PHOTO ONE 2019 Taipei

4/26(金)-28(日)まで台北の芸術中心(Art Center)で開催されたPHOTO ONE 2019に冬青社のメンバーとして参加してきた。イベントはポートフォリオレビューやスライドショーそして、PhotoBook Fairがあり、私はPhotoBook Fairに写真集「Thanaka」と『Myanmar2005-2017」を持ち込んだ。
結果、両方とも6冊づつの12冊が台湾の人の手に渡った。ひと月前に参加した香港でPhotoBook Fairに比べると近いこともあり、日本から参加しているブースが多く、知人も何人か来ていた。

ポートフォリオレビューを受ける人は熱心に本を見て中には複数冊まとめて買っていく人もいた。また写真関係の学生と先生も多く見かけたあたりは香港と少し様子が違っていたように思えた。事前に聞いていたのは「英語はあまり通じない」とのことだったが、流暢に話す人もいたし、学生さんも片言ながらも熱心に話をしていたことは印象深かった。私も何人からか質問を受けた。

・なぜミャンマーなのですか?

・なぜ白黒写真なのですか?

・2冊の写真集でトーンが異なるのはなぜですか?

などなど、他にも聞かれたことが無いような質問もあり正直驚いた。

今回、2冊セットを2人の方が購入してくれた。1人は大学で写真を教えているフォトグラファー、もう1人は職業は分からなかったが写真集を熱心に見て一緒に居た仲間?と「写真集の編集」についてあれこれ議論していたように思えた。

また、若い頃ロンドンに4年留学していた初老の男性が、Myanmar2005-2017は購入してくれたが、「私も写真集を出版している、これから1度家に戻り持ってくるから見て欲しい。そして気に入ってくれたらThanakaと交換して欲しい」と流暢な英語で提案された。1時間ほどで戻り写真集はアンコールワットを丁寧に撮り、纏めた一冊だった。それをTnanakaと快く交換し再開を約束した。

今回、金曜土曜は朝10時から夜10時までの長丁場、最終の日曜は夜6時半までで、複数回会場に来て本を見て回り最終日に買いに来る人が多かった。決して安く無い写真集、選ぶのも真剣だ。私の本では無いが冬青社の写真集で、欲しいが予算が足らないから値引きできないか?と聞いてきた学生が居て、最終的に終了時間が近づいた頃に友人にお金を借りて買っていた。

 

最終日、終了撤収後関係者で打ち上げがあり、いろいろな人たちと話もでき、料理も美味しく楽しい台北滞在となった。海外のイベントも回数を重ねると今まで気づかなかったことに気づいたり課題を見つけたりと学ぶことも多かった。

香港 PhotoBook Fair 2019

3月29日(金)から31日(日)の3日間、香港で開催された”HK PhotoBook Fair 2019”の冬青社ブースの一員として参加して来た。毎年、香港アートバーゼルの開催期間に合わせてアートバーゼル会場近くの芸術中心ビルの地下が会場になっている。

私自身は2014年(HK PhotoBook Fairの第1回)に参加し、昨年2018年に続き3回目になった。

写真は、左から参加写真家、渡部さとる氏、香港在住で渡部さんの友人Paulさん、Photographer HAAL氏、冬青社高橋社長そして私だ。今回、Paulさんには夕食をご馳走になったり、地元の美味しいお店を教えてもらったりと我々メンバーとてもお世話になった。今度東京へ来るときは我々で盛大におもてなしをすることになるだろう。

2014年、私は2013年に出版した写真集「Thanaka」を持って参加したがその時は確か2冊しか売れなかった。後1冊は他のブースで参加していた香港在住の若い写真家の本と交換しただけだった。2017年末に2冊目の写真集「Myanmar2005-2017]を出版したので2018年は久しぶりに参加したがその時は極端に偏った売れ方だった。「Thanaka」は全く売れず、「Myanmar2005-2017」は9冊売れた。特に2日目の土曜だけで7冊売れて私含め高橋社長も驚いていた。しかしその時「なぜここまで偏るのか?」との疑問が残り原因?要因?を後々高橋社長と考えた。そこで社長から出た推測・仮説?は「”Thanaka”の表紙に”Myanmar”の文字が無いので何の写真集か分かりにくいためでは無いか?”Myanmar”の文字を透明なシールなどで追加してはどうか?」という内容だった。
私は正直、半信半疑だったがそのアドバイス通りに”Myanmar”の文字の透明シールを作り表紙の右上の方に貼り付けた。

 

その結果、今年は写真集『Thanaka」が7冊、「Myanmar2005-2017」が8冊の売上となった。特に金曜と土曜の夕方までは「Thanaka」しか売れず、手に取る人を見ても「Thanaka」の方が圧倒的に多かった(感覚的に5:1くらい)。シール1枚でこれだけ違いが出るとは、これもまた謎が残った。

今回、8×10インチのバライタ印画紙のプリントも持参し、写真集の特別セットとして用意していたが、結局売れたのはプリントだけが1枚だった。それでも買ってくれた若い男性はとても嬉しそうにしていて「インスタやってますか?、フォローしたいです」と話してたのは今風だ。また、ブースを出していた北京の出版社&ギャラリーが販売用に購入してくれたのも嬉しいことだった。冬青社では先日亡くなった須田一政氏の写真集を2冊出版しており、その北京の出版社&ギャラリーも土曜に残っていた須田さんの殆どまとめて買って(仕入れ)いった。その須田さんの本と一緒に私の写真集も買っていってくれた。私のような無名の写真集を仕入れると言うことは多少なりとも何かを感じてくれたのだろう。今後そこで売れるようになれば追加注文がくることになる。

また、先日横浜の綱島で会った香港在住のアーティスト(Roseさん)の友人が経営しているフランス語書籍を集めた本屋にも無事行くことができRoseさんの娘さんとも会えた(娘さんは毎週土曜にここでアルバイトしているそうだ)。香港に暮らすフランスの人たちに友人が増え次回以降楽しみだ。回数を重ねると人の繋がりが増えてくる。

次は4月末に台北のイベントPhoto Oneに参加し冬青社ブースに立つ予定だ。

不思議な縁

先日まで横浜の綱島にある旅カフェ「Point Weather」で2週間ほど写真を展示させてもらっていた。

そこに香港在住のフランス人女性が訪ねて来てくれた。ここに至ったのは私が3/28からHK PhotoBook Fairへ参加するため香港へ行くので都合が合えば話をしてみたいと思い、彼女のサイトからメッセージを送ったのがキッカケだった。しかし彼女はその時期香港に居ないが3日間東京へ行くからどこかでお茶でもしましょうとなった。

東銀座界隈に滞在予定と聞いていたので、都内で会おうと思っていたが、せっかく展示しているので綱島まで来ないか誘ったところ来てくれた。

そもそも彼女とは面識は無かったが数年前から不思議な縁を感じていた。

私と彼女を結び付けているのはミャンマーのインレー湖にある仏像屋で私が2006年から訪れているファミリーだ。数年前、いつものように彼らの家に入ると大きな金色のボールがいくつか有った。球状のもの作りかけなのか半分になっているものなどなど。

彼らに「これは何?」と聞いたら「香港の人から依頼されて作っている」との教えてくれたがどうも話がよく分からなかった。そして毎回見かけつつあまり深入りせず金の玉を眺めていた。
2018年8月、訪れると展示のパンフレットを見せてくれた。それを見て彼女がモダンアーティストで作品作りをここに依頼していたのだった。パンフレットを見ると香港在住、ウェブも見つかりメールアドレスも見つけ急に彼女との距離が近づいた気がした。

カフェの小さなテーブル、というよりちゃぶ台を挟み畳に座り話をして気づくと2時間が過ぎていた。お互いの自己紹介や仏像屋に至った流れなど。
私が彼女の作品を観ていたように、彼女も私の写真集を仏像屋で観ていた。

ミャンマーの小さな村にある一軒の仏像屋が繋いだ縁を綱島のエキゾチックなカフェで感じたひとときだった。彼女はPoint Weather をとても気に入ってくれたようで店内の写真をたくさん撮り友人に紹介したいとお店の名刺を数枚持ち帰って行った。

いつかインレー湖の仏像屋で集まっていろいろ話をするのも楽しそうだ。

 

彼女のサイトがこちら

 

ミャンマーへ行ったきっかけ

1月の終わりから2月下旬まで鎌倉にある友人のクリニックに写真を展示していた。クリニックなので在廊することも無く期間がすぎたが搬出の時友人の話では多くの患者さんが観てくれて、置いておいたテキストも手にとってくれていたそうだ。

3月12日から24日まで横浜の綱島にある旅カフェ「Point Weather」で写真を展示している。

こちらも在廊してない時間が多いため顔写真を入れた自己紹介と写真の説明を作ったのをそのまま置いている。

その最初に書いたのがミャンマーへ行くようになった話。


2005年、私がミャンマーへ行くきっか けは、写真のワークショップなどでお世話 になっていた写真家渡部さとる氏が募集し ていた「ミャンマー撮影ツアー」だった。 ツアーはタイのバンコクに住む日本人男性 とミャンマーのシャン州にある風光明媚な 観光地インレー湖でホテルやレストランを 経営する女性(ミャンマーの最初の友人)が コーディネートし、当時貴重だったエアコ ン付きのマイクロバスで移動し四つ星以上 のホテルに泊まる。ツアー参加費の一部が 学校や孤児院を作る活動に寄付となり、そ の学校へ訪問するなどが含まれていた。あ のころミャンマーと言われても殆どの日本 人は「映画ビルマの竪琴」と「アウンサン スーチーさんが軟禁されている怪しい?国」 くらいしか知らなかったし、私もその1人 だった。入国にビザが必要で取得のため大 使館へ2回行く必要があり、申請にサラリー マンだったら源泉徴収票、自営業だったら 過去数年分の確定申告の提示が必要でビザ 申請費用は銀行振込なのだがATMでは受 付不可、窓口に行き書類を書かねばならな いなど“ただならぬ国へ行く”など思ったこ とを思い出す。
バンコクに一泊し翌朝の飛行機でヤンゴ ン国際空港に着くとゲートは無くタラップ を降りて迎のバスに乗った。そのバスが“神 奈川中央交通”だった。これは私が通勤な どに使っている馴染みのあるバスで押しボ タンや他にも日本語表記がそのまま残って いた。これが私にとってミャンマー第一歩 だった。
空港や政府(軍)関係の施設にはカメラを向けないなどいくつかの説明を受け「どんな街なんだろう?どんな人たちが暮らしているのだろうろ?」など不安と期待が交錯していた。
空港を出て用意された日本のどこかの旅 館名が残っていたマイクロバスに乗り街中 へ向かう。車窓から街並みを見ると全体的 に古びている。車は15年以上前の日本車 がたくさん走り、ある意味懐かしくも思え る。バンコクにたくさんあった高層ビルや 華やかなショッピングセンターも皆無、軍 事政権下で経済制裁を受け半鎖国状態が続 く国の首都(この頃はヤンゴンが首都で後 にネービードーに遷都された)の現実を目 の当たりにした。そんな街並みや経済状況 を他所に人たちは穏やかな表情で我々に優 しく微笑む。軍事独裁、経済制裁、半鎖国 と言われれば、そこから連想される国の人々 のイメージとはかけ離れていた。今思えば この時の印象は今でも私がミャンマーへ撮 影に通い続ける源になっている。
訪れる回数が増えると、楽しいことばか りで無く負の部分(医療や教育の問題など) も知るようになった。
ミャンマーの人たちの気質は日本人に近いと私は感じている。物ごとをあまりはっきり言わなく自己主張も控えめ。しかも私が訪れているインレー湖のあたりは顔立ちも日本人に近い人が多く一層そう感じる。
多民族多言語、宗教に深く根ざした生活 などほぼ単一民族・言語で島国、宗教心の 薄い日本人に想像し難い社会だ。それゆえ ミャンマーが長年に渡り抱えてきた少数民 族問題なども未だ山積している。


2019年の始まり

2019年が始まり20日が過ぎた。年末に引いた咳風邪で年末年始は予定していたプリントもできず図書館で借りた本など読み終わってしまった。
それでも、今年前半は写真を展示する話がいくつかあり、その準備は少しづつ進めていた。
鎌倉の友人のクリニックで写真を11点展示させてもらっている。今のところ2月末ごろまでの予定。

クリニックの壁にピクチャーレールが設置されており、壁は常に書や絵画や写真その他何かしらのアートを飾り患者さんに楽しんでもらっているそうで、数年前に一度展示させてもらっていたので今回は2度目になる。月に一度通院する方が多いため1ヶ月以上の展示を続けているとの話。
先生は国内で災害が発生したら真っ先に現地に入り医療活動を行ったり、社会的に弱いと言われている人たちの支援を積極的に行っている友人の中でも尊敬しているひとりだ。展示にあたり、待ち時間に読んでもらえればと各展示作品にテキストを書き少しでもミャンマーについて知り興味を持ってもらえればと思っている。

この後は3月と5月にも展示の予定があり、そちらの準備も少しづつ進めていきたい。時期が来たらSNSを含め広報活動を始めていく。
展示する場所を考えると各々観てくれる人たちが異なるため、それぞれを意識した用意が必要になる。

今回の展示に向けて書いたテキストの一部がこちら


「ミャンマーへ行き始め10年以上が過ぎた。最初ころは行くと楽しいし人々のなんとも言えない微笑みに癒され満たされるためだったと今は思っている。その中で出会った人たちや彼らの暮らしを写真に撮り続けていく過程で写真展や写真集出版を意識するようになった。写真を撮るうえで彼らの文化や歴史そして宗教について少しづつ知るようになり、セミナーなどで話を聞いたり本を読み見識を深めようとしている。
先日、ミャンマーで観光業に従事しているミャンマーの友人が来日して講演する機会があり興味深い話を聞いた。ヤンゴンの空港で帰国する人たちに「ミャンマーで1番印象に残っていること」をアンケート調査した結果7割の人が「人々」と答えたそうだ。他の選択肢は「遺跡」、「自然」、「料理」、「街」などあったが「人々」が大多数だった。最近読んだ本で知った「ビルメロ」と言う言葉の存在、戦後まもない頃から言われているそうで、日本人がビルマ(ミャンマー)へ行くとその国民性などにメロメロになり何度も通うようになる意味だと知った。なるほど私もその1人なのだろう。
20世紀になりイギリスの植民地化、太平洋戦争で日本の侵攻、独立後の軍事独裁政権など社会背景を見るとこのような国民性が醸成されてきたのが不思議なくらいだ。ここ最近、民主化が進み経済発展、アジア最後のフロンティアなど報道されているが実情はまだまだ不安定だ。アウンサンスーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)が選挙で大勝し政権を担っているが現憲法ではスーチー氏は大統領になれない。憲法改正には大統領の署名と国会の76%以上の賛成が必要だか憲法で国会議員の25%は軍人が割り当てられている。さらに警察や地方の役人などは軍管轄にあり、未だ未解決の少数民族問題や治安維持に政府は軍に協力を取り付けなくてはならない。可能性は低いと考えたいが再びクーデターが起こり軍事政権にならないとも限らない。社会に不安や不満の裏返しが信仰心なのかもしれない。

私自身、ミャンマーに行くようになり様々な理由でミャンマーに、ミャンマーの人たちから多くのものをもらい救われたと考えている。
そのことに対して自分でできることで恩返しをしたいと思いミャンマーで活動しているNPO法人の手伝いをしたり、ミャンマーで支援活動している人に写真や写真集の売り上げの一部を寄付している。また、ミャンマーに写真文化を根付かせるために活動しているミャンマーの友人を支援することも私にできる恩返しになるのだろう。」



今年は5月にミャンマー祭りが増上寺で開催される。今回は事前の準備からできることから手伝いをさせてもらっている。また、ここ数年続けている雨季の8月にミャンマーへ撮影に行く予定だがその後、乾季にもう一度撮影に行きたいと計画している。

最後に、年末にネットオーダーで作ってもらった16×20インチフレーム運搬用段ボール箱、思っていた通りの効果を発揮してくれた。最小限のスペースで安全に運ぶことができた。フレームを増やせればもう2箱くらいは手持ちの台車に乗せられそうだ。