友人宅でお昼 [ 06/August/2018 ]

雨季のインレー湖は朝は比較的天気が良くて午後から夕方にスコールが1度か2度降ることが多い。今朝は目がさめると外が薄暗い。朝食前、眺めのよい屋上に上がってグルっと見回すと雲が多い。今日は雨に降られる一日になりそうだ。ホテル脇の村に続く小径に牛が一頭、連れている人の姿は見えない。

今日の市場はインデン、観光地化が進むインデンだが丘の上にある本堂の仏像を目指して向かう道と景色が好きなのと遺跡保存方法に興味があり毎回訪れている。時より小雨が降るなかボートで向かう。雨雲は南から北に向かって早めに流れている。

インデンに着くと、友人姉妹の実家がやってる食堂に寄ると普段はShwe Inn Tar Hotelで働いているお姉さんがお店を手伝って居た、聞くと市場がある日はお店が忙しいので手伝いに戻っているそうだ。私が最初に来た2005年のころからホテルにいる一番長いスタッフでマッサージを何度もしてもらっている。今回はAnn Heritegeに泊まっているから頼めないのが残念だ。

お茶と揚げ豆腐を出してくれて食べていると妹さんも現れた。彼女は最初の写真集Thanakaの最期のページに見開きで載っている女性の一人だ。そして今回の写真集には娘さんと二人で写っている。彼女は子育てと家の手伝いなどのためかホテルは辞めているが旦那はホテルで働いている。何組か居る職場結婚だ。お腹が大きくなっていたので二人目?と聞いたら姉さんが大笑いして、太っただけだと話していた。失礼なことを言ってしまったので丁重に謝り店をでた。
遺跡の中を歩いて登っていると去年との違いに気付く。政府の役所、日本で言う文科省あたりが遺跡をそのまま残す、保存する、修復するの3つに分類しある程度保存に向けて動き出したらしい。

こちらの人たちは仏塔が古くなると白や茶色や金色のまっさらに直してしまい、元々数百年前に作られた当時の趣きを変えてしまう。それだと他所から来た国内外の観光客が来なくなってしまう危機感を持つ主に旅行関係の人たちが長年役所に掛け合って来た成果がやっと身を結び始めている。ガイドさんの説明では、ここシャン州の仏塔はほかの地域に比べ細くて高いものが多く、それは昔、このあたり王がタイのアユタヤに攻め入ったときにタイから多くの人がシャン州に来て仏塔を建て始めたことに由来するとのこと。カックー遺跡も同様だそうだ。

新旧混在の仏塔の間を登り丘の上にある本堂にたどり着いた。一番奥の本尊の前に座りしばらく眺める。寄付用の箱にお賽銭を入れ仏像に座り直し最近の報告とお願いしをした。

時計を見ると11時を回っていた。帰りは参道をまっすぐ降りてレチェ村に向かった。

昨日訪れたとき、今日のランチに誘われていた。彼らとの付き合いも10数年になり、その間に色々なことがあった。私にとっても深いつながりを感じている一家でそれは彼らも同様に感じていてくれた。そして、家族親族としてお昼を一緒にテーブルを囲み話をしながら食べたいと言われ、今日再び向かった。

レチェに着くころ、雨が激しくなり始めたが、ひどいことになる前にたどり着いた。いつものように二階に上がると普段彼らが食べている料理、おそらく少し品数を増やしたのだろう料理が出てきた。豚肉料理、魚料理、海藻サラダ、納豆、インター族伝統に煮込みスープとご飯である。飲み物はお茶、ガイドさんの話ではインター族の人たちは水よりお茶をとても好む人たちと説明してくれた、たしかにほかのところに行ってもお茶は必ずいつでも出てくる。

 

(これは納豆でシャン州の名物でこの辺りの人しか食べないとも聞いている、味は日本のと似ていた)



満腹になりそろそろ戻ろうと話をすると。また是非きてくれと言われたが、私もまた会いましょうと言ってレチェ村を後にした。

ホテルに戻る前にShwe Inn Tar Hotelに向かった。2年前に職場の男性と結婚した友人が5月に男の子を出産してホテルで仕事を少ししながら生活していると聞き会いに行った。

寝起きで少し眠そうにしていた男の子だったがとても可愛く家族3人で記念写真を撮るととても嬉しそうにしていた。

3時前、雨が上がったのでホテルに戻る。雨雲が北へ去るだろうと30分後にホテル裏のミニンゴン村へ今回の写真集のカバーに写っている少年を探しに行った。

数年前から知り合いの女性に見せるとすぐ、どこの誰か分かったようで案内してくれた。昔から話好き、世話好きそうな明るい元気な女性だ。

家に着き母親に見せると「タミー」と言ったのが聞こえた。「タミー」はミャンマー語で「娘」だ、このくらいは私でもわかる。そう、私は撮って写真を展示したりしたがずっと男の子だと思い込んでいた。

彼女は今年で9歳になり、撮ったときは7歳だった。本人はまだ学校で居残り勉強中とのことでお母さんの後に続きすぐ近くの学校に行った。窓から英語の授業が見える。教えているのはヤンゴンから来ている校長先生でなんとも迫力があり怖そうに思える。5時過ぎまで終わらないことがわかり、5時半ごろに家に行くことを伝え一度ホテルに戻った。

時間に合わせ少し早めにホテルを出て向かうと途中で買い物に行く途中の彼女のお姉さんが居た。と言っても私にはわかるはずもなく、さきほどの近所の姉妹の一人が今回もいっしょに行くと言ってくれて歩いていたからかのじょが教えてくれた。するお姉さんも買い物を中断し我々といっしょに家に戻ってくれた。家に着くと先ほどのお母さん、一番下の弟が居て家の奥の床にノートを広げ一心不乱に書いている彼女が居た。先程の英語の勉強で宿題が出ていてそれをやっているとのこと。

終わってすぐに宿題をするのは勉強熱心なのだろうと思える。英語の教科書を見ると疑問文に対する答えを書いていた。勉強が好きで将来は学校の先生になりたいそうだ。この様子だと私がミャンマー語を覚え彼女と話すより、彼女が英語を覚える方が早そうだ。宿題が終わったようなので記念撮影を頼むと初めて笑顔になり応じてくれた。彼女の後ろに写っているのは建設中の新しい家で、今は仮の家で暮らしている。

分かりやすい場所だったので再会を約束してホテルに戻った。

友人のところへ [ 05/August/2018 ]

5時過ぎに自然と眼が覚める。日本と時差2時間半は微妙にいつも残っている。朝食前、ホテル裏の道を少し散歩してホテルに戻る。日曜なのに学校へ行く姿の子供を何人か見かけたが後々理由がわかる。

朝食を食べて8時半過ぎ、今回のガイドさんがホテルに来た。髪が短くなり最初分からなかったがMa May Layさんだった、約10年前に一度会って話をしたことを思い出す。確か2007年の8月、写真家岡嶋和幸さんのガイドをしていた日本語を話す方だった。

9時ごろ、今日の市場ファウンダウンパゴダに向かった。インレー湖周辺は5日市と言われ5箇所で毎日(新月、満月の日は市場が無い)市場があり、同じ場所は5日毎に回ってくる。May Layさんが日本語で詳しく説明して貰えた。筍を竹の葉と一緒に茹でてピンク色になったもの、ひよこ豆の現物、トマト以外の水耕栽培が沢山あることなど知らないことが多かった。

数年前から市場の様子もいろいろ変わって来ている。一つはスマートフォンの普及で商売そっちのけでずっとスマホを触っている人も居る。それと電気式の秤が増えた。それまでの錘でバランスをとり測る秤が主流だったが中国製のこのような秤を多く見かけた。

パゴダにお詣りしてからYwama村のInn Shwe Pyiに向かった。見覚えのある場所が近づくと少し雰囲気が変わっているように見えたが出てきた男性は記憶の中にいる彼だった。

昨年からお店の名前をSHWE INN LAYに変えたそうだ。かヤンの人たちと話をして写真を撮りカヤンバックを6個購入した。

Facebookをやっているかと聞いたらやっているそうで友達になってもらい記念撮影。

(向かって左がNan Baby Charさん 右がChit May Kayanさんで二人とも16歳)

カヤンの人と友達になるのは初めてだったが、彼女たちにとっても日本人と友達になるのは初めてだそうだ。二人は友達で16歳だった。もう一人61歳の女性も居た。写真集を渡すと昨年ここで会って写真を撮り写真集にの載せている彼女とはNan Baby Charさんの従姉妹だった。ガイドブックなどに彼女たちを「パダウン族」と書かれて居るが、その呼び方は彼女たちにとって好まれない(侮蔑的意味が含まれるとも言われている)。彼女たちに何人か聞くとカヤン人と答えるので私はそう呼ぶことにしている。

ホテルに戻り昼食後一休みしてから仏像屋へ。今日は天気が良く青空も見える。レチェ村に着いて歩いて行くと主人が窓から外を見ていて、私に向かって手を振ってくれた。この一家がインレー湖で一番付き合いが長い。私の写真集に一番多く登場する一家でもある。私をここに導いた彼女に初めてあったときは7歳、彼女も今年で19歳になる、彼女もFacebookをやっており友達になり記念撮影、長年来ているが一緒の撮るのは初めて。昨日私のウワサ話をちょうどしていたようで翌日私が行ったので驚いて居たらしい。

ガイドさんを介してだがいろいろ話をする。こういう時私がもっとミャンマー語が話せたら楽しいのだろうが、まだまだ。いくつか聞き取れる単語があったりするが。最後に夕食を誘われたが夜はアンさんと食事する予定だったので丁重に断ると明日の昼に来て欲しいと言われランチをご馳走になることに。

あと、ここに丸いオブジェを注文にくるフランス人現代アート作家の素性も分かった。作家の女性は香港に住んでいるそうで、年に一度か二度、注文だどにここに来るとの話。今度香港に行くときに尋ねてみるのも面白いかもしれない。インレー湖の仏像屋で繋がるのも縁だ。

ホテルに戻ろうと思ったら雨が降って来たので少し待っていた。その時下の娘さんが学校から帰って来た。今日は日曜だが先日の平日休みの振替で授業があったそうだ。姉妹で写真を撮っていたら雨がひとまず止んだところでホテルに戻る、少し小雨にあったが、ホテルに着いて10分後、かなり激しいスコール、ぎりぎりセーフだった。

夜アンさんが戻り夕食、そうしたらFacebookで友達のヤンゴンに住む女性La Min Khinさんのご両親と紹介される。アンさんと友達で時々インレー湖に来て居るそうだ。

インレー湖へ [ 04/August/2018 ]

いつものように目覚ましより早く起床。外はまだ薄暗くカーテンを開けるとシュエダゴンパゴダがライトアップされてて美しい。少々ふるいホテルで従業員も元気が無く全体的にどんよりとした雰囲気だが、この景色だけでも泊まる価値はある。

8/8にインレー湖から戻りこのホテルに泊まるので写真集などインレー湖で使わないものを預けてタクシーで空港へ向かった。早朝は空いてて30分で到着。渋滞が無いと本当に快適だ。

機内で軽食は出るがお腹が空いていたので空港でサンドイッチとカフェラテを食べた。値段も味も空港らしいそんな感じだった。

ヤンゴン空港を離陸して約60分でヘーホー空港に着く。着陸前、機長のアナウンスで気温摂氏22度と涼しい。空港からインレー湖の玄関口ニャウンシュエまで40分くらい、そこからボートで約30分で定宿Ann Heritage Lodgeに到着。

いつものガイドさんが都合が合わず今回は別の方をAnnさんにお願いしていて明日朝来ると連絡があった。昨日から走り続けている自覚もあり、今日の午後はんびり過ごすことにした。去年来た時は写真集に載せる写真を撮る目的が強かった為、撮影以外で思い出せるコトが少ない気がする。今回はそこまで追い詰められて無いので撮影以外、色々な人と話を楽しみ次の作品作りのきっかけになれば幸いくらいに考えている。

ホテルで何かの研修?ワークショップ?をやっていて20、30人くらいの団体が滞在している。後日Annさんから聞いたのだが、彼らの希望でいつものダイニングルームが研修室、研修で使っていたここがレストランに入れ替わっている。厨房は動かせないのでスタッフの人たちは電話で厨房に注文を伝えたりしている。
パイナップルジュース、カボチャのスープそして焼き飯を頼んだ。10分くらいで料理が出てきた。

安定安心のランチを食べて部屋に戻りウトウトして時計を観ると16時過ぎ、薄日も差して来たのでホテル裏手ミニンゴン村の小道へ。

以前より電柱が立派になり、パラボラアンテナが増えたように思える。家も丈夫そうな建物が増えている。そもそも小道も少しづつ幅が広がりそのうち車でも来れるようになるのかもしれない。(後でホテルの友人に聞いたら乾季であれば乗用車くらいだとここまで車で来れるそうだ、でも私だったらやはりボートで来たい。それがインレー湖にやって来た実感なのだから)

インレー湖にはファウンダウンパゴダという大きく有名なパゴダがあり、そこも毎回お詣りにいくが、ミニンゴンの小さな僧院も好きな場所の1つだ。本堂内に入ると若い女性たちが大きめの座卓を囲んで何か勉強でもしているのだろうか、楽しそうに飲み食いしながら座っていた。15分くらい経った頃、彼女たちが片付け始め、居なくなると静かな時間になった。そのまま30分くらい座って仏像を眺めて過ごした。

今回は写真集「Myannmar2005-2017」が出来てからはじめてのインレー湖、お礼も兼ねて写ってくれた何人かに本をプレゼントするつもりで多めに持って来ている。
表紙になった男の子を探さねば、撮ったのが3年前だからもう大きくなっていることだろう。

そんなことを考えていたら陽も傾いてきたので僧院を出ると牛が狭い水路で行水していた。その姿を見ていたらなぜか肩のコリがほぐれるような不思議な感覚になった。このあたりが牛が多く、道を歩いていても村を訪れても多く見かける。そして牛たちが私がよそ者と言うことが分かるようで不思議そうな目でこちらをじっと見る。しばし見た後害は無い奴と私を認識したのか気にせず行水に浸って居た。もっと気楽で自由に生きても良いのではないかと言われているように感じた。

夕食まで時間もあるので記録メモを書いていたらにわか雨が降り始めた。間も無く止むと思うが、そうするともう一段涼しくなっているだろう。夜晴れて月が小さい時期だと肉眼でも天の川がよく見える。今回の滞在中一度くらいは見たい。
昨日のヤンゴンの喧騒が夢だったかのように静かなインレー湖の初日。

ミャンマーへ [ 03/August/2018 ]

平日出発の為、通勤電車を避けるようにメトロロマンスカーで大手町まで行き東京駅地下ホームまで移動し成田エクスプレスで成田空港へ向った。今回、往路はANAでヤンゴン直行で帰路はバンコク経由のタイ航空を取ってある。深夜便が寝れずに苦手なので往復昼移動にした。予定通り9:30ごろ空港へ到着、送ってあった荷物(写真集)を受取りカウンターでピックアップ。

飛行機は定刻通り出発し、iPadで借りていた映画を2本観たり食事をしていると飛行機が少しづつ高度を下げ始めた。窓から外を見ると水没しているように見える町が広がっている。ヤンゴンから少し北の辺りで先日、Facebookなどで見ていた洪水被害を思い出した。

機長のアナウンスで気温29度と日本より相当涼しいヤンゴン。最近空港からダウンタウンのスーレーパゴダまでシャトルバス(日本円で50円弱)が始まっていたがバスがホテル近くに停まらないのと今回は荷物が多いのとで断念しタクシーでホテルに向った。金曜の夕方で相当の渋滞を覚悟していたが約1時間でホテルに着いた。

いつもだとヤンゴンに着いた日はホテルの近所で夕飯を食べてホテルでのんびり過ごすのだが今回はインセインにあるカレン料理屋で食事会がありチェックイン早々にホテルを出て店に向かった。地図で見ると空港とインセインは直接タクシーで向かえば30分はかからない距離、空港から店に直接行こうかとも考えたがスーツケースと18kg程度の荷物そしてカメラなど撮影機材の入ったリュックを持ち歩きたくないので時間はかかるが一度ホテルに荷物を置きたかった。それでも渋滞があったものの約一時間で店に着き、渋滞にハマり私より遅れる人たちも居た。

そもそもカレン料理になったのは昨年、ミャンマーの国技ラウェイで初の日本人チャンピオンになった金子さんをJMCC(私がミャンマー語を勉強しているところ)ヤンゴン同窓会に紹介する食事会の話しがあり、ラウェイの本場がカレン州なのでがインセインにあるカレン料理で開催されることになった、ミャンマーは130を超える少数民族から成る多民族国家だ.私が長年通っているインレー湖もシャン州にあり、この辺り一帯に暮らす人たちはやや広い括りでシャン民族になる。シャン料理はヤンゴンでも人気で有名なレストランがたくさんある。他にも少数民族の料理は多数あるが、カレン料理はあまり聞いたことが無い。長年ヤンゴンに暮らす日本の方々も馴染みが無いという。それでも探して見つけてくれたのがインセインにある「Non Tae Ya」だった。

ミャンマーの国技である格闘技のラウェイ(လက်ဝှေ့、Lethwei)は、地球上で最も危険な格闘技と言われ、拳にはグローブを着用せずバンテージのみを巻き、頭突き攻撃も認められている。昨年12月、ミャンマーで4つしかないラウェイ王者のタイトルを、金子大輝選手が日本人として初めて獲得のチャンピオンになった。金子さんはミャンマーの英雄だけあって、町を歩いているとミャンマー人から記念撮影を求められているそうだ。

カレン料理は初めて食べた全体的に辛めの料理や酸味の強い料理が多かった。美味しかったものと辛すぎて味かわからないのがあった。

21時過ぎに近くのラペザイン(喫茶店のような店)に移動し22時過ぎまで話をして小雨が降り出したところでお開きとなった。

私は今回も小野田さんの車にお世話になり23:20ごろホテルに戻った。明日は朝8時の国内線でインレー湖に向かう。
シャワーを浴びてヤンゴンにおいていく荷物(ヤンゴンに戻る8日までホテルに預ける)を整理して時計を見ると0:00を回り、日本時間で2:30だ。いつになく濃く長く充実した1日で始まった今回のミャンマー、部屋の窓からライトアップされたシュエダゴンパゴダに手を合わせ、目覚ましを5:30にセットして就寝した。

今回のANAのヤンゴン便で初めてデザートにハーゲンダッツのアイスクリームが出てきた。小さめだが濃厚で美味しかった。今まで何度もANA便に乗っているがこれが出てきたのは初めてだと思う。

そしてヤンゴンで飛行機を降りる前、近くにいたCAさんに「今夜、この便のミャンマー語のアナウンスの声の人とヤンゴンで会います」と話したらびっくりしていた。私がミャンマー語を勉強しているJMCCの所長、マヘーマー先生の声の録音が成田〜ヤンゴン便のミャンマー語機内アナウンスで流れている。JMCCでミャンマー語を学ぶ者にとって、気が引き締まる瞬間でもある。

monochrome XVII [Documentary]

来週から始まる写真展に参加します。

今回で17回目の企画でテーマは「Documentary」、私はミャンマーのインレー湖でいつも訪れる場所で撮った一枚出品してます。
それが展示フライヤーに掲載されています。フライヤー掲載は久し振りなので光栄なことだと思っています。

monochrome展は西麻布にあるギャラリーe&mで夏と冬に毎回テーマが出て出展作家が各々出展します。私は2010年の冬の展示から参加させてもらっています。毎回多くの作品に囲まれ、この展示に参加して得てきたことは人との出会いや繋がり含めて多いです。

以下、展示案内です。

monochrome XVII “Documentary”
主催:モノクローム展実行委員会
会場:ギャラリーE&M西麻布
会期:2018年7月31日(火)〜9月1日(土)
時間:12:00〜18:00(日・月曜日休館)入場無料
(8月12日(日)〜20日(月)夏期休館)
住所:東京都港区西麻布4-17-10
電話:03-3407-5075
協賛:オリンパス(株)、キャノンマーケティングジャパン(株)、AAAコーポレーション、(株)ニコンイメージングジャパン、(株)ピクトリコ、ギャラリーE&M西麻布、KN-PHOTO
後援:DGSM Print Consortium
参加写真家(47名、五十音順)
浅田隆一郎、稲垣雅彦、エドワードレビンソン、大坂 寛、織作峰子、加藤法久、加納 満、亀山 仁、木村直人、桑原史成、小菅琢哉、齋藤康一、BAKU斉藤、酒井久美子、佐藤 理、佐藤 真、杉山宣嗣、鈴木英雄、大門美奈、多木和夫、竹内英介、達川 清、谷 雄治、中川十内、中島秀雄、中道順詩、永嶋勝美、長嶋正光、長濱 治、南雲暁彦、沼田早苗、ハービー・山口、萩原佳一、HASEO、英 伸三、原 直久、HARUKI、広川泰士、福原 毅、藤井英男、細谷秀樹、舞山秀一、松田敏美、両角章司、山口一彦、山田愼二、渡邉 肇