今日は祭りの最終日。昨夜は23時過ぎまで起きていたがボートの音で5時半起床。今朝も朝は雲が厚い。降りそうな感じは無いが今日は長期戦になりそうだからあまりらしい晴れ晴れも勘弁願い。薄曇りで時々日が射すくらいが理想だ。外へ出るとファウンダウンパゴタかに向かうボートがホテルの前を通っていた。
7時ごろにファウンダゴンパゴタに到着、昨日はロケハンした場所を目指すが既に混雑していた。ガイドさんの提案してくれたボート乗り場桟橋を選び陣取ったのが7時半ごろ。一時間くらいなにもせずに待つがこの時間帯はまだ曇っていたからさほど苦では無かった。しかし、空はだんだん雲が薄くなり時々日が差し込む。8時半過ぎに私の前に止まっていたボートに僧侶が3人来て、3人目が乗るときに少し手を貸すと「どこから来たのか?」と英語で話して来た。数回のやりとり後、「このボートの先頭にある箱から好きなよう撮ると良い」と、言ってくれた。やっと箱に座り待っているとご本尊を乗せた大きなボートをしんがりに行列を作り西側の水路こらやって来た。昨日とボードの数も装飾も踊りも規模が違う、さすが最終日だ。
この時は撮影も順調だった。しかしメインボートから御本尊が降ろされ僧侶達が行ってしまい少し経つとボート乗りが「このボートはこれから仕事がある、申し訳無いが降りてくれ」と、多分そのような内容を話していたと思う。これで元のすし詰め桟橋へ逆戻りしたのが9時半。
噂の10時まではあと少しだからこのまま居座ることにしたが10時になっても全く始まる気配が無い。足もだるくなり、何時の間にか日差しも強い。飲み物も食べ物も無く諦めようと思ったが何となく始まりそうな気配が無い訳でも無かったからそのまま待つことにした。さらに30分強、アナウンスもわからずガイドさんも離れていたから突然始まったとしか思えないタイミングでレースがはスタート。
今までおとなしくしていたギャラリーも一斉に立ち上がり歓声を上げる。あまり頑丈そうで無い桟橋はグラグラ揺れて撮りにくい。それ以前に橋は壊れないのかが一番心配だった。200㎜の望遠をノーファインダーで上から撮る。前いに人たちの頭が大量に写り込むが奇跡的にボートはメインのゴールシーンを抑えることが出来た。
昨日の予選リーグでは観られなかった女性ボートはや少年ボートが今日は決勝前に走った。ひときわ大きい声援は女性ボートはだった。ゴールにある旗を取るためにポールに寄り過ぎたのか何人かがしゃがんで避けた時はどよめきと安堵のため息だった。
あるボートがスタートすると観客のある一角から歓声と声援があがる。自分たちの村のボートなのだろう。レースに勝利すれば一層盛り上がりこぎ手も声援に応えかねや太鼓、踊りで応える。ここでも鐘はいつものだ。大小数個のかねが並び、叩くバチ?も一本の棒で繋がれ一度に複数の鐘が常に鳴る。技と言っても若干の強弱とリズムしかない。どうもあの鐘の音を聴くと力が抜けるがここに来ていると強く実感出来る。
決勝もやや一方的なレースで決着がついた。どこの村か分からないが順当な勝ち上がりだったようだ。普段から漁で漕いでいる人達が多い村がいくつかあり、毎年大体そのなかのひとつ、チャンピオンチームの力が抜け出ていたのだろう。
ひとまず力尽きてホテルに戻ったのが11時15分ごろ。12時に冷やし中華を作り食べた。ダイニングレストランの外、風が吹き抜けるところにテーブルを出してDr、ガイドさんと食べていると昨夜の日本人グループが戻って来た。昨日の話だとホテルには戻らずそのままインティエンへ向かうはずだったのだか疲れてホテルで休むメンバーがでたりしたそうだ。我々が食べていた冷やし中華が美味しそうにでも見えたのだろう、そんな表情に思える。彼らの詳しい行程は知らないがマンダレーからバガンの飛行機が台風でキャンセルになったりでかなりの強行軍でインレー湖にたどり着いたのだろう。食事も合わない人だっているはずだ。なとなど考えると少々間が悪い。
それでも冷やし中華初体験のガイドさんも美味しいと言ってくれて私より早く完食していた。もともとミャンマーにも麺類はあるし、麺以外の食材はこちらのものだし味付けを間違えなければ大丈夫だろうと思ってはいたが、
午後のスタートは15時としてひとまず部屋に戻り一休みする。
14時50分ごろレセプションからホットヌードルが出来ていると電話があり、行ってみるとDrが生ラーメンを作っていてくれた。昼の冷やし中華だけでは足らないでしょうとの心使いに感謝。
山の方の入道雲が重くなってきてるし朝からの炎天下での撮影に疲れ気味だったので仏像屋に買い物だけ出掛けることにしてホテルを出る。今日は祭り最終日で仕事は休みが多いと聞いていたから仏像屋が開いているか分からない。少し手前でボートを降りて歩く。このあたりは板金屋、エンジン修理などと職人街だがどこもに工場に人影が無かった。仏像屋さんも何時もいるだろう工房らしき場所は人気がない。上が住居なのだろうと見上げていると上から仏像堀師のオヤジさんが顔を出す。ガイドさんとしばし会話のあと家に招かれて入ると2階がギャラリー店舗になっていた。過去に数回来ているが中に入ったのがはじめてだ。ガイドさんの説明だと婚姻関係、家族関係は無いがここでは7人で共同生活をしているそうだ。ミャンマーでもそのよなライフスタイルがあるのかと意外な感じがしたがそうなのだろう。確か4年前に撮っていた女の子がすっかり大人っぽくなり11歳だとのことで将来が楽しみな雰囲気は充分感じた。主人と一家そして彼女を撮影しホテルに戻った。
明日はガイドさんが帰ってしまう。行きたいところは幾つかあるからのんびり回れればと思っている。
今回もガイドはパオ族のイーさん、今回でガイドを頼むのは3回目になるがいつも良くやってくれる。控えめで気は利くし話も上手く話題も豊富だ。英語のガイドさんなのだか、彼女の話す英語はとても聞き取りやすく分かり易い。自分の英語力が数ランク上がったのでは?と勘違いしてしまいそうになる。Drも、このあたりではトップクラスだろう、他のお客さんが来るときでも出来るだけ彼女にお願いしたいと話していたの。
今日まではどうしても祭りメインでローライの出番が少なかったが明日からはいつものインレー湖ペースになれるだろう。年に一度の最大の祭り後で彼らの様子がいつもと違うのかそれとも変わらないのだろうか。
インティエン、アンレストランの裏、たばこ工場、鍛冶屋、シルバー工房や首長族のお店もある。