ミャンマーのホストタウン「鶴ヶ島市」へ

先日、ある方に会うために埼玉県鶴ヶ島市へ行ってきた。鶴ヶ島市は2020年東京五輪に参加するミャンマー代表のホストタウンになっている。鶴ヶ島がホストタウンになったきっかけと今回私が会いに方とは大いに関係がある。

私がミャンマーを訪れるようになり友人知人が増えていく中で何度となく聞いていた「今泉記念ビルマ奨学会」。その存在は知っていたし、その奨学金で日本へ来た方にも何人か会ったこともあった。それを設立されたのが鶴ヶ島在住の今泉清詞氏だった。今泉氏は第二次世界大戦中、ビルマ(現ミャンマー)へ派遣され史上最悪の作戦としても知られている「インパール作戦」から生還され、帰国後鶴ヶ島で事業に成功し、「奨学金」を設立しミャンマーの若者に様々は機会を作り、日本とミャンマーの関係を築いてきた。そのような経緯からホストタウンに繋がったとの話を全鶴ヶ島市長の藤縄氏などから伺っていた。

今年で95歳になられたが、まだまだ元気で、私が訪れた時も丁度、出先から帰宅された時だった。

最初に私自身がミャンマーと関わるようになった経緯や現在の活動など紹介させていただいた後、事前に考えていたことをいくつか伺った。

その中で印象に残っている言葉がいくつかある。

「ミャンマー(ビルマ)は第二の故郷だから、ミャンマーに対して何か活動している人と会うのはとても嬉しい」

「オリンピックに向けて鶴ヶ島とミャンマーの繋がりができて感謝している」

戦争中の話では

「遺骨も遺品も持ち帰れなかったことをずっと申し訳無いと思い続けてい生きている」

「昭和49年にミャンマー国内6カ所で慰霊を行ったが、どこに行って聞いてもイギリス植民地から解放してくれた日本に感謝していることに驚き、うれしく感じた。後方から補給無くインパールから敗走中で食料を地元から徴用したり、労役に連れ出したり酷いことをしていたから、歓迎されることは無いと思っていた。しかし、どこに行っても大勢の人が集まりお祭りのような騒ぎで歓迎してくれた。”我々を救ってくれる神は東から来ると言い伝えがあり、それが日本だと信じていた。イギリの植民地政策はひどくてそこから解放してくれたことは感謝以外の何者でも無い”と答えが返ってきた。」と話をされていた。

数年前、私がいつも訪れているインレー湖の村で知り合った女性は子供のころ、ここに日本の兵隊さんがたくさんいて遊んで貰ったり、貴重だった塩を貰ったりしたと話を聞いたりと戦争当時の日本人とビルマの人たちの関係に少なからず関心を持つようになっていたので、半年くらい前からビルマ戦線に関する本をいろいろ読んでいて今回、今泉さんから直接話を聞くことができたのはとても貴重な経験になった。

そして今泉さんがこの日の最後に話した言葉「戦争は勝っても負けてもだめ、絶対に起こしてはいけない」は昨今の日本を取り巻く世界情勢を俯瞰すると重みを感じる。

写真は昨年8月に鶴ヶ島市で開催された水掛祭りイベント開会式、現鶴ヶ島市長さんの挨拶で来賓席に今泉さんも酷暑の中出席されていた。

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