写真展に向けて[7]:写真集の初稿校正と入稿

本日、冬青社で高橋社長、凸版印刷のディレクター杉山氏と写真集の校正打合せを行った。初稿は先日凸版印刷より自宅に届いており、自分で確認し気になったところに付箋を付けて臨んだ。印刷の校正指示は銀塩プリントと異なるため具体的な指示内容は任せるとして、私は銀塩プリントをイメージしながら焼き込みやコントラスト調整など要望を話した。
4年前、初めての写真集「Thanaka」の時の経験で版製作、印刷を含めた写真集行程を多少なりとも知ることが出来たため完成形を想定し自分の希望を伝えることができたと思っている。

あわせてデザイナーさんから表紙、カバー、テキストページのデータ入稿も完了しこれであとは今月下旬の印刷立ち会いを待つばかりだ。

今回の写真集のタイトルは「Myanmar 2005−2017」、他にも候補は考えたがいろいろな意味を込めてシンプルに「Myanmar」そしてミャンマーに関わってきた期間「2005−2017」を加えた。

先週からは写真展に向けて展示プリントの製作に取り組んでいる。

(写真は送られてきた初稿とカバーデザイン案2種類のプリンター出力)

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写真展に向けて[6]:写真集のデザイン打合せとプリント入稿

先日、冬青社でデザイナーさんと打合せを行い、その翌週写真集原稿を入稿し一区切りとなった。
製本仕上がり日を決めて、そこから逆算し印刷立ち会い、最終デザイン入稿、初稿上がり、テスト印刷と逆算しながら日程が決まった。順調にいけば11月の後半に出版となる。

私が用意するのは基本的に素材になる。
・写真原稿プリント
・テキストデータ(和文と英文)
これらを使ってデザイナーさんが写真配置レイアウト、表紙カバーデザインやテキストの配置などデザインを進めている。

今回、写真原稿は全てRCペーパーで作成した。展示などはバライタ紙を使っているので普段RCペーパーはコンタクトシートやセレクト用ワークプリントなどが多い。
そんななか、数年ぶりにRCペーパーでトーンと階調を整える神経を使ったプリントを仕上げた。写真集原稿だから版データ作成時に調整出来るからさほど神経質に作らなくても大丈夫だとも聞くが、自分としてはできる限り、写真集印刷は原稿を再現してもらえればOKですと言えるように心がけてプリントした。

前回の写真集のときはバライタプリントで入稿したが、プリント時期、印画紙種類などバラバラだったため初稿が上がってきてから高橋社長をおおいに悩ませてしまった。それもあり今回は原稿のトーンを許容範囲まで揃えることに注力した。

自分が尊敬する写真家は文章も良い、上手いと思う人が多い。SNSの書き込みなど読んでいてもそう思う。自分もそうでありたいと思うが、正直文章書きは得意ですとは言えない。書いては直し書いては直しの繰り返しになってしまう。無駄な修飾語を書き並べ翌朝読み返し全部消す、いつの間にか何を言いたいのかもぶれてくる、などなど試行錯誤が続く。日本語がやっと完成し英訳を依頼すると、日本語の矛盾や説明不足が出てきてそこでも修正が出てくる。今回は2000文字以上、目安として2頁文のテキストを作った。写真作品集なのだから写真がメインなのは言うまでもないが、添えられる文章は写真背景にある作家の考えや作品との関わりが伝わってくるべきものだと考えている。

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写真は写真集の候補写真だったが外した1枚だ。場所はヤンゴン中央駅横の陸橋で撮った1枚。ミャンマーの伝統衣装であるロンジーではなくジーンズと短めのスカート。スマートホン片手に雨上がりの歩道を歩く二人にミャンマーの「今」を感じてシャッターを押したのを覚えている。広告も軍事政権下当時と違いクレジットカードやスマホなど今どきを反映している。

写真はもうすぐ、用紙を決めるために4点選んだ写真でテスト印刷が送られてくる。形ができはじめる最初の一歩だ。

写真展は一度だけでは気付かないことがあり、回数を重ねて分かってくることが多い。写真集も同じだと感じている。才能があり器用な人は最初からできてしまうのかも知れないが、自分には自分の階段が有るのだと思っている。

雨季のミャンマーへ[2017年/8月インレー湖]

2017/8/6(日) ヤンゴンからインレー湖へ
6時にパノラマホテルをチェックアウトし空港へ向かった。前の日に朝食弁当をお願いして置いたらサンドイッチとバナナと水を用意してくれたのをタクシーで食べた。さすがに日曜の早朝は渋滞と無縁、30分で到着。定刻通り8時に離陸しヘーホー空港へ向かうがほぼ雲の中をフライトでそこそこ揺れた。最近はミャンマーの国内線もネット予約、eチケットと便利になったものだ。
空港に着くと私の名前を掲げたホテルのスタッフが迎えに来てくれていて、彼の運転でインレー湖に向かう。へーホーは小雨だったがニャウンシェに近づくと段々雨が激しくなる。ニャウンシェのボート乗り場でしいつものガイドのイーさんと合流するも益々激しくなる雨。スーツケースをブルーシートに2重にくるみ、私も合羽を2枚重ね、傘を差し出来うる対策をして出発した。ニャウンシェの水路から湖に出るところに大量の浮き草でボートがスタック。なんとか乗り切るも湖の真ん中でネジが外れたらしく15分くらいストップしたが再び動き出し11時ごろにシュエインターホテルになんとかチェックイン。厳重のしたつもりの雨対策は不完全だったらしく服はびしょ濡れだった。この日は激しい雨が1日止まず、ホテルで過ごすしか無かった。今まで雨季に何度も来ているが、インレー湖で1日降り続くのは初めてかも知れない。

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イーさんと夕食を食べていると翌日は満月なので、朝8時ごろからタウントゥー近くのパオとインダーの村の僧院で村人が集まるイベントが有ると聞き行くことにした。雨が止むことを願いつつ22時過ぎに就寝した。

2017/8/7(月) 満月のイベントと レチェ村へ
朝4時半頃に目が覚めるのはいつものこと。外を見るとまだ薄暗いが雨は降っていない。早めの朝食を済ませ、ボートで目的の村へ向かう。パオの人たちのほとんどは陸地で山の方に住んでいるが、インレー湖の水上集落に暮らすパオの村が2カ所だけあるそうで、ここはその1つだ。目当ての僧院に着くと87歳の僧侶が村人に話をしている。イーさんに内容を聞くと、仏教の話の他に、手洗いなどインフルエンザの予防など保健衛生の話や戦争中の日本兵のことなどもはなしていた。

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終った後、僧侶に挨拶をして寄進をして写真を一緒に撮ってくれた。長年ミャンマーに来ているがこのような写真を撮ったのは初めてだった。写真を撮った後私の健康、旅の安全、人生の成功など沢山の言葉を頂いた。
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僧院を後にパオの男用衣装を買いに近所のお店に向かった。昨年女性用のパオ衣装を購入し、私が支援しているNPOのイベントなどで使用したのだが、折角なので男性用もと思いイーさんに話をしたら僧院に集まっていたパオの人に聞き、お店の場所を教えて貰っていた。見せに着いてみると私が昨年ナンパン市場で女性用を買ったお店の人だった。難関だった試着し頭に巻くタオルのやり方を教えてもい、動画にも撮ったので大丈夫だろう。

お店を出て、ここもいつも行くタウントゥーのお寺をお参りした。ここは観光客はほとんど来ない静かなところで私がインレー湖で気に入っているところのひとつだ。なんとなく雲行きが怪しくなってきたので一先ず、Ann Heritagesホテルに戻りランチを食べた。雨が上がったのでガーベー僧院に向かったが到着間も無く激しい雨ギリギリでラッキーだった。
20170921-010ここは元々ジャンピンキャットで有名になった僧院だが、その猫は数年間に亡くなり今は飛ぶ猫は居ないそうだ。それでも猫は多く、雨宿りする人たちの被写体になっていた。
1時間半くらい経ち小雨になり、ホテルに戻り休憩し空模様をみながら3時半にレチェ村の仏像家族へ向かった。この一家はインレー湖の一番古くからの友人で、この10年間にいろいろなことがあった。今回は日暮里にあるミハマクロスで買った生地のお土産を渡すと喜んでくれた。いつものように写真を撮ると御礼にと5体の仏像セットをくれた。
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この時間になり今回のミャンマーで初めて太陽が出てきた。ホテルに戻ろうかと思ったがファウンダウンパゴダに寄って貰った。ここの景色も段々変わってきている。KBZのキャッシュディスペンサーができたり、スマホの大きなアンテナが眼の前に出来たりして周囲を見回すとスマホで記念撮影をしているローカルの人が多く普及の早さはすさまじい。

2017/8/8(火) 首長族、インデンとニャウンシェとマイタック撮影
朝一番でここもいつも行く首長族さんのお店へ。昨年撮影した娘が居たので、昨年会った金髪の娘の分と合わせて写真を渡した。昨年も居た彼女は1年で随分大人っぽく成った印象だった。お店の娘さん(5才くらい)が仕事をする彼女にいたずらしていたが楽しそうにあやす姿を見ていると、このお店と良い関係を築いているのが良く分かる。今回はスカーフでは無くお土産にカヤン族のバックを2個購入した。見た目はシャンバックと似ているが装飾などが少し凝っている。
そのあとIndeinへ向かう。ここは有名な観光地でもあるので雨季にも関わらず多く見かけた。少し話を聞くとスペイン、フランス、ドイツ、イギリスなど欧州から来ている人が多かった。入り口でカメラフィーを500kyt支払う。払わずに行ってしまう観光客も居るが、このお金で仏塔群の草取りなどメンテナンスをしていると思うと払うべきだと思う。

午後のフライトでヤンゴンに戻る友人と一緒にニャウンシュエへ向かい、最近?出来たの日本食レストランNOZOMIでランチ。興味本位でカレーライスを注文したらレトルトカレーらしきのが出てきて、味もそのものという感じだった。食後、友人はへーホー空港へ向かい私はイーさんと昨年寄った尼僧院へ寄り、挨拶して寄進をすると今回も全員総出で御礼に私の健康と成功を祈願してくれた。
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ニャウンシェを出て、午後の目的地マインタック村へ向かう。空が明るくなり良い感じになってきたと思っていたら前方だけ雲行きが怪しい。
20170921-012目的地はどう見てもあの方向にある。合羽を着て傘を差し雨に備えたが幸い程なく止んでくれた。
20170921-013目的の撮影が終わり、ホテルに戻るとイーさんが帰って行った。一人になり、ホテル裏手の小径を散歩し、昨年撮影したたばこ工房に行った。時間が遅かったせいかあまり人が居なく、残っていた人に写真を託した。
20170921-014昨年は無かったと思うが、日本で言えば駄菓子屋のような小さいお店が出来ていた。子供達が小銭を片手に集まっているようなお店だった。止まっている自転車も綺麗でこのあたりもいろいろな面で充実してきているように思えた。
ホテルに入ると視線を感じて見ると猫が居た。さっき見た猫とくらべると愛嬌は無いが、猫も猫なりに生きているのだろう。これでも私を出迎えてくれていると思うことにした。
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今夜は一人で夕食。メニューを見ずに焼きビーフンと魚料理、フルーツを注文した。明日はまたヤンゴンに戻り、残り3日、ノンビリ過ごしたインレー湖と違いヤンゴンは予定が詰まっている。
最後の写真はレチェ村の仏像一家の一人(右の女性)、今回私が帰るときに近くの僧院に最近彼女の一家が寄進した仏像があるから見ていかないかと誘われ案内してくれた。仏像彫りの一家だけに立派な仏像だった。彼女自身昨年から闘病が続いており、それもあっての寄進だったのかも知れない。実は今回インレー湖に向かううえで一番気がかりだったのが彼女だった。レチェに着き、彼女の姿を見たとき昨年より顔色が良くなっているように思えて安心した。まだまだ長い闘病生活が続くのだろうが、頑張って欲しいと思う。

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2017/8/9(水) インレー湖からヤンゴンへ
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雨季のミャンマーへ[2017年/8月ヤンゴン]

2017/8/5(土)日本からヤンゴンへ
朝、新宿に泊まっているミャンマーからの友人を迎えに行き山手線で日暮里経由スカイライナーで予定通り11時半ごろ成田空港に着いた。
いつになくガラガラの成田でチエックイン、出国まで30分もかからなかったうえ、ヤンゴン空港管制官からの要請で30分遅れもあり、2時間以上時間ができてしまい、ミャンマーの高校生たちは最後のお土産買いに走り回っていた。私はミャンマーの友人と話をしたり、撮影の構想その他もろもろ考えていたらアッと言う間に離陸し結局ヤンゴン着はほぼ定刻だった。入国し荷物をピックアップし到着ロビーにでると見覚えのある人たちが出迎えていた。
昨年12月に私がカメラを寄贈し、写真作品作りについて講演を行ったアート高校の校長先生や先生そして生徒の親などが一列に並んでいた。ミャンマーの高校生も安心したのか旅の疲れも見せず嬉しそうにしていた。東京からヤンゴンまで同行しただけの私にも御礼を沢山言って貰い一緒に記念写真も沢山撮った。明日の朝便でインレー湖に向かうため本来だったら空港近くのホテルの方が便利なのだが、今回はインレー湖でヤンゴンに戻り2泊する予定だったため、いつものパノラマホテルを取っていた。
ホテルへはKyaw Thu氏の友人タクシーで彼の自宅経由で向かい、ホテルに着くとZaw Min氏とホテルのレストランで食事と簡単な打合せをした。ヤンゴンに戻った翌日、今回はNUAC(National University Art & Culture)で銀塩写真製作の講演をするための内容打合せをしておこうと彼の提案だった。パノラマホテルも彼が取ってくれていろいろ融通してくれて今回もとても助かった。インレー湖で使わない荷物やヤンゴン最終日に撮影予定の友人へのお土産などはホテルが預かってくれた。

2017/8/6(日)ヤンゴンからインレー湖へ
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2017/8/9(水)インレー湖からヤンゴンへ戻る
8時にホテルをチェックアウトし、薄曇りで降られることも無くニャウンシュエに着いた。へーホー空港でもう10年近く貼られている自分の写真を観た。ラミネートコーティングしてあるため色落ちなど劣化は無い。国内線でほぼ定刻でヤンゴンに戻った。渋滞を覚悟していたがタクシーで1時間20分程度でホテルに到着。預けていた荷物を受け取り部屋で一休み。この日は夜ヤンゴン駐在の友人と食事に行く予定だったが、先ずは隣のRubyMartで大きめの雨傘を買った。雨季のヤンゴンは大きめの傘が必需品だ。夕方まで時間があるので以前何度か行ったGenkyに行き90分、10,000kytのマッサージで凝った身体を解してもらった。
適当に散歩し写真を撮りながらホテルに戻り、18時過ぎ友人が向かえに来てくれた。私のリクエストで日本食、カンドヂー蓮で釜飯を食べたが、普通に美味しい釜飯だった。
食事の後、夜のシュエダゴンパゴタに行く。2007年以来10年ぶり、夜は初めて。涼しくて静かで良い。
明後日、最終日の撮影について友人から何度か連絡が有り撮影プランがおおよそ固まってきた。20170920-001
2017/8/10(木)NUAC講演とミャンマー写真家協会
8時にZaw Minさんが向かえに来てくれた。街中を抜けるまで渋滞があったが9時ごろNUAC到着し大学の先生たちと自己紹介、挨拶を交わす。写真の学部は未だ無いが映像学部の中に写真を学ぶカリキュラムがあり、50人くらいの学生が写真を学んでいるそうだ。
私の写真集「Thanaka」は大学の図書館に収蔵されている。そして私が主にインレー湖で撮影をしていることを事前に聞いていた4年生の女性2人も紹介された。
この後の講演の後、その内の1人がインレー湖3番目の湖出身で、私が俯瞰で撮ったスナップの場所と被写体の女の子を知っていると話し、これも何かの縁だ。20170920-003
講演には最初20人くらい、遅れて来た学生も居て結局ほぼ満席の50人くらいになっていた。講演は昨年のアート高校の時の内容に、今編集を進めている写真集のコンセプトなどを加えて話をした。Zaw Minさんの通訳のおかげで上手く伝わってくれたようで今回も感謝の二文字しか無い。
Zaw Minさんの話ではNUACの学生はアート高校の生徒が今年の夏に東川写真祭に参加し、学校内で写真展を開催したことに大いに刺激を受けているそうで、大学でも真展をやりたいと学生側から提案が出ているそうだ。私が訪れ週の週末にバゴーまで日帰り撮影実習に向かうと聞いた。ミャンマーの写真活動はまだまだこれから大きく発展していくのだろう。私も出来るだけ協力できればと考えている。
公演後、記念撮影してから本日の午後の会場ヤンゴンギャラリーへ向かった。順調に移動し12時過ぎに着き近くのレストランで昼食をとった。私の隣に座っていた品の良い初老の男性がミャンマー写真家協会の名誉会長だと紹介された。
今日のイベントはミャンマー写真家協会が主催で、Wedding Photographer、Commercial Photographer, Fashion&Portrait Photographer, Travel Photographerと司会進行役の5人でステージに出て、各自プレゼンの後ディスカッション、質疑応答が行われた。オールミャンマー語のイベントだったのであまり理解できなかったが、各Photographerのプレゼンは各自バラエティに富み興味深い内容が多かった。20170920-002
途中休憩を入れて第一部、第二部の構成で18時に完了。
彼らはこの後反省会と次回に向けての会議があり、私はZaw Minさんがホテルまで来るまで送ってくれた。
今日は写真はあまり撮っていないが1日出ていたのでホテルに戻ると、外の雨空もあり隣のRuby Martで総菜など買って軽く夕食を済ませ翌日の撮影のプランを考えつつうとうと寝てしまった。

2017/8/11(金)最終日、夜は帰国へ
友人との約束は12時だったので、午前中は少し歩いて船着き場あたり往復し少し撮影した。ホテルに戻り遅めの朝食を取り10:30にホテルを出てホテルのフロントに友人の住所を見せて向かう。多少迷ったが11時過ぎに場所を確認したがまだ時間があったので近くのショッピングセンターのカフェでプレーンドーナツとコーヒーを飲み時間調整。12時丁度に行き、友人を撮影し、いろいろ話をして有意義な時間を過ごし夕方ホテルに戻った。友人の撮影については後日出会いから含めて書こうと思っている。
軽くシャワーを浴びて荷造りし17時にチェックアウトし空港へ向かった。昼に友人のところへ行くときに知り合ったドライバーに空港まで頼んでいたらちゃんと待っていてくれた。
ホテルのスタッフとも知り合いらしく、話が通じていた。
彼は英語と片言の日本語を話し、安全運転に終始していた。今度ヤンゴンに行くときも彼に頼めればと思う。

写真展に向けて[5]:写真集の編集会議その2

8月に2度目の編集会議を行った。
5月の編集会議を終えてから8月の撮影まで追加撮影の構想を練り、撮影に臨み、帰国後現像、コンタクトシート作成そして入れ替え候補写真のプリントを作り会議に臨んだ。
ミャンマーの撮影は思い通りに撮れたカットと、撮れなかったカットもあり、また撮れてしまった写真もあり写真集の全76カットのうち17カットを入れ替えた。今回も自分の意見は些細なことも含め発言した。ただ私自身の思い込みが入りすぎないよう高橋社長のアドバイスとアイディアを聞きながら編集が出来上がった。

この先、デザイナーさんとの打合せ、凸版印刷さんへ入稿日も決まった。

写真集原稿のプリントは高橋社長と相談し、再プリントが必要なカットが全体の4割くらいあるのが分かった。2013年の「Thanaka」の時、原稿プリントのトーンにばらつきがあり校正や印刷に際し高橋社長や凸版印刷の杉山さんが苦労をかけたことがあり、今回は納得のいくまで入稿プリントを仕上げたいと考えている。

次はデザイナーさんとの打合せだが、その時に
・タイトル
・本のサイズ
・表紙イメージ
・写真ページデザイン
・テキストページの割り振り

など決めるので、自分なりの候補なり方針を考えておく必要がある。

特に本のサイズは、Thanakaと同じサイズ( 200x225mm)と、一回り大きいサイズ(253×259mm)で迷っている。大きい写真の質感に魅力はあるが単価が上がりトータルのコストも当然増えることになる。また、写真集は同じミャンマーが被写体でThanaka と無関係な写真集では無く、大きく変えない方が良いとの考えもある。実際にミャンマーなどに持って行くことを思うと小さい方が扱いやすい。などなど考えて未だ結論は出ていないがデザイナーさんと打合せの時までに決める約束をした。

テキストは今回、全体で6頁にする予定だ。和文と英文併記にするため量としては3頁になる。こちらは写真のセレクトが今回の編集会議でひとまず決まったから、最終仕上げの段階になり、固まったところで英訳作業を依頼することになる。

12月の写真展だから写真集は11月後半に出来上がる予定だ。そこから逆算するとあまり余裕が無い。写真集の入稿が一段落すると次は展示プリントの製作だ。油断していると12月まで流されしまう。

写真は、インレー湖の友人一家、Thanka でこの一家の写真は7枚入っている。今回も複数枚入る。彼らに最初会ったときから10年以上経つが、その間お互い様々なことがあったことを思い出す。

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