると厄介そうだ。当初はヤンゴンで成田まで荷物はチェックインしようと思っていたがひとまずバンコクで一度ピックアップすることにしよう。
明日は9時50分のTGでバンコクへ移動し24時前のTGで成田へ帰る予定だ。

10/28 7日目(2010 Myanmar)

今朝も早朝ホテルで撮影。三脚にローライを載せホテル内をうろうろ。静かな湖面は鏡のようだがボート来ると波紋が広がる。エンジンボートのそれより人力ボートの方が間隔もゆっくりしていて美しい。波紋で歪んだ実体が笑っているように思える。

 

MM1007_01.jpg雲間から完全に太陽が出てくれば撮影は終わり。部屋に戻り三脚を片付けレストランへ。今朝もゆっくり目でお粥に梅干し、パンに目玉焼きそれにスイカジュースとオレンジ、コーヒー。午前中はDrがアンレストランにあるランを手入れするとのことで私も同行し、レストラン裏を散歩。ここはいつも訪れるお気に入りの場所だ。ここで撮った写真も多く今回も前回撮った写真を渡そうと思っている。
どこまで続いている道か分からないが大きな僧院があり、池で鯉など巨大な魚がいると聞き私には未知の、今回はそこまで行ってみようと歩く。
途中、ライスペーパーを作る人々の家や見覚えのあるバレーコートのある僧院、馬の居る学校を過ぎてさらに進む。この小さな川沿いの道は両側から竹や他の木がせり出し木漏れ日が綺麗だ。
少し立派な橋と左岸が広く開け、学校らしき建物とその奥に僧院が見える。歩いて行くと確かに大きく建物の下が池の様になっている。

 

MM1007_02.jpg建物を見上げていると窓から僧侶が英語で話しかけて来た。僧院には必ず英語を話す僧侶がいる気がする。大概はどこから来たのか?日本か?とかどの位いるのか?いつ帰るのか?などだがガイドさんが居ない時は助かる。立派な僧院ですね。とか話していたら付いて来いと隣の建物に向かって歩き出す。着いて行くと蓮の花が沢山ある大きな池がある。多分私のために時間外だが餌やりを始めてくれた。やがて1m以上有りそうな鯉やらナマズが次々と表れる。鯉やナマズの写真ばかり撮っても仕方ないが折角なので撮って液晶で見せるを繰り返していた。気付くと何人かの僧侶が集まっていたので話してくれた僧侶や他の僧侶の写真を撮りお礼と寄進をして僧院を後にする。

道すがらすれ違う人と「こんにちは」程度の「ミンガラバ」の挨拶をしてそのあとは続かないが「JAPAN」とか言うと頷き優しく微笑んでくれる。だから多分会話と言うかコミュニケーションは成立しているのだろう。一見強面のオニイサンも挨拶すると愛想が良かったりして楽しい。私のカメラをチラチラ見ていかにも撮ってくれオーラを発する人も居る。

 


MM1007_03.jpgレストランに戻りつつ写真を渡す相手を探す。写真片手にアタリをつけつつ前回のライスペーパー屋を探すが結局本人一家は不在で隣の家に預けて写真を撮り歩きはじめた。ここには物心ついたころから学校にも行かず(行けず?)毎日毎日ひたすらライスペーパーを焼く女性がたくさんいる。火を前に暑そうだが黙々とこなす彼女たちを観ているとヤンゴンの空港に居る何もせず荷物に手を添えただけで1000チャット(約1ドル)のチップをせびる男たちにチップを意地でもやれない。ここらで働く若い人たちの給料が20ドルとか30ドル程度のが相場、日給で1ドル程度だ。
もし写真を渡そうとした彼女が居ればライスペーパーを多めに買って、ホテルのスタッフのおやつにと思っていたが残念だ。

レストランに戻りスプライトを飲み一休みしホテルに戻る。
今日のランチはピザと東京荻窪ラーメン、ピザは来シーズン売ろうと考えている候補だそうだ。味は悪く無いがピザと言うよりピザトーストやピザパンに近い。でも温かい状態で出せれば充分売れると思う。
MM1007_04.jpg午後はDrがある財団に申請している魚養殖プロジェクトの調査などで出掛けるとのことで同行する。Drか考案し申請した内容はシンプルで理にかない、こちらの人の生活の糧としては理想的だと思う。ただそれを効果的に実行するのは簡単では無いだろうことは私にも想像できる。
以前ホテルので働いていて、大学でそれらしいコトをやって居た青年に手伝ってもらおうと話を進めているそうだが、彼はどうも積極的でな無くオドオドしている印象だ。それでもDrの指導でうまく養殖プロジェクトを立ち上げてほしい

彼とDrとボートでマンと4人で出掛ける。最初に池で魚を育てて居る家を尋ねるがどうも、少しずれている気がする。池と言っても低い土手で仕切れらちょっと水位が上がれば流されてしまいそうだし、雑草も生え放題で手入れしているように見えない。それでも家にはアンテナとテレビがあるからそれなりの暮らしはしているようだ。

次は買い物で蓮布の仕入れ、Drは10年くらい前に来たそうだが場所ははっきり記憶していないし、ボートマンも始めてらしくなかなか見つからない。あちらこちらで聞きながら進むとどんどん南下する。ナンパンの少し先と思っていたらタウントゥーの先だった。20数枚預かりナンパンに戻る。昨日インパッコンで観た店の半額以下だ。確かに昨日の商品は洗練されているが蓮布の素材は糸の強さ、肌触りなどこちらの方が素人目にみても良さそうにみえる。
ナンパンでは前回も訪れた魚の養殖をしている家に行く。ニャウンシェまで稚魚を買いに行かなくてもここで仕入れられることが分かりプロジェクトには朗報だ。
ここは数ヶ月前の某番組ロケで宮川大輔が真っ暗のなかでカレーを食べるシーンを撮ったところだ。あの時大勢が詰めかけたため湖底に打ち込んでいる柱が一部沈み床が傾いてしまったそうだ。

最後に案内してくれた彼の家に向かう。彼の家はナマズを養殖している。2つのネットに数千匹を入れていて、大きい方のナマズを2ソウ(正確にはどれだけの重さか分からないがこちらの人達が使っている独特の重量単位だそうだ)5000チャットで購入。

ホテルに戻る時西の空に印象的な雨雲があったがそれが移動しスコールが降ったが食事に行くころには上がり綺麗に星がでていた。

 

MM1007_07.jpg夕食はそのナマズのから揚げ、千切りキャベツ、梅干し、漬物、わかめの味噌汁にご飯で和食だ。ナマズのから揚げ、これは正直期待していなかったが予想以上のおいしさ、あっさりした上品な白身魚のような味で日本でも食べたいと思うがあるのだろうか。食後にオレンジを食べた。昨夜オレンジを頼んだつもりでいたらオレンジジュースがでて来て間違えたホールスタッフの彼はMr.オレンジジュースと呼ばれている。まだ慣れていない彼だが空いた時間にせっせとホールのモップがけをしたりと真面目そうで慣れてくれば良くやってれるだろう。
湖に流れ込む川が近いところは水が茶色に濁り、まだ雨季の様な感じ。本来この時期は乾季になり、それを迎えるのが一昨日までの祭り、ここでも今年は異常気象なのだろうか。

明日は、昼過ぎにチェックアウトしヤンゴンへ向かわねばならない。午前中どうしようかと思っていたら近くで結婚式があるとアンさんから話があり、行く予定だ。

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10/27 6日目(2010 Myanmar)

朝7時過ぎ、ガイドのイーさんがタウンジーに帰って行った。明日から別の客がいるそうなので仕方無い。祭りも昨日で終わり今日は全体的にひっそりとしていた。

MM1006_01.jpg今朝は遅目の朝食を取りDrとインティエンへ向かう。インティエンは市場の日だが祭り直後のせいか店も人も少ない。いつも店に客に溢れてるパオ族の姿もまばらだ。アンさんの話だと祭りが終わっても一週間くらいは、あちこちの僧院を巡り寄進をして村まで帰るそうで、2週間くらい経たないと市場も平常に戻らないそうだ。さいころのようなモノを3つ転がすだけの簡単な賭場??らしきところだけが盛り上がっていたので我々も少しだけ参加。数字ではなく絵柄のさいころ、私は迷わず"亀"に賭けたが1000チャット未満の小銭ならぬ小札を使い切ったところで引き上げた。中には完全に目が据わりとり憑かれたように賭けている輩もいる。
インティエンの名物でもある12世紀ごろの古い仏塔の一部が真新しい白や金の仏塔に建て変わっていた。名をみるとタイやシンガポール、韓国が多い。

MM1006_02.jpg古い仏塔が人気で多くの観光客が国内外から来るのにこれではいずれ寂れてしまうだろう。国民性なのかバガンなども同様なようで、古いものを当時の手法で修復する考えは無いように思える。

前回ガイドさんと一緒に訪れたパオ族のある家へ向かう。私でも容易に解る場所なので迷うことなく辿り着く。2年前に来た時は母親と小さい子供2人で堆肥を取り、豆を栽培して居たが今日は大きい子供と主人も居た。主人と長男はヤンゴンへ出稼ぎと話してたが祭りの時期に合わせ帰郷していたのだろうか。
前回撮った写真を渡しすが残念だったのは母親が風邪で寝込んでいた。私の姿を見て起きてくれたが明らかに辛そうだった。ガイドさん不在だったので会話は成立しないが身振り手振りで早く休むように伝えて家を出た。Drと話していたが風邪なら良いがもっと違った重い病気でなければと願うしか無い。いつになるか分からないが次回訪れた時は元気に迎えて欲しい。本当なら市場でお菓子でも買って行こうと思っていたが市場は開店休業状態で観光客向けの骨董屋?しか開いてなかったから仕方ない。
お寺に行きお詣りし一休み、ここも爽やかな風と鈴の音色が美しい好きな場所のひとつだ。ホテルでマッサージをしてくれる女性(インティエンガールと呼んでいる)の実家がここにあり、両親が食堂をやっていてコーラを飲みに立ち寄った。彼女は5人姉妹とあと男兄弟が何人かいるそうだが妹のひとりもホテルでルームメイクスタッフとして働いている。10歳くらいに思える妹さんもホテルで働きたいと言っているらしく、父親がそう話していた(ように思える)。ホテルで働くことは一つのステイタスで、憧れでもあるのだろう。

ホテルに戻りザルそばと野菜天ぷらでランチ。インレー湖で完全な和食、天ぷらもまずまずで美味しい。

MM1006_03.jpgインティエンガールに1時間ほどマッサージをしてもらいウトウトしていたら午後の3時、ニコン羊羹とインスタントだがカプチーノを飲んでからボートでインパッコンの蓮布、シルクのお店や鍛冶屋、巻タバコ屋などいつものルートをのんびり巡りホテルへ戻る。
今日は午後から山の方で雷が鳴っていたが、上がると大きく綺麗な虹がでていた。

 

MM1006_04.jpgそれでも反対側の山でまた積乱雲と遠く雷鳴、そろそろ乾期のはずだが不安定な天気だ。ただインレー湖では少しパラいつたくらいで気持ちの良い涼しい風と強い陽射しだった。

夕食はウォーターチキンとその小骨のから揚げ、チリトマト、春巻き、トマトスープ、豚カツ等々、中でも絶品なのはトマトスープだ。インレー湖産の水耕栽培完熟トマトのスープで程よい甘さとさっぱり感は今まで味わったことの無い美味しさだ。

食後、アンさんからファウンダゴンパゴタの夜祭りに誘われボートでに乗り込む。丁度月が隠れ夜空は天の川がはっきりわかる満点の星空、湖面に飛び交うホタル、夢のような世界が広がっていた。

ただ会場が近づくに連れステージの音量が大きくなりはじめる。黄金にライトアップされたファウンダゴンパゴタの裏手にはたくさんの出店。

MM1006_06.jpgその外れに特設のステージ。そしてゆうに5000人はいるだろう大観衆でステージは盛り上がっていた。私が写真を撮っているとDrやアンさんの口利きでステージは最前列の特設のエリアに入れてもらう。トラディショナルなダンスをもっと観たかったが歌のステージが続きあまりの大音量に耐えられなくなり、抜け出して来た。

 

MM1006_07.jpg夜店をいろいろ回っていると日本のそれとは異なる雰囲気を楽しみながら撮り歩く。感度を3200や6400に設定し撮ると肉眼以上に見えるのでは?思えるほど良く写り、デジタルならでは撮影しだ。ステージショーはオールナイトで続く。

ホテルに戻りベットのまくらには耳栓が。この耳栓を置いてくれた若いスタッフは今頃祭りを満喫していることだろう。
こんなに弾けてはしゃぐミャンマーを観たのは初めてだ。ただ夜店を歩いていても警戒感を抱くような雰囲気は無く、大音量ステージ側の店では力尽きた子供達が寝ていた。明日からは徐々に普通の生活へ移行して行く彼らの最後の夜祭りに外国人観光客の姿はほとんど無かった。

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10/26 5日目(2010 Myanmar)

今日は祭りの最終日。昨夜は23時過ぎまで起きていたがボートの音で5時半起床。今朝も朝は雲が厚い。降りそうな感じは無いが今日は長期戦になりそうだからあまりらしい晴れ晴れも勘弁願い。薄曇りで時々日が射すくらいが理想だ。外へ出るとファウンダウンパゴタかに向かうボートがホテルの前を通っていた。

MM1005_01.jpg軽く朝食を取り6:45にホテルを出る。ボートレースは9:30とか10:00と噂は有るが結局10:30過に始まるのだが・・・

7時ごろにファウンダゴンパゴタに到着、昨日はロケハンした場所を目指すが既に混雑していた。ガイドさんの提案してくれたボート乗り場桟橋を選び陣取ったのが7時半ごろ。一時間くらいなにもせずに待つがこの時間帯はまだ曇っていたからさほど苦では無かった。しかし、空はだんだん雲が薄くなり時々日が差し込む。8時半過ぎに私の前に止まっていたボートに僧侶が3人来て、3人目が乗るときに少し手を貸すと「どこから来たのか?」と英語で話して来た。数回のやりとり後、「このボートの先頭にある箱から好きなよう撮ると良い」と、言ってくれた。やっと箱に座り待っているとご本尊を乗せた大きなボートをしんがりに行列を作り西側の水路こらやって来た。昨日とボードの数も装飾も踊りも規模が違う、さすが最終日だ。

MM1005_02.jpgこの時は撮影も順調だった。しかしメインボートから御本尊が降ろされ僧侶達が行ってしまい少し経つとボート乗りが「このボートはこれから仕事がある、申し訳無いが降りてくれ」と、多分そのような内容を話していたと思う。これで元のすし詰め桟橋へ逆戻りしたのが9時半。
噂の10時まではあと少しだからこのまま居座ることにしたが10時になっても全く始まる気配が無い。足もだるくなり、何時の間にか日差しも強い。飲み物も食べ物も無く諦めようと思ったが何となく始まりそうな気配が無い訳でも無かったからそのまま待つことにした。さらに30分強、アナウンスもわからずガイドさんも離れていたから突然始まったとしか思えないタイミングでレースがはスタート。
今までおとなしくしていたギャラリーも一斉に立ち上がり歓声を上げる。あまり頑丈そうで無い桟橋はグラグラ揺れて撮りにくい。それ以前に橋は壊れないのかが一番心配だった。200㎜の望遠をノーファインダーで上から撮る。前いに人たちの頭が大量に写り込むが奇跡的にボートはメインのゴールシーンを抑えることが出来た。
MM1005_03.jpg昨日の予選リーグでは観られなかった女性ボートはや少年ボートが今日は決勝前に走った。ひときわ大きい声援は女性ボートはだった。ゴールにある旗を取るためにポールに寄り過ぎたのか何人かがしゃがんで避けた時はどよめきと安堵のため息だった。
あるボートがスタートすると観客のある一角から歓声と声援があがる。自分たちの村のボートなのだろう。レースに勝利すれば一層盛り上がりこぎ手も声援に応えかねや太鼓、踊りで応える。ここでも鐘はいつものだ。大小数個のかねが並び、叩くバチ?も一本の棒で繋がれ一度に複数の鐘が常に鳴る。技と言っても若干の強弱とリズムしかない。どうもあの鐘の音を聴くと力が抜けるがここに来ていると強く実感出来る。
決勝もやや一方的なレースで決着がついた。どこの村か分からないが順当な勝ち上がりだったようだ。普段から漁で漕いでいる人達が多い村がいくつかあり、毎年大体そのなかのひとつ、チャンピオンチームの力が抜け出ていたのだろう。

ひとまず力尽きてホテルに戻ったのが11時15分ごろ。12時に冷やし中華を作り食べた。ダイニングレストランの外、風が吹き抜けるところにテーブルを出してDr、ガイドさんと食べていると昨夜の日本人グループが戻って来た。昨日の話だとホテルには戻らずそのままインティエンへ向かうはずだったのだか疲れてホテルで休むメンバーがでたりしたそうだ。我々が食べていた冷やし中華が美味しそうにでも見えたのだろう、そんな表情に思える。彼らの詳しい行程は知らないがマンダレーからバガンの飛行機が台風でキャンセルになったりでかなりの強行軍でインレー湖にたどり着いたのだろう。食事も合わない人だっているはずだ。なとなど考えると少々間が悪い。
それでも冷やし中華初体験のガイドさんも美味しいと言ってくれて私より早く完食していた。もともとミャンマーにも麺類はあるし、麺以外の食材はこちらのものだし味付けを間違えなければ大丈夫だろうと思ってはいたが、

午後のスタートは15時としてひとまず部屋に戻り一休みする。

14時50分ごろレセプションからホットヌードルが出来ていると電話があり、行ってみるとDrが生ラーメンを作っていてくれた。昼の冷やし中華だけでは足らないでしょうとの心使いに感謝。

山の方の入道雲が重くなってきてるし朝からの炎天下での撮影に疲れ気味だったので仏像屋に買い物だけ出掛けることにしてホテルを出る。今日は祭り最終日で仕事は休みが多いと聞いていたから仏像屋が開いているか分からない。少し手前でボートを降りて歩く。このあたりは板金屋、エンジン修理などと職人街だがどこもに工場に人影が無かった。仏像屋さんも何時もいるだろう工房らしき場所は人気がない。上が住居なのだろうと見上げていると上から仏像堀師のオヤジさんが顔を出す。ガイドさんとしばし会話のあと家に招かれて入ると2階がギャラリー店舗になっていた。過去に数回来ているが中に入ったのがはじめてだ。ガイドさんの説明だと婚姻関係、家族関係は無いがここでは7人で共同生活をしているそうだ。ミャンマーでもそのよなライフスタイルがあるのかと意外な感じがしたがそうなのだろう。確か4年前に撮っていた女の子がすっかり大人っぽくなり11歳だとのことで将来が楽しみな雰囲気は充分感じた。主人と一家そして彼女を撮影しホテルに戻った。


MM1005_04.jpg夕食は地元牛のサーロインステーキ。昨日から滞在している日本人団体客のオーダーとのこと。良く締まった感じの肉で味はまずまずだった。それよりも昨夜も食べたウオーターチキンが止まらない。絶品と呼べるほと美味しい訳では無いがクセになる止まらない味だ。今の時期した取れない貴重な食材だ。

明日はガイドさんが帰ってしまう。行きたいところは幾つかあるからのんびり回れればと思っている。
今回もガイドはパオ族のイーさん、今回でガイドを頼むのは3回目になるがいつも良くやってくれる。控えめで気は利くし話も上手く話題も豊富だ。英語のガイドさんなのだか、彼女の話す英語はとても聞き取りやすく分かり易い。自分の英語力が数ランク上がったのでは?と勘違いしてしまいそうになる。Drも、このあたりではトップクラスだろう、他のお客さんが来るときでも出来るだけ彼女にお願いしたいと話していたの。
今日まではどうしても祭りメインでローライの出番が少なかったが明日からはいつものインレー湖ペースになれるだろう。年に一度の最大の祭り後で彼らの様子がいつもと違うのかそれとも変わらないのだろうか。
インティエン、アンレストランの裏、たばこ工場、鍛冶屋、シルバー工房や首長族のお店もある。

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10/25 4日目(2010 Myanmar)

昨夜は11時まで寝ないと思っていたが10時過に力尽きて寝てしまった。2時間半の時差では体内時計は殆ど影響されないようでここに来るといつも早寝早起きになる。なので5:45に仕掛けた目覚ましは不要の5時起床。条件がよければホテルの各部屋を結ぶ廊下から良い写真が撮れるが今朝はイマイチだった。

6時にお粥と梅干し、味噌汁それに焼きたてパンの朝食。到着が遅くなると水路が閉鎖され入れなくなるため少し早めの6:45に出発。明日の祭り最終日を前に今日は比較的近いところ、インパッコンに御本尊を乗せたボートがやってくる。20日間に渡る祭りはインレー湖の北は玄関口ニャウンシェから南はタウントゥーまでそして西は湖から数キロ遡るインティエンまで多くの村々を毎日移動しながら最
終日にファウンダウンパゴタに戻って来る。ボード行列の数は決まっている最後の数隻の他はその日に寄進する村の数や前日や翌日の兼ね合いで一定では無いそうだか今日は多いとの話だ。
ボートの列が南の方角からの水路をカーブを切り村に入るあたりは既にローカルや外国人客のボートでびっしりだ。撮影出来そうなポイントを探すと、やや逆光気味だが少し高いところから奥まで見渡せるポイントを見つけ移動する。

 

MM1004_01.jpg少しずつボートが近づいてくる。ボードは50人乗りの短いのと100人乗りの長いのと2種類ある。レースで使うボードとは違うのだろうか、大きな提灯のような飾り、きれいな傘などの装飾されている。目の前を爆竹を鳴らしながら、金や太鼓で踊りながら賑やかにボートが通り過ぎて行く様は今まで見てきたインレー湖とは別世界だ。御本尊を乗せたメインボートの前は着飾った女性が踊るボートががあり神々しい雰囲気すら感じる。

 


MM1004_02.jpgメインボートはこのさきの僧院おろされるそうで我々も向かう。御本尊が据えられ大きな僧院では多くのボートから食べ物やお金の寄進を受けている。

 

MM1004_03.jpg御本尊を前に寄進する人、一心不乱に祈る人のすぐ脇では札束をひたすら数える人がいたり、歓声を上げて走り回る若者達と様々だが不思議なくらい全てが馴染み自然に混ざり合ってもいるように感じる。

 


MM1004_04.jpg私がなんとなく入り込めず僧院内をうろうろしているとガイドさんがひとりの僧侶と話をしていた。私もその輪に加わると彼は英語を話すようだ。彼は数年前まで船乗りをしてて香港から日本に良く荷物を運んでいたそうだ。私が神奈川から来たと話したら「神奈川は横浜港に何度も行った。車を沢山運んだ、横浜は食べ物も美味しく楽しい街だ」などと日本のことも詳しい。また、私の使っているローライフレックスを知っているようで「それは古いカメラだがとても良い写真が撮れる」と、そしてブローニーフィルムを使っていることも知っていた。せっかくなので彼のポートレートを撮らせてもらう。袈裟を着た姿がさまになっていたが今回は出家してまだ半年の新米だと笑っていた。

明日の決勝トーナメントに向けて今日は予選リーグのボートレースがあるのだがガイドさんが誰に聞いても予定がはっきりしない。午後の2時からとの話しがあれば、12時という情報もある。仕方ないので2階にあるレストランでコーヒーを頼みボートレースが見下ろせる席を確保し気長に待つことにした。
結局12時30分ごろにとつぜんレースが始まり全16レースを見た。僅差のレースがはギャラリー含め多いに盛り上がるが大差が付くと負けているボートは諦めが早くしらけていた。このあたりも彼ららしい一幕だ。

 

MM1004_05.jpg明日は女性のボードや子供のボートレースもあるそうでそちらも楽しみだ。後はどこから撮影するかが問題だ。今日は上から見下ろす位置だったので明日は、出来ればゴール正面から行きた
い。少しゴールから離れた正面に橋が架かっていて、そこからかその手前のボード乗り場桟橋辺りだろう。一応ロケハンしてみるが明日の混み具合までは分からない。後は明日の状況次第でどうにかなるだろう。

ホテルに戻り、一休みしているとファウンダウンパゴタ近くの僧院に沢山の人が集まり、泊まると聞きガイドさんと向かう。日も傾き撮影には向かないがカチン州やカックーの奥から50から60人で来ているグループが夕食はや明朝僧侶に寄進する食べ物を作っている。彼らは昨年の祭りの後から約一年かけて貯めたお金をこの為に全て使うような、それだけ楽しみにしている一大イベントなのだろう。
おそらく彼らの村に残っているのは動けないような人とハズレクジでも引いてしまった留守番役の人達くらいなのだろう。

 

MM1004_06.jpg僧院はミャンマー人の生活に密接に関わっていると聞いていたし思っていた。お祭り期間は無料の簡易宿泊所にもなり、お互い知らない少数民族や村同士の若者には出会いの場にもなっていると知り重要性をさらに認識した。若者の中にはGパンや髪を染めた今風の格好をした者もいる。階段に座りギターや見たことないような楽器に合わせ歌う輩もいる。彼らの多くは年に一度のこの祭りが最大のイベントで、ここに来て、4、5泊して祭りが最終日の夜はオールナイトでショーに出たり観たり、躍ったりして楽しむそうだ。

いつもは静かなインレー湖がこれだけの人で賑わう姿は私にはとても新鮮だ。日が落ちて暗くなった6時過ぎでも多くのボートが行き交う音が響いている。
ホテルに戻ると日本人団体客が来ていた。ここに何度か来ているが日本人の団体に会うのは初めてだ。レセプションの女性スタッフに「ここに日本人が沢山いるのは不思議だ」と話したのだが、彼女は私の話が少し不思議そうな顔をしている。

昼にレストランでも2人連れの日本人に会った。彼らはお茶の研究をしている学者さん(多分大学の先生?)でミャンマーに20回以上来ていると話していたがいつもは山の方ばかり、今回は息抜きにインレー湖へ来たと話していた。一週間前から滞在し毎日御本尊のボートを追いかけてインレー湖を回っていると話していた。祭りがおわったらヤンゴンに戻り帰国する予定だそうだが、数日前に市場を歩
いていたら私服?警官か政府関係者らしき人物から「いつ帰るのか?11月7日の選挙まで居るのか?」などと聞かれたと話していた。軍政は選挙にかなり敏感になっていると聞いていたが、こんなところまでとは意外だ。

夕食後、ミャンマーの旅行会社の人と話す。彼は日本の大学院に留学の経験もあり流暢な日本語を話す。難しい言葉や諺も詳しく敬語を使いこなし日本人以上に日本語を話すように感じる。年に2回以上は日本にも来ているそうだ。そして写真も撮り、来年2月にオリンパスギャラリーで仲間と3人で写真展をするとの話で是非観に行こうと思う。ヘーホー空港に展示している私の写真や以前、ホテルで展示していたのも良く覚えていてくれたのは嬉しい。

明日はいよいよ祭りのクライマックスだ。

10/24 3日目(2010 Myanmar)

昨日は何度が雨が降ったが今日は朝から天気が良い。

 

MM1003_01.jpgレストラン365でアメリカン朝食セットを食べ、ボージョーアウンサンマーケットへ行くがまだ開いてないので南へ向かい歩く。
開店準備中のアウンサンマーケットを抜けてヤンゴン川まで歩く。そこからサイカーに2人で乗り込みスーレーパゴダまで戻る。途中ネットで見かけた評判の宿「Okinawa guest house」の前を通る。確かにちょっと洒落てて良さそうな雰囲気だ。

 

MM1003_02.jpgまとわりつくような南国の湿気で汗だくだ。Drお気に入りの穴場ようなカフェでフレッシュオレンジジュースで一休み。このエリアは専門店が沢山集まっている。敷物専門、電灯屋、ケーブル専門店、眼鏡屋などフラフラ歩いていても飽きない。
開いたアウンサンマーケットを歩いているときドル交換レートを聞くと920チャット、ドル安の影響はここでもある。客がドルで払い国内取引先やスタッフにチャットで払ったり、不安定なチャットではなくドルで資金を動かしているような外国人向けホテルなどは厳しいだろうことは想像出来る。以前は1200とか1300だったから単純計算20%以上目減りしたことになってしまう。

ホテルに戻りチェックアウトし早目に空港へ向かう。
前日、サイクロンがミャンマーの北西部に上陸したた国内線が数便キャンセルになりその影響が今日に残っているようだ。もらっていたチケットはヤンゴンエアウェイの15:45発だったか、情報が2転3転し結局乗ったのが14:00発のエアーバガンのジェット機だった。結果的に当初より1時間以上早くヘーホー空港に到着、ホテルにも明るい時間にチェックイン出来る。空港でいつものガイドさんと再会し車へ乗り込む。ガイドさんの話では昨日はサイクロンの余波で雨と風が強くインレー湖は荒れてて移動すら大変だったそうだ。その話を聞くと不測にも往路でヤンゴン1泊だったがなにかと幸運だったのかもしれない。

空港から車で1時間弱、インレー湖の玄関町ニャウンシェに到着。ホテルから迎えのボートに荷物を積み込み出発。

 

MM1003_03.jpg数ヶ月前の渇水時はここらあたりも毎日重機で底をさらいながらボート1台が通れる状態だったと聞き,いつも豊かな水を湛えるインレー湖しか知らない私には想像を絶する状況だ。少し狭い街からのアプローチを抜けると湖が開けボートもフルスピードに加速する。右手の山にかかる雲間から傾いた日差しがこぼれ湖面を照らす。毎回だがこのシーンを見ると「ここに来た」ことを実感する。湖上を進むボートとすれ違ったり漁をするインター族の船から子供達が手を振っている。いつもと変わらぬインレー湖だ。ボートではウインドブレーカーを着て丁度よほど涼しい。蒸し暑いヤンゴンからくらべると天国のようだ。

MM1003_04.jpgボートで小一時間,多分20km弱でホテルに到着する。入り口のゲートが屋根付きで立派になっている。正面から見ると被災状況は皆無に見える。しかしボート降り場に近づくとダイニングレストランの後方にあった立派な屋根が見えない。レセプションのスタッフやホールスタッフ、アンさんが出迎えてくれる。記憶にあるスタッフも居れば初めて見るスタッフの姿も多い。
過去数回滞在したときにタナカを塗ってくれたり、毎日挨拶や言葉を交わしていたダンスの先生でもあるレセプションの女性が辞めてしまったは寂しい。

復旧したキッチンや女性スタッフの寮等見るとアンさんはじめスタッフの頑張りでホテルは滞り無く営業しているように見える。しかし水中から力なく生えているような柱を見ていると胸がつまる。

私の部屋は105号室,ダイニングレストランから比較的近く便利だ部屋だ。広々としたツインルームのバルコニーに出て沈む夕日を眺めていると心が洗われる。
今回私が運んできたのは衣類やハサミ、針不要のホチキス、ホワイトボード、ソーラー電卓、タッパ等々だ。衣類はアンさんが手際よくサイズを見ながら人数分けしていく。そしてキッチン裏手のスペースに被災した女性スタッフを集め、アンさんから各自に手渡した。一様に喜んでくれてホッとした。今回ここに来た目的の殆どを果たしたような気分だ。

夕食は荻窪ラーメンとトンカツ、それと今の季節しか食べられないインレー湖のウォーターチキンをたらふく食べた。鳥肉の一種なのだがレバーのような食感が有り、今まで食べたことの無いものだった。パンチのある肉とでも言うのだろうか。

明日は朝から祭りを撮りに早起きだ。

10/23 2日目(2010 Myanmar)

前回バンコクに1泊した時は安く済ませるため空港から車で20分位の送迎付きホテルだったが、到着時迎えが待っているからの事前メールは何処へ行ってしまったのか待てども迎えは来ず電話してやっと来るというありがちな展開だった。
今回は時間も遅いし以前より随分安くなぅたから空港ホテルのノボテルを予約してあった。さすがと言うか当たり前だがちゃんと迎えの案内が立っていて車に乗り数分でホテルに到着。チェックイン時にサインしておけばチェックアウトはカードキーを箱に入れるだけだと説明がありその様にしてもらった。元々高い朝食を食べるつもりも無かったので後日連絡もカード決済も無い筈だ。
カードキーを箱に入れると案内の人が行き先を空港と確認し車に案内してくれる。この時期、バンコクと言えども朝は涼しい。

爽やかな気分で待って居るとカートに一杯の荷物でDrが来た。ざっと2人の預ける荷物を見積もると90kgくらいある。エコノミーの預け入れ上限は公称1人20kgだ。事前にDrが調べたアップグレード料金は$80、超過料金払うよりやすそうなのでビジネスの空席を聞くとOKとの返事。ただ私のマイルチケットでアップグレード出来るかココでは分からないからあっちのチケットオフィスに聴いて欲しいと言われ、移動する。凄く綺麗なタイ航空の女性が対応してくれる。Drが「日本の女優さんみたいです」と陽気に話している、それと被災したホテルへの支援物資であんことをアピールも忘れない。このあたりの対応は見事だ。マイルチケットのアップグレードは殆ど諦めていたが、なんなくOKだった。私が交渉していたら駄目だったかもしれないが、流石30年以上海外生活して居る術は見習いたいものだ。

プライベートモニターも無いがビジネスはビジネス、座席は広いし座ると直ぐ飲みのもサービスがある。僅か1時間強のフライトだが気分的に楽だ。ヤンゴンでも荷物は優先で出てくるし何事も順調だ。

入国するとアンさんのスタッフが車2台で待っていた。
今日の宿泊先、TAHMADAホテルに着くと、荷物を一部詰め替えて3個ほどバス便で荷物のみインレー湖へ向けて送ってもらう。明日か遅くても明後日には届くはずだ。

まだ部屋が1部屋しか空いてないので荷物を置き散歩に出る。
今日は満月でアウンサンマーケットや多くの店は休みで人々はパゴダへお詣りだそうだ。空港から街中へ来る途中、シュエダゴンパゴダの側を通ったとき、物凄い人だったのでDrの記憶にあるパゴダ、ストランドの先、ヤンゴン川に近い名前は分からないが身振り手振りて運転手に説明しタクシーで向う。

 

MM1002_01.jpg外国人向け入場料$2払い靴を預けて中に入ると人々の熱気がすごい。ここの本殿はお釈迦様の髪の毛がそのまま安置されて居るそうでそこに向かい人が殺到している。折角なので拝ませてもらおうと列に入るが遅々として進まない。近づくほど狭くなり御本尊を拝める場所は人ひとりしか立てない構造はどうかと思うが辿り着くときに多少なりとも困難が伴う方が有難いのかもしれない。一先ず御本尊を拝み手を合わせて戻ろうとするも、戻るのも一苦労。汗だくになり外に出ると風が気持ち良い、そして仏塔に沢山ある鈴の音色が心地よい。敷地内を一通り歩いていると、瞑想する人、一族で食事する人達、走り回る子供、バンド演奏する若者達と様々な人達が満月の日を楽しんでいる。日本の自社仏閣とちがい堅苦しさが無い。それだけ日々の暮らしに密着しているのだろう。ミャンマーでは少々特徴のある仏像?をよく見掛けるがここのもなかなかなモノだった。

 

 

MM1002_02.jpgパゴダを出てヤンゴン川へ行ってみると対岸から渡し舟が到着したようでお坊さんから若い女性まで多くの人が歩いて来る。ヤンゴンでは若者のロンジー離れが言われているが確かに短パンやスカート、Gパンを、履いた女性が多い。しなやかなロンジーの後ろ姿の方が綺麗だと思うが部外者の勝手な願望なのだろうか。

 

MM1002_03.jpgタクシーでカンドジー湖近くのイタリアンでランチ。クリームソースのペンネは東京と変わらない美味しさだ。ただ食後に頼んだカプチーノは味はまずまずだが量が半端無く多い。片手で持つのが大変なくらいだ。まぁ半分位飲み店を出た。

ホテルに戻り一休みするコトに。やはり昼間は暑い。

夕方少しホテル近くを散歩しパークロイヤルホテル隣の小さいショッピングビルの4階にあるネットコーナーへ行く。予想通り速度は遅いが一応、mixiやtwitterもつながり日本語も表示はする。書けないが。仕方ないので英語で幾つか書いてメールだけチェックし不要なのは削除しておいた。
ホテル併設?のレストラン365でDrお勧めのコリアンビーフBBQ丼を注文。キムチもまずまずでそれなりに大丈夫た。前回来たときは天ぷらうどんを食べたら書き様の無い不思議な味だったからそれに比べれば格段に美味しい。食後さくらタワー最上階のレストランで夜景を観ながらコーヒーを飲む。派手さは無いがシュエダゴンパゴダやスーレーパゴダなど綺麗にライトアップされてて眺めは良い。

 


MM1002_04.jpgホテルに戻る途中、ヤンゴン中央駅に夜行列車が停まっていたので行ってみる。
駅員だか警官だか分からない人達に入って良いのか聞くと頷いて手招きしていたのでホームへ。窓から顔を出している乗客に聞くとマンダレー行きだそうだ。ホームの一角で踊りながら大声で歌いまくる人達がいるので近付いてみるとサッカーチームのサポーターらしい。90%近い人が背番号12なのでさぞかし有名選手なのだろう。夜9時とともにユックリと動き出す。1番後ろの1等車の乗客は静かに乗っていたが全体的に騒がしい列車だった。


MM1002_05.jpg明日は午後の飛行機で要約インレー湖に向う。ミャンマー西海岸に上陸したサイクロンの影響も気になるが、まぁ大丈夫だろう。

10/22 初日(2010 Myanmar)

勤続20年で貰える休暇を使い今日から9泊10日のミャンマーだ。初めてミャンマーへ行ったのが勤続15年休暇だったので5年前。今回が5回目の方麺になる。5年前は休暇の使い道をあれこれ考えていた時に撮影ツアーの誘いがあり、それに便乗しただけで何の予備知識も無かった。何処らへ辺りに有るかは知っていたがアウンサンスーチーさんとビルマの竪琴しか思い浮かばない、恐らく一般的な日本人の持つミャンマー知識しかなかった。

今日は夕方便なので朝から会社に行き昼まで仕事してそのまま成田へ向う予定。スーツケースは予め成田へ送り、カメラ機材を詰めたドンケF2とフィルムなどは駅のコインロッカーに預けて出勤した。
12:15昼休みの鐘とともに職場を出て駅に向かう。送ったスーツケースのピックアップ、空港の混み具合が分からない、買い物もあり出来るだけ早く空港を目指したい。新宿で予約していたNEXを1本早いのに変更しフライト2時間15分前に第1ターミナル到着。スーツケースを受け取り、チェックインカウンターへ。今回、火災で焼け出されてしまったホテルのスタッフの人達に少しでもと荷物を詰め込ん
だから25kgになってしまったスーツケース。超過料金も覚悟しつつチェックインを待つ。私の前に居た若い女性が「預ける荷物は20kgまで。それ以上は超過料金1kgにつき3000円、機内持ち込みは1個だけ」などとかなり強い口調でカウンターの怖そうな女性に言われている。今更他のカウンターに移動する訳にもいかないし私の手荷物はカメラバックとリュックの2個。スーツケースはオーバー20kg、最低1万円以上の荷物超過料金を覚悟した。しかし何事もなくチェックイン完了。カウンターの怖そうな女性は私の時に優しそうな女性に代わったのが幸いしたのかもしれない。

身軽になり、出国し妻に財布を免税購入。今回も私のわがままを聞き入れてくれた、心中を察すると優しい妻で良かったと思っている。感謝。

初めて乗るユナイテッド、機内食が美味しくないと聞いていたがそんなでもなく、普通に食べた。量が多めなので残したがトマトソースパスタはまずまずだった。
華南に居る台風を避けてかいつもと飛行ルートが違う気がする。沖縄、台湾より南を飛んでいる。

成田で搭乗口の片方、「ファーストやビジネスの方はレットカーペットからご搭乗ください」としきりにアナウンスしてたが、見ると赤い玄関マットのようなのがひいてあるだけ。いかにもアメリカンな感じだった。

座席が2-5-2と私にはかなり、変則な配列。5人掛けの真ん中になったら最悪だと心配だったが2人席の通路側が取れて良かった。早目にチェックインした甲斐があったのだろう。
タイトルは分からないが日本語の映画を大体2本観てなんとなくあと30分でバンコク。遠いのか近いのか分からないくらいの距離に感じる。

明日は朝6時15分にDrとタイ航空カウンター前で待ち合わせ。支援物質を出来るだけ沢山運べるように2人でチェックインする、超過荷物は解っているからビジネスへアップグレードも選択肢だ。
そろそろ飛行機が降下を始めるころだ。後は荷物がすんなり出てきてホテルにチェックインし眠るだけだ。

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