Myanmar_2006/12の最近のブログ記事

9-11日目(Jan/7-9/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010701.jpg 2007010702.jpg 2007010703.jpg

 ミャンマー最終日、6時に起きるが、ここはさすがにミャンマー第三の都市、この時間でもちゃんと電気がつく。

前日にお願いしていた通り6時に朝食を食べることができた。朝食後パッキングをしているともう迎えの車が来たとフロントから連絡があり、慌ててチェックアウトする。
7時前にタウンジーを出てA女史と合流地点シェニャオを目指す。
ドライバーさんが街中を抜けて急な山道を降りだした頃、片手に数珠を握り始めたのは少々気になったが無事に下山。しばらく走ると分岐路の街シェニャオに到着。
予定より20分近く早めに着いたのでA女史はまだ到着しておらず、昨日から今日一番の撮影ポイントになると予想していたトコロなので、約30分、勢いで撮りまくる。
朝日が照らし街に立体感を与え、車が来る度に舞い上がる土埃も演出的でさえある。

間もなくA女史も到着して一路へーホー空港へ向かう。途中の峠道を抜けると霧がどんどん深くなる、空港への入り口まで来てもまだ辺りは白く、フライトが遅れる?、欠航?なんて言葉がアタマに浮かび、11月組の7時間遅れを思い出す。
そうなったらそうなったでも、今回はA女史が居るので全然心配はしていなかった。ところが空港の200mくらい手前で突然霧が晴れて空は青空、ともて気持ちの良い天気で、飛行機も無事に飛んだ。
前回と同様にエアーバガンのジェット機で、少し前に離陸したエアーマンダレーを多分空中で追い越した模様。相変わらずモーターのような音のジェット機、エアーバガンの機内誌が面白かったので記念に持ち帰ることに。 A女史の話では今一番勢いがある国内線はエアーバガンとのこと。使用許可がまだ下りていないがボーイングの中型ジェット機も所有しているとの話で、それがそうかは判らないがヤンゴン国際空港にらしき機体があった。

ヤンゴンに10時過ぎ到着、やはりヤンゴンは暑い。後日談で知ったのだが、我々がエアーバガンのタラップを降りたとき、Dr.T氏はタイエアーのバンコク行きのタラップから我々を発見し、手を振っていたそうだ。我々はだれも気付かなかったが。

A女史の提案で先にシェダゴンバゴタに行き、小一時間程度撮影する。前回来たとき、最後の待ち合わせ場所が判らなくなり迷ったし、時間もあまりないので行動範囲を狭くしてじっくり撮り歩くトコにした。ここは観光地ではなく、ミャンマーの人達の聖地なのだと思いながら控えめに、彼らの邪魔にだけはならぬように撮影。今回もってきた指さしミャンマー語で「写真を撮っても良いか?」を駆使して、僧侶をメインに撮った。

そして今回も贅沢なことにデイユースのホテルにチェックイン、最初にヤンゴンで泊まったロイヤルプラザホテル。
部屋に荷物を置くとホテル2階の中華でランチ。

午後はたっぷりとお湯を張ったバスでノンビリ久しぶりの入浴、そして昼寝ごろごろで来たるべく社会復帰に備えた。

夕方5時半、A女史が再びホテルに向かえに来てくれて、ヤンゴン国際空港へ向かう。
チェックインにえらく時間がかかり、このちょうしだとフライトも1時間は遅れるのでは・・と思っていたが30分遅れ程度で、無事出国。

約1時間のフライトで食事を摂るという慌ただしい状況でバンコクスワナブーム新空港へ到着。

新しい空港でゲートはいくらでも余っていると思うし、実際余っていたのに、タラップと送迎バスで到着ロビーへ。ここで私はバンコク市内のホテルへ、同行Sさんは明日早朝便で帰国なので空港内で待機するので、解散。

入国審査、荷物のピックアップも順調で、タクシーもSさんから聞いたとおり、空港1Fのタクシー乗り場で、ホテルカードを見せてあっさり空港を出発。
約30分で、最後の宿泊地プラザホテルへチェックイン、23時丁度。
Dr.T氏の予約表通りの時間に驚く。機内食だけでは夕食は足らないので近所のコンビニ7-11へパンと飲み物を買いに行き、部屋で軽く食べる。窓から外を見るとスカイトレインや高層ビル、下を見ると夜中だというのに無数のタクシーが行き交う、眠らない都会だ。

疲れて就寝するも、なかなか寝付けない。外の騒音も気になるが、頭の中に今回のミャンマーが巡っている。それでもいつの間にか眠りに落ちる。 

1枚目の写真はシェニャオ
2,3枚目はヤンゴンのシェダゴンパゴタ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

Jan/8/2007(Mon.)
今朝はノンビリと朝寝をしようと思っていたが、街の喧噪に起こされる。時計を見ると朝の5時半、日本では朝の7時半になる。日本とバンコクは2時間、ミャンマーは2時間半の時差がある。このくらいだと時差とも感じていないが、今回の旅を思い返してみると、毎日のように夜10時頃に就寝し、朝6時前に起き出しててくてく撮り歩いていたのだから、体内時計はそのまま日本のままだったような気がする。

あさからHNK-BSを見てぐだぐだと時間を潰し、7時過ぎにホテルの朝食へ、可もなく不可もなくのレベル、ただぬるま湯にふらふらと浸けてあったハムは頂けないと思う。荷物の整理をしたり、デジの画像データを確認していると、もうDr.T氏との約束の時間10時半に。
ロビーに降りて読売新聞をつらつら眺めていたらDr.T氏(Dr.T氏は現在バンコク在住)が登場し、約束の品(ローライTシャツの残り)を引き取り、バックに詰めてフロントに預けホテルをチェックアウトする。

ホテルの周辺を歩きながら、いろいろ話を聞く。BTSにサラディーン駅周辺でお薦めの食事どころ、マッサージ、お土産屋さん等々。

結局ランチは最近流行のラーメン屋で私は塩ラーメンと水餃子、Dr.は醤油ラーメンカレーセットそしてレバニラ炒めを二人でつつく。確かに普通に日本の味で美味しかった。
ミャンマーで浮世離れした生活を送っていたがバンコクに来るともうすっかり俗世間に染まることが出来る。これで明後日からの社会復帰が少しでも楽になれば良いのだが・・
食後はスタバでカプチーノ。

ここで、いろいろ本当にお世話になったDrとは別れ、BTSでサパーンタクシン駅へ向かい、チャオプラヤーエクスプレスボートで川面からバンコクを眺める。風が心地よく、Sさんお薦めの快適な船だった。
途中のターティエンで船を下りて、ワットポーへ行く、巨大な涅槃仏を目の当たりにしてバンコクを実感する。寺の中をフラフラとしてからタクシーでサイアムへ向かい、マーブンクロンセンターへ行き中古カメラ屋などを見て回る(何処に行っても行くところは変わらない)が、値段は日本と同じか高いくらいで特に魅力は無かった。

BTSでサラディーンにもどり、ジムトンプソンで買い物をして、教えて貰ったマッサージでたっぷり2時間揉んで貰う。旅の疲れも取れて・・・と思っているが。。

夕食はソンブンでウワサのカニカレーを食べる、どんな味か想像できなかったが、予想以上のおいしさにビックリ、料金も手頃でお店は多くの日本人や白人で賑わっていた。

ソンブンの目の前がホテルなので、そのまま戻り荷物をピックアップしタクシーで空港へ。
ホテルでタクシーを呼ぶと900Bと言われていたので断ろうと思いきや、ボーイさんが普通のメータータクシーをホテルに手招きしてくれたので、300B弱ですんだ、ホテルはそれなりだったが、あのボーイさんには感謝だったが、うっかりチップを渡し損ねてしまった。

タクシーで約40分、スワンナブーム国際空港に到着、特に混雑もなく普通にチェックインして、職場等への土産を買い込んで飛行機を待つ。

巨大な空港で時間を持て余していたがほぼ定刻のフライト。予定より30分以上早い成田到着予定だ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

Jan/9/2007(Tue.)
往路とは異なる映画プログラムで、ちょっと楽しみにしていたフラガールを見ていたら、もう朝食だ。窓の外も明るくなり、フライトマップを見るともう四国沖だ。

 

8日目(Jan/6/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010601.jpg 2007010602.jpg 2007010603.jpg

昨夜の段取りでは6時前に起床しパッキングを済ませ6時過ぎから朝食、そして6時半から托鉢を撮影する予定だったが6時前に起きるも、電気は来て無く日も出てないので真っ暗だった。仕方なく外に出るとSさんも呆然と出てきた。仕方ないのでチェックアウト準備をするコトにした。しかし、ペンライトも無いので電波の来ない携帯の電源を入れてカメラ用ライトで作業。なんとなく前途多難な一日の予感。

 

6時半頃にようやく明るくなってきたので托鉢撮影へ、一応撮れたが前回のピンダヤほど画にならず・・
ホテルに戻るとジェネレータがうなりだし要約ホテルが始動。7時ごろに朝食、Dr.T氏は7時半前にへーホー空港へ向けチェックアウト、そのままヤンゴンに一泊して明朝バンコクへ戻るとのこと。

私とSさんは7時半過ぎに迎えの車で本日の行き先タウンジー及びカックへA女史見送りのなか出発。A女史は明日、ヤンゴンへ向かうため我々と同じ飛行機に乗るので、明朝シェニャオ(ニャウンシェからタウンジーに向かう幹線道路との交差する街)で再び合流する予定。

ニャウンシェを出てしばらく行くと前回も寄った古びた僧院へ寄り撮影するも韓国人団体客が観光バスから大挙して押しかけて来て終了。向かい側にお土産物屋まで並び、すっかり観光地化していた。

車で山道を登ること約1時間、タウンジーに到着。タウンジーは標高約1400mにあり、インレー湖よりさらに500mほど登る高原の街。
本日の宿泊先ホテルエンパイアにチェックイン?(荷物はそのまま車)し30分ほどドライバーさんとマーケットを散歩。タウンジーはヤンゴン、マンダレーに次ぐミャンマー第三の都市。人も車も多い。普通の街でマーケットもインレー湖のそれとは規模も違う。そして一番の違いはインドやパキスタン等中央アジア系の顔つきの人が多い。ミャンマーの人は日本人に近かったので、"外国"っぽい雰囲気が強い。

車に戻ると今度はパオ族のガイドさんと合流するため立派そうなホテルのフロントへ。パオ族の村を回るのでガイドさんを連れて行かねならない。 フロントで待っているとパオ族の女性ガイドが爽やかに現れた。彼女は英語を話すガイドさんだが、発音がとても明快で私にもとても聞き取りやすい。そして明るく元気で、しかも色白で綺麗な人だ。朝からどたばただったが、今日は楽しい一日になりそうな予感。

本日の目的地カックーは12世紀頃に王がパオ族とシャン族の各家庭に仏塔を寄進するように指示したのが始まりと言われている仏塔が8世紀にも渡り作られ続けた遺跡だ。しかし近年は何故かシンガポールの誰かの寄付で立派な参道やメイン仏塔ができたそうで、私にとってはインデンの方が趣があると思える。

そして、この仏塔群を目の前に中華レストランが一軒。今日のランチは必然的にここだ。料理は既にA女史から話がいってて我々は飲み物だけ注文して待つことに。
料理を食べていると猫がテーブルの下に寄ってきて寂しそうに鳴く。食べきれない量だったのもあり、少し分けてやると嬉しそうに食べるが、野菜より肉が好きみたいで肉をやり始めたら野菜を食べなくなってしまった。人間も同じだと・・・

遺跡は早々に切り上げ、来る途中に見かけたお祭りらしき広場に寄って貰うと"スクールフェスティバル"とのことで近所の村々から人が集まりサッカーや徒競走で盛り上がっていた。 1枚目の写真はそこで撮ったガイドさんとパオ族の人々。今回の旅で最大の悔やむべきコトはこのガイドさんのベストショットが無かったことだ。この写真もイマイチ。

お祭り会場を後にタウンジーへ戻る途中、あるパオ族の村で車を降りる。この時間だと多くの人は農作業に行っているようで人の気配が少ない。時々小さい子供が走っているくらい。ここはガイドさんの知り合いのお宅があるようで、その家に行くとおじいさんが窓から我々を手招きしていた。ガイドさんに続き我々も中へ。パオ族の一般的な家だそうだが、一階は作業場兼物置になっていて住居は2階になる。階段を登っていくとガイドさんから、ここはリビング、向こうがダイニング、隣がキッチンで、あの向こうがベットルームと説明したくれた。
壁は竹を編んだ涼しい感じがする部屋だ。我々がいろり?のあるリビングに通された時、家にはおじいさん一人。家族構成はおばあさん、息子夫婦と孫もいるそうで、人数を考えるととても広いとは言えないが、昔の日本の長屋を思えば十分広いと思う。電気は無いので部屋の中は薄暗いが目が慣れてくるといろいろ見えてくる。黒い子猫が殆ど動かずに置物のように座っていた。また部屋の隅にはペットボトルもある。鍋や食器らしきモノも隅に積んであり、人々の生活感が溢れていた。きっともう少しすると家族が戻ってきて今日一日の出来事など話しながら夕飯を囲むのだろう。きっと我々のコトも少し話題に出るのかもしれない。なんだか判らんけど写真ばかり撮っていたとか・・

間もなくおばあさんが戻ってきた。黒いパオ族の衣装を着ている。観光用やお土産用ではなくホンモノだ。結構伸びる素材らしく、膝を抱えた体育座りに上着をすっぽり足に被せていた。そして、近くで翌週のお祭りに備え伝統舞踊の練習をしているというので早速ガイドさんと共に向かう。

お寺と学校が一緒になったようなトコロにある集会所兼祈祷所兼練習場所のような建物に入る。中には見学の子供や大人も沢山居た。村に人気が少なかったのは農作業もあったのだろうが、ココに沢山集まっていたことも一因だったのだろう。

丁度練習が始まるところで、我々はステージ正面側に案内され、撮影には良いポジション。すると民族衣装をきた女性達が20人くらい、演奏に合わせて踊り始める。
これが、ホテルなどで見た民族舞踊よりは数段しっかりしていて、あ、ホンモノはこうなんだと実感。全体的に力強く手先の動作も機敏だ。それでも数人はやはり周りの人の動きを見てワンテンポ遅れて踊っているように見える。昔から伝わる伝統舞踊だろうし、昨日今日始めたワケでもないだろうから、きっとワンテンポ遅れる人を混ぜるのも伝統なのだろう・・・
踊りを指導する男性の先生がいたので、ガイドさんが話を聞くと、翌週に近隣の村々から集まって踊りのコンテストがあり、今日はその練習をしているとのこと。(2枚目の写真)
スクールフェスティバルと言い、偶然とはいえ貴重な体験をする。彼女と話していたがパオ族ではさほどイベントが沢山あるわけでは無いので、今日はとても運が良いとのことで、やはり彼女はラッキーガールなのだろう。途中、英会話の練習も兼ねていろいろ話をしたが、彼女はタウンジーに住んでいるパオ族で、タウンジー大学で英語を勉強したと話していた。見たところまだ20代前半くらいで若いのにとてもしっかりしている印象だ。
タウンジー大学で他の外国語(日本語等)を勉強できるかと尋ねたところ、日本語やフランス語等英語以外はヤンゴン大学に行かないと勉強できないと話していた。A女史とも面識があり、会うこともあるとのことで、後日Dr.T氏経由で写真を渡すつもりだ。そしてまたタウンジーに行った時は是非彼女にガイドを頼みたい。

夕方5時過ぎにホテルへ戻り、再度夕暮れのマーケットを少し撮り歩き(3枚目の写真)。

タウンジーまで来ると欧米人観光客は少なく普通の東南アジアの地方都市の雰囲気だ。インド系の人が目立つし、華僑が幅をきかせているそうで、泊まったホテルや近くのお店も華僑の人達で経営していた。

夕食は7時に再度ドライバーさんに頼んでA女史とDr.T氏お薦めのバーガーハウスへ、パンはイマイチも肉は絶品のハンバーガー。地鶏のフライドチキンも日本では味わえないおいしさだった。普通の鶏のもも肉はこの程度の肉付きで、ケンタッキーなどで食べる鶏は養殖でたっぷり肉が付いているだけなのだろう、とにかく美味しかった。
それとフライドライス(チャーハンに近い)も美味しかった、コーラ2本で締めて二人で5300チャット(約530円)ととてもリーズナブルなお店だった。

ホテルまで送ってもらいドライバーさんと別れる、今日一日ご苦労様と気持ち心付けを渡す。明日はまた別の人が迎えに来る。

ニャウンシェと比べれば都会のホテル。お湯は普通に出るし、テレビでNHK-BSも見れる。明日はヤンゴンに戻るので段々都会へというのがなんとも寂しい。

7日目(Jan/5/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010501.jpg 2007010502.jpg 2007010503.jpg

今朝も早めに目が覚める。時計を見ると6時少し前だ。部屋から外を見ると良い感じの靄がかかっている。そそくさと着替えてカメラ担いでホテル内を歩いていると同行Sさんも既に撮影していた。靄のかなたでヘリコプターのようなモーターボートの音、チャプチャプとオールを漕ぎながら静かに進むボートからは笑い声も聞こえてくる。

こうして、今日もいつもの一日がゆっくりと始動していく。

今朝はもう普通に朝食を摂り今日のインレー湖最後の一日の予定を話し合う。
午後にはニャウンシェに向かうので、最初に私がダウンして行けなかった仏像屋へ行き、その後お祭り中のインデンヘ。ランチはバンブーレストラン。そしてノンビリとニャウンシェに向かうという予定に。

ミャンマーは昨日1/4が独立記念日、日本から独立した記念すべき祝日で、インデンでは昨夜からお祭りが続いているとのこと。

5泊6日お世話になったA女史のホテルをチェックアウトし、A女史、Dr.T氏、Sさん、私とでホテルを発つ。
A女史は忙しい中、我々に同行し今日は一緒にニャウンシェに一泊し明朝ホテルに戻る予定。明日はオールドハウスのランチやその他イベントをこなすそうで、そんな中でも我々と一緒に来てくれたことにはもうお礼のしようも無いとSさんと話す。Dr.T氏も明朝一番の飛行機でヤンゴンへ向かう予定。

ゆっくり目の朝食を済ませ、近くの仏像屋?へ、ここは4代続く伝統ある仏師の工房兼土産モノ屋さんで、もう200年以上の歴史がある。ここで私も先日Sさんが購入した味わい深い見に仏像(純金付)を十個購入、一個1,500チャットで約150円だ。
先日訪れたタバコ工場で働く女性が一日800本のタバコを巻いて500チャットだそうで、そう考えると相当高価なお土産と言うコトになる。ミャンマーの物価とか賃金を考えるといろいろ悩まされる。学校の先生が月給15,000チャットとも聞いたし、学校設立に最初に必要なお金は800ドルから・・・我々の持っているカメラ、フィルムの値段でいろいろなコトができる。ある意味仕方ない部分もあるが、もう少し自分にできることがあるのだと考える・・・
今回が2度目のSさんは、本当は5体でセットの仏像?を1体だけA女史を介して交渉し購入していた。そして嬉しそうにバックへしまっていた。

A女史が仏師さんにお願いし仏像を彫るところを実演してくれて、我々もそれをカメラに納めたワケだが、ここでもミャンマー人気質?が発揮されていて、緻密さは無く、全体的におおらかな仏像だ。

仏像屋を後にインデンヘ向かう。独立記念ののイベントもあるが、もう一つ。バンブーレストランランチ、正確にはホテルの宿泊客の希望で、バンブーレストランでランチのグループがあるので、我々(Dr.T氏、Sさん、私)はそれに便乗するとのこと。
実際にその場所を見るまでは、私もSさんも、「折角、湖上というロケーションがあるのに、わざわざ竹林でランチするのは、、、??」などと話していたが、その先入観はあとでアッサリ忘れるコトになる。

遺跡やお土産ものは先日見たので今回は少し歩き回ってみるコトに。独立記念のイベントは昨夜がピークだったようで、今日はもう"後の祭り"のような雰囲気だった。それでも特設ステージ?では、何かの準備をしていて、ステージ前には多くの人がゴザを広げて雑談をしていた。(我々はランチ後にインデンを後にしたのでこのステージで何が行われたかは結局わからなかった)

インデンは仏塔遺跡の反対側に小高い山があってそこにもいくつか仏塔が見える。A女史に尋ねると歩いて15分くらいだからランチ前の腹ごなしに行ってきては?との提案にDr.T氏、Sさんと一緒にA女史のスタッフの道案内のもと登ることに。
スタッフの道案内はありがたいが聞くと彼もここを登るのは初めてだと、案の定少遠回りしながら急な階段を暫く登る。肩で息をしながら山頂に辿り着くと、小さな寺院に高僧が一人で生活している様子。そういえば途中で麓の村や僧院から食料や水を毎日運んでいるのだろうと思える一行とすれ違ったことを思い出す。
僧侶が何か言葉を発していたが内容は全く理解できない。でもなんかありがたい言葉をかけてくれたのだろう思える優しい笑顔が印象的だった。

お腹も空いてきたころに丁度竹林のバンブーレストランに戻る。そうすると周辺の様子は先日見た何も無い時とは見違えるような世界が広がっていた。

所々大きな傘で飾られた竹とホテルスタッフ10人くらいで準備していた食材、調理機材、装飾置物、大きな屋根の付いた竹製のテーブル&椅子。そしてショー用のステージ器具一式まである。(行ったことはないが京都のお茶会のような感じかもしれない)
食事はバーベキューベースでチキン・ビーフや野菜の他にヤンゴンから取り寄せたエビまで出てくる。飲み物はアルコール類やコーラ、食後の珈琲まで。A女史の発想と行動力には驚きの連続だ。

食後に対岸の村にも歩いて行き、人々を中心の撮り歩くが、遺跡跡付近の子供はマネーマネーに少々ウンザリだが、村の人達は素朴でステキだった。

ここから一気にニャウンシェに向かうもボートトラブルで途中のA女史の湖上レストランに寄り修理。約30分要したが完了。これが昨日の2時間ボートでは無く良かったと一安心。前回はインデンでボートのスクリューが落ちて、ホテルまで取りに戻るなどボートは必需品だがトラブルも多いのだろう。それでも陸地を走る車よりは少ない感じだ。ボートはいざとなれば漕いで進むことが出来るし。

約45分、インレー湖から川を上ってニャウンシェの船着き場に到着すると、近くで釣りをしている人が居た。持っていた釣り竿やリールが妙に高級そうに見えたので聞いてみるとやはり日本人だった。なんかのんびりと滞在しているようでつかみ所のないオジサンだった気がする。

そうこうしている間に、A女史が私の渡した写真を見せていろいろ捜索してくれていた。するとシクロ(自転車のサイドカーのようなモノ)の運転手の一人が自宅を知っているとの朗報。

これは、今回の旅、最後のシゴト、先生探し。ミャンマー関係の情報などでいろいろお世話になっている人からの依頼で知人の先生を捜し、写真とカメラを届けることに。

もし仮に私とSさんだけだったらきっと、相当苦労して探すことになっただろうし、もしかしたら辿り着かないかもしれない。

シクロに荷物と共に分乗してホテルへ向かう。チェックイン後、早速シクロに乗り先生の家を目指す。シクロか街並みを眺めていたが、今まで居たインレー湖とはずいぶん雰囲気が異なる。当然と言えばそうだが、陸に上がったコトを実感。人々は普通に歩いているし、車も沢山通る。子供達も元気よく走り回る。ニャウンシェはさほど大きな街ではないか、何となく"良いトコロ"な感じる。ここにも多分数日間ノンビリ滞在したらそれはそれで楽しいのだろうと思う。
シクロで15分くらい走る。何度も細い路地を曲がり、どんどん奥へ入っていく。とても覚えきれない道だ。

ここだと、シクロの運転手が頷くと、A女史を先頭に私も入っていく。
興味津々と思えるキラキラした瞳で子供達が集まってくる。その騒ぎに気付き奥から先生が出てきた。写真の女性だ。彼女は学校の先生で、近所の子供にも教えている優しい女性。穏やかな表情と意志の強そうな眼が印象的だ。写真の中の子供達は三年前、今はすっかり大きくなっていた。

私は写真とカメラを私、ここに来た経緯や目的を話し、無事会えたことがとても嬉しいと伝えたらとても喜んでくれた。そして再びミャンマーに来たときは是非寄っていって欲しいと話していた。現地の人の家に入ったのは初めてだったが、綺麗に片付けられ、決して広くはないが、幸せそうに暮らしているように感じた。(先生は英語を話す)
先生との話に夢中になっていたが、ふと隣を見るとA女史が子供達にカメラの使い方を説明していた。私一人だったら満足な説明もできなかっただろう。

先生宅を後に歩いて大きな通りに出ると、近くに僧院があった。中に入ってみると教室で何かの勉強をしていたが後ろの席では寝ているのも居た、ドコでも似たようなモノだ。さらに奥に入っていくと若い尼僧さんがピンクの袈裟を着て歩いていた。A女史が話しかけるとピンダヤからここにきてもう6年になるそうだ。彼女についてどんどん奥まで入っていくと、尼僧の僧院の広間に通される。
小さい尼僧3人と、お寺の偉い尼僧さんが出てきていろいろ話していた。お土産にミカンをもらいお寺を後にすると、もう陽が落ちる時間。人々は屋台に集まり一日の最後を楽しんでいるようだった。

するとA女史が豆腐ヌードルを食べると言って、近くの屋台へ、私も少しだけ賞味するが結構美味しい。こういうのが普通に食べられたらもっと楽しい旅ができるのだろうが、仕方ない。

夕食はホテル近くのイタリアンレストランでピザを食べる。意外と普通のピザだった。

宿泊はインレーインホテル、このホテルは前回ピンダヤで泊まったのと同じオーナーの系列ホテルだそうで、雰囲気が似ている。(最初ベットがスポンジでナンダ?と思ったが意外と寝心地は良かった。ただお湯のでないシャワーは、ある程度予想していたが少々残念だった。ただこのホテルの従業員がみんなやたら若い、多分10代の真ん中くらいにしか見えない。なんか子供達で運営しているようで不思議な感じだ)

明日からはひとまず私とSさんの二人だけになる。いろいろ段取りを確認して就寝。
今日はとにかく先生に会えて本当に良かった一日だった。(現地の人との出会いは旅の貴重な体験だと改めて思う)

1枚目の写真は朝靄のインレー湖。
2枚目は200年続く4代目の仏師。
3枚目はニャウンシェの先生宅で写真を見て喜ぶ子供達。

6日目(Jan/4/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010401.jpg 2007010402.jpg 2007010403.jpg

今朝も早めに起床(5時半頃)、ベットでウトウトしていたがようやっと復調を実感。そう、久しぶりの空腹感で目が覚めた。
でも、朝食は念のため消化の良さそうなパンと、シャンヌードル等軽めに済ませる。

今日は一日かけてインレー湖南部カザ(Sam ka)へ、お昼ご飯はピクニックセット(ランチボックス)を持ってでかける。ボートに積み込む荷物の量に唖然とするが、これもA女史の心遣いと後でわかることに・・・

ここ数日、毎朝湖は霧に覆われている。気温が低いのか湖面からたちこめる靄が幻想的で、毎朝似たような風景を撮ってしまう。

朝8時前には出発。今日はパオ族の村を訪れる予定なので近くのホテルでパオ族のガイドさんを乗せるとのこと。
インレー湖上の他のホテルを見るのは初めてだが、Dr.T氏の話通り、A女史のホテルを一生懸命真似ようとしているのがわかる。でも真似は真似、オリジナルには及ばないのは"Shwe Inn Tha Hotel" に宿泊している我々の目には明らかだ。

ただ、このホテルのロビーに日本刀?らしきモノと旧日本軍と撮ったと思われる写真が飾ってあった。全く読めないミャンマー語に混じり、英語で

"General Governar Nishimura Takuma"と書いてある。
総勢100人くらいの集合写真で、軍服を着た日本兵と頭に布を巻いたパオ族らしき民族衣装の人達が沢山写っている。

このホテルを出る頃には少し視界が良くなってきて、靄の中を進む家族連れボートや漁師達のバックに黄金のパゴタという画になる状況だがレンズが短く思うように撮れなかったのは残念。

東南アジアと言っても乾期の標高1000m地帯、陽が差さないと気温も低い、しかも高速ボートの上で体感気温は15℃以下な感じだ。毛布にくるまって軍手は正解だった。
インレー湖は南北に大きな2つの湖があり中央部分が狭くなってりる、そうヒョウタン形の湖だそうだ。軍事政権故か正確な地図が無いので、ガイドブックやそのたあちこちで見るインレー湖の地図は同じモノがない。ボートで南下していくと段々幅が狭くなってくる。両岸が自然と視界に収まり始めた頃に橋が見えてきた。このアタリが多分インレー湖で一番幅が狭く、普通に川のようなトコロだ。

橋のたもとがチェックポイントになっていて、ここで一度ボートを降りる。子供達が普通に遊び、女性達が洗濯している傍で、カラシニコフを持った民兵が笑顔でバイクにまたがっていた。普通、銃を持った人を撮るなんてしないが、ココでは普通に撮れてします。恐る恐る近づき、カメラを指さしてみると、笑顔で頷いた。その表情はとても親しみやすい優しいオジサンの顔だった。

両岸に時々集落がある風景が続く中、まだ段々水面が広がってくる。南側の湖に入ったようだが、北側の我々が滞在しているインレー湖とは少し様子が異なる。
浮き草が少なくなり、水の色が青い。Dr.T氏の話だとアルカリ性の強い硬水なのだそうだ。でも綺麗だし思わず手を出して飲みたくなるが、自粛しておく。

目的地カザ(Sam ka)に到着すると、仏塔の土台部分が湖に埋まっていた。この雨期は水量が多く、今でも引き切れていないとの話、通常だとこの仏塔は歩いて廻るところらしい。近くの村を一通り散歩して撮り歩く。このアタリは観光客も少なく、素朴な人達が素焼きの器を作りながら暮らしている。そんな感じのところだ。

ランチは水上集会所のようなところにゴザを広げ、漆塗りの乗せ台を置き、クーラーボックスから冷えたコーラやスプライト、ポットからは熱いお湯で、カップラーメンと珈琲も戴く。私の体調を考慮して、クロワッサンまである。ドコに行っても完璧なもてなしをしてくるA女史にますます感謝。

強い日差しを避けながらランチ。そして食後に珈琲を飲みながら周囲を見回すと、墨絵のような水墨画のようなため息の出るような景色がどこまでも、どちらを向いても広がっている。時間の感覚も麻痺し、半日くらいココでボーっとしていたいが・・・・間もなく出発。もう少し南下すると水面からわずかに頭を出す壁や仏塔が見えてきた。ここは以前は陸地で、下流にダムができたため水没したトコロとのこと、壁はこの一帯を支配していた有力者が作った長く巨大な城壁のようなものらしい。
もし、ダイビングでもして潜れれば、きっと素晴らしい世界が見えるのだろうと思う。

1枚目の写真が水没した仏塔。

2枚目の写真はカザ(Sam ka)にいた黒髪の美しい女性。髪に椰子油を塗っていたところ、日差しが反射してとても美しい。

ここより南に行くとさらに大きな湖になっているとA女史の話だが、外国人は入れないブラックエリアなのが残念だ。

折り返し、北上する途中、幾つかの村に寄る。こちらの村々は各々、何かを作り生活の糧にしているようだ。あるところでは素焼きの器、別の村ではライスペーパー、地酒、ウイスキー等々。。

そんななかの一つの村でこの旅最強の子供に遭遇する。最初はあまり印象が無く、どこから着いてきたのか定かでは無いが、あまりの表情と周囲からの扱い(姉と思わしき女の子に首を絞められたり叩かれたり)に同行のSさんと笑いが止まらなくなり、最終的には相当枚数を撮ってしまった。

3枚目の写真がその子供。手前で写っているのが同行SさんのGR-D。液晶画面に映る自分の姿に感動していたようだ。

さらに北上しながら寄り道をし、夕方に無事ホテルへ戻る。ようやく体調も撮影も本調子になり一安心。

今日行ったインレー湖南部は次回、絶対にもう一度来たいトコロだ。風景と言い人々と言い今回の旅でもっとも印象深い。

夕食はアラカルト注文でで混雑するダイニングレストランを避けて裏手のオーキッドレストランへ、ここは静かで贅沢な空間。ここもA女史の指示のもと設計され建設されたと聞き改めて驚く。

夜は8時すぎからサンセットバーでショータイム。何度か見たパオ族の伝統舞踊だが、相変わらず気の抜けた盆踊りのようで、隣の人を見ながら踊っている人が多い。まぁ、本職はホテルのスタッフなので仕方ないのだろうが、どうも何年経ってもあまり上達など変化は無いとDr.T氏のコメントなので、きっとこれで完成形なのだろう。それでも一人の男性スタッフが披露するファイヤーダンス&刀を使ったダンスは見応えがある。他は孔雀ような飾りで廻ったりするだけの踊りなので、実質ファイヤーダンスの彼ひとりで持っているようなショーに思えた。どうもミャンマーはタイやインドネシアの様な緻密で高度な踊りは存在しないというか、そのようなモノを求めない民族性なのかもしれない。これは絵画などの芸術作品を見てもそう思える。

部屋に戻るとランドリーサービスの袋が戻っていた。インレー湖は今夜が最後、明日は陸地へと移る予定。5泊なんてすぐに終わってしまう。
連泊で広げ過ぎた荷物もそろそろ方付けねばと思いつつ、まずはランドリー袋の中身(私の着替え)をベットの上に開けると薄暗いながらも見慣れない"物体"が幾つか・・・ここのランドリースタッフさんは靴下など綺麗に丸めてくれるし、Tシャツもお店の様に畳んでくれるからすぐに詳細が判らなかったが、目が慣れてきて"物体"を手に取ると・・・正体が判明。靴下かと思ったのは女性モノ下着、しかもそうとう大きい・・・ほかも確認すると女性モノばかり。袋の番号を見ると合っている。中身を入れ間違えたのだろう。
再度、袋に戻し(入れ忘れが無いか良く注意し)ホテルのフロントへ。事情を説明すると顔なじみのフロント女性も大笑い。笑いながら内線で確認する。私のは探して部屋に届けるから待って居てくださいとの話。15分くらいしたらスタッフが来て、"これですか?"との問いに"ハイ、これで間違いないです"と答えみんなで大笑いしてしまった。本来なら単純なホテル側のミスなのだが、怒る気は全く起こらず、楽しい旅の軽いアクシデントという感覚。
部屋で荷物整理を済ませホテル内のお土産ショップに行くと丁度A女史と間もなくDr.T氏も現れた。洗濯物の一件を話すとA女史もDrもお腹を抱えて大笑いしていた。

体調も良くなり安心して就寝。明日はこの旅最後の宿題が待っている 。

5日目(Jan/3/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010301.jpg 2007010302.jpg 2007010303.jpg

休息の一日へ・・・・

朝起きても、体調は回復せず朝食も軽くお粥だけかろうじてすする。

午前中はひたすら寝る。いくら寝ても眠い、カラダが休息を求めているのだろう。

ランチはレストラン前でシャンヌードル(薄味のうどんのようなモノ)を作ってもらうものの相変わらず殆ど食べられず・・・

Dr.T氏とSさんは午前中、近くの仏師のお店に行ったり、保育園?に行っていたそうだが、動けないのは仕方ない。
ただ、Sさんが買ってきた小さなお土産には惹かれるモノがあり、後日買いに行けたらなぁと、思ったりしていた。

午後になると少し回復の兆し、動き回れる気がしてきたので、トイレも有るとのことで、前回行ったタバコ工場へ行く。
前回撮った写真を渡したかったし、窓辺に通りかかった女性にも会いたかったし・・・・しかし、タバコ工場の女性には写真を渡すことができたが、"窓辺の女性"は近所の人らしいが不在らしく、残念だ。ファインダーに集中しきれないながらも工場の女性達を撮影する(1枚目の写真)。

しかし、中国人団体客が来てしまい終了。しかし彼らのあの会話はなんであんなに大声なのだろうか、そんなに広くない屋内で大勢が大声で話すもんだから、働いている彼女たちのささやかな話し声や鼻歌が全く台無しだ。やっぱり今日は休めと言う一日のようだ。

ホテルに戻り部屋でウトウトしていたが、寝ぼけながらも窓から外を見ると綺麗な月が山並みから丁度昇るところ。ベットから数枚撮影(2枚目の写真)。

夕方部屋から登る月を撮影。。。

夕食はホテルのメインレストラン、昼より少し食欲が出てきたが、通常の1/4程度で終了。これで24時間強、マトモに食べていないコトになる。

ただ、A女史やDr.T氏の助言に従い、ポカリスエットは飲み続け水分は摂っていたので、発熱などもなく、これ以上の悪化は無いだろうと思えるようになると、気持ちも楽になり、寝る頃にはなんとなく明日は大丈夫なような気分になってきた。

明日は、先日のスイスファミリーがお薦めのインレー湖南部へボートで2時間かけて行こうという話になっていたから、これはなんとしてでも参加したいと思い"病は気から"の言葉を思い出しながら就寝。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

---A女史と宿泊したホテルについて---

今回の旅は、ヤンゴン1泊、インレー湖で5泊、ニャウンシェ1泊、タウンジー1泊そしてバンコクで1泊、機中1泊でその半分強を過ごしたのがA女史のホテル"Shwe Inn Tha Hotel"だ。
A女史はミャンマーの少数民族のひとつ"インダー族"の女王(別にお姫様の恰好をするわけでも召使いが居るとかでも無いです)と呼ばれていて、と言っても政治的なモノはなく、厳密には判らないが地元の相当な有力者ということだと思う。A女史のお父さんにお世話になった人というのが、インレー湖の周辺を中心に相当居るらしく、A女史はドコに行っても歓迎されるし、尊敬されているのがよく分かる。

A女史はホテル経営を軸に、その収益を使い学校や病院、孤児院なども作っていて、これも各村々で歓迎され尊敬される一因なのだろう。なので、我々がA女史のお世話になりミャンマーを旅する場合、間接的に地元の人達に還元できるのも写真を沢山撮らせて貰っているお礼にもなりとてもステキなコトだと思う。

ヤンゴン大学の学生だったころ、A女史は陸上短距離選手で、今でもミャンマーの国内記録を持っているそうで、素早く力強い行動力の源はこのあたりにあるのだろう。また、若い頃にカメラマンとして活躍していた時期もあるとのことで、山で観光客などの写真を撮って一足先に山を駆け下りて現像・プリントをして、売ることから彼女の事業がスタートしたとご自身が話していた。
なので、我々の撮りたいポイントも掴んでいるし、意図を伝えればいろいろアレンジもしてくれるし、ベストなアングルについてもアドバイスをくれたりもする。

ホテルに話を戻すと、客室は全て湖上の独立コテージになっている。全室トイレとシャワーまたはバスがある。電力を発電機に頼らざる得ないインレー湖ではお湯は貴重で、実質バスタブにお湯をたっぷりと入浴とは行かないがシャワーは普通にお湯が出る。また、スーペリアルームには冷蔵庫とセーフティボックス、ドライヤーも備えてあり。ベットの質も問題なく、設備的には十分4星だと思う。ただ星などでは表せない気の利いた優しいサービスと笑顔のステキな若いスタッフも居る。特に男性スタッフは多くの日本人が"ジャニーズ系"と喜ぶ(特に女性)人材が豊富だ。11月に行った仲間の女性はジャニーズスタッフにかこまれて満面の笑みを浮かべている写真を撮っていて、何度見ても会心の笑顔だった。
宿泊客の殆どが欧米人で彼らのリピート率の高さもこのホテルのもつクオリティを証明している。Dr.T氏の話だと、A女史は欧州の有力紙にも何度か紹介されていて、知名度も高いそうだ。

ライフラインの弱さからホテルにはハイテクな設備は皆無だが、それが我々旅行者には新鮮で素朴な喜びになっているのだと思う。そうして長く滞在しても飽きさせないような工夫もA女史は常に考えていて、前回来たときより充実しているし、今後もいろいろ計画があるようだ。

前回工事中だった、オーキッドレストラン、大幅増築のサンセットバー、新設の浄水設備付のプール等々。湖上のホテルに何故プール?と思ったりもするが、実際見てみるともっと暑かったら入りたくなるのだろうと思った。
また、食事にもいろいろなスタイルが用意されていて、これが快適な長期滞在を可能にしているのだろうと実感した。
食事をする場所を挙げてみると

1.ホテルのメインレストラン
2.オーキッドレストラン
3.湖上レストラン(ホテルからボートで15分位)
4.オールドハウス(ホテルからボートで5分弱)
5.インデンにあるバンブーレストラン(正式名称は聞いてませんがそう思える場所で後日体験するコトに・・)
6.ほかにもサンセットバー等もあり

これらを有効に使い、様々な演出と料理でもてなすことを実行している。インレー湖は移動がボートしかないので観光客が自分で歩き回って食事を探すのが難しいし、他にもあるレストランなどの衛生状態も不安がある。A女史のところだと火を通さない食材は調理器具も含め、すべてミネラルウォーターをつかって洗うので、新鮮な野菜も安心して食べられる、

ミャンマーの人達に気質なのだろうが、全体的におとなしい感じがする。自主的に創造的に自分のシゴトをこなし、能力を高めアピールしていく人は少ない。なので、A女史のところもA女史の考えや・指示で動いている。それでもスタッフの中にA女史が"タミエ"と呼ぶ優秀な人材が居て(タミエとは"単に娘"のような総称?)、彼女には安心していろいろ任せられるらしく、A女史が10日以上もホテルを留守にすることができるとのこと。ただそれでも毎日数回ホテルに電話をして指示を出しているようだ。

A女史と初めてあったのは前回のミャンマー撮影ツアーでヤンゴンに着いたときだった。第一印象はいろいろ予備情報を貰っていたことを差し引いても、厳かで優しい風格と知性溢れる感じの女性に見えた。ただ実際いろいろ話したり、行動を見ていると、気さくで親しみやすい一面もあり、多くの人から尊敬され慕われていることを理解するのは容易なことだった。

写真を撮り始めていろいろな人と知り合ったが、とても大切な"友人"と言って良いのか分からないがその一人だと思っている。また訪れたいし、今回のお礼も何かしたいし、来日されるときには是非会いたいと思う。

最新の「地球の歩き方~ミャンマー」にA女史のホテルが載ったせいか、最近少し日本人客も増えているとのこと。私も絶対のお薦めのホテルです。

3枚目の写真が前日に撮影した、満月とプールと山並みとサンセットバー。

4日目(Jan/2/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010201.jpg 2007010202.jpg 2007010203.jpg

何となく日本時間のままのような気がしながら、朝5時前に目が覚める。(日本では7時過ぎ)

朝焼けが綺麗だったのでホテル内の桟橋から撮影。

今日もノンビリ目の朝食、A女史から近くのお寺で得度式があるので、今日はまずそこへ行こうと・・・このアタリは朝にその日の予定を決まる優雅な旅だ。

前回の時も得度式があったが、今回の方がこぢんまりとしてローカル色が濃い。得度式とは子供が仏門に入るための儀式でミャンマーでは家を売ってでも盛大にとりおこなわれる大切なイベントだそうだ。
会場に入ると、正面に祭壇があって、多くのお供え物があり、右手にこれから僧侶になる子供が二人着飾って座っていた。

一族との記念撮影も終わり、これから髪をそり落とす、気付くと我々の他にも写真やビデオで撮影しているスタッフが居る。多分、この子供達はそれなりの家庭の子供なのだろう、お金で作られた船のお供えも沢山あるし、着ている衣装が豪華に見える。

髪をそり落としているが、石けん水を頭に垂らし、カミソリで剃っていく。でも切れ味がそうとう悪いらしく、よく見ると小さな切り傷であちこちが切れている。それが痛いのか、石けん水が目にしみるのか半分泣きそうになっている。その様子を心配そうに見守る身内の視線と、いつか自分もこうなるのかと漠然と興味津々に見入る小さい子供達が印象的だ。

そして最後に僧衣に着替えて僧侶から言葉を貰い、それに対して返す、ような儀式が続く。(1枚目の写真)

 この場所は建物の二階にあり、一階では食事を準備している人達や、食事をする人達が沢山居る。天井の上では厳かに儀式が続いているし、上の人達とは無関係とも思えないが・・・なんか不思議な感覚がする。余談だが、この一階は二階部分を支えているだが、どう見ても柱が少ないし細い。耐震偽装では無いだろうが、上に推定100人以上が居て、一斉に暴れたら落ちてきそうな気もする。そしてところどころ床というか天井に片足が入りそうな穴も空いている。まぁ、のどかなものだ。

昼食は混雑しているA女史のレストランを避け、昨夜夕食を食べたオーキッドレストランで済ませる。本当に立派で落ち着ける建物でくつろぐことができる。浮世離れした水上生活を満喫。

一休みしてから、ジャンピングキャットのガーベー僧院へ、飛ぶ猫で有名なところだが、本堂に沢山ある仏像はどれも古そうで趣がある。Dr.T氏曰くここの仏像は本当に素晴らしいとのこと。
ココに着いた時、我々以外に誰も居なかったが、気付くと他にも欧米人らしき観光客が数人来ていた。すると、奥に居た横柄そうな住職らしき人が、近くの人に指示をして、猫が集まる。そして、猫は飛んでいたが、まぁ、一度見れば十分な気がする。(2枚目の写真)
A女史はここでも寄進していたが、本当に横柄そうな住職で、後でA女史に聞いたら、坊さん組合?でも嫌われモノだそうで、どこにでもそんな人は居るモノだ。

今日は夕方にA女史のレストラン前で、ある団体客向けにボートレースがあるとのことで、我々も見学することに。
前回来たときは、我々のために、150人近くを集めてボートレースをやってくれたし、私も乗り込んだ。とてもあの足で漕ぐスタイルは真似できるモノでも無く、邪魔だけはしないように気を付けていたのを思いだす。

ボートレースまでまだ、時間があるので、レストラン裏の小道を散歩する。ここはもう完全に陸地のようで、すぐ裏にライスペーパーを作っている集落があった。このライスペーパーはこっちの人達のおやつらしく、市場でも沢山売られているし、バリバリ囓っている人を良く見る。
学校帰りの子供達とすれ違う。緑はミャンマーのスクールカラーらしく、ヤンゴンやバガンでもこれは変わらないのだろう。(3枚目の写真)

片道40分くらいで折り返す。帰る途中、ちょっと顔が熱くのぼせたような感覚が・・・

このレストランでは前回、体調を崩した仲間が居て、その時の教訓で、仮眠できる部屋ができていて、私も少し横になる。

まもなく、ボートレースも始まるが、ボートから少し撮影して終了。

このころになると、気分も悪くなり、お腹にも違和感が・・・・

食べ物はみんなと同じモノしか食べてないし、水を含めいろいろ注意していたのだから、きっと食べ過ぎと強い日差しにやられたかもしれない。

ホテルに戻るとA女史が新たに作ったサンセットバーとプールそして、満月と遠く山並みが写真を撮りたいと自ら、撮影していた。理想のアングルを求め、ボートに脚立を立ててその上に乗りながら撮っていた。なんか危なっかしい足下に心配になる。だが一番心配していたのはA女史にオリンパスのデジイチ(E500)を貸しているDr.T氏だったのかもしれない。
私と同行のSさんは、プールサイドの端から撮れば、全部はいるからと足場も安全なコチラを薦める。A女史にとりあえず撮った画像を見て貰うと、納得、Sさんが持ってきていた三脚が活躍して無事、A女史満足の一枚が撮れた。このときはファインダーに集中していたから体調が悪いコトも忘れていたが、部屋に戻るとグッタリしてきた。夕食はホテルのレストランだったが、全く食欲が無くそのまま部屋に戻る。

少しすると、A女史、Dr.T氏、Sさんが心配して部屋に来てくれた。A女史はポカリスエットと湯たんぽを持っていて、水分を沢山摂り、暖かくして休むのが一番と話してくれた。夜中にもし、何かあれば私に電話してくれと優しい言葉をかけてくれた。

お腹がグルグル、頭はズキズキと厳しい状況だが、とりあえず寝ようと・・・

夜中に何度か目が覚めたが、ポカリスエットを飲みながら一夜を過ごした。

3日目(Jan/1/2007)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2007010101.jpg

 2007010102.jpg 2007010103.jpg

 朝、7時ごろ目が覚める。初めて迎える海外でのお正月だがそれほど実感がない、なんか不思議な感じがする。

昨夜は遅くまでパーティだったので(私は早めに寝てしまったが・・)朝食は8時半頃だ。

撮影に備え荷物を整理したり、今日行く予定のInDein(インデン)で渡す写真をプリントしたりしていた。それでも時間があったので8時過ぎにレストランへ行くともう多くの宿泊客が朝食を食べたり、もう出発していく人も居た。
展示した私の写真を見ながら話している人も多く、少し話をすると、結構喜んでいてくれて、"これは何処だ?"とか、"この人は誰だ?"とか聞かれたが明確に答えるのは難しい・・だが、いずれにしても反応があるのは嬉しいことだ。置いておいたポストカードも順調に減っていた。やはりインレー湖で撮ったモノクロの方が減りが早い。

朝食後、ボートでインデンヘ。11月に行った仲間の話では前回に比べ、観光地化が進んで観光客が増えているとのコトだったが、実際行ってみると、ボート乗り降り場が近づくと川がボートで渋滞していた。20分くらいかかり、ボートを降りて周囲を見るとざっと、50艘くらいとまっていた。

昨年撮った親子に写真を片手に探す。撮った場所はすぐに判り、お土産屋さんの人に見せたらすぐに裏から子供を抱えたお母さんが出てきた。とても喜んでくれたが、一年経つと当たり前だが子供は大きくなる。赤ちゃんっぽかったのが、すっかり"子供らしく"なっていた。そしてお父さんも入って記念に一枚撮ったのが、一枚目の写真だ。これで今回の旅の目的が一つ果たせた。

もうひと組の親子の写真もあったのだが、こちらは不在らしく、親戚?の人に写真を託す。必ず渡すからと話してくれた(と、思う)。

川沿いの土産物屋街を抜けていくと市場や学校があり広場、インデンの中心地へ出る。この学校は数年前にA女史とDr.T氏が建てた学校で今では地元の子供が数百人元気に学んでいるそうだが、今日は元旦?なのでお休み。

市場は相変わらずの活気で、インダー族、ダヌー族、パオ族など多くの人達がいろいろなモノを持ってきて、売って、買ってと生活感が溢れていた。

市場を抜けるとまたお土産屋さんが続くが、前回と違ってギャラリーで画を売る店が増えていた。あっさりとした水彩画のように見えたが、いずれもヤンゴンのマーケットなどでも沢山売られていた類のものだと思う。あえてココで売る?買う?意味があるのだろうかと考えてしまった。

大きめの木製の橋を渡っていると川の洗濯場?で沐浴しながら洗濯する地元の女性達が居た。これもミャンマーで良く目にする光景だったのだが、それを橋の上から見ていたフランス人らしき人達が、「日本の様だ」としきりに話していたが、いったいどんな"日本"をどこで見たのだろうか、「日本には沐浴の習慣は無い」とでも言ってやろうと思ったが・・・・でも、欧州人には珍しいらしく、もの凄い勢いで写真やビデオで撮っていた。

インデンは11~12世紀頃の仏塔遺跡の村、これが目当てで観光客が集まるのだが、前回は聞かなかった子供達の笑顔の後にでてきた「フォトマネー」、「マネーマネー・・」の言葉。写真を撮らせて貰った子供達にはボールペンをあげたりしていたが、この言葉が出てくるとなんか醒めてしまう。これも観光地化が進む上では仕方のないことなのだろう。バガンなどはもっと酷い状況だったと聞いている。

前回モノクロで撮って、気に入っている一枚が有って、もう一度撮ろうと狙っていたのに、結局場所が判らなかった。目立つ木があったので簡単に見つかると思っていたが、気がなくなってしまったのか育ってしまったのか、少々残念。

一番上にあるお寺に入り、お賽銭?を自分の神様のところに入れて、参拝する。これが今年の"初詣"になる。

帰りはお土産物屋の並ぶ参道を降りて行く。目的は前回翡翠?のカメの置物を買ったお土産屋さんを探すためだ。お店の女性がステキな人で撮った写真を渡したかったのだが、結局見つからず、いろいろ聞いて廻ると、本人は不在で、従兄??と名乗る人に写真を託す。

インデンを後に、戻る途中に、首長族の働く土産物屋へ、少々複雑な気もしたが、働く彼女たちは笑顔で楽しそうだったのが救いだった。

今日は子供のころにA女史が住んでいたオールドハウスでランチの予定、他の団体客が居たので遅めに向かうが、まだ少し時間があり、近くの僧院へ。薄暗い本堂?に入ると立派な仏像があり、奥の方から笑い声がする。そちらに行ってみると、小坊主達がテレビを囲んで楽しそにしていた。(二枚目の写真)その様子を撮っていると、住職らしき高齢の僧侶が来て、写真を片手に、この仏像はどうやら旧日本軍関係の寄付で出来たと説明しているようだ、一方的に現地の言葉で話すので全くわからないが、何となくは伝わるものだ。

遅めのランチを摂り、前回も見た50年前にモノクロプリント、何度見ても見入ってしまうトーンの豊かさ。なかでもA女史の御父様が若い頃に撮った写真が洒落ている。ストローハットにチェックの開襟シャツやスカーフにブレザーなど当時を考えると、とても太刀打ちできないセンスだと思う。

一度ホテルに戻りノンビリ休憩、そして黄昏時に近くの水上集落の路地ならぬ水路をノンビリと一回り、この周辺の人達はどこも黒豚を飼っていた。いつ逃げても不思議で無い申し訳程度の柵の中をクルクル動き回っていた。きっと豚は泳げないのだろう。
遠く山並みに沈む夕日を背にシゴトを終えた人達や遊び帰りの子供がボートで行き交う。とても愛想良く元気よく手を振ってくれる。これだけでもココに来たこと、この人々に会えたことに感動する。

ホテルに戻り、沈む夕日を撮影。空気が澄んでいて当たり前の様に毎日美しい時間だ。(三枚目の写真)

夕食は前回工事中で、最近オープンしたホテル裏手のオーキッドレストランへ、ボートで移動して、静かで雰囲気マンテンの大人のレストラン。
朝、Dr.T氏が話をしていたスイス人ファミリーと一緒に中華ディナー。
噂には聞いてた"I have a Bank"の台詞。欧米やアフリカのリゾートに行き飽きた欧州の金持ちが行き着くインレー湖と聞いていたが目の当たりにするとさすがに浮世離れしている。ご主人は銀行持ち、奥さんは自分の足で通学したことが無く、お城に住んでいたと言う、もの凄い令嬢、息子もシンガポールで銀行マン、お嬢さんの職業は不明だが、、スゴイ一家だった。一応挨拶はしたが、話題も無く、私と同行Sさんは、無言の食事、時々ミャンマー人のガイドさんと会話する程度だった。
こうなると英会話力以前のバックグラウンドの問題だ。

余談だが、別の日にはパリルーブル美術館の図書館長をしているという方や、数ヶ月前にはマンチェスターユナイテッドの監督アレックス・ファーガソン氏も滞在していたそうだ。Dr.T氏の話では "I have a Bank"どころか、"I have a Village"なるスイス人も居たそうだ。
そんな人達が泊まる水上ホテルに普通に泊まっている自分が信じられない気もする。

ただ、思うのは本当の贅沢を知っている人の行くところは、魅力的なトコロだと言うことだ。(ディナーをご一緒した一家がボートで2時間かけて行ってきたインレー湖南部は後日私たちも行き、そのコトを身をもって知ることになる)

一日満喫して22時半頃就寝。

2日目(Dec/31/2006)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2006123101.jpg 2006123102.jpg 2006123103.jpg

ミャンマーで迎える初の朝は、目覚めも良く、早めにコンチネンタル形式のビュッフェでたっぷりと朝食をとる。

今日の重要な我々(私とS氏)の役目は今夜のカウントダウン&ニューイヤーパーティーのメインディッシュことローストチキンをヤンゴンからへーホーへ運び、A女史のスタッフに届けるコト。

昨夜のドライバーさんに聞いても"OK"とか"No ploblem"との簡単な答えだけ・・・
多分、今朝このホテルで準備されていて車で運ぶのだろうとSさんとも話していた、そしてそのチキンの形態が調理済みなのか、調理前なのか、絞めた状態なのか、それとも竹籠に生きた鳥がコケコッコーだったら。。。

朝食後約束の時間が近くなってきたので早めにチェックアウトし、ホテルフロント氏にチキンのコトを聞いたら???な様子。
で、時間に来たドライバーさんに聞いたらまたも"OK"とか"No ploblem"・・・このあたりで少々不安になってくる。
今回いろいろお世話になるのが目に見えているA女史およびDr.T氏の唯一の頼まれゴトすら果たせないワケにはいかないし、夜のパーティで"チキンはドコだ?"とか外人客に騒がれても困ってしまうし。

そんな不安をよそにドライバーさんは一路空港へ、途中どっかで寄りに道をしてチキンをピックアップするのだろうかと、考えていたがそのまま空港到着。国際線以上に混み合う国内線の出発口へ。

すると、昨日出迎えてくれた女性が再び微妙な笑顔現れて、我々の荷物をポーターに持たせてYangonAirwaysのチェックインカウンターへ行くと、間もなくチキンを思われる大きなクーラーボックス?が登場しこれで一安心、しかしどう見ても5箱もあり、我々二人の荷物としては明らかに多すぎる・・・しかし3箱は別のモノで予定通り2箱だと分かり、多少揉めていたが無事チェックイン完了。

ここで空港案内役(このころに彼女の役目が何となく判る)と別れ待合室へ。。。。

自分たちが乗るだろうと思っていたYangonAirwaysのプロペラ飛行機は別の行き先に飛び立ってしまい、そのあと別の飛行機は到着して離陸して行くが、我々が乗る飛行機に着いてのアナウンスは全くなし。それでも約1時間おくれで離陸し、そのままへーホー空港へ到着。

荷物を持って空港を出るとA女史のスタッフが出迎えてくれて、ここからインレー湖付近の温泉へ向かう。予定では午後1時ごろに温泉で合流だったのだがもう1時間遅れは避けられないし、連絡のしようもないのでこのまま任せるしかない。

飛行場を出て快調に進むと思っていたら突然ウインカーを出して左折して農園?だか植物園?に入って行く。ドライバーさん曰く"クリスマスフラワー"を収穫して持って行くのだと・・・ってクリスマスフラワーと言えばポインセチアしか思い浮かばないが、いくら標高が高いとは言え東南アジアにポインセチアがあるとも思えないが、なんとなく赤っぽい葉っぱをした木の枝をばさばさと切り落として車の助手席に詰め込んでいる。

結局運転するのが気の毒に思えるほど車に満載して温泉へ・・・舗装状況はミャンマーらしく、時々激しい揺れに襲われながら、車は走っていった。

無事、記憶のある温泉に到着するとDr.T氏が赤い顔して"いや~遅いから、どうしてしまったのか心配してましたよ~、ニャウンシェに行ってしまったのではという・・・"などと、、、そして温泉に行くとA女史がカップラーメンにビールとミカンを持って待ってました。7月以来の再会で、挨拶を交わすと早速温泉へ、同行のSさんはちょっと不思議そうな様子で温泉やカップラーメンを見たりしてましたが・・・

温泉をでるとインレー湖に入り口の小さな村(Khaung Daing)へ。ここは前回来たときのとても感動の大きかったトコロ。湖上に暮らす人々と、とても人なつっこい子供達の笑顔が強烈に記憶に残ってました。

少し撮影して、ボートに乗り約40分、A女史のレストランによって私の写真を展示する場所を相談する。ココのレストランかホテルかで相談するが私の希望でホテルに決める。
レストランからボートで約20分、A女史のShwe Inn Tha Hotelに到着、先ずはDr.T氏やSさんに手伝って貰い、写真を展示。
カラーをメインロビーに、モノクロをサンセットバーの壁面へ展示する。
そして、メインロビーのテーブルに試しに用意してきたポストカードを2種類各50枚ほど置いておく。

夕食はダイニングルームで年越しパーティ、宿泊客全員にプレゼントが隠してあり、私とSさんにはインダー族の民族衣装、他の客のと明らかに違うと思われる豪華プレゼントで恐縮。

Dr.T氏は毎年いろいろからかわれて、今年は探しにくい上に見つけてみたら腐ったバナナだったと苦笑い。(しかし別にレイバンのサングラスを貰っていたそうで・・・すが。)

御馳走や、伝統舞踊や民族舞踊を満喫し、夜も更けていくが我々は移動の疲れと、明日からの撮影に備えて早めに抜け出して就寝。現地時間で23時前。部屋がダイニングルームから遠かったのでパーティの喧噪も気にならなかったが、ベットのなかで遠くに長渕剛の「乾杯」らしきメロディーを聞きながらいつの間にか眠りに・・・・

1枚目の写真は、インレー湖に入り口の小さな村(Khaung Daing)に居たオシャレな女の子。

2枚目はインレー湖独特の足でボートを操る人達。

3枚目はA女史のホテルの新婚さん(ミンガラウ~)。翌日持ち込んだプリンタで早速プリントをプレゼントしたらとても喜んでくれて、ホテルで会う度に満面の笑顔で挨拶だった。

初日(Dec/30/2006)

| コメント(0) | トラックバック(0)

2006123001.jpg

待ちに待ったミャンマー旅行初日は年末も押し迫った、12月30日。

今日は成田を発ち、バンコク乗り継ぎでヤンゴンまでに行程。

 

早朝5時過ぎ起床し5:30頃自宅を出る。時間には余裕を持ってと思ったのだが、寒空のなか新宿駅で30分待ちは厳しい、駅構内の珈琲ショップでサンドイッチとブラック珈琲で目を醒ましがてら時間を潰す。
定刻通り新宿6:51発のNEXに乗り成田空港に8:30過ぎ到着。年末の出国ラッシュを見込んで早めに着いたが、ANAのチェックインは機械で済むし、預ける荷物も無いしそのまま出国審査へ・・・数年前の夏に混雑の中、免税店で買い物も出来ずにコンコースを走った記憶がどうも早め早めとなってしまっているのだろう。

出国審査もあっさり10分で終了、10:50のフライトまで2時間以上ある。重要な買い物を済ませ、持ってきた読みかけの本のページをめくりながら時間を過ごす。

今回の旅は前回と違い少人数、日本からは私ともう一人の二人だけだ。もう一人の相棒はSさんだけ。
それと、明日インレー湖近くの温泉で合流予定のバンコク在住の日本人農学理学博士ことDr.T氏、インレー湖でホテルやレストランを経営するインダー族のA女史。
Dr.T氏とA女史には今回の旅で言葉では表しきれないほどいろいろお世話になることになる。

成田からバンコクはほぼ定刻に離陸するが、今日は強烈な冬型の気圧配置で向かい風が強い。580km/h程度の飛行速度しか出ていない。
バンコクでは乗り継ぎが2時間弱なので、あまり遅れると少々心細くなる。

離陸して30分くらいで昼食が出てくる。私には十分美味しい機内食だった。いつも旅行では機内食までデジカメで撮っておくのだが、今回はすっかり忘れてしまい、まぁ、いつものANAの機内食だった。

飛行機は九州を過ぎ沖縄を抜け、南下するに従って速度も上がり700km/h以上へ。結局定刻くらいにスワンナムープ国際空港着。最近オープンした新空港でやたら広い、でかい印象。

飛行機を降りてコンコースを歩いていたら今回の旅仲間Sさんがガラス越し、ヤンゴン便の待合室で手を振っていた。
ここも多少の混雑を予想していたが、預けた荷物もなく、タイへ入国不要なのが効いてヤンゴンまでのタイ国際航空のチェックインも5分で完了。
夕暮れの優しい日差しが待合室にもこぼれていた、撮るモノがない殺風景な空港に居ることが少々もどかしい。

出来たての巨大空港なのでゲートは沢山あるのに、なぜかヤンゴン便はバスで飛行機まで移動し、タラップを上がる。機内は満席、80%くらいが欧州系の観光客に思える。

わずか一時間のフライトだが食事が出る。だから必然と忙しい、離陸して10分くらいでシートベルトサインは消える、客室乗務員は飲み物、食事を慌てて配る。乗客も慌ただしく食べる。それでも食後に珈琲を飲む。そうしているうちに飛行機は高度を下げ始める。

ヤンゴン国際空港ではA女史のスタッフが出迎えてくれてエアコン付きの車でホテルへ直行、アウンサンマーケットに近いパークロヤルホテルへチェックイン。ここは前回最終日にデイユースで半日滞在したホテルだが、今日は宿泊。年末と言うことでメリークリスマス&新年デコレーションで華やかで、設備も立派なホテルだ。

機内食も食べたばかりなので夕食はホテルのレストランで軽くピザで済ます。

写真は派手なこのレストランで黙々とフルーツを切る女性、というかこの日は写真はこの一枚しか撮っていなかっただけ。

明日はいよいよインレー湖。

 
  

アーカイブ