写真集発売

2017年12月の写真展に合わせて出版した写真集「Myanmar 2005−2017」(冬青社)が先週ごろから全国の書店やAmazonなどで発売になりました。

Myanmar_cover2

全部で1000冊つくり、冬青社より取次店経由で一般流通している分と作家(私)の手持ち販売分があります。そのためこちらで私の手持ち分を販売致します。
書店やAmazonなどで購入頂けるのは作家としてとても嬉しいことですが、こちらから購入していただけると励みになります。
こちらから購入して頂けると、
1.ご希望によりサインを書かせて頂きます
2.購入代金の一部をミャンマーの支援に当てさせて頂きます

2013年に出版した「Thanaka」はミャンマーのシャン州インレー湖周辺で2005年から2012年頃まで撮影した写真で構成していましたが、「Myanmar 2005−2017」はインレー湖とヤンゴンで主に2011年から2017年まで撮影した写真を使いました。自分としては「Thanaka」は私が感じたミャンマーを撮影し始めて感じた魅力をそのまま表現した写真集で今回の「Myanmar 2005−2017」は自分とミャンマーの関わりの変化とミャンマーという国自体の変貌を観ている写真集と考えています。過渡期のミャンマーで変わりゆくモノと変わらない・変わって欲しくない人たちを意識して作品集としました。掲載している写真の一部はこちらにありますのでご覧下さい。

「Thanaka」も在庫有りで販売しておりますのでよろしくお願いします。

2018年

年が明けて気付ばもう1月も20日が過ぎた。
年末に写真展が終わりそのまま年が変わってしまったような感覚だった。今まで写真展が終わっても特に意識したことは無かったが今回は少々気が抜けてしまったようで”燃え尽き症候群”?とか考えていたらギャラリー冬青の髙橋社長からの電話が鳴った。
写真展で私のプリントを購入して下さった方へギャラリーから送付しようとしたときにプリントにトラブルが有るとの連絡が来た、新年早々プリントして先日納品しこれでひと区切りとなった。プリントを購入して頂けることの素晴らしさは何より今後の糧になる。

今回の展示は過去とくらべ何か”違いのようなもの”を感じていた。言葉にするのは難しいが今年はそれをヒントに考えていくコトが必要なのかも知れない。
2冊目の写真集「Myanmar 2005−2017」を作る過程で自分の作品も変わり(本人は変わったと思っている)、作品に対する皆さん感想や評価の言葉にもそれが現れていたと思う(善し悪しでは無く言葉の種類が変わったのかもしれない)。特に被写体との距離、関わりを言われることが多かったが、それは自分が思っている以上に観た人にはそう感じてくれたのだろう。長年ミャンマーと関わってきた方や東京に暮らすミャンマーの人たちに観て貰えたことも変化のひとつだった。

写真展と写真集出版は2013年7月と同じなのだが、今回のほうが”区切り”を自覚している。そのためか”次やこれから”を漠然とあれこれ考えているが定まらない。それでも、2月の終わりにヤンゴンへ数日間だけ行くことを決めた。
目的のひとつはヤンゴンで開催されるJapan Myanmar Pwe Taw(Pwe Tawは祭りの意味)を観に行くことだ。
約3年前、これに関係したNHK-BSの番組がきっかけでAh Moonの楽曲”Myanmar“を知った。これも今回の写真集のきっかけになった。今まではYoutubeやDVDでしか観ていない彼女のステージを直に観たいと思っていた。そして昨年8月に彼女を撮影した時の約束であるプリント(写真展で額装し展示していた1枚と他にも数点)と写真集を渡すことも大切な目的だ。
昨年8月以来のヤンゴンだが半年で変わった街を歩き写真を撮ってきたい。

正月に地元の神社で引いた「小吉」、今年の出だしはこれで見る限り「普通」だ。よく読むと期待が持てる事柄が多いし。

20180117

2017年末

2017年もあと数時間で終わります。
今年は12月の写真展に向けて写真集出版を筆頭に走り続けてきた1年でした。ギャラリー冬青で2013年7月に最初の展示、2015年12月に2度目の展示そして今回と3回目の展示となり、展示内容はいずれもミャンマーで撮影した写真で構成しました。私自身で振り返るとその時点でベストの展示をしてきたと考えています。
展示内容の変遷は被写体であるミャンマーの人たちとの関係の変化、ミャンマーの状況の変化などをそのまま反映してきたのだろうと思っています。
これからもミャンマーを訪れ撮影を続けて行くだろうと考えていますが、今回で1つの区切りとなりました。写真の作品制作を続けていくと展示や本が節目になると言われてますが、今回は本当に実感しています。

先日訪れた写真展で感じたことがありました。その写真家のかたとは年に一度か、お互いの展示の時に会うくらいですが会うとそれなりの時間話をします。その内容は私にとってとても印象に残り、迷いなり課題に対するヒントになることが多いと感じます。ご自身の写真や作品、被写体に対する姿勢に共感する部分が多いのだろうとは思いますが、淡々と話をする口調に迫力と思慮深さを感じます。

20171231

写真は地元の蕎麦屋で毎年大晦日に食べている天ぷらそばです。年に一度しか行かないお店ですが年の瀬を実感するひとつです。

写真展が終わりました

12/22(金)の19時に写真展「Myanmar 2005-2017」は終了しました。

プリントを購入して頂いた皆さま、作品がお手元に届くまでもう少しお待ち下さい。写真集を購入して頂いた皆さま、私の本棚にある様々な写真集のように皆さまの本棚に置かれることを想像するとともて嬉しく思っています。
そして、年末のお忙しい時期に時間とお金を使ってギャラリー冬青に足を運んでくださいました皆さまありがとうございます。

また皆さまに作品を観て頂けるよう活動を続けていきたいと思います。

20171223-001

ギャラリー冬青では3回目の展示でしたが、今まで以上の多くのことに気付き、考えることがありました。年末年始は時間を使って自分なりに整理して次に活かしていきたいと思っています。

写真展開催中

12月1日(金)より始まりました写真展「Myanmar 2005-2017」は2週間が過ぎ今週来週の後半となります。お越し頂いた皆さま、写真集を購入頂いた皆さまそして、プリントを購入してくださった皆さまありがとうございます。

展示期間は23日土曜が祝日のため12/22(金)までです。土曜は今度の12/16が最後になります。

今週は13日水曜の19時より「作家の頭の中見せます〜本棚が語る作家の素顔〜亀山仁編」があります。参加費や無料ですのでご興味の有る方は是非ご参加下さい、12/10の時点でまだ定員には達しておりませんので皆さまのお越しをお持ちしております。申し込みはギャラリー冬青に直接お願いします。

【ご予約】03-3380-7123、gallery@tosei-sha.jp

先月より始まったギャラリーのイベントです。私は先月の作家大木さんのときに参加しました。大木さんの作品は以前から興味があり、どのような本棚なのかとても楽しみにしていました。持ってきて頂いた本は正直ほとんど初めて見る写真集ばかりで、購入に至った経緯などともて新鮮な体験ができました。

私も自分の本棚から本を選んでいますが、写真集だけでは無く小説やエッセイなどもあります。今までの作品作りに影響した本や、考え方を示してくれた本や問いかけをしてくれた本を選んでいます。

当日は14時ごろから在廊しておりますので、お気軽にお越し下さい。

20171210-001


以下は今回展示している写真についてFacebookに投稿したテキストです。

24774983_10214783813419822_3067363344248769528_n写真集の表紙になっている写真です。インレー湖滞在中に何度も歩く小道の一コマです。道路拡張か電柱敷設の工事と思われる状況でした。この辺りだと重機を使った工事現場はまだ珍しいのでしょう、何人かが取り囲みただ眺めていました。その中の少年が私に気付いたのか、こちらを見ていました。私がカメラを構えても微動だにせず1分くらいこの姿勢、視線で佇んていたました。その姿が何となく自分の子供の頃の記憶が重なるような感覚がしてシャッターを押しました。風貌が自分に似ているような気がしたのと、意味もなく動く乗り物を眺めているのが好きだったあたりに共感したのかもしれません。

ここはホテルの裏手に続く小川沿いの小道でいくつかの村が点在してます。小道の両側に竹林が続くとても好きな場所です。ただ、三年くらい前から片側の竹林が伐採され電柱と電線が作られ始めました。
個人的には寂しさはありますが村の人たちは停電が多いながらも電気が来たのは嬉しいようで、これもこの国の大きな流れの中だと思い表紙になりました。今度行ったらこの少年を探しに行こうと思います。そして本をプレゼントしたいです。


20171204-003ここ数年、2冊目の写真集を作ろうと考えるようになってから変貌するミャンマーで「変わりゆくもの、変わらないだろうもの、変わって欲しくないもの」を意識して撮影するようになりました。それは半分私の予測、願望なのでその通りになるのか分かりません。
ここに写っている女性は両手と頭に沢山のテーブル?を担いでいます。上手いこと積みバランス良く歩くと感心しながら撮りました。この日は2人、次の日は5人で運んでいました。場所はヤンゴン中央駅のホームから直接上れる陸橋です。恐らく列車で運び込みここから何処かに運ぶのでしょう。後日ヤンゴンの友人に聞いたら、市場や露天で使うレンタルではないだろうか?との話でした。
この写真のような光景は車による物流が増えれば直ぐに無くなってしまうだろうと思います。次にヤンゴンへ行くときはもう観られないかもしれません。それともまだまだ何年も残るのかも知れません。
個人的な思いとしては「経済発展でモノは増え人々のライフスタイルは変わっても人々の気質は変わらないだろう」が有りますが、そんな簡単な話では無いことは自分自身や身の回りを見ればわかります。
私が写真集の裏表紙に選んだのは自分の予測に対する問いかけなのかもしれません。


20171206-001私が何度もミャンマーへ行きインレー湖を訪れるのか、その理由のひとつが彼らと思っています。私の写真集で一番多く登場する一家です。どのような経緯で彼らの住むレチェ村に行ったのか憶えてませんが写真の左から3人目の彼女が私を呼んでくれました。歩いていた私の前に現れカメラを構えると突然走り出し2人の小さい男の子を連れてきました。撮ったときは弟だろうと思っていましたが近所の子でした。彼女に引っ張られるようにこの家に着きました。すると右から2人目の男性が仏像を彫っている工房に案内され、これを私に見せたかったのかと分かりました。そしてこの部屋に招かれお茶とお菓子をご馳走になり写真を撮って「次に来たときに写真を渡します」と言って帰りました。その繰り返しが10年続いています。「家族」と思い会っていた彼らはそうで無いと知ったのは4年前でした。仏像職人の主人が軽い脳梗塞で倒れ床に伏していた時お互いの身の上話になり知りました。夫婦と思い込んでいた2人は親戚同士で写真右端の女性はどちらかの親族、左の女の子たちは姉妹で両親が事故かなにかで亡くなり、遠い親戚であるここに引き取られ暮らしています(男の子は近所の子)。他にこの時買い物に出ていましたが50歳位の女性が居ますが彼女も親戚筋にあたります。彼女には弟が居ましまが3年くらい前に肝硬変で亡くなりました。私の印象はあまり話さない寡黙でシャイな男性でしたが、相当な酒好きだったと話してました。右の女性も昨年癌を患い手術を受け今も治療中です。
他にも色々な話題のある一家ですが、こうしてみると日本の親戚よりも多く彼らに会っていることになります。自分の親戚はこの歳になると冠婚葬祭でも無いと会わないですし。
今年の8月に訪れた時「そろそろ来る頃だと思ってた」と言われました。
次に行くときは新しい写真集を渡すことになります。私を呼んでくれた彼女も高校を出てどうするのかも興味あります。治療中の彼女も心配です。段々と親戚のおじさんのようになっているのかもしれません。


20171207-001雲行きが怪しくなり湖上のレストランで一休みしていると激しいスコール。私が好んで雨季に訪れるのは刻々と変わる空模様が美しいからです。ここ数年、ミャンマーへ行くのは雨季が多い。理由はいくつかあるが一番は、雨安居にあたるこの時期、仏教徒が9割のミャンマーでは人々は慶事を行わず、静かに暮らしミャンマーが一番ミャンマーらしく感じることができるからです。それに観光客も少なく飛行機やホテルも取りやすいことも撮影するうえで助かります。特にインレー湖はヤンゴンと比べると雨が降り続くというより1日に数回スコールが来ることが多く刻一刻と空模様が変わり被写体としても魅力があります。雲行きと空気に含まれる湿気、匂いでもう少ししたら雨がくるのは私でも分かるので、長時間のボート移動でもなければ雨宿りでしのぎながら空の表情を楽しめます。
この時のスコールが30分くらい続き、その時は目の前の建物以外真っ白で何も見えませんでした。雨雲の接近とと共に湿気を帯びた風を感じます。そして降り始めると一気にトップスピードに達するような勢いで雨足が強くなります。雨足が弱まり始めると空気中の湿度が下がるような感覚と共に気温も下がりひんやりとした空気に包まれるような気がします。この写真を撮ったのは雨が弱くなり空が明るくなり始めたころでした。この後15分くらいで青空も出てきて遠く山にはうっすら虹もかかっていたと記憶してます。このような空のドラマが日常にある暮らしは私にはとても贅沢に思えます。
しかし、今年はインレー湖で始めて1日中ザザ降りに会いました。ヤンゴンからヘーホーに国内線の機内から見えたインレー湖に厚い雲がもくもくとかかっていたのが見えました。空港からニャウンシュエの街までも土砂降り、ボート乗り場でいつものガイドさんと合流しても雨脚が弱くなりそうな気配は無く雨合羽二枚重ねとブルーシートでボートでホテルに向かいましたがホテルに着く頃にはずぶ濡れになり、シャワーを浴びて1日ホテルでのんびり過ごしました。まぁ長く来ていればそのような日もあるのかもしれません。