進まない平泳ぎ

最近、近所にフィットネス&スパができた。徒歩で2分も掛からない距離でマシンジム、ホットヨガスタジオ、スタジオそして25mプールや大浴場まである。しかも月会費もリーズナブルでオープン前のキャンペーン(月会費5,000円)に乗っかり入会していた。

フィットネスに入ったのは今回が初めてでは無い、20年くらい前に近所のところに入会したが1年持たずに辞めてしまった。近所とは言え歩くと少々あり金曜休み、週末は早目に終わってしまうなど段々と足が遠のいてしまった。

その後、4年くらい前に自宅目の前に出来たジムに入ったがそこはスタジオもプールもなく活気もなくイマイチで半年くらいで辞めてしまった。

とは言え通勤に少し歩く程度で運動不足解消の必要性を感じていたところでプールまであって月5,000円に魅かれて5月から通い始めている。目標は週2回だが、まあ無理のない範囲で行っている。

暑くなる季節でもあって今は、ほぼプールで歩いたり、泳いだりして脂肪燃焼にを意識しているが、せっかくなのでもう少し泳げるようになりたい。

プールには歩くレーン、初心者レーン、中級レーン、上級レーンと区切られている。20年前もそうだったが、上級レーンで泳いでいる人たちは黙々と力み無く淡々と泳いでいる。

私は25mは平泳ぎでいけるが力が入っている割に進まない。どうも手足がバラバラで足でほほとんど推力を感じていない。プールがあるのだから泳ぐレッスンなどしてくれれば良いのだが、プールのレッスンらしきものは水中体操のようなものしかない。仕方ないので自力で練習なのだが20年前と違ってYouTUBEなるものがあり、探すと泳ぎ方を丁寧に実演付きで解説している達人がたくさんいる。毎晩動画を見てベットの上でイメージトレーニングして、いざプールに入る。

まぁそんなにイメージ通りに体が動く事ない。しかも動画の中の先生は「平泳ぎの推力は足が7割、手が3割」と仰っている。自分の感覚では手が7割なので根本的に間違っていることになる。

さらに動画先生は平泳ぎは手と足を同時に使うと水の抵抗になり進まないと解説していた。そんなこと考えたことも無く軽く衝撃を受けた。

なので、今日は行く前から頭でっかちになりつつプールへ、動画の中の先生たちは簡単にスイスイやっていたのだが、簡単に実行できるわけもなかった。でもあれこれ考えながら水中でもがいているといつのまにか25m。前より疲労感も少ない気がする。プールを出てジャグジーに浸かりながらこれも一応「手応え」だったのだろうと思うことにして次回に向けてまた動画先生のもとイメージだけ膨らませようと思った。

ミャンマーのホストタウン「鶴ヶ島市」へ

先日、ある方に会うために埼玉県鶴ヶ島市へ行ってきた。鶴ヶ島市は2020年東京五輪に参加するミャンマー代表のホストタウンになっている。鶴ヶ島がホストタウンになったきっかけと今回私が会いに方とは大いに関係がある。

私がミャンマーを訪れるようになり友人知人が増えていく中で何度となく聞いていた「今泉記念ビルマ奨学会」。その存在は知っていたし、その奨学金で日本へ来た方にも何人か会ったこともあった。それを設立されたのが鶴ヶ島在住の今泉清詞氏だった。今泉氏は第二次世界大戦中、ビルマ(現ミャンマー)へ派遣され史上最悪の作戦としても知られている「インパール作戦」から生還され、帰国後鶴ヶ島で事業に成功し、「奨学金」を設立しミャンマーの若者に様々は機会を作り、日本とミャンマーの関係を築いてきた。そのような経緯からホストタウンに繋がったとの話を全鶴ヶ島市長の藤縄氏などから伺っていた。

今年で95歳になられたが、まだまだ元気で、私が訪れた時も丁度、出先から帰宅された時だった。

最初に私自身がミャンマーと関わるようになった経緯や現在の活動など紹介させていただいた後、事前に考えていたことをいくつか伺った。

その中で印象に残っている言葉がいくつかある。

「ミャンマー(ビルマ)は第二の故郷だから、ミャンマーに対して何か活動している人と会うのはとても嬉しい」

「オリンピックに向けて鶴ヶ島とミャンマーの繋がりができて感謝している」

戦争中の話では

「遺骨も遺品も持ち帰れなかったことをずっと申し訳無いと思い続けてい生きている」

「昭和49年にミャンマー国内6カ所で慰霊を行ったが、どこに行って聞いてもイギリス植民地から解放してくれた日本に感謝していることに驚き、うれしく感じた。後方から補給無くインパールから敗走中で食料を地元から徴用したり、労役に連れ出したり酷いことをしていたから、歓迎されることは無いと思っていた。しかし、どこに行っても大勢の人が集まりお祭りのような騒ぎで歓迎してくれた。”我々を救ってくれる神は東から来ると言い伝えがあり、それが日本だと信じていた。イギリの植民地政策はひどくてそこから解放してくれたことは感謝以外の何者でも無い”と答えが返ってきた。」と話をされていた。

数年前、私がいつも訪れているインレー湖の村で知り合った女性は子供のころ、ここに日本の兵隊さんがたくさんいて遊んで貰ったり、貴重だった塩を貰ったりしたと話を聞いたりと戦争当時の日本人とビルマの人たちの関係に少なからず関心を持つようになっていたので、半年くらい前からビルマ戦線に関する本をいろいろ読んでいて今回、今泉さんから直接話を聞くことができたのはとても貴重な経験になった。

そして今泉さんがこの日の最後に話した言葉「戦争は勝っても負けてもだめ、絶対に起こしてはいけない」は昨今の日本を取り巻く世界情勢を俯瞰すると重みを感じる。

写真は昨年8月に鶴ヶ島市で開催された水掛祭りイベント開会式、現鶴ヶ島市長さんの挨拶で来賓席に今泉さんも酷暑の中出席されていた。

ミャンマー祭り2019

2019年5月25日と26日に東京芝増上寺でミャンマー祭りが開催され、私は日本ミャンマー交流写真展で企画展「Myanmar2005-2018」を開催した。今回も好天に恵まれ、5月と思えない夏のような気温の2日間に大勢の来場者で賑わっていた。お越しいただいた皆様、写真集やプリント、ポストカードなど購入して頂いた皆様ありがとうざいました。また、会場ボランティアの方々の活躍もあり、写真展会場でミャンマーの寺子屋支援募金も集まり合わせて御礼申し上げます。

企画展で一緒に展示した小池隆氏はカラー作品で会場は、入り口にコンテスト入賞作品、奥の右手に私のモノクロ額装展示、左側にカラープリントパネルと変化に富んだ展示で観に来た人たちに様々なミャンマーを楽しんでもらえたと思っている。

今回、私の各写真に撮影した時のストーリーや想いなど短い文章を書いた。会場に居ると思っていた以上に多くの方々が熱心に読んでくれ、それについて話をした。この会場に来るのは、ミャンマーへ行った人、行こうと考えている人、仕事をしている人、していた人などミャンマーに関係のある人たちがほとんどで話は盛り上がる。(展示写真の一部)


撮影地:シャン州インレー湖畔、ミニンゴン村
撮影したのは2016年8月、こにらをじっと見てたのでカメラを見せて「撮って良い?」と合図すると頷いたので撮った一枚。
2018年8月に写真集をプレゼントしようと思い、家を探すとすぐに見つかったが本人は不在で母親に見せると「タミー」と言ったのが聞こえた。「タミー」はミャンマー語で「娘」だ。ずっと男の子だと思い込んでいた。彼女は2018年で9歳、撮ったときは7歳だった。夕方、再訪すると床にノートを広げ一心不乱に勉強している彼女が居た。髪は変わらず短めだったが2年で一回り大きくなり目のきれいな女の子になっていた。勉強が好きで将来は学校の先生になりたいそうだ。本を渡すと恥ずかしそうに表紙の写真をジッと見てそのあと写真集を見て特にヤンゴンの写真を興味深そうに観ていた。私が撮影したときのことはよく覚えているとのこと。

 

撮影地:シャン州インレー湖畔、カウンダイン村
彼女との出会いは2014年、「あなたは日本人?」と聞かれたので「そうです」と答えると昔の話をしてくれた。太平洋戦争中この近くに日本の兵隊がたくさんいてお菓子や塩をもらったり、日本語や歌を教えてもらったそうだ。きっと嫌なこともたくさんあっただろうが日本人の私に気を使いそのような話をしたのかもしれない。2018年8月に写真集(Myanmar 2005-2017 75頁掲載)を届けるため再訪した。彼女はこのとき89歳、まだまだ元気で私のことを「日本の息子」と呼び喜んでくれた。

 

撮影地:シャン州インレー湖、ガーベー僧院
ここは「ジャンピングキャットテンプル」として有名になった僧院だ。一時期某国の動物愛護団体から猫に芸を仕込むのは虐待だとクレームが有り飛ばなくなったと言う真偽のわからない噂を聞いたことがある。今は近くの土産物屋の人が時々来て猫を飛ばしいてるらしい。雨季特有の激しいスコールが来て多くの人が雨宿りしていた時30分くらい微動だにしなかったこの猫はヒマな人たちの恰好の被写体になっていた。

 

撮影地:シュエダゴンパヤー、ヤンゴン
平日の夕方、仕事帰りだと思わしき3人。職場の同僚で御参りに来ていたのだろう。彼らを見ていると数十分かけてお詣りしている。日本のお詣りだと手を合わせて終わりだが、彼らは子供の頃からお経を覚え毎日唱えている。仏教に帰依する度合いが全く異なり、生活に深く溶け込んでいることがわかる。撮影後、自分の曜日である水曜のところをお参りした。

 

撮影地:ヤンゴン、ダウンタウン
シュエダゴンの周辺は僧院も多い。朝散歩していると托鉢に廻る僧侶によく出会う。本来なら私も何か差し上げたいのだが、どうしようと思うだけで写真を撮り会釈だけで済ましお参りしたパヤーで寄進している。

 

 

撮影地:ヤンゴン、レーダン周辺
私がミャンマーへ来るようになったころと比べ、日本の若い人がミャンマーで活躍する姿を良く見るようになった。若い世代がミャンマーと日本の未来を創っていく姿を応援していきたいと思っている。

 


今回、写真コンテストの審査員として表彰式で「最優秀賞」のプレゼンターの大役を担ったが、受賞者はミャンマーの方で来場できず、丁度来日中のミャンマーの写真協会の中心メンバーであり、いつもミャンマーでお世話になっているZaw Min氏が代わりに賞状と副賞を受け取った。ヤンゴンや東京で何度も会っているZaw MInさんとこのようなかたちで向かい合ったのは不思議でもあり、楽しいひとときだった。

初日の夜、以前私が手伝っていたNPO関係に友人に誘われて東京タワー麓のお店で食事をした。食事が終わりお店を出て振り返ると美しい東京タワー。

 

PHOTO ONE 2019 Taipei

4/26(金)-28(日)まで台北の芸術中心(Art Center)で開催されたPHOTO ONE 2019に冬青社のメンバーとして参加してきた。イベントはポートフォリオレビューやスライドショーそして、PhotoBook Fairがあり、私はPhotoBook Fairに写真集「Thanaka」と『Myanmar2005-2017」を持ち込んだ。
結果、両方とも6冊づつの12冊が台湾の人の手に渡った。ひと月前に参加した香港でPhotoBook Fairに比べると近いこともあり、日本から参加しているブースが多く、知人も何人か来ていた。

ポートフォリオレビューを受ける人は熱心に本を見て中には複数冊まとめて買っていく人もいた。また写真関係の学生と先生も多く見かけたあたりは香港と少し様子が違っていたように思えた。事前に聞いていたのは「英語はあまり通じない」とのことだったが、流暢に話す人もいたし、学生さんも片言ながらも熱心に話をしていたことは印象深かった。私も何人からか質問を受けた。

・なぜミャンマーなのですか?

・なぜ白黒写真なのですか?

・2冊の写真集でトーンが異なるのはなぜですか?

などなど、他にも聞かれたことが無いような質問もあり正直驚いた。

今回、2冊セットを2人の方が購入してくれた。1人は大学で写真を教えているフォトグラファー、もう1人は職業は分からなかったが写真集を熱心に見て一緒に居た仲間?と「写真集の編集」についてあれこれ議論していたように思えた。

また、若い頃ロンドンに4年留学していた初老の男性が、Myanmar2005-2017は購入してくれたが、「私も写真集を出版している、これから1度家に戻り持ってくるから見て欲しい。そして気に入ってくれたらThanakaと交換して欲しい」と流暢な英語で提案された。1時間ほどで戻り写真集はアンコールワットを丁寧に撮り、纏めた一冊だった。それをTnanakaと快く交換し再開を約束した。

今回、金曜土曜は朝10時から夜10時までの長丁場、最終の日曜は夜6時半までで、複数回会場に来て本を見て回り最終日に買いに来る人が多かった。決して安く無い写真集、選ぶのも真剣だ。私の本では無いが冬青社の写真集で、欲しいが予算が足らないから値引きできないか?と聞いてきた学生が居て、最終的に終了時間が近づいた頃に友人にお金を借りて買っていた。

 

最終日、終了撤収後関係者で打ち上げがあり、いろいろな人たちと話もでき、料理も美味しく楽しい台北滞在となった。海外のイベントも回数を重ねると今まで気づかなかったことに気づいたり課題を見つけたりと学ぶことも多かった。

香港 PhotoBook Fair 2019

3月29日(金)から31日(日)の3日間、香港で開催された”HK PhotoBook Fair 2019”の冬青社ブースの一員として参加して来た。毎年、香港アートバーゼルの開催期間に合わせてアートバーゼル会場近くの芸術中心ビルの地下が会場になっている。

私自身は2014年(HK PhotoBook Fairの第1回)に参加し、昨年2018年に続き3回目になった。

写真は、左から参加写真家、渡部さとる氏、香港在住で渡部さんの友人Paulさん、Photographer HAAL氏、冬青社高橋社長そして私だ。今回、Paulさんには夕食をご馳走になったり、地元の美味しいお店を教えてもらったりと我々メンバーとてもお世話になった。今度東京へ来るときは我々で盛大におもてなしをすることになるだろう。

2014年、私は2013年に出版した写真集「Thanaka」を持って参加したがその時は確か2冊しか売れなかった。後1冊は他のブースで参加していた香港在住の若い写真家の本と交換しただけだった。2017年末に2冊目の写真集「Myanmar2005-2017]を出版したので2018年は久しぶりに参加したがその時は極端に偏った売れ方だった。「Thanaka」は全く売れず、「Myanmar2005-2017」は9冊売れた。特に2日目の土曜だけで7冊売れて私含め高橋社長も驚いていた。しかしその時「なぜここまで偏るのか?」との疑問が残り原因?要因?を後々高橋社長と考えた。そこで社長から出た推測・仮説?は「”Thanaka”の表紙に”Myanmar”の文字が無いので何の写真集か分かりにくいためでは無いか?”Myanmar”の文字を透明なシールなどで追加してはどうか?」という内容だった。
私は正直、半信半疑だったがそのアドバイス通りに”Myanmar”の文字の透明シールを作り表紙の右上の方に貼り付けた。

 

その結果、今年は写真集『Thanaka」が7冊、「Myanmar2005-2017」が8冊の売上となった。特に金曜と土曜の夕方までは「Thanaka」しか売れず、手に取る人を見ても「Thanaka」の方が圧倒的に多かった(感覚的に5:1くらい)。シール1枚でこれだけ違いが出るとは、これもまた謎が残った。

今回、8×10インチのバライタ印画紙のプリントも持参し、写真集の特別セットとして用意していたが、結局売れたのはプリントだけが1枚だった。それでも買ってくれた若い男性はとても嬉しそうにしていて「インスタやってますか?、フォローしたいです」と話してたのは今風だ。また、ブースを出していた北京の出版社&ギャラリーが販売用に購入してくれたのも嬉しいことだった。冬青社では先日亡くなった須田一政氏の写真集を2冊出版しており、その北京の出版社&ギャラリーも土曜に残っていた須田さんの殆どまとめて買って(仕入れ)いった。その須田さんの本と一緒に私の写真集も買っていってくれた。私のような無名の写真集を仕入れると言うことは多少なりとも何かを感じてくれたのだろう。今後そこで売れるようになれば追加注文がくることになる。

また、先日横浜の綱島で会った香港在住のアーティスト(Roseさん)の友人が経営しているフランス語書籍を集めた本屋にも無事行くことができRoseさんの娘さんとも会えた(娘さんは毎週土曜にここでアルバイトしているそうだ)。香港に暮らすフランスの人たちに友人が増え次回以降楽しみだ。回数を重ねると人の繋がりが増えてくる。

次は4月末に台北のイベントPhoto Oneに参加し冬青社ブースに立つ予定だ。