monochrome XVII [Documentary]

来週から始まる写真展に参加します。

今回で17回目の企画でテーマは「Documentary」、私はミャンマーのインレー湖でいつも訪れる場所で撮った一枚出品してます。
それが展示フライヤーに掲載されています。フライヤー掲載は久し振りなので光栄なことだと思っています。

monochrome展は西麻布にあるギャラリーe&mで夏と冬に毎回テーマが出て出展作家が各々出展します。私は2010年の冬の展示から参加させてもらっています。毎回多くの作品に囲まれ、この展示に参加して得てきたことは人との出会いや繋がり含めて多いです。

以下、展示案内です。

monochrome XVII “Documentary”
主催:モノクローム展実行委員会
会場:ギャラリーE&M西麻布
会期:2018年7月31日(火)〜9月1日(土)
時間:12:00〜18:00(日・月曜日休館)入場無料
(8月12日(日)〜20日(月)夏期休館)
住所:東京都港区西麻布4-17-10
電話:03-3407-5075
協賛:オリンパス(株)、キャノンマーケティングジャパン(株)、AAAコーポレーション、(株)ニコンイメージングジャパン、(株)ピクトリコ、ギャラリーE&M西麻布、KN-PHOTO
後援:DGSM Print Consortium
参加写真家(47名、五十音順)
浅田隆一郎、稲垣雅彦、エドワードレビンソン、大坂 寛、織作峰子、加藤法久、加納 満、亀山 仁、木村直人、桑原史成、小菅琢哉、齋藤康一、BAKU斉藤、酒井久美子、佐藤 理、佐藤 真、杉山宣嗣、鈴木英雄、大門美奈、多木和夫、竹内英介、達川 清、谷 雄治、中川十内、中島秀雄、中道順詩、永嶋勝美、長嶋正光、長濱 治、南雲暁彦、沼田早苗、ハービー・山口、萩原佳一、HASEO、英 伸三、原 直久、HARUKI、広川泰士、福原 毅、藤井英男、細谷秀樹、舞山秀一、松田敏美、両角章司、山口一彦、山田愼二、渡邉 肇

Rolleiflex修理から戻る

2月にヤンゴンでシャッターが動かなくなったRolleiflexが先日、修理が完了し戻って来た。
壊れたシャッターの修理に合わせて一通りのチェックをお願いしたところ、ピントがやや前ピンであったことなどが判明しそれも調整してもらいすっかり甦った感じがしている。

このRolleiflexは2.8FというモデルでレンズはCarl Zeiss のPlanar80mm/f2.8が付いている。今から15年くらい前に銀座の中古カメラ屋で購入した。使い始めて2年くらいのころ、オリジナルのピントスクリーンに元々入っていたヒビが拡大し割れてしまった。当時、千曲商会が作っていたスクリーンを入れたがピント合わせに難航してて交換スクリーンを探しが続いていた。1年くらい経った頃eBayで今使っているスプリットがあるスクリーンを見つけ今に至っている。

修理に出ていた3ヶ月の間、予備機として2.8Cを購入したが、戻って来た2.8Fを手にするとやはり馴染む。
このカメラを買いに行ったとき、銀座の某店で確か2台あった2.8Fのうちの安い方だった。値段の差はローライキン用のカウンタ部品の有無とお店の人が話していた。ローライキンとは35mmフィルムを使う時に必要でそれ用にいわゆる余計な部品が付いているから値段が安くなっているとの話。そこさえ気にしなければレンズの状態などこっちの方が良さそうに思えた。
もう、これに決めようかと思ったが、銀座は銀座、他にも在庫のありそうな店があるのでそっちを見てからと思い店を出た。有力そうな店を2箇所見たが予算と程度を考えるとやはり、さっきのが良さそうだった。
そうそう売れるものでも無いだろうしと呑気に店に戻り棚をみるとそれが無かった。店内を観るとカウンターにローライを3台並べて腕組みしている初老の男性が店員さんと話をしていた。

ここでよくある展開は背後から「買うな買うな」と念を送るのだろうが・・そんなことを考える間も無く初老のお方は3.5Fをお買い上げ。私が目をつけていた2.8Fは店員さんが私に気づき、そのままカウンターに置いたままにしていた。

もう一度手に取り購入を決めた。1週間だか10日だか初期不良があれば対応するので早めに使ってみてくださいと言われた傍からフィルムを詰めた。店を出て銀座をブラブラしながら2本撮って、ここで我に帰りシャッtー速度と絞りを組み合わせ使いそうな範囲のシャッター速度で1本機械的に撮影。

帰宅後現像したが特に問題は無さそう。お店では露出計の針は動いていなかったが何故か動いていた。この露出計は時々動かなかったり動いたりとを未だに繰り返している。元々おまけ程度の露出計だからあまり使わないが、それでも過去に数回、このオマケに助けられている。

これまで2度オーバーホールをしたが手入れをしておけばまだまだ現役、私のメイン機材であり続けてもらわねば。

これは10年ちょい前に行っていたワークショップのブツ撮りのときの一枚。焼き込みなどの指示がそのまま残っている。

今までハッセルも一時使っていた。全く同じ銘柄のレンズなのにプリントするととても似つかなかった。ハッセルはレンズ交換というより途中でフィルム交換ができるのが魅力だが合体ロボ系で決まりごとも多く、壊してしまいそうだし自分のモノクロプリントとしてはローライの方が合っていると思えハッセルは友人のところへ渡って行った。

ステートメント再考

先日、サイトのステートメントを更新したときに古いステートメントを作った頃を思い出した。この先時間が経つと記憶もあいまいになりそうなので自分自身の整理のため書いておこうと。

以前のステートメント。

「撮り続けている被写体

私 の被写体は人が意識的にあるいは無意識に演じているドラマです。人は個々に人格が有り、生きてきた人生があります。これらはその人を取り巻く宗教観や社会 風土、親兄弟や友人たちにより築かれてきたものだと考えます。人間が暮らす社会では協調や摩擦、時として衝突が起き、それらのドラマが人に喜びや楽しさ、 悲しみや怒りを与えます。私はこれらのドラマに惹かれポートレートやスナップ写真を通してドラマを表現したいと考えています。」

これは2009年に参加した写真に関するレジメを英語で作るワークショップで作ったテキストの冒頭に出てくる部分だ。作った頃はステートメントと言うよりは、プロフィールの一部で「私はこのような考えで写真作品を創っています」とわかりやすくて観た人に伝えるのが目的だった。ワークショップでは撮った写真だけで無く、これまでの写真との関わり、時には人生を振り返りながらテキスト化していく半分カウンセリングのようなワークショップだった。海外まで含めた写真界隈のことはわからないがこの頃、写真で作品をつくるのに”プロジェクト”や”ステートメント”という単語を私はほとんど聞かなかった。写真展は写真とタイトルとキャプションで構成されていたと思う。

2009年のころはミャンマーの撮影は初め4年が経ち作品としてまとめようと考え始めた頃だった。それまで撮っていたのは近所、国内、国外のスナップがほとんどだった。今思うと旅先で撮って、ちょうどモノクロプリントの面白さを感じ始めていた頃だったからモノクロ映えしそうな被写体を探していた時期でも有った。一枚の写真として成立はしていたと思うが、個展や写真集などで自分で写真作品とし発表するには何か自分の核(当時はそれを漠然と”テーマ”と理解していた)になることが必要だと考えいた。

なのでワークショップを受けた理由の一つはその「テーマ」を見つけたかった。しかしこの「テーマ」がくせ者で根拠説明まで考えるとまとまらない。そんなものは無くても写真が良ければメーカ系ギャラリーに出して通って個展をすることもできるのだろう言う人も居て、自分もそうだろうなぁくらいは考えていた。

結局、どのような場所(ギャラリーの種類)で何を目指して発表したいのか、写真集を作りたいのか目標もビジョンもあいまいなまま写真を撮っていた。それでも楽しかったからそれはそれで良かったのかもしれないが。

そのような状況で受けたワークショップ。それでもこのレジメ(ステートメント含む)をつくる過程で自分が撮って作品にしていきたいことがある程度整理できていたように思える。そして私が幸運だったのは、それを実現できそうなミャンマーとの出会いがあったことだ。

2018年1月、2冊目のミャンマー写真集を世に送り出し、ホームページのステートメントに違和感を感じていたことを踏まえそ新たに書き換えたステートメント。

私は現在、主に東南アジアのミャンマーで作品制作を続けています。
ミャンマーは2013年以降、新しい文明と古い文化が激突する激動の時代を迎えています。私は軍事政権下の2005年からミャンマーの人たちとその暮しを撮り続けています。ここで見る人々の強く透きとおった瞳は、かつて日本にもあったものだろうと思います。私はミャンマーが人々の幸福をたたえながら発展していくことを願いながら写真を撮り続けています。

ミャンマーは東南アジアに位置し、中国とインド、タイなどと国境を接し、人口は約6000万人、面積約68万平方キロメートルの国です。

最近まで軍政がひかれていましたが2015年に民政復帰後の総選挙でアウン=サン=スーチー氏率いる国民民主連合が勝利し、国際社会の注目する中民主政権が樹立され、欧米や中国、日本が次々に経済支援に参加し経済援助、直接投資を開始しました。

その結果、現在のミャンマーは劇的な変化をきたしています。経済、政治をはじめ、人々の暮らしにも、この状況は大きな変化を与えています。都市部の建設ラッシュと渋滞の激化、地方でも道路が整備され、森林が切り開かれ、人々の暮らしにも変化が訪れつつある一方、少数民族問題や現政権基盤の脆弱性など先行きの不安もあります。

私がミャンマーに惹かれるのは、国内の政治経済の変化が激しいにもかかわらず、そこに住む人々の眼差しの魅力を感じているからです。その眼差しは経済発展に伴う多様化などで変わらないのか変わってしまうのか、私はそれを見続けていきたいのです。」

前半の段落がそれにあたり、後半は補足説明になっている。できるだけ抽象的にせずシンプルに考えていることを述べるように心がけてつくった。写真に説明、言葉は要らないとの意見も理解できるが、私の作品に関しては言葉で補なったほうが伝わると思っている。

最期に以前のステートメントの英語。今は新しくしたステートメントの英語を作っているところだ。

My theme in photography is to convey attraction and humor of mankind.

My object is the conscious and unconscious act of human drama. Individuals have characters of their own and corresponding lives. I believe religious beliefs, native cultures, families and friends that surround each individual formed people. In the society where people live, harmony and friction, and sometimes collision occur. Those human dramas are the source of fun and joy, and sometimes sorrow and anger in our lives. I am intrigued by the drama and I fell humor and irony in them. I try to reproduce the drama through snapshots. I assume that I might be confirming what I desire to become or not to become. Through taking portraits, I may be seeking to get understanding and sympathy from others as well as to compliment my shortcomings.

ステートメント

先日、東京で六甲国際写真祭関連イベントのワークショップに参加した。簡単に言うと写真を30枚〜40枚見せてステートメントを作るワークショップだ。

私は自分のサイトにステートメントとして挙げていた文章がある。しかしこれは10年くらい前に作ったので現在の私の作品制作に対して違和感が否めない。根本的なところは変わっていないと思うが意図する方向は異なって来ているので一先ず消した。

写真作品に関連したテキストで「ステートメント」ともう一つ「キャプション」がある。展示など見ていると混同されている印象があるが私の理解が100%正しいか判らないがこう理解している。

「ステートメント」とは作品作りに対する宣言であり、作品の具体的な説明では無い。この様な考え・意図により作品を作っている宣言、今風に言えばこのプロジェクトの趣旨概要宣言。写真作品制作を「プロジェクト」と呼ばれるようになり久しいが私はこの言い方に違和感があり使っていなかった。プロジェクトと書くとどうしても綿密な設計図があり部品があり求められた性能を発揮するモノを作り上げるイメージがつきまとう。これは私がエンジニアとして仕事をしていることが影響しているのだろう。しかし最近少し考えが変わりつつある。

「キャプション」は作品の解釈を助ける、広めるためのテキストと理解している。観た人が必要無いと思えば不要だし、作家が不要と考えればそもそも不要なのかもしれない。具体的に個々の写真の細かい説明は意味が無いが撮影の背景や被写体の理解を助ける情報は必要だと思う。概念的な単語を並べるより、出来るだけ平易で簡潔な文章の方が伝わりやすい。特に英訳する場合は必須になる。日本語特有の情緒的な文章を英語で伝えるのは難しい。撮影のスタイル(テクニカルでなくアプローチ方法)や など具体的に記述すると理解が深まるだろう。

また、「写真にはテキストは不要、観て伝わることが全て」との主張もある。写真だけで簡潔できる写真作品はある意味理想なのかもしれない。有無を言わさない強い写真、圧倒的な美しい写真など過去の名作と呼ばれる写真たちにテキストは不要だ。

ワークショップでは始めて私の写真を見た人たちがいくつかのキーワードを元にステートメントを作る。私も他の参加者の写真を観てテキストを構築した。写真をテキスト化し言語として再構築するすワークショップと説明されていたが、そのようなアプローチは作品の方向やセレクトに於いて有効に思えた。

今回のワークショップで作成したテキストは自分のステートメントを作り直すきっかけになった。
それと、自分が写真を通して伝えたい・表現したい内容が確認できたし今後のプロジェクト設計のヒントにもなった。

2台目のRolleiflex

2月のヤンゴンでシャッターが動かなくなったRolleiflexは現在、修理中で5月中には治ってくるだろう。
しかし今回の故障で予備の必要性を痛感している。偶々2月のヤンゴンは作品撮りがメインでは無かったのは単にラッキーだっただけだ。もし昨年8月の時だったら写真集も12月の個展もどうなっていたか考えると青ざめるしか無い。撮影においては慎重を期していたのにカメラが壊れることは頭の中に無かった。
10年くらい前に3.5Fも予備に持っていた時期があったがメインで使っている2.8Fのレンズ焦点距離の違いやシャッターの感覚に違和感があり実質予備として使っておらず2.8Fのオーバーホールを機に知人に譲ってしまった。

焦点距離のおなじ80mmで予備になるものを探していたところ縁あって2.8C、レンズはxenotarが手に入った。2.8FはPlanarなのでちょっとした違いがあるのかも知れないが、まぁそんなに明解な差は無いだろう。
ピントノブがfeet表示だったり、シャッター速度がISO配列以前だったりするがたいした問題では無いだろう。しかし2台体制で使うのに不便となる2つは手を加えることにした。
1つはストラップ取付部、Cの方はFのような「カニ爪」では無いのでストラップが共通で使えるようネット検索で見つけた部品をアメリカから部品を購入し付けかえた。途中ヤスリがけが必要だったり手はかかったが無事に完了。
2つ目はファインダーの暗さだ。2つで差が大きいと戸惑うだろうことは容易に想像できる。Fにはmaxwell screenが入っているのでCにも入れた。Fはピントスクリーンをユーザ交換できる構造だがCは本来出来ない。しかしネット検索するとユーザ交換できないタイプ用のmaxwell screenが購入できると知り、購入した。

新たにB&Hに注文したフィルムを届いたので試し撮影、そして現像。
私にとって2nd Rolleiとなった2.8Cはひとまず順調にテスト撮影を終えることができた。

こうして見ると2.8Fのように露出計が無いのでデザイン的にはすっきりしているように思える。
細かい話しだが、2.8Cは絞り羽根が10枚で、Fを含めてD以降は5枚となってRolleiflexの系譜を見るとCを完成形とあげる人もいるようだ。ピントルーペが上・下調整して視度補正ができることも私にはありがたい。
今後、どっちがメインRolleiになるのか分からないが、予備機があることで安心して撮影に臨める。