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写真展御礼状など

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8/22(木)の夜、ギャラリー冬青にプリントを納品した。これでひとまず展示が完了した。うれしいことにエディション2と写真集の作品から購入して頂いた作品があり、写真展終了後プリントを制作したものが仕上がり持参した。写真展前の5月に展示用をプリントしていたときとは違う緊張感を持っての各工程作業となった。

社長には2015年12月の次回展示にむけて幾つか聞いておきたいことがあり、幾つか質問をしたのだが、全てに明確に答えて頂けた。それだけではなく昨夜わざわざ電話を貰い心構えを含めた自分の姿勢につながる貴重な助言をいただけた。

そして昨日今日と写真展に来て頂いたなかで住所のわかる方々に御礼状を作っていた。明日発送するので数日後には届く予定。

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今回の写真展などについて記載して頂いたリンク(私にとって貴重な財産)

師匠 背中を押してくれた 写真展会場等で会うことが多い 

今回写真集と展示を通してお世話になった
 まとめの分析 写真集スタート 最初

先日、冬青の高橋社長からタイトルが「おめでとうございます」のメールが来た。中身を読むと写真集「Thanaka」日本図書館協会の選定図書に選ばれたとのこと。聞き慣れない名前だが字面を見ればどういうモノかはなんとなく想像はつくが正直、どのくらいの"意味"があるのか分からなかった。
ひとまず、御礼のメールを書いてネットで少し検索してみたがいまいちピンとこない。

それで、昨夜冬青ギャラリーへ行き社長の話を聞き、図書館協会からの通知書を貰った。今回の選定では120冊が選ばれていたが写真集は私の一冊しか無かった。サイトなどを見ると出版物の15〜20%程度が選ばれるようだが社長の話では写真集は希だそうで社長もとても喜んでいた。(もらった選定図書リストを見ると筒井康隆や林真理子、瀬戸内寂聴などの名もありその中に私の名前が載っているのは俄には信じがたい気もするが出版というのはこういう意味もあるのだろう)

選定図書になると「選定図書速報」・「週間読書人」・「日本図書館協会 図書週報」の3誌に寄って全国の図書館に紹介され、図書館に蔵書される可能性が出てくる。全国にどれだけ図書館があるか分からないが写真集の売れ行きに大きなプラスになるコトだと思いたい

しかし最も重要なのは図書館に蔵書されるということはより多くの人達に私の作品を観てもらえるコトだ。もし私が居なくなっても写真集は残る。

写真作家の写真集は本人の分身として一人歩きしていくからと聞いていたが少し実感出来てきた。

また、冬青社高橋社長がブログでこのコトを書かれているが合わせて私のコトを分析しながら綴っているのが興味深い。しかも概ね正しく、あのときそこまで見透かされていたのかと思うと少々恥ずかしい。

写真は写真集の表紙に採用した写真。写真展で展示もしたし写真集にも入っている。私自身とても思い入れのある一枚で、撮影時に「光」「タイミング」そして「構図」とも完璧に近く所謂「手応え」のあった一枚だった。写真集の表紙デザイン案は他にもあったが最終的に私の希望でこの一枚に決めた。

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展示が終わり1週間が経った。いつもの日常に戻ったのだが気がつくと展示が決まってから終わるまでの出来事、考えていたコトなど思い返していた。

コマーシャルギャラリーで展示することの意味、意義は前もって考えてはいたが、本当のところは実際に展示が始まって身に染みて実感することになった。今までメーカーのギャラリーやレンタルギャラリーで展示は経験していたが違いは予想以上に大きかった。

「コレクターの方にオリジナルプリントを購入していただく」言葉で書けばこれだけだがその中には様々な思い、こだわりが込められている。

今回は写真集も出版出来ただが、合わせての展示はこれ以上無いプロモーションになった。展示は終われば終わりだが、写真集は私の、写真展の分身としてこれから様々な出会いがまっていることだろう。

そして、2015年12月に次回の展示が決まった。私の今回の展示はギャラリーとしてはまだまだ力不足は重々承知しているつもりだ。それでも次の機会を与えてくれたことは今後の作家活動のなかでとても嬉しくもあり、糧となる。次回まで2年と4ヶ月、長い様でも今回展示した作品は7年かけて撮ってきたことを考えると決して長くは無い。

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今回展示した作品のなかで一番いろいろ聞かれた作品。「雪ですか?」と思われる方も多く居られたが「早朝の霧で宿泊先のホテルで撮った」と答えると一様に「いいところですね」との言葉。ホテルは合計で30泊くらいしているがこのような条件はこの日しか無かった。私にとっても貴重な早朝の一コマだった。

4週目の週末

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写真展「Thanaka」が始まり4度目の週末で写真展が終わった。

今回、写真展案内葉書(DM)を毎年年賀状を出している友人知人親戚にも送っていた。来てくれれば幸いだが遠方だったり忙しかったりで半分は「私は元気にこのような活動をやってます」の挨拶のつもりで出していた。

そんななか、十数年ぶりの友人、冠婚葬祭でしか顔を合わせない親戚も何人か来てくれた。そして私の小学校3年4年生の時の担任の先生が来てくれた。十数年前、退職後横浜から伊豆の方へ引っ越されていたのは卒業以来続いていた年賀状のやりとりで知っていた。
ところがDMを出して1週間後くらいに先生から封書が届いた。中には書道展のチケットと一緒に達筆な手紙。先生は数十年、ずっと書道と続け、毎年書道展に出展されていて今回丁度時期が重なり新国立美術館で開催中の毎日書道展に来た帰りにギャラリーへ立ち寄ってくれた。30数年ぶりの再会だったが、昔の張りのある声は健在で直ぐに分かった。
お互い歳は重ねたが先生は先生、小学校の時一番印象に残っている先生だったが先生も私のコトをいろいろ覚えていてくれたのは正直驚いた。3年生になったとき先生が強制では無いが日記を書くことを勧めてくれ、私は4年生までほとんど毎日書いて先生に出していた。ほとんど忘れていたが思い出してみると毎回先生は何かしらコメントを書いていてくれた。小学3年生が毎日書く日記など「誰々とあそんだ」とか「何を食べた」くらいしか書くことなど無かっただろうが・・先生はそんな私の取るに足らない日記を読み一筆加えて返してきてくれ、それを今でも覚えていてくれた。先生曰く「その時のしぶとさ、地道さが今回の写真展に結実している」と感じてくれたそうだ。立派な先生に出会えたことにいまさらながら感謝している。70代中頃にさしかかった今まで病気らしい病気もせず元気に暮らしていると聞きまたこのような機会でお目にかかれればと思っている。

他にもお世話になっているワークショップのメンバーを始め、多くの方々に来て頂き忙しくもうれしい最終週となった。

先日も書いたが2012年末に冬青社のポートフォリオレビューにエントリーする時の要項に書かれた
「オリジナルプリントを自らが販売する決意がある(10枚以上)」
もおかげさまで、12枚購入して頂けた。その中でもギャラリーで初めてお会いし購入して頂けたのは本当に嬉しかった。今後の作品作りの糧となり、そして責任も感じている。

まだ最終の正確な数量は聞いてないが写真集も70冊以上買って頂けたそうで、正直予想していた以上の結果だ。展示前、写真展の時に写真集を何冊用意するか相談したとき私は50冊もあればと思っていたが社長が「100冊用意しましょう」と仰ってくれたのが正しかった。

展示が終わり、先ずは購入して頂いた分をプリントし、一日でも早く届けられればと思っている。

今回2点がEditon No.2を購入して頂いたが、その中の1枚。これは早朝、ホテルでファインダーを観ていたとき偶然大きめの鳥が視界に現れ、慌ててシャッターを切り丁度真ん中に羽根を羽ばたいた状態で撮れた一枚。私自身奇跡的に撮れた一枚として思い入れの強い作品。

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3週目の週末

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写真展「Thanaka」が始まり3度目の週末が終わった。気付ばあと1週間、7/27(土)で展示期間が終わる。
7/20(土)時点で私の作品は8枚、購入して頂いている。
2012年末に冬青社のポートフォリオレビューにエントリーする時の要項に
「オリジナルプリントを自らが販売する決意がある(10枚以上)」
があった。(冬青社高橋社長のブログにも書かれている)

今回私のプリントはエディションNo.1~3が¥30,000(税別)の値段を付けさせて頂いた。無名の新人(歳は其れなりに行っているが)である私の場合当然、知名度や名前で売れるようなものでは無い。
自分も過去にそのような方の作品を購入したがその時購入しようと思ったのは"作品そのもの魅力"と"作家の将来性(もっと作品を観たい等)"を感じたからだった。

そのことを念頭に、先ずは今の自分が作れる最高の作品を作り上げようと常に考え展示作品を作り上げてきた。
決して安くは無い金額を出し買って頂いた皆さまに対して後悔させないように今後の作家活動を続けて行く責任も感じている。

今回の展示で、私がモノクロ銀塩作品作りを始めた頃から目標としてきた写真家の方々から私の作品について嬉しい言葉を多く頂けたことも自信になっているし今後の励みにもなっている。

展示はあと1週間、出来るだけの努力はし、結果を残したいと思う日曜の夜。

写真は小雨が降った土曜の夜。
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2週目の週末

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写真展「Thanaka」が始まり2度目の週末だった。先週は初日の緊張?や、トークショーが有り、自分自身落ち着かない在廊だった。なので連休初日土曜に初めて落ち着いた時間をギャラリーで過ごせた。

11時少し前にギャラリーに着き冷房を入れてまだ冷えないうちに両親と伯父が来てくれた。少し遅れて弟夫妻も到着した。伯父は印刷関係の仕事を長くされており、聞けば私でも知っているような美術館やイベントも多く含まれていた。私の展示にも何度か来てくれいてたが今回もじっくり一点ずつ私にいろいろ質問しながら熱心に観てくれた。そして感想を沢山話してくれ、私にとって新鮮な感覚を多く持たせてくれた。

昼過ぎに一族が帰った後も友人知人、初めて会う方など来てくれた。ここのギャラリーには椅子6脚に囲まれた大きなテーブルがある。お茶を飲みながら、写真集など観て貰いながらゆっくり話ができる。写真ギャラリーは暗めのところが多い中、外光が差し込む明るいギャラリーであることも話をするうえで大いに役立っていると思う。

夕方、事前に連絡も無しに高校時代からの友人が2人来てくれた。私が写真をやっているのは知っていただろうが纏めて観るのは初めてだ。まさか写真集まで出版するとは思っていなかったようで、私が送ったDMをみて早速Amazonなどで検索して驚いたと話していた。展示が終わった後地元付近まで戻り、中華料理屋で食事をしながらとりとめのない昔の話や最近の話題を話し何時とは決めないまでも再会を期して解散した。

この日も多くの方々が写真集を買ってくれた。またプリントも買っていただいた。貴重なお金を私の作品に使ってもらえることは写真作家としてこの上ないことだと思っている。それゆえに、それに見合う責任も感じなければならないと思う。

ギャラリーに居て様々な方々と話をしていると今まで自分でも気付いていないコトに気付かされる機会もある。そして壁に掛けられた作品達を観ていると次の撮影に向けて思うことも浮かんでくる。

写真は今日の夕方帰宅時の西の空。ここ数日の猛暑に比べれば少し過ごしやすかった一日だった。

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初のトークショー

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7/5(金)から写真展「Thanaka」が始まった。

そして昨日7/6(土)の17時からトークショーを写真家・渡部さとるさんにお相手をお願いし開催した。何度も聞くことはあったがやる側になる日が来るとは数ヶ月前まで考えたことも無かった。
展示が決まり、写真集も完成が間もない頃、渡部さんにお願いしてトークショーをやることを決めた。展示や写真集を観て頂くにあたり、ミャンマーの実際や私の作品に対する思いなど聞いてもらえればと考え、事前に何度か渡部さんと話をしてトークショーの内容を決めていた。前日、「突然、予定に無いコトを聞くかもよ?」と言われていたが、おおよそ想定していた範囲で、即答できないようなものは無かった。

ギャラリー冬青ではトークショーのとき、話し手側はギャラリーの一角に小さいテーブルと椅子を置き、聞く側は床に座る。トークショー開始5分前くらいに椅子に座ると沢山の方々がこちらを見ている。まぁ、仕事などで大勢の前で説明や発表は何度も経験しているから緊張は特にしないだろうと思っていたが、その場に座ると緊張と思える汗が手の平ににじんできた。渡部さんから下を向いてしゃべると奥まで声が届かないから上の方、あのあたりに話しかけるくらいの気持ちで丁度良いからとアドバイスを貰い落ち着いてきた。そして自分が話すときは少し上を向き、渡部さんが話す時は目線を戻す。そして"この人だったら多少失敗しても見方になってくれそう"な優しそうな人を何人か探してその人達を順番に見ていた。これは落ち着くには相当役に立った気がしている。丁度正面の椅子にいつもミャンマー等で世話になっているバンコクから帰国中だったDr.田中氏が居たのは多少曖昧なミャンマー情報も何度か確認できたことも含みとても救われた。

トークショーなどイベントに慣れている渡部さんにペースを引っ張って貰い丁度1時間程度で終了し、そのまま簡単なドリンクパーティーに移るコトができた。

トークショーの前後に多くの方々が写真集を購入していただき、正確に何冊になったのかまだ確認してないが、直前にサインを追加しておいて良かった数にはなっていたようだ。

本来ならば梅雨真っ最中の時期で大雨を心配していたがフタを明けてみれば観測史上希な梅雨明けで猛暑。熱い中貴重な時間を割いて足を運び、話を聞いて頂き御礼申し上げます。

明日も休廊で7/9からまた始まり、27日まで続くのでよろしくお願いします。次は7/10(水)の14時ごろから在廊予定。

20130707-001.jpgトークショー終了間際、Dr.田中さんが体調を崩し心配したが少し外で休んでいたらすっかり回復され、気付いたらいつもの調子でいろいろな人達にミャンマーやネパールそしてブータンの話をされていて一安心した。今回も強行スケジュールでご多忙の中、来て頂けたのは本当にうれしい限り。

それと1日前、写真展初日7/5の午前11時、中野のケーブルテレビが取材に来た。挨拶を交わし最初冬青社高橋社長に冬青社とギャラリーについて取材、次は私に今回の展示について聞かれた。そして本日(7/5)の夕方6時の情報番組で放送するのでとテレビカメラの前に座りインタビューを受けた。最後に展示作品、ギャラリー外観など20分くらいかけてじっくり撮影し帰って行った。夕方ギャラリー2階のテレビでその映像を見ると2~3分くらいにまとめられ放送された。録画手段が無かったため私のデジカメの動画で画面を撮影したがテレビ画面に映る自分の姿を観るまで午前中のインタビューは夢だったような気がしていたが本当だったようだ。

写真展始まりの2日間は盛りだくさんだったが、これからがじっくりと展示が始まる。

本日、午後からギャラリーへ向かい展示の確認とその他相談してきた。
そして、明日11時から写真展「Thanaka」がスタートする。

2013年2月に展示が決まり、写真集製作が始まり一段落すると展示用作品の制作が始まった。丁度引き伸ばし機をDurstに変えたタイミングであり、心機一転のプリントだったが、それ以上に写真集印刷に立ち会った2日間も大きな刺激になった。

先月中旬、展示用プリントをギャラリーへ納品したとき、高橋社長に「写真集の原稿のときこのプリントでしたら写真集つくりも楽でした・・」と言われた。私としては常にベストは尽くしている。そう思って頂けたのは何かしらの"進歩"だと思いたい。
そして半月ぶりに再会したプリントはきれいに額装され、ギャラリーの壁面に並んでいた。

午後2時過ぎ、ギャラリーへ到着すると先月展示されていた比嘉さんが居られ、展示作品と写真集に賛辞をいただき展示に向けて激励の言葉もかけていただいた。

高橋社長と相談し数点、展示順を入れ替えて数周観てまわった。自分としてはベストを尽くした満足の仕上がりと自負している。写真集と合わせて是非観て頂ければと。

明日、明後日は11時より終日在廊します。

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手紙

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先日、帰宅してポストを観ると達筆な宛名で封書が入っていた。差出人は私の小学校3年4年の時の担任の先生だ。退職されてからは地元横浜を離れ温暖な南伊豆に住まわれているのは年賀状のやりとりで知っていた。

来週から始まる写真展の案内DMを「私は元気に活動してます」報告のつもりで送っていたが、まさか返信が来ると思っていなかったから少々驚いた。
部屋で封書を開くと東京国立新美術館で7月末に開催される「第65回毎日書道展」の招待券と便せんが3枚。読むと先生も出展されているこの書道展に合わせて上京されるので写真展にも来てくれると電話番号と共に書かれていた。

30年以上お目に掛かっていないし、学校時代を通じて一番印象深い厳しくも優しい先生だったから緊張しながらご自宅へ電話を掛けたのが昨夜21時過ぎ。10回呼び出しでも出ないコトになんとなくホッとしたような気がしたが、30分後もう一度掛けるも同じ。22時過ぎは失礼になると自分に言い聞かせた。
そして今夜、21時30分過ぎ、再び掛けると数回に呼び出し音のあと、記憶の中の先生からすると随分、か細い声が聞こえてきた。お礼と簡単な挨拶をしただけだが受話器を持つ手に汗。久しぶりに緊張の電話だった。

約1ヶ月後、写真展の最終版にお会いできるかもしれない。何十年もの教師生活で何人の生徒を受け持ったのか分からないが、私を覚えていてくれたのはうれしい。

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毎年年賀状で見ている私の名前だが、自分ではどうやってもこう書けないだろう。きれいな字が書ければと思うわけだが、ほど遠いのが現実だ。

プリント納入

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6月15日(土)、中野の冬青社ギャラリーへ7月展示用のプリントを持参した。2階の部屋に上がり、箱を開け社長が手袋をして一点一点観ながら手を進めていく。
自分としては写真集の仕上がりを頭の片隅に今のベストを尽くしたと自負していたし、不安は無いつもりで居たが、いざその場になると何とも言えない汗を首筋に感じた。

写真集の原稿に使用したプリントと同じRolleiの印画紙だったし、そんなに大きな違いは無いはずだが、強いて言えば引き伸ばし機が違う、その差がどこまで影響しているのか厳密にはわからない。それでも社長の口から「このプリントを原稿に写真集作っていたらもう少し印刷が楽にできましたね」と言われ、それは写真集の原稿よりプリントが良くなっていることを意味している。プリントは常にベストを尽くしているが、まだまだ完成の域に達している訳では無く、同じカットを回数重ねてプリントすれば少しずつ変わっていくことはあるのだろう。

プリントを確認し、マットの窓寸、展示レイアウト案のチェックを済ませ、ギャラリーに降りてくるとホッとして、やっと今月展示の比嘉 良治氏の「海と岩の語りを読む・琉球諸島」をゆっくりと2周。私のイメージしていた優しく美しい南国の海辺とはかけ離れた荒波に現れ神々しい姿をした岩が印象的だった。キャプションに島人にとって海と陸の接点が彼らにとって神聖で重要と書かれていた。

ギャラリーには私の写真集がすでに販売されている。店頭分にサインを書いていると、比嘉さんの知り合いの女性の方が一冊手に取り購入して頂いた。話を伺うと何度かミャンマーに行かれていて「Thanaka」をご存じだった。帰り際、写真展のDMを数枚持ちミャンマー仲間の人にも渡して頂けるとのことで、目の前で写真集が売れる喜びと重みを感じた時間だった。

20130616-001.jpg写真展DMの2人の女性は私がいつもインレー湖でお世話になっているホテルのスタッフ。人の出入りが多いミャンマーで二人とも私の記憶している限り最初に訪れた2005年からずっと居る。左の背の高い女性はきびきびと働いたり、踊りの時に普段と違う笑顔が印象的。右の女性はお姉さんがマッサージをしてくれるので良くっていたがその妹さんだったことは3年前くらいに知った。もう一人下に妹が居てやはり、ホテルで働きたいと言っているそうで、もしかしたら次回行くときには会えるかもしれない。彼女たちの実家はホテルからボートで30分くらいのインレー湖では有名な景勝地、インディエンで食堂をやっている。毎回行くところで何度か、その妹さんに会っている。前に会ったときは小学高学年くらいだったがホテルで働くことに備え英語を勉強したいと話していた。

 
  

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