10/25 4日目(2010 Myanmar)

昨夜は11時まで寝ないと思っていたが10時過に力尽きて寝てしまった。2時間半の時差では体内時計は殆ど影響されないようでここに来るといつも早寝早起きになる。なので5:45に仕掛けた目覚ましは不要の5時起床。条件がよければホテルの各部屋を結ぶ廊下から良い写真が撮れるが今朝はイマイチだった。

6時にお粥と梅干し、味噌汁それに焼きたてパンの朝食。到着が遅くなると水路が閉鎖され入れなくなるため少し早めの6:45に出発。明日の祭り最終日を前に今日は比較的近いところ、インパッコンに御本尊を乗せたボートがやってくる。20日間に渡る祭りはインレー湖の北は玄関口ニャウンシェから南はタウントゥーまでそして西は湖から数キロ遡るインティエンまで多くの村々を毎日移動しながら最
終日にファウンダウンパゴタに戻って来る。ボード行列の数は決まっている最後の数隻の他はその日に寄進する村の数や前日や翌日の兼ね合いで一定では無いそうだか今日は多いとの話だ。
ボートの列が南の方角からの水路をカーブを切り村に入るあたりは既にローカルや外国人客のボートでびっしりだ。撮影出来そうなポイントを探すと、やや逆光気味だが少し高いところから奥まで見渡せるポイントを見つけ移動する。

 

MM1004_01.jpg少しずつボートが近づいてくる。ボードは50人乗りの短いのと100人乗りの長いのと2種類ある。レースで使うボードとは違うのだろうか、大きな提灯のような飾り、きれいな傘などの装飾されている。目の前を爆竹を鳴らしながら、金や太鼓で踊りながら賑やかにボートが通り過ぎて行く様は今まで見てきたインレー湖とは別世界だ。御本尊を乗せたメインボートの前は着飾った女性が踊るボートががあり神々しい雰囲気すら感じる。

 


MM1004_02.jpgメインボートはこのさきの僧院おろされるそうで我々も向かう。御本尊が据えられ大きな僧院では多くのボートから食べ物やお金の寄進を受けている。

 

MM1004_03.jpg御本尊を前に寄進する人、一心不乱に祈る人のすぐ脇では札束をひたすら数える人がいたり、歓声を上げて走り回る若者達と様々だが不思議なくらい全てが馴染み自然に混ざり合ってもいるように感じる。

 


MM1004_04.jpg私がなんとなく入り込めず僧院内をうろうろしているとガイドさんがひとりの僧侶と話をしていた。私もその輪に加わると彼は英語を話すようだ。彼は数年前まで船乗りをしてて香港から日本に良く荷物を運んでいたそうだ。私が神奈川から来たと話したら「神奈川は横浜港に何度も行った。車を沢山運んだ、横浜は食べ物も美味しく楽しい街だ」などと日本のことも詳しい。また、私の使っているローライフレックスを知っているようで「それは古いカメラだがとても良い写真が撮れる」と、そしてブローニーフィルムを使っていることも知っていた。せっかくなので彼のポートレートを撮らせてもらう。袈裟を着た姿がさまになっていたが今回は出家してまだ半年の新米だと笑っていた。

明日の決勝トーナメントに向けて今日は予選リーグのボートレースがあるのだがガイドさんが誰に聞いても予定がはっきりしない。午後の2時からとの話しがあれば、12時という情報もある。仕方ないので2階にあるレストランでコーヒーを頼みボートレースが見下ろせる席を確保し気長に待つことにした。
結局12時30分ごろにとつぜんレースが始まり全16レースを見た。僅差のレースがはギャラリー含め多いに盛り上がるが大差が付くと負けているボートは諦めが早くしらけていた。このあたりも彼ららしい一幕だ。

 

MM1004_05.jpg明日は女性のボードや子供のボートレースもあるそうでそちらも楽しみだ。後はどこから撮影するかが問題だ。今日は上から見下ろす位置だったので明日は、出来ればゴール正面から行きた
い。少しゴールから離れた正面に橋が架かっていて、そこからかその手前のボード乗り場桟橋辺りだろう。一応ロケハンしてみるが明日の混み具合までは分からない。後は明日の状況次第でどうにかなるだろう。

ホテルに戻り、一休みしているとファウンダウンパゴタ近くの僧院に沢山の人が集まり、泊まると聞きガイドさんと向かう。日も傾き撮影には向かないがカチン州やカックーの奥から50から60人で来ているグループが夕食はや明朝僧侶に寄進する食べ物を作っている。彼らは昨年の祭りの後から約一年かけて貯めたお金をこの為に全て使うような、それだけ楽しみにしている一大イベントなのだろう。
おそらく彼らの村に残っているのは動けないような人とハズレクジでも引いてしまった留守番役の人達くらいなのだろう。

 

MM1004_06.jpg僧院はミャンマー人の生活に密接に関わっていると聞いていたし思っていた。お祭り期間は無料の簡易宿泊所にもなり、お互い知らない少数民族や村同士の若者には出会いの場にもなっていると知り重要性をさらに認識した。若者の中にはGパンや髪を染めた今風の格好をした者もいる。階段に座りギターや見たことないような楽器に合わせ歌う輩もいる。彼らの多くは年に一度のこの祭りが最大のイベントで、ここに来て、4、5泊して祭りが最終日の夜はオールナイトでショーに出たり観たり、躍ったりして楽しむそうだ。

いつもは静かなインレー湖がこれだけの人で賑わう姿は私にはとても新鮮だ。日が落ちて暗くなった6時過ぎでも多くのボートが行き交う音が響いている。
ホテルに戻ると日本人団体客が来ていた。ここに何度か来ているが日本人の団体に会うのは初めてだ。レセプションの女性スタッフに「ここに日本人が沢山いるのは不思議だ」と話したのだが、彼女は私の話が少し不思議そうな顔をしている。

昼にレストランでも2人連れの日本人に会った。彼らはお茶の研究をしている学者さん(多分大学の先生?)でミャンマーに20回以上来ていると話していたがいつもは山の方ばかり、今回は息抜きにインレー湖へ来たと話していた。一週間前から滞在し毎日御本尊のボートを追いかけてインレー湖を回っていると話していた。祭りがおわったらヤンゴンに戻り帰国する予定だそうだが、数日前に市場を歩
いていたら私服?警官か政府関係者らしき人物から「いつ帰るのか?11月7日の選挙まで居るのか?」などと聞かれたと話していた。軍政は選挙にかなり敏感になっていると聞いていたが、こんなところまでとは意外だ。

夕食後、ミャンマーの旅行会社の人と話す。彼は日本の大学院に留学の経験もあり流暢な日本語を話す。難しい言葉や諺も詳しく敬語を使いこなし日本人以上に日本語を話すように感じる。年に2回以上は日本にも来ているそうだ。そして写真も撮り、来年2月にオリンパスギャラリーで仲間と3人で写真展をするとの話で是非観に行こうと思う。ヘーホー空港に展示している私の写真や以前、ホテルで展示していたのも良く覚えていてくれたのは嬉しい。

明日はいよいよ祭りのクライマックスだ。

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このページは、kameyamaが2010年11月 5日 21:33に書いたブログ記事です。

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