友人のところへ [ 05/August/2018 ]

5時過ぎに自然と眼が覚める。日本と時差2時間半は微妙にいつも残っている。朝食前、ホテル裏の道を少し散歩してホテルに戻る。日曜なのに学校へ行く姿の子供を何人か見かけたが後々理由がわかる。

朝食を食べて8時半過ぎ、今回のガイドさんがホテルに来た。髪が短くなり最初分からなかったがMa May Layさんだった、約10年前に一度会って話をしたことを思い出す。確か2007年の8月、写真家岡嶋和幸さんのガイドをしていた日本語を話す方だった。

9時ごろ、今日の市場ファウンダウンパゴダに向かった。インレー湖周辺は5日市と言われ5箇所で毎日(新月、満月の日は市場が無い)市場があり、同じ場所は5日毎に回ってくる。May Layさんが日本語で詳しく説明して貰えた。筍を竹の葉と一緒に茹でてピンク色になったもの、ひよこ豆の現物、トマト以外の水耕栽培が沢山あることなど知らないことが多かった。

数年前から市場の様子もいろいろ変わって来ている。一つはスマートフォンの普及で商売そっちのけでずっとスマホを触っている人も居る。それと電気式の秤が増えた。それまでの錘でバランスをとり測る秤が主流だったが中国製のこのような秤を多く見かけた。

パゴダにお詣りしてからYwama村のInn Shwe Pyiに向かった。見覚えのある場所が近づくと少し雰囲気が変わっているように見えたが出てきた男性は記憶の中にいる彼だった。

昨年からお店の名前をSHWE INN LAYに変えたそうだ。かヤンの人たちと話をして写真を撮りカヤンバックを6個購入した。

Facebookをやっているかと聞いたらやっているそうで友達になってもらい記念撮影。

(向かって左がNan Baby Charさん 右がChit May Kayanさんで二人とも16歳)

カヤンの人と友達になるのは初めてだったが、彼女たちにとっても日本人と友達になるのは初めてだそうだ。二人は友達で16歳だった。もう一人61歳の女性も居た。写真集を渡すと昨年ここで会って写真を撮り写真集にの載せている彼女とはNan Baby Charさんの従姉妹だった。ガイドブックなどに彼女たちを「パダウン族」と書かれて居るが、その呼び方は彼女たちにとって好まれない(侮蔑的意味が含まれるとも言われている)。彼女たちに何人か聞くとカヤン人と答えるので私はそう呼ぶことにしている。

ホテルに戻り昼食後一休みしてから仏像屋へ。今日は天気が良く青空も見える。レチェ村に着いて歩いて行くと主人が窓から外を見ていて、私に向かって手を振ってくれた。この一家がインレー湖で一番付き合いが長い。私の写真集に一番多く登場する一家でもある。私をここに導いた彼女に初めてあったときは7歳、彼女も今年で19歳になる、彼女もFacebookをやっており友達になり記念撮影、長年来ているが一緒の撮るのは初めて。昨日私のウワサ話をちょうどしていたようで翌日私が行ったので驚いて居たらしい。

ガイドさんを介してだがいろいろ話をする。こういう時私がもっとミャンマー語が話せたら楽しいのだろうが、まだまだ。いくつか聞き取れる単語があったりするが。最後に夕食を誘われたが夜はアンさんと食事する予定だったので丁重に断ると明日の昼に来て欲しいと言われランチをご馳走になることに。

あと、ここに丸いオブジェを注文にくるフランス人現代アート作家の素性も分かった。作家の女性は香港に住んでいるそうで、年に一度か二度、注文だどにここに来るとの話。今度香港に行くときに尋ねてみるのも面白いかもしれない。インレー湖の仏像屋で繋がるのも縁だ。

ホテルに戻ろうと思ったら雨が降って来たので少し待っていた。その時下の娘さんが学校から帰って来た。今日は日曜だが先日の平日休みの振替で授業があったそうだ。姉妹で写真を撮っていたら雨がひとまず止んだところでホテルに戻る、少し小雨にあったが、ホテルに着いて10分後、かなり激しいスコール、ぎりぎりセーフだった。

夜アンさんが戻り夕食、そうしたらFacebookで友達のヤンゴンに住む女性La Min Khinさんのご両親と紹介される。アンさんと友達で時々インレー湖に来て居るそうだ。

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