高校生国際交流写真フェスティバルとミャンマーへ

現在、北海道東川町で開催されている高校生国際交流写真フェスティバルにミャンマーが初参加している。

http://i-hsspf-e.hjk.ne.jp/index.html

ヤンゴンのフォトグラファーの友人が数年前から計画し実現した。私も昨年末に日本の友人達から使わなくなったデジタル一眼レフカメラの寄付を募り持って行き、僭越ながら自分の作品作りについて講演をさせてもらった。数年前の政治状況、経済状況からすると想像出来なかったが、これも経済発展と共に世界に開かれていくミャンマーを実感出来る。

高校生3人は東京に立ち寄り、浅草や皇居とTopミュージアム(東京都写真美術館)にも行くそうだ。そして8月5日(土)のANAで帰国する。

偶然にも、私は同じ便でミャンマーへ撮影に行く。なので土曜は成田空港までそして出国し帰国まで私がアテンドすることになっている。初の海外・飛行機そして各国との高校生や日本との交流を終え帰国する彼らのとの再会は楽しみだ。

私は8/5に出て8/12早朝に帰国する6泊8日の行程だ。ヤンゴンに1泊しインレー湖に3泊、そしてヤンゴンに戻り2泊で戻る予定だ。

2005年12月からミャンマーへ行くようになったが、当初ヤンゴンは通過するだけだったが、ここ数年、ヤンゴンに友人が増え、ヤンゴン泊が増えている。これは単なる撮影だけでなく、より深くミャンマーと関わるようになったということなのだろう。

12月の写真展そして写真集に必要な写真を撮影するのが最大の目的になる。帰国後の予定を考えると理想は最低限の撮影本数で成果を得ることを考えねばならない。ただそれで撮影の幅が狭くなり”写真の持つ意外性”を小さくするのは本末転倒になってします。

8月は雨季真っ直中のミャンマー、特にヤンゴンは大雨で道路が冠水している写真をSNSなどで見かけるが、ほどほどにして欲しいは正直なところ。

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写真展に向けて[4]:写真集の編集会議その1

5月に第1回の編集会議を冬青社で開催した。前回出版の時は候補写真は印画紙もサイズもまちまちで並べて見たときにフラットな目線で見難かったので今回は編集用として⒏5×11インチのRCペーパーに候補写真を全て揃えてトーンもある程度合わせて会議に臨んだ。

前回の写真集「Thanaka」では写真は79点、今回も同じくらいのボリュームと考えている。昨年末の打合せでコンタクトシートからラフセレクトした写真を含め約300枚の候補になった。

それをいくつかのキーワードで分類し、自分なりのセレクトを考えていた。

「Thanaka」はそれまで撮り貯めた中から私が入れたい写真を選びそれを軸に流れを作りながら全体構成を整えて行く編集だった。撮影した時期、ミャンマーが軍事政権で社会的に大きな変化は無かったし撮影地はほぼインレー湖とその周辺で場所や時間をあまり深く考慮する必要は無かった。

そして私自身初めて写真集編集だったためどうしても高橋社長に依存気味になっていたと思える。

今回は2011年のテインセイン大統領就任とともに民主化が始まりアウン=サン=スーチー氏率いる政権に変わり経済発展が進む過渡期に撮影している。なので「過渡期のミャンマー」を意識した作品集になる。それを表現することが重要になる。

そのことは高橋社長に今回の写真集を作りたいと話した時から伝えており、それを具体化するためのアイディアをいくつか示してもらい、そこから編集方針を決めてギャラリーの床に並べ編集が始まった。

休憩を挟みながら約3時間でひとまずページ割りと構成が出来上がった。写真に仮のページ番号を記入し第一回の編集会議が終わった。

その後写真をデジタルカメラで撮影しPCやスマートフォン、タブレットでも観れるようにし、時間のある時に見直している。改めて見ると写真1枚としては良いのだが前後とのバランスに??な写真や弱い写真などに気付く。

ここで、もう一度「これは外せない写真、恐らく外れないだろう写真、場合によっては他と変わるかもしれない写真、同じコンセプトで撮り直したい写真などに分類している。

それと合わせて重要度の高い写真から今度は写真集の原稿用プリントを始めている。

これらの編集経過を踏まえ、8月初めにミャンマーへ1週間撮影に行く予定だ。写真集に間に合うタイミングとしては日程的に最後の機会となる。今までの撮影はこんな写真を撮りたいくらいのイメージを持って現地を訪れていたが、今回はより具体的なイメージ、パズルのピースを当てはめて完成させるような感覚がある。

ただ、写真作品は明確な意図をもって完成させる類の他に、予想できない偶然の産物から出来上がる場合もある。これがあるから次へのヒントに繋がったり作品幅を広げてくれると思っている。

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写真集の編集の前に

先日、冬青社を訪れ高橋社長と写真集に向けて打合せを行った。
昨年末にコンタクトシートを持ち込み候補写真をセレクトし、3月末に編集用ワークプリントが完成した。今回の打合せは写真集の方向性を決めるべく臨んだ。

2階の会議室に入ると、2012年冬に初めて写真を持ち込んだ時の緊張感を思い出す。
私はここ1年くらい考えてきた写真集のコンセプトを説明した。今回は2013年に出版した「Thanaka」の後に撮影した写真で構成しているから”続編”と考えることも出来るが、もう少しメッセージ性を強くしたいと考えている。
2012年にミャンマーの大統領が替わり民主化プログラムがスタートし昨年からアウンサンスーチー氏率いる政権が誕生し大きく変わり始めている過渡期になる。そんな中、交通事情、通信環境をなどを筆頭に彼らをとりまく世界は変化している。軍事政権下で時代の流れ場数十年止まっていた世界が加速して変わりゆくものがある。しかしそれと同時に彼らが大切にている変わらないものも有る。

私が考えているコンセプトに社長のアドバイスを合わせて5月に1回目の編集会議をすることになった。そして、12月の展示にあわせた出版までのスケジュールも見えてきた。

GWは編集会議の準備、その先の入稿データのテストプリントなどを進める予定だ。

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写真展に向けて[3]:写真集で得たことと次へ

2013年に6月に冬青社から亀山仁写真集「Thanaka 」を出版した。

これは2005年から2012年までに訪れたミャンマーの主にインレー湖で撮影し、そこに暮らす人たちのポートレート、スナップ写真そして彼らを取り巻く風景で構成されている。「Thanaka」は日本語で”タナカ”と発音し、ミャンマーで主に女性や子供が頬や額等に塗っているクリーム色のモノ(写真の女性が頬に塗っている)。柑橘系の木の幹を水を垂らした石の上ですりペースト状にし塗る。私も現地で塗って貰うが冷やっと涼しく日焼け止め効果がある。

写真集を出版して得たと思うことはいくつかある。

先ずは、自分の写真を多くに人に観て貰える可能性を広げることが出来るようになったことだ。かといって何もしなくてもそれなりに売れていき在庫が順調に減る訳では無いのは分かっていたが、自分の写真を展示する機会や何かのイベントに参加するとき、私の場合で言えばミャンマー関連の人たちが集まる場があれば持参し、観て貰い、気に入れば買って貰うことができる。初対面の場合でも私がミャンマーに行き撮影を続けて作品を作っていることを知ってもらう上で本が一冊あるのは大きい。ある程度、私のバックグラウンド含めて信頼になってくれる。
それと、これは全く予想していなかったが2013年8月に日本図書館協会の選定図書に選定されたと連絡が来た。この効果か全く無名の私の写真集が何カ所かの図書館に所蔵された。第三者に認められたことは素直に嬉しい。

これから12月の展示に向けて新たな写真集を作ろうとしているのだが、2013年6月の出版から今に至るまでの時間を活かして納得のいく本に作り上げていきたい。

私が写真集を作りたいと考えるようになったのは、ギャラリー冬青で観た展示にとその写真集を手に取った時だった。2009年3月に展示されていた小栗昌子氏の「トオヌップ」と同タイトルの写真集を観た。展示を観た時に訴えてくる勢いがあり厚みのある良い展示だと感じながらギャラリーを何周かしたと思う。そしてテーブルを見ると同じタイトルの写真集が置いて有った。手に取ってページをめくると最後まで食い入るように観た。そしてもう一度最初から。さらに気になるページをもう一度。そして最後に書いて有った文章を読み何かが頭からお腹に落ちて行ったような感覚を覚えた。この時を契機に写真集を見るから読み解くようになった。写真の並ぶ順序や空白ページの意図、テキストとの関係性など合わせて考える機会が増えた。写真集を購入するのは基本的に読み解きたくなる場合が多い。

そのころ私はミャンマーの撮影を数回重ね、手応えのある写真がある程度貯まってきていた。近い将来写真展や写真集にまとめたいと考えるようになった。しかし実際に作るとなるといろいろ考えるコトが多かった。自分が作る写真集にどれだけの価値が有るのか、決して少なくないお金と時間をかけてまで作ることに対する対価、リターンなどを考える必要が有るのか無いのか。本を出した先にどんな世界が広がるのだろうか。そんな中数年経った時、写真集の可能性を高橋社長の目で見てもらう機会を作ってもらった。今思うとコンセプトもはっきりしない中、いくつかのアドバイスを頂き進み始めることができた。

写真集を作るためにはいくつかの要素が必要になる
・写真
・コンセプト(タイトル、テーマ)
・セレクトと編集
・印刷、製本
・販路(販売戦略)

写真集の作ろうと考える時点で“写真”はある程度まとまっているはずだ。“コンセプト”がはっきりしていると“セレクトと編集”順調にすすむのだろうが、実際はセレクトと編集の段階でぶれたり戻ったりの試行錯誤になる。最近写真に言葉・文章が必要かとの議論を見聞きするが、展示でも写真集でも基本は9割写真で決まると思う。ただ写真に言葉が要らないかと問われれば、私の場合は必要だと思っている。写真を観ただけで伝わるのが理想のひとつだとは思うが言葉で補い深めることができると思う。それは世に有る写真集を観たときにテキストを読むことでそう感じるからだ。

自分の場合は写真のセレクト・編集を進めながらテキストとタイトルを作り上げていくことになりそうだが、4月に予定している編集会議までに、自分なりのセレクトを考えコンセプトと合わせて持参できるよう準備を進めたい。
写真集の編集はもし、自分1人でやるより信頼できる編集者にある程度任せることを勧めたい。譲れないところははっきり主張し、作家の意図を重視し本全体にリズムを与えてくれると思う。前回の時は7〜8割方任せて作り上げたが今回はコンセプトを組立てて纏めて行きたと考えている。編集会議に提案してどのような方針になるかわからないが譲れないところはしっかり通していこうと思う。

印刷のクオリティは、最初、原稿(プリント)に大きく依存するのは確かだが、展示用として仕上げたプリントが最適かと言うと異なる場合もあるのは前回の出版の経過とその後に、有識者の話から学んだ。これも今回に活かすべき点だ。

印刷に必要な版製作からは信頼できるプロフェッショナルに任せる。プリントのトーンを出すのと印刷することは根本的に異なる。私のプリントと版製作を行うディレクター氏の間に編集の高橋社長が入り、印画紙プリントと印刷の翻訳を行う。この翻訳は製版指示のみならずインク調合指示も含め印刷し製本した写真集で再考のパフォーマンスを発揮できるよう、凸版印刷と培ってきた技術と経験が活かされる。この作業は近くで見ていても正直理解できるものでは無い。版が完成し実際の印刷立ち会いの2日間で謎だった指示内容が少し理解できた。

最後に販路、売ることを考えておかないと在庫の山を抱えることになる。幸い安価で保管してくれ、必要な時に必要冊数を送ってくれる業者さんを紹介して貰い、ありがたいが、1冊ずつでも買ってくれるの目に触れてもらう機会を作っていく必要がある。ミャンマー祭りの「日本・ミャンマー交流写真展」で展示するきっかけも写真集だった。2013年10月に東京芝増上寺でミャンマー祭りが開催されると知ったとき、ミャンマーに興味のある人達が集まるイベントなので私の写真集に興味を持つ人も来るはずと思います事務局にコンタクトしたことがきっかけで今に繋がっている。

2014年からミャンマーへ撮影に行くときも何冊か写真集を持参している。そしてヤンゴンの芸術大学の図書館やアート系の高校に縁ができ寄贈した。FacebookなどSNSでその様子など知り、いずれはミャンマーの書店などで販売できるよう模索していきたい。合わせてミャンマーの写真家の友人も増え、ミャンマーの写真会の状況も少しずつ知ることになり、今後私も協力して行きたいと考えて、その中で彼らと一緒に展示できる機会があれば参加したい。

Cover of Thanaka

写真集の表紙にした1枚。構図、タイミングとも整い自分にとっても印象深い1枚だった。デザイナーさんからみてもタイトル配置などしやすく、編集会議で表紙はすんなり決まった。

1st img of Thanaka

編集会議の時、最初の写真にと希望した1枚。撮ったときの印象より、プリントして作品をまとめるうえで大きなきっかけになった1枚。3度目のミャンマーのインレー湖初日、夕暮れ時に手漕ぎならぬ足漕ぎ(インレー湖で湖上集落で暮らすインダー族は片足で櫓をかつぎボートを進める)ボートでホテルの近くを回っているときに出会った親子。振り返るとこの1枚が撮れたことで写真集を作りたいと漠然と考え始めたと思う。

写真展に向けて[2]:展示で得たこと

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ギャラリーの壁に掛けられた作品に幾つか赤いピンが付いている。これは私の作品に価値を感じ購入して頂いた証しである。展示期間が終わったら出来るだけ早く購入して頂いた方々に届けないとならない。そして次に発表する作品は期待を裏切らないことが求められる。私も気に入った作品や作家を応援したいなど動機があれば作品を購入している経験から購入する側の気持ちもある程度理解できる。一番悲しいのは作家が納得できる理由も無く活動をやめてしまうことだと思っている。

ギャラリー冬青は約1ヶ月の展示期間がある。自分の作品とこれだけ向かい合える機会は貴重だ。展示に向けて最善の選択をしてプリントを仕上げているのだが気付くことは幾つか出てくる。これは作家にとって大きな財産になる。観てくれた人からの感想や意見、質問も参考になるが自分で気付けることは大きい。否定的なことを言われる場合もあるが自分の作品に対し責任を自覚していれば受け止めて咀嚼することはできる。できない場合は甘さが残っていると認めざる得ないだろう。
床に並べたプリントを見てもパソコンの画面を何時間見ても気付けない。仲間とのグループ展を何十回やっても分からないことだと思う。

そしてギャラリーに足を運んでくれた人たちの反応、作品を購入して頂いたコレクターの方々によってギャラリーに認められると次回の展示の話がもらえる。それが作品作りの大きな動機付けになるのは言うまでも無い。

以前にメーカー系ギャラリーやレンタルギャラリーなどで展示は経験していたがコマーシャルギャラリーの展示はそれらとは大きく違うと感じた。

Thanaka_DM(2013年7月の展示でDMに使用した写真)

2013年の展示は写真集がベースになっているが写真集に無い作品も数点入っていた。展示は25〜30点、写真集は70点以上でその中でセレクトすることも考えたが、壁に並べて観ることとページをめくりながら観ることの違いなど考えて展示は再構成した。それともう一つの理由があった。写真集の原稿として渡したプリントも全て展示に耐えうるプリントに仕上げていたのでそのまま展示するつもりでいた。(後々、写真集の原稿用と展示用では作品にもよるがトーンを変えた方が良いことを知った)
しかし、印刷立ち会いで刷り上がったクオリティの高さを見て、展示用のプリントはもう一度プリントし直したい、しなくてはならないと思い展示に間に合わせるべく全て仕上げ直した。もしやっていなかったら後悔したはずだ。その時出来ることは全て最善を尽くしてやっておくことが重要だ。(展示作品の1部はこちら

2015年の展示は写真集出版は無く、展示に集中した。2013年の展示はそれまで2005年から撮り貯めた中から写真集を作り展示したが今回は時間的な積み重ねは少なく、自分と被写体であるミャンマーの人たちやその周囲との関係を掘り下げて構成しようと考えた。ミャンマーの季節は日本のような四季では無い。大きく雨季と乾季に分かれるが乾季から雨季になる3月〜5月くらいまでが1年で一番暑い暑季を加えた3つの季節になる。2014年は雨季の8月に撮影予定があり雨季について考え「雨安居」と呼ばれる仏教徒のいとなみに焦点をあてた。何度か訪れていると季節によって人々の様子や暮らしぶりに違いが見られることに気付き、彼らの宗教観に基づく人間性などに興味を持ち始めていた。展示期間中、在廊出来ない時に聞かれるだろうことを想定して簡単なコメントをあらかじめ用意しておいたが、これが予想以上に反響が良かった。(展示作品の1部はこちら

Thanaka_2_DM(2015年12月の展示でDMに使用した写真)

今年2017年12月の展示は今まで得たことを元に作品作りを進めている。またこの2年で被写体との自分との関わりや距離感は大きく異なっている。ミャンマーの無医村で自立支援をしているNPOの活動に参加した点も影響している。

ギャラリー冬青は月毎の展示で所属している作家で展示枠の殆どが埋まっている。写真集を出版できれば展示が約束されるわけでも無く、誰かが入れば誰かが外れることになる。なのでそこに入るにはいつくかのハードルがあると思っていた。そんな中、冬青で展示するきっかけは2013年7月枠を新人に向けてポートフォリオレビュー形式で募集していたのに応募し、私を選んでくれたことにだった。(その時の高橋社長のブログ)

そして、元々2013年12月に出版予定で進めていた写真集を展示に合わせて繰り上げることも決まった。

ギャラリー冬青はコマーシャルギャラリー、展示はコレクターの方々に作品を届けることが前提となる。そもそも応募の条件に「作品を10点以上売る」があったことで理解できる。私の作品は30,000円(税別)で販売するだろうと考えると10点で30万円、売り上げは作家とギャラリーで折半なので、極端に考えれば10点自分で買い取っても実質15万円で1ヶ月展示が出来る計算になる。レンタルギャラリーと比較すれば、会場代やフレームやブックマット、DMそして広報もギャラリー側がやってくれるからそれだけでも展示できればラッキーではないかと考えもしたが今振り返ると思慮の足りなさを感じる。

メーカー系ギャラリーの様に一般に知名度が高いわけでも無く、ギャラリー巡りのついでて行くには便利とは言えないギャラリー冬青との出会いは2005年に確か、誰かのネットの書き込みで知った北井一夫さんの展示を観に行った時と記憶している。中野駅から向かったか分かりにくく、今のようにスマートフォンのナビも無かった時代で迷いながら、最後はギャラリーに電話をかけてたどり着いた。一見普通の民家のようにも見え、不思議な雰囲気の建物が印象的だった。靴を脱いで入るのも珍しく、入ると受付の方がお茶を出してくれて作品について説明をしてくれたと思う。高橋社長と初めて会ったのはハッキリ記憶してないが恐らく渡部さとる氏の展示の時だったのだろう。

銀塩モノクロプリントで作品を作っていた私には静かで見ごたえのある展示、そして気に入れば安心して購入できる冬青ギャラリーは毎月とは行かないが気になる展示には足を運ぶギャラリーとなった。出版社でもあるのでクオリティの高い写真集を毎年数冊のペースで出版しており写真集の棚を見ているだけでも時間を忘れることができた。
そして、いつか自分の写真集がここに並ぶことを考える様になって行った。

写真集については次に書き起こそうと思う。