2021/2/1から半年が過ぎて

ミャンマーでは2021年2月1日に発生したクーデター以降、毎日どこかで誰かが拘束され、銃で撃たれ、中には人知れず亡くなっている人がいます。ミャンマーの人権団体の発表では死者が1000人を超えてますが実際はその数倍いると言われています。

その時から自分を取り巻く環境も変わりました。昨年からコロナ禍で移動の制限などありましたが、それまで普通に暮らしていて「コロナ終わったらまた行くから」、「日本へ行くから」などとやりとりしていたミャンマーの友人たちの日常が突然奪われました。

自分のSNSは元々、写真関係が6割、食べ物や旅先のことが3割、どうでもよい適当なことが1割くらいでしたが、今はミャンマーの人たちが望む社会を実現を応援するため連日、ミャンマーに関係する投稿を続けています。ミャンマーと関係の少ない方(多くの方がそうだと思いますが)には不快に感じているかも知れません。
私はミャンマーに親戚が居る訳でもなく、ミャンマーでビジネスをしたり暮らしたこともありませんが、自分の友人たちがある日突然、自由が奪われ不当に逮捕されたり殺されたり恐怖の下で暮らすことを強要されていることを考えると何かしら自分にできること考え実行したいと思いました。これは、ご自身の立場に置き換えて頂ければご理解いただけると思います。
私自身も、直近で言えばアフガニスタンのことや、少し前の香港、常態化しているウイグルの迫害、長年続くシリア問題そして国内でも災害や人権問題、貧困問題など自分とは直接の関わりの少ない世の中で起きている事に一時関心を持っても時間の経過と共に他人事として関心が薄れてしまうので、ミャンマーとの縁の無い方々がミャンマーで起きている悲劇に無関心なのは自然な事だと思います。
7月になると、それまで下火だったコロナ感染が隣国インドから入ったと思われるデルタ株がミャンマーでも感染爆発を起こしました。元々脆弱と言われいた医療体制は軍のクーデターのため崩壊し、感染した人々は自力で酸素や薬を調達し助け合いながら乗り越えようとしてます。連日、友人の両親や知人の死がSNSに上がってます。2007年から知り合いの友人も感染し回復できたのかも確認できない状況です。軍の恐怖とコロナ感染の恐怖、この悲劇の当事者として、ミャンマーの人々と共に抗議の声を上げ日本の人たちに関心を持ち続けてもらえるように、自分にできること続けることが自分の役目だと思っています。もし少しでも関心を持って頂けたら有難いです。
私がシェアしたオンライン署名や支援に賛同していただけたり、写真展で募金箱に募金をいただけるだけでも嬉しく思います。

私は2005年に参加した「ミャンマー撮影ツアー」でミャンマーと出会いそこから深い縁ができ、同時に友人も増えました。ミャンマーで撮影を続けることでミャンマーの人たちから多くのことを学び、人生観が大きく変わりこの国の人たちを撮り続けようと思いました。ちょうど2011年から民主化が始まり2015年にアウンサウンスーチー氏率いるNLD
(国民民主連盟)が選挙で勝利し民主化、経済発展が進むと思っていたところにクーデター発生はショックでした。民主化前のミャンマーで友人から軍事政権下の暮らしは個人の自由が制限され常に誰かに監視されているような息苦しさがあると聞いてましたし、ある日突然近所の人が理由の説明も無く警察へ連れていかれることあったそうです。なのでミャンマーの友人たちが身の危険と隣り合わせの中、軍に抵抗する気持ちは理解できますし応援したいと思います。
ミャンマーを撮り続けることで写真展開催、写真集出版、ミャンマーについての寄稿依頼などにつながり今の自分があると思っています。そのこともありミャンマーへの恩返しは常に考えてきました。現地で活動するNPO法人のボランティア参加やミャンマーの高校生を北海道東川町の写真祭に参加させようと活動する友人をサポートを続けてます。

この先、ミャンマーがどうなっていくのか正直わかりません。しかし日本に暮らすミャンマーの人たちやミャンマーの人たちを応援する日本の仲間と共に発信を続けたいと思います。日本からできることは限られますが先だっての衆参両院のミャンマー軍のクーデターを認めない国会議決などはじめ日本政府が軍に利することをしないよう働きかけることが重要と思います

ここ数ヶ月、ミャンマーの状況を見続けている中で国内のコロナ感染拡大もあり出歩くことも減り写真展を観る機会も少なくなりました。そして写真を見ても以前のようにそこから意図を汲み取ったり何かを感じることが出来なくなっているように思えます。これは私自身の問題なので少しづつ元に戻るよう心がけていこうと思っています。

(写真は2012年にインレー湖で夕暮れ時に撮影した日常です)

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