写真展に向けて[3]:写真集で得たことと次へ

2013年に6月に冬青社から亀山仁写真集「Thanaka 」を出版した。

これは2005年から2012年までに訪れたミャンマーの主にインレー湖で撮影し、そこに暮らす人たちのポートレート、スナップ写真そして彼らを取り巻く風景で構成されている。「Thanaka」は日本語で”タナカ”と発音し、ミャンマーで主に女性や子供が頬や額等に塗っているクリーム色のモノ(写真の女性が頬に塗っている)。柑橘系の木の幹を水を垂らした石の上ですりペースト状にし塗る。私も現地で塗って貰うが冷やっと涼しく日焼け止め効果がある。

写真集を出版して得たと思うことはいくつかある。

先ずは、自分の写真を多くに人に観て貰える可能性を広げることが出来るようになったことだ。かといって何もしなくてもそれなりに売れていき在庫が順調に減る訳では無いのは分かっていたが、自分の写真を展示する機会や何かのイベントに参加するとき、私の場合で言えばミャンマー関連の人たちが集まる場があれば持参し、観て貰い、気に入れば買って貰うことができる。初対面の場合でも私がミャンマーに行き撮影を続けて作品を作っていることを知ってもらう上で本が一冊あるのは大きい。ある程度、私のバックグラウンド含めて信頼になってくれる。
それと、これは全く予想していなかったが2013年8月に日本図書館協会の選定図書に選定されたと連絡が来た。この効果か全く無名の私の写真集が何カ所かの図書館に所蔵された。第三者に認められたことは素直に嬉しい。

これから12月の展示に向けて新たな写真集を作ろうとしているのだが、2013年6月の出版から今に至るまでの時間を活かして納得のいく本に作り上げていきたい。

私が写真集を作りたいと考えるようになったのは、ギャラリー冬青で観た展示にとその写真集を手に取った時だった。2009年3月に展示されていた小栗昌子氏の「トオヌップ」と同タイトルの写真集を観た。展示を観た時に訴えてくる勢いがあり厚みのある良い展示だと感じながらギャラリーを何周かしたと思う。そしてテーブルを見ると同じタイトルの写真集が置いて有った。手に取ってページをめくると最後まで食い入るように観た。そしてもう一度最初から。さらに気になるページをもう一度。そして最後に書いて有った文章を読み何かが頭からお腹に落ちて行ったような感覚を覚えた。この時を契機に写真集を見るから読み解くようになった。写真の並ぶ順序や空白ページの意図、テキストとの関係性など合わせて考える機会が増えた。写真集を購入するのは基本的に読み解きたくなる場合が多い。

そのころ私はミャンマーの撮影を数回重ね、手応えのある写真がある程度貯まってきていた。近い将来写真展や写真集にまとめたいと考えるようになった。しかし実際に作るとなるといろいろ考えるコトが多かった。自分が作る写真集にどれだけの価値が有るのか、決して少なくないお金と時間をかけてまで作ることに対する対価、リターンなどを考える必要が有るのか無いのか。本を出した先にどんな世界が広がるのだろうか。そんな中数年経った時、写真集の可能性を高橋社長の目で見てもらう機会を作ってもらった。今思うとコンセプトもはっきりしない中、いくつかのアドバイスを頂き進み始めることができた。

写真集を作るためにはいくつかの要素が必要になる
・写真
・コンセプト(タイトル、テーマ)
・セレクトと編集
・印刷、製本
・販路(販売戦略)

写真集の作ろうと考える時点で“写真”はある程度まとまっているはずだ。“コンセプト”がはっきりしていると“セレクトと編集”順調にすすむのだろうが、実際はセレクトと編集の段階でぶれたり戻ったりの試行錯誤になる。最近写真に言葉・文章が必要かとの議論を見聞きするが、展示でも写真集でも基本は9割写真で決まると思う。ただ写真に言葉が要らないかと問われれば、私の場合は必要だと思っている。写真を観ただけで伝わるのが理想のひとつだとは思うが言葉で補い深めることができると思う。それは世に有る写真集を観たときにテキストを読むことでそう感じるからだ。

自分の場合は写真のセレクト・編集を進めながらテキストとタイトルを作り上げていくことになりそうだが、4月に予定している編集会議までに、自分なりのセレクトを考えコンセプトと合わせて持参できるよう準備を進めたい。
写真集の編集はもし、自分1人でやるより信頼できる編集者にある程度任せることを勧めたい。譲れないところははっきり主張し、作家の意図を重視し本全体にリズムを与えてくれると思う。前回の時は7〜8割方任せて作り上げたが今回はコンセプトを組立てて纏めて行きたと考えている。編集会議に提案してどのような方針になるかわからないが譲れないところはしっかり通していこうと思う。

印刷のクオリティは、最初、原稿(プリント)に大きく依存するのは確かだが、展示用として仕上げたプリントが最適かと言うと異なる場合もあるのは前回の出版の経過とその後に、有識者の話から学んだ。これも今回に活かすべき点だ。

印刷に必要な版製作からは信頼できるプロフェッショナルに任せる。プリントのトーンを出すのと印刷することは根本的に異なる。私のプリントと版製作を行うディレクター氏の間に編集の高橋社長が入り、印画紙プリントと印刷の翻訳を行う。この翻訳は製版指示のみならずインク調合指示も含め印刷し製本した写真集で再考のパフォーマンスを発揮できるよう、凸版印刷と培ってきた技術と経験が活かされる。この作業は近くで見ていても正直理解できるものでは無い。版が完成し実際の印刷立ち会いの2日間で謎だった指示内容が少し理解できた。

最後に販路、売ることを考えておかないと在庫の山を抱えることになる。幸い安価で保管してくれ、必要な時に必要冊数を送ってくれる業者さんを紹介して貰い、ありがたいが、1冊ずつでも買ってくれるの目に触れてもらう機会を作っていく必要がある。ミャンマー祭りの「日本・ミャンマー交流写真展」で展示するきっかけも写真集だった。2013年10月に東京芝増上寺でミャンマー祭りが開催されると知ったとき、ミャンマーに興味のある人達が集まるイベントなので私の写真集に興味を持つ人も来るはずと思います事務局にコンタクトしたことがきっかけで今に繋がっている。

2014年からミャンマーへ撮影に行くときも何冊か写真集を持参している。そしてヤンゴンの芸術大学の図書館やアート系の高校に縁ができ寄贈した。FacebookなどSNSでその様子など知り、いずれはミャンマーの書店などで販売できるよう模索していきたい。合わせてミャンマーの写真家の友人も増え、ミャンマーの写真会の状況も少しずつ知ることになり、今後私も協力して行きたいと考えて、その中で彼らと一緒に展示できる機会があれば参加したい。

Cover of Thanaka

写真集の表紙にした1枚。構図、タイミングとも整い自分にとっても印象深い1枚だった。デザイナーさんからみてもタイトル配置などしやすく、編集会議で表紙はすんなり決まった。

1st img of Thanaka

編集会議の時、最初の写真にと希望した1枚。撮ったときの印象より、プリントして作品をまとめるうえで大きなきっかけになった1枚。3度目のミャンマーのインレー湖初日、夕暮れ時に手漕ぎならぬ足漕ぎ(インレー湖で湖上集落で暮らすインダー族は片足で櫓をかつぎボートを進める)ボートでホテルの近くを回っているときに出会った親子。振り返るとこの1枚が撮れたことで写真集を作りたいと漠然と考え始めたと思う。

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