ヤンゴン4日目,学校を建てる [ 11/August/2018 ]

朝起きると今日も薄日が射している。今回のヤンゴンはひどい雨に会うことが無く運が良い(昨日、少し遭遇したが動けなくなるような状況は無い)。

10時にホテルに迎えがくるので少し早めにフロントに降りると約束の時間より15分くらい早く来てくれて順調に出発。

Nay Myo Zinさんは世界各国のミャンマーの人たちや国内から寄付を集め学校を作っている。正確には既存の学校の古くなり壊れたり、老朽化で危険になった校舎を建て替えている。他にも村人が使う橋を作ったり、井戸を作り水を高い位置に設置したタンクに貯めて家に飲み水を供給するシステムを作っている。まだまだ行政が行き渡らないところを補っている。私は今までミャンマーへの恩返しと考えて自分に出来ることで支援をして来た。その殆どが日本のNPOなどを通した支援だった。しかし、当たり前だがミャンマーで自国のために活動している人たちもいるわけで、そこに支援することができれば、それも恩返しのかたちになる。

彼を紹介してくれたのは彼のお兄さんと結婚した日本人女性だった。ミャンマーに行く前にメッセージをくれて今日のセッティングを全て整えてくれた。彼の弟さん(Eain Linさん)は日本に5年くらい居たので日本語が話せる。だからわざわざ彼と弟さんの2人の都合を調整してくれてヤンゴンから車で行ける場所を選び連れて行ってくれる。私がミャンマーへ行くようになり何度かキーになる人との出会いがあったが今回もそうなりそうな1日に期待が膨らむ。

車の中で弟さん(Eain Linさん)がいろいろ話してくれたが、Nay Myo Zinさんは元々軍に居たが軍政を批判して2度インセイン刑務所に投獄されたそうだ。その2度目が懲役10年だったのがNLD政権になり恩赦で出てきたと聞いた。

Nay Myo ZinさんはFacebookのフォロワーが50万人居るミャンマーでは有名な方で何人かに聞いたが皆彼のことを知っていた。

Nay Myo Zinさんは前日まで地方に次の学校候補を見に行っていて私と会うために戻ってきてくれたようなことが後に弟さんの話で分かった。

日本の支援で開発が進むティラワ工業団地に繋がるタンリン橋を渡り左に曲がると田圃の一本道をひたすら進む。ヤンゴンから車で少し来ると一気に景色が変わる。1時間半くらい走り目的の村に到着した。

ここの学校は先生が昨年11月に2人から5人に増え、生徒はKGからG4まで40人いる。村全体の子供の就学率は半分くらいだそうだ。学校が新しくなり広くなりれば学校に来る子供達も増えるだろうと話していた。先生の送迎をボランティアで村の人が車を出すなど、村長さんも学校の充実に積極的でいろいろな意味で期待の学校だそうだ。新校舎の建設はほぼ終わり来週木曜に正式な引き渡しにイベントがある。

古い校舎は築40年を超え一部床が虫に喰われ使えないスペースもできているそうで、新校舎が重要なのがよくわかる。

学校は休みだが子供達の遊び場になっていて遊具で遊んだり、サッカーをしたりしていた。

子供達や先生の写真を撮り学校をでて、途中のショッピングセンターの中華で少し遅いランチ。ヤンゴンの郊外に車でくるようなショッピングセンターがどんどんできているそうだ。

ダゴン地区にある彼らの事務所「WE DO for MYANMAR」に寄り、写真集を渡して私の今までの活動や今後考えていることなど、いろいろ話をした。先行きの不透明ことも多いミャンマーで彼からの考えで国の未来を作ろうとしていることはよく理解できる。写真集のお礼に団体のTシャツを何枚かもらったので何かの時に来てみようと思う。

事務所はダゴン地区にあり、近くに昨年訪れたNUACがあった。

車でホテルまで送ってもらい部屋で一休みして外を見たら虹が出ていた

明日の帰国に備え荷物を整理して部屋でくつろいているとZAW MINさんから電話で予定通りヤンゴンに着き家に戻る途中で18:30ごろホテルに迎えに行きますとのこと。前にも行ったシンガポール中華飲茶で食事をして日本の東川のこと、私は今回のミャンマーのことなど話して21時ごろホテルにもどった。彼が執筆したストロボを使った撮影の本を一冊もらった。ミャンマー語で書かれているのでミャンマー語の勉強になるかと思う。内容は実例を多く載せ基本は分かりやすく、知りたい人には計算式を使い理論的な説明も載せている。日本でもここまで詳しいストロボ撮影の解説は見たことがない。

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