展示中のある日、一人の女性が来られ熱心に写真とその説明キャプションを読みながら頷いていた。
そして、展示しきれなかったプリントを納めたファイルや写真集2冊、そして私が展示に合わせて作ってた2月1日以降の経過をまとめたファイルを読んでいた。初対面の方だったので話しかけてみると中学校の先生をされている方で翌週の授業を「ミャンマーの現在について」話をするので朝日新聞の記事を見て来られたとのことだった。
今回の展示で何度も聞いた台詞が「自分にできることを考えて、」や「自分にできることありますか?」だった。
学校の先生の立場で考えられた行動なのだったのだろう。そして先日、お礼を兼ねて授業の内容など丁寧に知らせてくれた。ご本人の承諾を得てそのメールの抜粋。
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先日は写真展の場で、ミャンマーの現状やこれまでの人々の暮らしについて沢山のことを教えていただき本当にありがとうございました。
中学一年生の社会科の一番初めの授業で、ミャンマーを題材に授業をしました。市民がロンジーを掲げている写真を見せ、そこから読み取れることをもとに「これは一体何の場面なのか」を考え、想像してもらうワークをした後で、写真の背景を解説し、もう一度同じ写真を眺めてもらうという授業でした。解説では、クーデターの背景等の基本的な情報のほかに、学校で授業を受けている今この時にミャンマーで起きていること、考えが及ばないほどの残虐な行為の数々、そこにある市民の生活と抵抗など、勉強不足と時間の制約による限界を感じつつ、説明しました。最初は「工事の場面かな?」「お祭りの後片付けをしている?」などと想像していた多くの生徒は、解説を聞いてから写真を眺め直し、その場面の意味に納得した様子でした。(今回の授業は時間数などとの兼ね合いで、ミャンマーについて知ってもらいつつ、より抽象的なレベルでは「社会的な見方・考え方を身につける」ということを体感してもらう授業として設計しました)。
また、次の時間の冒頭に、朝日新聞にあった亀山さんの写真展の記事(https://www.asahi.com/articles/ASP476SXRP47UQIP03L.html)を配布し、日本でできる最小限のこととして「関心を持ち続ける、無関心でいない」ということがあること、それがとても大切なことであることを伝えました。また、亀山さんの写真集も見せ、これまで当たり前に大切に存在していた「ミャンマーの日常」も少しだけ共有することを試みました。
子どもたちにはこれに限らず、学校の外にある「社会」にも触れ、沢山の学びや発見に出会った欲しいと思っています。
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(写真はニャウンシュエの僧院で勉強していた尼僧さんたち机があるのに何故か床で勉強)