今週末からミャンマーへ

今週の金曜日(8/5)から8/14までミャンマーへ撮影に行く。
2014年12月以来1年半ぶりだ。今回もヤンゴン経由インレー湖メインの撮影。

今回は来年12月の個展を見据えた撮影になるが、今までとは少し違うアプローチも考えて準備を進めている。2011年の政策転換から2015年の選挙による政権交代を経て変わりつつあるミャンマーで暮らす人達の考えていること、望んでいることなど知りたいことは尽きない。

今まで、ヤンゴンに入って国内線飛行機でインレー湖に向かっていたが今回初めて夜行バスで移動する予定だ。数年前では考えていなかった昨年頃からバスも道路も改善され、利用者も増えていて値段も手頃だとインレー湖でいつもお世話になっているAnnさんから提案された。ヤンゴンに1泊するホテル代、飛行機代と合わせるとその数分の1の費用で済む。それにある程度バスで寝れれば翌日午前から時間が有効に使える。まぁ乗り物で寝るのは苦手なのできっとあまり寝れないだろうが、ホテルに朝着いて、午前中くらい仮眠を取れば午後からは動けるはずだ。写真は2014年8月に訪れた時のスコール。雨季は1日の中で天気が何度か変わる、観光客も少なく私の撮影には一番適している時期だと思っている。

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ここ数ヶ月、日記をサボっていたが、FacebookなどSNSの普及でBlogがすっかり疎かになるのは仕方無いが後年自分で読み返したいことはやはり書き残しておきたい。

新年

本日、4月17日はミャンマーの新年です。
この時期のミャンマーは1年で最も暑い季節になり、現地では通称「水掛祭り」が全国で派手に行われています。水を掛けるのは暑いからだけでは無く、日本で言えば大晦日に1年の悪いことを水で流す意味もあるそうです。

昨日、私がミャンマーを知るきっかけを作ってくれてその後撮影の度にいろいろお世話になっているAnnさんがバンコク在住のDr.田中氏が我が家に来ました。前日から箱根に泊まられていたので私が土曜の朝、箱根の仙石原界隈のホテルまで来るまで行きそのまま芦ノ湖スカイライン、ターンパイクとドライブしながら途中我が家に立ち寄りました。Annさんが富士山を観たいと言うことで箱根で富士山が見えるホテルを探したそうですが、偶然にもそこは私が数年前に泊まったことのあるホテルでした。

ドライブの途中に寄ったドライブインでAnnさんはイチゴを2パック買って、我が家で紅茶を飲みながら食べました。そのとき食べる前にAnnさんが我が家の食器棚を観て小皿を指さし、私が渡すとイチゴを2コほど載せてリビングに置いてある金の仏像(私がいつも訪れるインレー湖の仏像屋さんでもらったもの)の前に置いて手を合わせていました。

20160417K-001.jpgそのあと、小田急ロマンスカーで新宿に向かいました。前日本当はロマンスカーで箱根へ向かう予定だったそうですが、人身事故がありロマンスカーは運休。急行で箱根まで行きとても遠く感じたそうです。ロマンスカー(一番新しい車両、VSE)に乗っての感想はとても快適で昨日(往路)も乗りたかったと話していました。夜はもう1人合流しいつもの新宿イタリアンで食事をしてきました。

Annさんにとっての大晦日、とても楽しい1日だったと御礼のメッセージが来ました。
今まで沢山お世話になっていたので少しでもお返しが出来たと思っています。

ミャンマーのみなさん、"新年あけましておめでとうございます"とミャンマー語でどのように言うのか分かりませんが。。(まだまだ勉強不足)

3回目の挑戦(Bas教授レビュー2016)

先日、オランダから来日し現在ギャラリー冬青で展示中のバス教授のポートフォリオレビューを受けた。今年で3回目になるレビューだが回を重ねる度により作品に対して深い内容、と言うよりバス教授が示す方向性が見えるように感じている。
2014年の1回目、私は20137月に冬青で展示し写真集を出版したThanakaを展示のセレクト、順番もそのままで出した。2015年は自分の生活圏で撮っている模索中の別のシリーズを見て貰った。そして今回は201512月に冬青で展示したThanaka IIをベースに、何点か差し替えて再構築した30点でレビューに臨んだ。

12月の展示を終えてから、201712月の展示に向けて今一度Thanakaの原点から考え直し向き合う必要を感じていた。いくつか考えていた構成を盛り込み、少し実験的な要素も入れてレビューのテーブルに着いた。

バス教授のポートフォリオを観た第一声は「Hitoshiがミャンマーへ戻ってきて良かった」だった。1枚ずつコメントを挟みながら観ていく中である1枚で手が止まった。その1枚に多くの言葉を発していたが、その内容は「はい、そうですね」と同意できるモノでは無かったが、そのように読み取られるのは興味深かった。

ステートメントに書いていない内容を私がいくつか話すと、頷くことと、Noと言う場合もあった。冬青社高橋社長からはバス教授に言われて頷くだけでなく、自分の主張・意見・意図を話して下さい、そこから引き出される内容が大切と何度も言われていたことを思い出す。

持ち時間は気付くと残り5分になっていた。昨年、一昨年は持ち時間を持て余し気味だったのが頭の片隅によぎり、3回目にしてやっと自分で作品に自分の言葉で主張できた。残り時間が殆ど無くなりつつあるなか、もう1枚バス教授が手に取り熱く楽しそうに語ってくれた。

1日のレビューが終わり座談会形式の質疑応答のとき、バス教授がレビュー途中の休憩でたばこを吸っているときに思い浮かんだ私の作品に対するアイディアも聞かせてくれた。その内容は私にとって、すぐに飛びつける内容では無く高いハードルに今は思えるが、8月の撮影で取り組んでみようと思っている。

12月の展示から追加したうちの1枚。この1枚は私にとって次を目指すきっかけになったくれるだろう。

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2月29日

今日は2月28日、今月はインフルエンザに罹り1週間外に出なかったり、手伝っているNPOの合宿に参加しもう何時以来か思い出せないくらい久しぶりに大部屋で寝たり、新たなことをやってみたり、気付けば花粉症の時期になってしまったなど慌ただしい1ヶ月だった。例年だと今日が月の最後だが今年は閏年なので29日がある。

3月はもう少し時間を取ってじっくりと進めたいことがいくつかある。花粉症の時期は集中力に欠ける日も多いが薬の力をかりつつ乗り切っていきたい。数年前まで医者の処方が無いと手に入らなかった抗アレルギー剤や点鼻薬が少々高いが薬局で購入できるようになった。病院に行くと数時間待ったり、待っている間に風邪を貰ってダウンする危険を考えると「お金で時間を買う」ほうを選ぶのが正しい選択に思えてくる。

先だって、某所で話していたことがしっくりと残っている。読んだり聞いたりするより自分が話すことが一番頭に残る。自分で話すには自分で納得し、裏付けが無いと出来ない。誰かにつっこまれっと期に対処できることが基本だ。曖昧な理解や何かを鵜呑みにするのは危険なことだ。

当たり前と言えば当たり前だが、時々忘れてしまうからこうして書き残すのが自分のためだと思っている。

正解は一つでは無いが自分にとっての正解は決めることができる。

20160228-001.jpg写真は先日の合宿に向かう都心の夜。静かな世界の先には多くの"思い"が待っていた。

monochrome XII "River"

2016年2月2日〜2月27日まで東京西麻布のギャラリーE&Mで開催される企画展、monochrome XII "River"に参加します。

毎回テーマが挙げられ、今回は"River"で私も1点で参加しています。このmonochrome展には2010年冬から参加させて頂いていますが、おおよそ半年に1度、宿題を持って臨む展示は今の私には丁度良い励みになります。しかし今回は昨年末の個展などありエントリーが遅れてしまったのですがなんとか滑り込むことができ、先日展示のお手伝いをしてきました。今回も40人を超える写真家の作品が展示されます。

年々、と言うより日に日に厳しくなる銀塩プリント環境ですが、全作品銀塩バライタプリントの展示です。

展示期間中、私もどこかで在廊出来ればと思っています。

会期:2016年2月2日(火)〜27日(土)
時間:12:00〜18:00(日・月曜日休館)
(入場無料)
会場:ギャラリーE&M西麻布
日時:2月1日(月)18:00〜20:00
住所:東京都港区西麻布4-17-10

主催:monochrome展実行委員会
協賛:AAAコーポレーション、エプソン販売(株)、オリンパス(株)、キヤノンマーケティングジャパン(株)、(株)ニコンイメージングジャパン、富士フイルムイメージングシステムズ(株)
協力:Gallery E&M nishiazabu / KN-PHOTO
後援:DGSM Print Consortium

参加写真家
稲垣雅彦、エドワード・レビンソン、大坂 寛、織作峰子、加藤法久、亀山 仁、加納 満、熊谷 正、桑原史成、BAKU斎藤、酒井久美子、佐藤 理、佐藤倫子、澁江一仁、杉山宣嗣、大門美奈、多木和夫、竹内英介、達川 清、谷 雄治、田原桂一、中道順詩、永嶋勝美、長濱 治、南雲暁彦、沼田早苗、ハービー・山口、HASEO、英 伸三、ハヤシアキヒロ、原 直久、HARUKI、広川泰士、福原 毅、藤井英男、細谷秀樹、舞山秀一、南川三治郞、山田愼二、善本喜一郎、渡邉 肇。 

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2016年

年が明けてもう10日が過ぎた。2015年12月のギャラリー冬青の写真展が終わり、そして次は2017年12月に写真展が決まった。ギャラリー冬青で3回目の展示になる。
それは12月に展示が評価された結果であり、次へ向けて、そう次が有る、決まっているのは重要なことだ。明確な目標に向かって考えて、撮って現像してプリントを繰り返しながら作り上げていく。

先ずは今年の8月にミャンマーへ撮影に行く予定だ。それまでに次の展示のアウトラインを考えることから始まる。先日インレー湖でお世話になっているAnnさんが来日、上京され1時間半くらい軽く食事しながら話をした。今回の撮影でもいろいろ頼むことになりそうで8月の日程を伝えておいた。

8月は雨季で観光シーズンオフなので国内線の飛行機やヤンゴンのホテルは心配していないがAnnさんがヤンゴンからインレー湖へ夜行バスを勧めてくれた。以前はとても勧められなかったそうだが最近はエアコンの効いたシートもゆったりの夜行バスが良いだろうとの話だった。ヤンゴンのホテル代やヤンゴン〜へーホーの飛行機代の数分の1で済むし、夜ヤンゴンを出て朝6時ごろにはインレー湖の入り口の街まで来られ、その日から充分に活動できる。。。それは夜行バスで寝られればという前提が必要で、乗り物泊が苦手の私はちょっとハードルが高い。どうするかはもう少し考えてみようと思う。

1/8(金)夜〜1/10(日)まで香川県高松へ旅行へ行っていた。イサム・ノグチ庭園美術館、金比羅参りと讃岐うどんが目的で、レンタカーも借りず「ことでん」をメインにのんびり過ごしてきた。国内線飛行機は1年半ぶり、行きはB787の最新機で快適だった(帰りはB737)。高松のホテルは駅前のホテルで18階で眺めも良く便利で快適だった。今度行くときはフェリーで島へも行ってみたい。うどんはさすがに本場、街中でも駅前でもそして最後に食べた空港のうどんも美味しかった。ただ本当の地元のうどん、たぶん初めて行くと注文の仕方や食べ方も??になると聞いていた店には行けなかった。それは次回の楽しみに。

一番印象に残ったのはイサム・ノグチ庭園美術館。名前と代表的な彫刻、デザインした灯りくらいは知っていたが詳しいことは知らずに訪れた。晩年暮らした家とアトリエ、展示スペースで構成され、世界で活躍したアーティストの思いとこだわりそして創造力が詰まった空間はまた行きたい。美術館と名が付いているが美術館と言うより作家の執念のこもった「館」だと思えた。

写真はホテルと高松シンボルタワーをつなぐ通路から観た夕焼け。

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写真展御礼

12月26日(土)の19時、写真展「Thanaka II 雨安居」は終了しました。12月4日(金)の11時に始まったのが遠い過去のような気もしますが、ついさっきだったような気もしています。

2013年7月は写真集「Thanaka」の出版と合わせて展示でしたので、今思うと勢いで一気に駆け抜けたような感覚でしたが、今回はそれから2年半、じっくりと作品制作を進めてきました。途中様々な理由や状況から迷うこともあり、正直展示するまで不安もありました。それでも壁に並んだ作品を眺めて不安は無くなりました。これで結果が伴わなければそれが今の自分の能力、ポジションなのだと考えるようになりました。

会期中、何日か在廊しましたが、不在の時の方が多くギャラリーへ来て頂いたときに話をしたかった方々も多く、それが一番残念なことでした。最終日に芳名帳のコピーを貰い改めてそう思いました。

ギャラリーのはからいで最後にクロージングパーティを開いて貰い、展示が終わりもう今年も終わるのだなぁと・・・

11月28日と29日に芝増上寺で開催されたミャンマー祭り2015でカラー40点展示に続いてそのまま個展と続きここ数年無いくらい走り続けた感があります。来年はまた次に向けて構想を練り始めようと思っています。走ってきた良かったこと・・

☆ミャンマー祭りは2日間だけでしたが数千人の人に作品を観てもらい多くの話が聞けた
☆個展で私がミャンマーと関わるきっかけと、写真作家を目指すうえでお世話になった方が私の作品を購入してくれたこと
☆2013年の展示を上回る作品数を販売できた
 (コマーシャルギャラリーの展示では重要なことと考えています)
☆2013年の展示で購入して頂いた方からリピートで今回も購入して貰えた
 (今回の作品に対する重要な評価と考えています)
☆複数枚作品を購入して頂けた人が居た
 (今後の作品制作にたいする糧と責任と感じています)
☆2点がEdition3まで購入して頂けた(もう1点Editon2まで)
☆心に残る言葉を複数の方から貰えた
 (大きな財産で、これらを次の作品に活かさなければならないと考えています)
☆次回の展示の話を頂けた
 (写真作家としての評価と受け止めています)

20151228-001.jpg展示終了後のギャラリーの様子です。このまま私の作品は年越しだそうで、正月にこっそり観にいってみようかと・・

最後に、私がお手伝いしているNPO法人「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」では12月31日期限で活動の寄付を募っています。私も前もって決めてた金額(作品が売れたら1点につきの金額)を寄付する予定です。私自身、写真作家として個展を開催したり写真集を出版できたのはミャンマーに出会ったこととがきっかけになっています。私が被写体としているミャンマーの現実のひとつとして、5歳になるまでに病気などで死亡する子供の率が1000人中60人を超えています。日本では1人とか2人くらいだったと記憶しています。
そのような現実を直視し少しでも変えていこうと思い、「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」にボランティアとして参加しています。

残り1週間

12月4日(金)から始まった写真展「Thanaka II 雨安居」も残すところあと1週間、12月26日(土)で終わりだ。

2013年7月に写真集「Thanaka」出版と合わせて開催した写真展を観てくれた人達のなかで私が尊敬している写真家の方々から「被写体へ対する目線が変わってきている」、「良い方向に進化している」や「長年続けて撮っている人にしか見えてこないものが見え始めている」など言葉を頂き、それは私にとって大きな財産になった。まだ頂いた言葉に対して自分自身で消化できていない部分もあるが展示が終わってからゆっくり考えて次に繋げて行きたいと思っている。

今回私が展示しているギャラリー冬青はニコンやキヤノン、オリンパスなどのメーカ系やレンタルギャラリーと異なるコマーシャルギャラリーだ。そのことは以前から理解していたし、前回の展示でも体感していたことだが、今回はその重みを強く感じている。

私自身年に数枚、意味を感じ欲しいと思った写真を購入しているから、買う側の気持ちは充分理解している。買おうかどうしようか悩み再度ギャラリーへ行ったりもするし、作家さんが居ればいろいろ話を聞き、何か背中を押して貰ったり、時には購入を辞めてしまったことも何度かある。週末を中心に在廊しているが私が不在のときに購入してくれた方もおり、本当にうれしいことである。なかでも私が作品作りに迷っていたときにワークショップでお世話になり、ミャンマーへ行くきっかけを作ってくれた写真家渡部さとる氏が私の作品を購入してくれたことだ。その時のことが渡部さんの日記に書かれており理由を知り今後の大きな糧にせねばならいと自らに言い聞かせている。

前回の展示に続き、今回も作品を購入してくれた方が複数居たり、複数枚購入して頂いたことも作家としてこれ以上励みになることは無い。

残り1週間、それが終わると今年も終わる。私にとって充実の年の瀬になりつつある。

前回は7月展示で雨など天候の恵まれなかった日もあるが今回は比較的天候に恵まれているのもうれしい。年末で何かと忙しい中、時間を割いてギャラリーへ足を運んで頂けることに感謝をしつつ次に向けていろいろ思いを巡らせている今日この頃だ。

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Thanaka II 明日から

本日夕方、ギャラリー冬青へ行き、明日から始まる写真展の展示立ち会いをしてきました。2013年7月に同ギャラリーで写真集出版と合わせて展示してから約2年半ぶりの個展です。

今回のタイトルは「Thanaka II 雨安居(ウアンゴ)」です。写真集出版後に撮影した作品28点で構成した展示です。

前回は写真集出版が決まり、展示が決まって写真集日程を繰り上げてと言うような、ある意味勢いのまま展示に突入しましたが今回はじっくりと作品撮りとプリントそしてセレクトをこなしての展示です。

そして本日の冬青社高橋社長のブログで取り上げて頂きました。

明日から始まり、年末まで土曜日を中心に何日か在廊しますので、是非お越し下さい。

私の印象というか実体験で居心地の良いギャラリーには大きなくつろげる机が有ります。これはゆっくり作品を観た後にキャプションを読んだり、話をするために重要な要素かと思っています。

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ミャンマー選挙2015

2015年11月8日(日)、ミャンマーで選挙が行われた。おおよその結果はもう出ていて前評判通り、アウン・サン・スー・チー氏率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝し過半数議席を獲得する勢いだ。現在のミャンマーの法律ではスー・チー氏は家族に外国籍の息子が居るため大統領になれない。
ミャンマーで法案を通すためには大統領の署名と議会の76%の賛成が必要とされている。しかし法律で25%は軍人が議席を持つことになっている。NLDが大統領になっても25%の軍人枠の中からNLD側に賛同する人が出てこない限り何も変えることは出来ない仕組みになっている。これは軍事政権時代に作られた憲法だから仕方無い。

これに対してスー・チー氏が言っているは「25%の中にもかならすミャンマーの将来を考え賛同する人が出てくることを信じてる」という内容だとミャンマーの友人から聞いた。

ミャンマーはビルマ族を始め100を超える民族が暮らし、宗教も仏教が多いが、キリスト教やイスラム教徒もいる他民族・他宗教国家だ。日本のような、ほぼ単民族で宗教心が薄い(私にはそう感じている)国に生まれて育った私には想像・理解が難しいが冷戦後の世界で起こっている紛争、テロの多くは宗教、民族に由来していることを考えると軍事政権という強権のフタが無くなったときに何が起こるのか心配にならざる得ない。

周辺の他民族国家を観ると軍事政権や一党独裁が多く、逆にそのくらいの強権がないと治まらないのかもしれないと思ってしまう。

2005年、私が初めてミャンマーを訪れたとき、軍事政権下でスー・チー氏は自宅に軟禁されていた。それでも旅行者からはミャンマーの人たちは平和で穏やかに日々の暮らしを営んでいるように見えた。

スー・チー氏は大統領になることは出来ない。NLDの誰かを大統領にしてスー・チー氏が実権を掌握するかのような発言が報道されている。西側諸国の民主主義国家からするとこの考えは憲法を無視した、極端に言えば独裁者になろうとしているように見えるかも知れない。そのようなことは英国や日本に留学していたスー・チー氏は当然承知しているはずであるが、その上で発言している真意はどこにあるのだろうか。

私のミャンマーの知人友人に以前、スー・チー氏が政権を取ったらどうなるのか?少し話をしたことがある。正直彼らも未知数で分からないと話していたが、軍事政権より良くなる未来に期待したいと言うのが本心なのだろう。

ただ、中東やアフリカなどの民族紛争を見ると少数民族と軍の戦闘や停戦合意のニュースを聞くと複雑だ。イギリスがビルマを植民地にしていたとき、植民地政策として多数を占めるビルマ族の目を宗主国へ向かせないため少数民族に資金と武器を供与していた。欧米の身勝手な植民地支配が現在の地域・民族紛争を生んでいると思うとミャンマーのこれからも考えてしまう。

イギリスの植民地から日本が植民地にしていたとき、日本がビルマに何をして、何を残したのか私はほとんど知らない。ミャンマーへ行くと日本人墓地が今でも綺麗に維持されてることや、私がミャンマーで知り合った老人の人から聞く日本軍の印象は悪くは無さそうも思える。(日本人の私に気を遣ってくれいているだけかもしれないが)

軍事政権を肯定、支持するわけではないが、現実的なミャンマーの政権運営を考えるとNLDと軍が敵対していては不幸な未来になると思わざる得ない。

写真は2012年、インレー湖のある村で魚の養殖プロジェクトについての話し合い。日曜で休みの学校の教室で開かれたシーン。日本では良くあることだろうが、ミャンマーの軍事政権下集会が禁じられていた時代を知っていたから、この光景は私にはとても感慨深いものだった。

軍事政権下では集会だけでは無く、満足な学校教育システムも崩壊させていた。それでも僧院の存在で子供達は読み書きを覚えていたそうだが、日本では当たり前の生活や一般知識、道徳教育など皆無で、それもこれから発展しようとしている国には厳しい現実だと思う。

20151115-001.jpgミャンマーの多くの一般の人たちは敬虔な仏教徒で人柄も穏やかで良い人が多い。今回の選挙で多少の混乱も起こるだろうが良い方向へ進むことを本当に願っている。

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