August/2019 ⭐︎その4 ;カレーからチン州にて

8/6(火)
マンダレー発、カレーミョー行きAIR KBZ K7226便はほぼ定刻に離陸した。今回は景色を見たかったのでチェックイン時に指定された通路側からCAさんに頼み窓側の空いている席に移動させてもらった。

雨季真っ只中の大地は褐色に湿っている。しばらく行くと大河チンドウィン川が蛇行しながら流れていた。ところどころ河岸に小さな集落があるが浸水しているように見えどこまでが川なのか分からない。そして飛行機の進む方向はインドまで続くアラカンの山々が折り重なって見える。

これまでミャンマーへ十数年通っているがシャン州インレー湖とヤンゴン以外ほとんど訪れていない。今回、カレーより入りチン州へ向かうに至るにいくつかのキッカケがあった。

インレー湖カウンダイン村のおばあさんに日本兵の話を聞いたこと、井本勝幸氏の日本兵遺骨調査を知り直接話を聞けたこと、NHK-BSの番組「戦慄のインパール」、クラウドファンディングで支援した茂野氏の映像作品「The Ancestors Memories」、ビルマ戦史研究家遠藤美幸さんの講演、鶴ヶ島で今泉清二さんとの話お聞いたことなど。特に今泉さんはインパール作戦から帰国しビルマ奨学金を設立しミャンマーと日本の関係に大きく貢献し、それが2020年東京五輪ミャンマーホストタウン鶴ヶ島市に繋がっている。

私も映像や本からビルマ戦線、特にインパール作戦は多くの書籍が残されており多少なりとも知識は得ていたが一度、現地に行ってみようと考えるようになった。8月はインパールで大敗し敗走するなか、食糧無くマラリアやアメーバ赤痢、脚気などで苦しみ、戦闘より餓死病死が増えていた時期になる。

カレーミョー空港に着いて飛行機を降りると思っていたより暑い。マンダレーから登った感覚だったがそうでも無いようだ。空調のない到着ロビーらしきところでイミグレーションを済ませて荷物を待っていると今回、案内してくれるマウンさんが来てくれた。

ホテルにチェックインしてから近くのショッピングセンターで傘を買って夕食まで休息。しかし上の階のカラオケがうるさい。聞くと夜の10時くらいまでらしく、夜中は静かになると聞いて安心した。

夕食はホテル裏手の小ぎれいなレストラン、味はまずまずだが店内が蒸し暑い。一応クーラーはあるがあまり機能していないようだった。ホテルに戻るとまだカラオケが続いていたが10時すぎ、ピタッと止んだ。頼りないがお湯が出るので髪を洗い、体を洗い明日からに備え早めに就寝。

 

8/7(水)
ホテルを9時に出発、街中はバイクが多いが町外れの大学を過ぎて登り坂になるとバイクも車も減ってきた。そして少し走るとチン州に入った。特にチェックポイントも無い。マウンさんに聞くと2012年以前はチェックポイントが沢山あり、パスポートやビザのコピーがたくさん必要だったと話していた。

山を登り始めると今回用意してくれた車、ランクルPRADOが威力を発揮する。雨も霧もはげしくなり10m先も見えない。クラクションを鳴らしながらの走行、そんな中多くのバイクとすれ違う。2人乗り、3人乗り、バイクの幅の3倍くらいの幅の荷物を満載したのもいて驚く。1時間くらい走ると車が止まる、この近くに大戦中に爆弾で大穴が空いた場所が残っているとのことで傘を差して山道を少し登る。昨日買っておいた大きめの傘が役に立つ。

その場所に着くと大きな穴が空き、時間が経ったため多くの草木が茂っていたがそれでも大穴の形はよく分かる。このあたりでも前回の調査で遺骨が3体見つかったそうである。

車に戻り、15分くらい行った道沿いの小さな村でイギリス軍の砲弾の先端部分が残っている家に寄ってた。ここの主人は近くの山々に入っては戦争の遺品などを集めいるそうだ。イギリス軍の砲弾は離れの中にあったが、母屋に入ると今度は日本軍の砲弾の残骸、恐らく擲弾筒の一部のような形をしていた、それと穴の空いたヘルメットが2つ。恐らく銃弾を受けて空いた穴だと思うが、即死だったのだろう。銃剣の先のようなもの、爆弾の破片、破片といっても1kgくらいありそうで、これが爆裂時に飛んできたらひとたまりもないだろう。本の中で爆裂片を足に受けて動けなくなったなどと記述されていたが実際を見ると恐ろしくなる。

今回の目的地ティデイムに着くと少し遅めの昼食。暖かい麺料理とジャスミン茶が体にしみる。

ゲストハウスにチェックインして一休み。目を閉じると今日見てきてたものが頭の中に鮮明に蘇る。ゲストハウスは屋上に上がることができ周囲を見回す。天気が良ければケネディピークが正面に見えるそうだが、雲と霧で見えない。

しかしミャンマー国内に不釣り合いな名前に山、イギリス統治時代に付けられたのだろうか?

部屋にいると土砂降りの雨、ゲストハウスが展望台のようなところなので傘を差して撮影へ。夕食へ行くのに18時に約束していたので少し前に外に出ると雨が上がり山あいに霧が残り幻想的な景色にしばし見とれカメラを持ち出し撮影した。

明日はさらに北上する予定だ。

 

8/8(木)
7時半にゲストハウスを出発し近くの食堂で朝食。牛肉を使ったカウスエで美味しい。ここのキリスト教徒が多いのかメニューに牛肉がある。8時過ぎ、うっすら霧の中出発、ティディム街道を北上するして30分くらいでマニプール川が現れる。茶色く濁り雨季の様相で流れが早い。インドのマニプール地区、その中心がインパールだ。

撮影しながら進むと重機を乗せたトラックが急な下り坂のヘアピンカーブで横転し重機ごと横たわっていた。舗装路を塞いでいたが路肩からなんとか通過。
しばらく行くと日本軍の手榴弾を保管しているおばあさんにあった。そのあと少し先の家で日本兵の名前が入った飯ごう、水筒、銃剣の先を保管してる家に連れて行ってもらった。飯ごうに「イナバ」の文字、所々小さい穴が開けられていたのは炊くときの調整用かと想像できた。

手榴弾見た目以上に重い、これが破裂するくらいの火薬を使うのかと思うとその威力は凄まじいい、映画などでしか見たことないが手に持つと色々な重みを感じる。

 

車でさらに北上しシンゲルで村の人が加わり日本軍の戦車の残骸へ、

林に入るとき近くの水たまりにバッファローが行水していて、我々に驚いて一瞬緊張したがすでにシンゲルのガイドさんは先に進んでいた、しかしぬかるみがひどくて足元が滑る。途中バランスをくづし尻もちをついてしまい、カメラが半分泥に埋まった。防塵防滴なので壊れはしなかったがファインダーの泥を落とさないと撮影がままならない。

戦車の残骸で、本体のように見えるが想像よりはるかに小さい。山の中に運び込む戦車だから小型なのだろう、戦争映画に出てくるような大きさより半分くらいに見える。

朝から雨に降られず、時より日も差していたがこの頃から遠く雷鳴、そしてスコールが降り始めた、急いで車に戻るが、気づくとシャツも泥だらけだった。
スマホで場所を確認するとインド国境まであと10キロくらいのところだった。
帰り道はスコールと霧だった。75年前はもっと雨が多かったと聞いている、そして想像以上に寒い。本当に想像できない状況で生きて帰った先人たちがいるのが不思議なくらいだった。明日の夕方、ヤンゴンへ戻る。

 

8/9(金)
夜中、お腹の様子が怪しくなり目がさめる。思い当たるのは昨日の昼食だ。

どこの村かもわからないが入った食堂で麺料理なら比較的安全だろうとマウンさんの配慮もあり食べたが、口に入れたとき妙な違和感を感じた。そこでやめて大人しく買ってあったパンで済ませれば良かったのだが、スコールと寒さで暖かい料理を食べてしまった。

朝、マウンさんに連絡すると薬を持ってきてくれて、これが効いたようで治まりつつあるのが助かった。

予定通り8時にチェックアウトしカレーワへ向かう。最終日はマウンさんからリクエストを聞かれ私は「チンドゥイン川へ行きたい」と伝えたところカレーワへ向かうことになった。カレーミョーまで戻り少し早いランチ、ここでも私は安全そうな麺料理を軽く食べた。

カレーミョーから1時間と少し、カレーワに2年前にリニューアルされた大きな橋に着いた。

チンドゥイン川にかかる立派な橋だ。車道の両側に細い歩行者用の通路があった。車で橋を渡り、戻るのは歩くことにした。眼下に茶色く濁った大河がゆっくりと流れている、ゆっくりに見えるが浮遊物の流れる様子を見ると見た目以上に流れが早そうだ。

75年前、白骨街道を必死の思いでチンドゥイン川までたどり着いた日本兵は満足な船もなくここを渡って行ったと本に書いてあった。目の前の景色を見ると現実味を感じない。
ここではなくてもう少し条件の良い場所を探したのだろうが流れる水量は変わらない。今日はたまたま天気が良く暑かったが大雨の中、しかも夜の渡河はやはり想像を絶している。
カレーミョに戻りチェックインまで時間があるので喫茶店に入り少し休憩。15:30、空港へ行きチェックインを済ませた。心配だった雨季の夕方便だが飛んでくれそうで一安心。
フライトは拍子抜けするくらい定刻出発、定刻着だった。

ヤンゴン空港でこちらに駐在している友人と食事をして私はいつものパノラマホテルへ。
ホテルのフロントでチェックイン。ドアマン、ポーター、フロントの人も私を覚えていてれて挨拶してくれたのは嬉しい。年に一度か二度しか来ない日本人を覚えているのはありがたい、
お腹もほぼ落ち着いてきた感じで一安心。

August/2019 ⭐︎その3 ;カローからメティラそしてマンダレー空港へ

8/5(月)
昨夜は断続的に激しい雨で雨音で何度か目が覚め、うとうとしていたら朝になっていた。9時にニャウンシュエに迎えの車がくるので早めに朝食をとり、荷物を確認して8時にチェックアウト。アンさんは忙しくずっとヤンゴンにいるそうで今回は会えなかったがホテルのスタッフが良くしてくれたので今回も快適なインレー湖だった。
土砂降りからカッパと傘で凌げる程度の小降りになりボートでニャウンシェへ向かった。

車は約束の9時より少し早くついて予定通りに出発できた。ニャウンシュエからシェエニャウンを左折して西へカローを目指す。ヘーホー、アウンバンをすぎて10:30、カローに到着。
カローへ向かう道中、ヤンゴンで買ったSIMの残高が無くなってしまいネット接続できなくなってしまった。その旨をドライバーさんに話をしたら車を止めて5000kytを購入してくれた。

カローで訪れる予定だった日本語学校の老先生が最近他界したことを数日前、友人からのメッセージで知ったがせっかくなので訪れたいと伝えた。中に入ると日本や日本語との関係を示すものがたくさんありここもミャンマーと日本をつなぐ貴重な場所だったことがしのばれる。

ここで戦争中日本軍が野戦病院に使っていた建物が今でもホテルで使われいてると聞き「カローヘリテイジホテル」へ向った。

カローヘリテイジホテルは100年以上前、英国の植民地時代に避暑地になっていた頃から建っていたようだ。そこを戦時中、日本軍の野戦病院として使っていた。当時、看護婦も日本から派遣されていたと本で読んでいたので周囲の景色は今と違ったのだろうかなど考えていた。

100年前からあるホテルは今でも現役でその佇まいを残していた。カローはいずれ何泊かしてゆっくり廻りたいと思わせる街だ。

友人の勧めでシャンレストラン「7シスターズ」でランチ。窓から街並みが見えるが、他のミャンマーの街と雰囲気が異なる、英国の影響か洒落た建物が多い。

12時少し前にカローを出発し一路メイティラへ。途中セキュリティチェックがあり少し驚く、ドライバー以外は車を降りてセキュリティチェックを受けて、車とドライバーは巨大なX線装置をくぐる、最初、何なのかわからなかったのでフィルムごと通してしまったのが少々心配だったが帰国後現像しても特に問題無かった。途中土砂降りの山道を走り車がかなり汚れていたのでガソリンスタンドでホースで洗車していた。ドライバーさんの運転や洗車を見ていて車を大切に乗っているのがよくわかり安心して乗っていられた。

午後3時少し前、概ね予定通りにメティラのホテルに到着しチェックイン。

メティラへ来た目的は私がミャンマー語を勉強している日本ミャンマーカルチャーセンター(JMCC)経由で私が里親サポートしている娘に会って激励しお土産の文房具を渡すことだ。

さて、これからどう移動しようかと思っていたらその子が通っている塾の先生から電話が来てバイクで迎えに来てくれた。

前もってJMCCの先生が色々伝えてアレンジしてくれていたようで、この日は何の苦労もなく移動できた。

最初、彼のバイクでダウンタウンにある彼の英語教室へ行った。そこに居るともう一人、数ヶ月前からFacebookで友達になりメッセージをくれていた女性から電話があり、彼に代わって話してもらったら知り合いということで話が早かった。

今回のメティラ滞在は僧侶、ダマタラ師がキーマンになっている。JMCCの先生も、今回会いに来た子のいる塾の先生もFacebookで友達になっていた女性も皆さん、ダマタラ師の教え子、同門生になる。そして彼らが各々塾を開きメティラの子供達に勉強を教えている。

Facebookで知り合った彼女の塾にへ行くと、今日の夜ここに戻って夕食をご馳走するから生徒たち(英語や日本など勉強している中高生)に話をしてほしいと頼まれた。

慌ただしいがその予定が決まるとサポートしている子が来る時間が近いので彼の塾へ向かった。インレー湖の仏像ファミリーにもらったマンゴーをここの教室へお土産として渡した。

彼の教室に着いて間も無く、約束の午後4時丁度にその娘がスクールバスと思われる乗合バスに乗って到着した。教室の後ろの黒板に最近のテスト結果一覧が書いてあり彼女が相当優秀なのがわかる。15歳の彼女は経済の大学進学を目指し勉強しているそうだ。

彼女の写真を撮って文房具の詰め合わせおの土産を渡し、激励を込めて話をした。

再び彼のバイクの後ろに乗りダマタラ師の元へ向った。少し街から遠いと聞いていたが15分くらいで到着した。ダマタラ師とはJMCCで確か2回くらい会っていたが私のことを覚えていてくれて、その時授業していた生徒たちに紹介してくれた。私も簡単に英語で自己紹介して記念写真を撮った。

ダマタラ師のところへ来たのは翌日、メティラからマンダレー空港まで車をお願いしていたので時間など相談するためだ。空港へ向かう途中に歴史のある珍しい様式のパゴダがあり、連れて行ってもらうことになりホテルの出発を朝8時に決めた。

その時、ダマタラ師から空港へ向かう車で英語を勉強している学生が2人同乗して話をしてもらっても良いかと聞かれたので、一緒に行きましょうと即答した。

ダマタラさんにた旧日本軍の慰霊碑と仏塔があると教えてもらい、バイクで連れて行ってもらった。慰霊碑に手を合わせ管理している僧侶に寄付して数枚写真を撮った。慰霊碑を見ると各部隊の名前が「戦友よ安らかに眠れ」の文字と共に刻まれていた。

日も傾いてきたのでそこから彼女の教室へ戻った。彼女は母親とお姉さんそして子供達7人とここに暮らして、夕方になると子供達が集まり勉強を教えているそうだ。

生徒さん達からの英語や日本語の質問、日本の歌を歌のリクエストまであったが、食事をご馳走になりつつ楽しい時間を過ごした。

夜8時半過ぎに先生はじめ子供達の何人かと一緒に私が泊まるホテルまで散歩することになった。ホテルはメティラ湖の大きな橋を渡った対岸にありのんびり歩いて行くと20分くらいかかりそうだ。

時々小雨降る道を歩きながら、数ヶ月前、彼女から突然Facebookに友達申請がきて、メッセージのやり取りが続き今に至ることを思い返していた。その時は彼女の目的・考えがわからず、正直少し警戒していた部分もあった。しかし子供達を自宅に住まわせ面倒を見ながら過ごしている彼女の生活、子供達に接する姿を見たら警戒心を持っていたことに対して申し訳ない気持ちになった。

また、メティラに来たらぜひ寄りたいと思う。

21:30ホテルに戻り部屋で一人になると盛りだくさん過ぎて不思議な1日が終わった。

8/6(火)
朝8時にダマタラ師が迎えに来るのでそれまでに朝食を済ませパッキング準備していると7時半ごろ電話が鳴る。出ると英語で話す若い女性の声だが発音がいまいち聞き取れないが、どうやらダマタラ師の学生で空港まで一緒に行く人だと分かった。部屋の前で待ちますと言ってたがまだ時間があるのでフロントで座っててもらうよう話をした。

8時少し前にチェックアウトし程なくダマタラ師が来た。車からドライバーさんともう一人若い女性。先ほどの女性と二人が英語を勉強中で道中一緒に行くとのこと。私は後ろの席の真ん中、両サイドに若い女性という状況でこれから数時間過ごす事になった。

連れて行ってくれた場所はマンダレー空港から近い、チャウセ近郊にある発掘中?の寺院だった。地中の埋もれていたのを発見され、屋根で囲い保存しながら博物館のようになっている。中でも印象的だったのは3つの仏像が重なっている仏像、最初の寄進者がいてその上に2つ目、一つ目の顔は2つ目の胸に穴がありそこから見えている、三つ目は2つ目の頭の上に作られていた。なんとも不思議な仏像で、ミャンマーでもこれだけだろうととの話だった。

何箇所かで記念写真を撮りながら表に出ると近くのレストランで昼食、ご飯、ラペットウなどよくあるローカルフードだったが思いの外美味しかった。

12時少し前、マンダレー国際空港に到着、噂には聞いていたが何もないところにポツンと空港がある。軍も使用しているようで戦闘機の離発着が何度かあった。

出発案内のボードを見るとカレーミョー行きフライトは「ON TIME」とあり一安心。

August/2019 ⭐︎その2 ;いつものインレー湖で会う人たち

8/3(土)
快適で慣れたホテルの部屋で目が醒めるのは安心感がある。クーラーも要らず薄い布団をかぶって寝られる快適さも嬉しい。
朝食をすませくつろいでいるとMarLeyさんが到着した。昨年に続き今年も通訳をお願いしている。天気はまずまずそうだったのでインディエン遺跡へ向かう。ここは13世紀ごろにタイから来た人たちの影響を受けて南ビルマとすこし形式の異なる仏塔が建てられと聞いている。今まで何度も来ていたが知らなかったことを説明してもらい改めて時代と時間の流れを感じることができた。しかし古い仏塔は来る度に真新しい姿に変わりつつある。

MarLayさんの話では。ガイドさんたちは綺麗に作り直すのでは無く、古い様式を維持して保存することを意見書の様な形で勧めているが、地元の仏教徒の人たちにとって「古くなった仏塔を新しくする=功徳を積む」の図式があり、思うように進まないそうだ。

乾季はボートを降りるだけでも一苦労だが、今は雨季で人も少なめでひっそりとしている。ここの山頂にお参りして仏塔群で鈴の音を聞くのが楽しみだったが今日は風が弱く少し残念だ。

ホテルへ戻る途中、いつものカヤン族(首長族)さんたちが機織りしているShwe Inn Lay(元Inn Shwe Pyi)に寄ろうとしたが扉が閉まっていた、今回もスカーフとバックを買おうと考えていたので近くの別の店に入る。髪を染めた今風のカヤンの娘が織っていた市松模様に似た柄が素敵だったのでいつ編み終わるか聞くと午後2時ごろとのことなので夕方またくるからと取っておいてもらう事にした。

今日のランチは多分友人のアイデアと思うが、Shwe Inn Thar Hotelでと言われていた。一年ぶりに馴染みのスタッフと1歳になった子供に再会。ランチは伝統的なインダー料理で美味しい。煮魚とトマトサラダ、野菜炒め、豚肉料理そしてデザートはマンゴーとスイカ、パイナップル。

ランチ後は長い付き合いのレチェの仏像ファミリーのところへ。
前もって連絡し、以前私が撮った彼女を含む3人の写真に写っている2人を呼んでおいてくれた(内1人は彼女の妹なので一緒に暮らしている)。

が、よくよく聞くと私のお願いを聞くために仕事を早退したり、妹さんは学校後の塾を今日や休んだりして集まってくれていた。
なんか申し訳ないと思ったが、私は大切な客人とのことで気にしないでとの話で安心した。

ここでもマンゴーをご馳走になり、さらにお土産にマンゴーを沢山もらったので残りの行程で食べたり、お土産にすることにした。

彼女の家にいる間に2回ほどのスコールをやり過ごし、4時半ごろに出てカヤン族のお店へ戻る。キープしておいてもらったスカーフを含め、4点購入、そしてカヤンの人たちを紹介したDVDも購入した。

ホテルに戻るとMarLayさんが用事があって今夜はニャウンシェに泊まるとのことで、職人さんたちのボートに混じって戻っていった。

レチェのファミリーとの付き合いは長い、私を呼び込んでくれた彼女ももう20歳になった。私のことを日本のおじさんと呼んでいる。彼女は2年前、大切な試験を体調崩し受け損ねてしまい、その後家族から勉強して受けるように勧められたが、勉強はあまり好きではないとそのまま、結局今はファウンダウンパゴダ下の生地布・衣類屋で働いている。

8/4(日)
最近、SNSなどでインレー湖の環境問題を目にするようになったが、今年は雨季の割に水位が低い。ここ数年この時期に来ているが少なめに見ても50cmくらいは低いように思える。インレー湖でも環境意識の高いホテル、工房など出来始めているようだったが、アンさんのホテルも部屋の水がペットボトルからガラス瓶に変わっていたし、クボタの浄化槽システムのことが部屋に書かれていた。

朝から降り続ける雨の中、ファウンダウンパゴタへ向かう、中に入って少し経ったら数メートル先が見えないくらいの土砂降りになった。

本堂でお参りすると中央の5体の仏像が大きなケースで覆われていた。なんでも今年のダジャンの時に軍の偉い人がきて、カバーをするようにしたそうで、金箔を貼ることもできなくなってしまい、地元を始め国中から来る参拝客が文句を言っているそうだ。

本堂下のお店に向かうと仏像屋の彼女のお店に着いても彼女がいなく聞くと近くの別店舗にいるので呼んでくれた。カウンダインのお婆ちゃんへお土産のロンジー生地を購入。彼女の見立てが成功するのは夕方にわかった。

雨がかなり降っていたので、ボートより濡れずに済むだろうと昨日行けなかったレチェの僧院へ歩いて向かう。傘をさして15分くらいで着いた。
本堂に入るとお坊さんが色々話してくれた。ここは先日、岩合光昭氏の番組「世界のネコ歩き」出てきた僧院。
ここで、一本の木から彫り出した仏像とそれにまつわる話を聞き、レチェ村に仏像、台座、飾り金属などの職人が多い独特の村の生い立ちがわかった。本堂の隣に彼女の家で寄贈した仏像や台座、飾りなどが置いてあり、ちょうど子供の僧侶がご飯のお供えにきて、写真を撮った。彼女との一緒に記念撮影。

11時少し前、鐘が鳴りお坊さんたちの食事、この後翌朝まで飲み物、飴など以外は食べない彼ら。沢山の量を食べていた。食事は近所の村々が5箇所が交代でお世話しているそうだ。ここには2人のお坊さんと7人の子供たちがいる、子供達は全員パオ族。インダー族の事どもあまりここには居ないとの事だった。
僅かばかりの寄進をするとお坊さんが私の旅の成功、健康、家族の健康を祈ってくれた。

雨も小降りになり、ニャウンシェへ。鈴木さんが最近始めたカフェへ立ち寄る。バナナケーキとドリップコーヒー。鈴木さんの奥さんが最近ここに来てミャンマー語を勉強しながらお店で働いていた。

ここ数年寄っている尼僧院へ行く途中、MarLayさんがボールペン、歯磨き粉、石鹸など寄進するために買い物をしていた。

いつものパラウン族が多い尼僧院へ行くとほとんど誰もおらず、聞くとガイドのMarLayさんが最近入っていた尼僧院ところへ勉強に行っているとのことで我々も向かう。

ここで、少し遅い昼食をご馳走になる、もやしサラダ、豚肉料理、ラペットウ、魚料理などどれも素朴で美味しい。

そして、ニャンウンシュエを後にカウンダインへ向かう。

ボートのスクリューの調子がイマイチとカンカンしばらく叩いていたがほどなく出発、この頃になると雨はすっかり上がり薄日も差してきた。
カウンダイへ着くと少し歩いておばあちゃんの家に、奥の家に近所の友達といて。
去年来た時に聞いていた50歳くらいの息子は4ヶ月前に亡くなっていた。酒の飲み過ぎで肝臓を患い結局母親より先に逝ってしまった。

彼女は元気で足が少し痛い以外、目も耳も頭も元気と自分で話していた。
近所に住む娘たちに自分が作った甘いお菓子やもち米ご飯(赤飯のような)を売ってもらいお金を稼いでいるそうだ。元気で頭もよく働いていて来年90歳になるも、また会いにこれるだろう。

ファウンダウンパゴダのお店で彼女の見立てで買ったロンジーの生地をプレゼントすると好きな色と柄だととても喜んでくれた。彼女の見立てが良かった事に感謝。

夕方、ホテルに戻り、裏手のミニンゴン村へ写真集Myanmarの表紙の子に会いに向かった。日本で買ったお土産を渡して家族と話をした。去年建て始めていた家は外が出来上がり、内装を作っているようで、もう新しい家に住んでいた。
子供達は少し緊張している感じもしたが、渡したお土産を取り出して10色ボールペンセットや可愛いようなシール、消しゴムに喜んでいた。私の写真集は近所の人たちも観に来るようで、これも私とこのファミリーの縁だと思っている。

話の中で、去年ここの家を探すのに手伝ってくれた、名物姉妹?の妹さんが乳がんで最近急逝したと聞いた。アンさんと村の人たちが病院など色々面倒を見ていたそうだ。ナンパンの病院で息を引き取った。

一人残された姉とホテルに帰る途中、会ったがMarLayさんはだいぶ前から知り合いだったようでショックを隠せない様子だった。

ミャンマーに来るようになって13年になるが、このような突然の別れの話は何回かある。

ホテルに戻り夕食でMarLayさんと色々話をした中で、仏像屋の彼女が将来やりたい仕事がわからないとな話いたそうで、心配していた。今日の別れ側に電話番号など伝えて、何かあれば相談に乗るようなことを話していたのだろうくらいは私も予想していたが、MarLayさんはもっと具体的に彼女のアドバイスなどしてくれていたようだった。

やりたいことがあれば、色々は伝手や縁を使って紹介などできるかもしれないとのこと。そこまで話をしてくれていたのは私も感謝だった。

明日は朝からカロー経由でメティラだ。今回、この先の予定がありインレー湖の滞在が短くなってしまったが会いたい人たちには会えたし話もできたので充実した滞在になった。

ミャンマーに来るようになり今回ほど異動が多いのは初めて。それが明日から始まる。

August/2019 ⭐︎その1 ;いつものインレー湖へ

8/1(木)

夕方まで普通に仕事してから家で夕食を摂りシャワーを浴びる。ここまではごく普通の日常だ。

今日はここから羽田空港へ向かう。今回はシンガポール乗り継ぎのヤンゴン行きだ。今回はいつになく移動が多い予定を組んでいるので昼便の全日空で行くより時間を有効に使いたいため深夜便にした。雨季を考えると予定通りに移動できるか若干の心配があるがまぁどうにかなるだろう。

搭乗案内があり、深夜のせいもあり皆、静かに乗り込むみ機内が落ち着いたように思えてしばらく経つが飛行機が動家内。。。
しばらくすると”保安上の理由で降りた客が居た”とアナウンスがあり30分くらい遅れて離陸。明朝の乗り継ぎが1時間くらいと短いので少し心配。ドリエルを飲んでウトウトと・・

8/2(金)

結局シンガポールチャンギ空港にほぼ定刻に到着。乗り継ぎ便も同じターミナル内で一安心。ヤンゴン行きシンガポール航空も定刻通りに離陸し順調にヤンゴンへ到着した。

昨年から日本人は入国審査はビザ無しだが何故か入国カードも無し、税関申告も不要の場合は何も無しでパスポート確認だけで「いつまで居る?」と聞かれて、12日間と答えたつもりだったのに一か月有効の日にちが入国印の所に記載されていた。ミャンマーへ来始めた頃、東京のミャンマー大使館へ2度行かねば成らず、また書類揃えたり、ATMで振り込めない手数料など面倒だった頃は遥か昔のことか。

到着ロビーで友人から預かっていた荷物を渡す人にも無事に会えて役目を果たした。その人にコーヒーをご馳走になり、両替やSIMカード購入も付き合ってもらい、国内線ターミナルへ移動するターミナル間シャトルバスがあるのを教えてもらった。

雨続きのヤンゴンと聞いていたが薄日が差す天気のなか、HEHO行きもほぼ定刻に離陸。

いつものKBZボンバルディアATR72-600、ピカピカの新しい機体なのか客室内も綺麗で椅子もガタガタしていない。

雨季らしいモクモクとした雲の間を順調に飛び予定通りにHEHOに着陸、ヤンゴンより涼しい体感で25度くらいだろうか。日本が35度猛暑を考えると赤道に近い東南アジアに来ているのが不思議なくらいだ。

今まではAnnさんに車を頼んだりしていたが、タクシーでインレー湖の玄関口、ニャウンシュエに行くのは訳ないだろうと今回は自力でタクシーを頼む。一応ミャンマー語の勉強をしているので英語が通じなくてもそのくらいは大丈夫な筈だ。あっさり英語でホテル名を尋ねられ答えると「解った、大丈夫大丈夫」との答えに安心して乗り込んだ。

道路(このあたりの幹線道路)が片側2車線に拡張され、山道に入っても2車線道路が続いていた。路肩に真新しいガソリンスタンドやレストラン、店舗も目に付く。このあたりは観光地でもあり開発が進んでいるのだろう。ただ山道に入ると無理やり崖を切り崩している感じがあり大雨で崩れそうにも思える。

タクシーは順調に走り、見慣れたニャウンシュエの街に入ったが、私が思っていたところよりだいぶ手前に止まった。そして「ここだここだ」私のスーツケースを下ろすとさっさと行ってしまった。どうやらここは「ボート案内所」みたいなところで、ここでホテル名を行ってボート(タクシーのような)を用意してホテルへ向かうのが一般的な観光客なのだろう。私が「友人のAnnさんがオフィスにボートを用意していてくれるからそこへ行きたい」と英語で説明してもどうも伝わらない。何度か話して、最後ボート案内所の人がホテルのフロントに電話して何となく様子がわかったようで、解放してくれた。仕方無いのでAnnさんのボート乗り場まで数百メートル砂利道をスーツケースゴロゴロと歩いて移動した。HEHOから降りてくる途中の道から見えたインレー湖は雨模様だったが雨は上が運が良い。

ホテルに着いて一息すると、裏手にミニンゴン村へ少し散歩。いつもの僧院に行ったら女の子が多く集まり、勉強していた。聞くと毎日夕方ここで勉強していて、教えているのは大学生のようだったGrade 11の化学、数学の教科書は全て英語で書かれていた。

行列計算、三角関数の公式、元素表やmolの計算式など懐かしいやら、すっかり忘れてる。

ホテルに戻り、食べ慣れた美味しい料理を食べて22:30に就寝。

進まない平泳ぎ

最近、近所にフィットネス&スパができた。徒歩で2分も掛からない距離でマシンジム、ホットヨガスタジオ、スタジオそして25mプールや大浴場まである。しかも月会費もリーズナブルでオープン前のキャンペーン(月会費5,000円)に乗っかり入会していた。

フィットネスに入ったのは今回が初めてでは無い、20年くらい前に近所のところに入会したが1年持たずに辞めてしまった。近所とは言え歩くと少々あり金曜休み、週末は早目に終わってしまうなど段々と足が遠のいてしまった。

その後、4年くらい前に自宅目の前に出来たジムに入ったがそこはスタジオもプールもなく活気もなくイマイチで半年くらいで辞めてしまった。

とは言え通勤に少し歩く程度で運動不足解消の必要性を感じていたところでプールまであって月5,000円に魅かれて5月から通い始めている。目標は週2回だが、まあ無理のない範囲で行っている。

暑くなる季節でもあって今は、ほぼプールで歩いたり、泳いだりして脂肪燃焼にを意識しているが、せっかくなのでもう少し泳げるようになりたい。

プールには歩くレーン、初心者レーン、中級レーン、上級レーンと区切られている。20年前もそうだったが、上級レーンで泳いでいる人たちは黙々と力み無く淡々と泳いでいる。

私は25mは平泳ぎでいけるが力が入っている割に進まない。どうも手足がバラバラで足でほほとんど推力を感じていない。プールがあるのだから泳ぐレッスンなどしてくれれば良いのだが、プールのレッスンらしきものは水中体操のようなものしかない。仕方ないので自力で練習なのだが20年前と違ってYouTUBEなるものがあり、探すと泳ぎ方を丁寧に実演付きで解説している達人がたくさんいる。毎晩動画を見てベットの上でイメージトレーニングして、いざプールに入る。

まぁそんなにイメージ通りに体が動く事ない。しかも動画の中の先生は「平泳ぎの推力は足が7割、手が3割」と仰っている。自分の感覚では手が7割なので根本的に間違っていることになる。

さらに動画先生は平泳ぎは手と足を同時に使うと水の抵抗になり進まないと解説していた。そんなこと考えたことも無く軽く衝撃を受けた。

なので、今日は行く前から頭でっかちになりつつプールへ、動画の中の先生たちは簡単にスイスイやっていたのだが、簡単に実行できるわけもなかった。でもあれこれ考えながら水中でもがいているといつのまにか25m。前より疲労感も少ない気がする。プールを出てジャグジーに浸かりながらこれも一応「手応え」だったのだろうと思うことにして次回に向けてまた動画先生のもとイメージだけ膨らませようと思った。