ホテルからボートで10分少々、インレー湖の有名観光地インディエンへ向かう途中にいわゆるお土産屋さん"Inn Shwe Pyi"がある。ここも最初に来たときから何度か寄っている。少数民族のなかでも個性的なPadaung族の人達が機織りをしながら生活していることで有名な店だ。彼らは元々タイやミャンマー国境付近の山岳地域に住む少数民族で日本では"首長族"と呼ばれている。ここのいる彼らの村はインレー湖からさほど遠くないと聞いたことがある。そしてずっと同じ人が居るわけでは無く、村とお店とで入れ替わりがあるようで、訪れる度に違う人が居る。
今は雨季、乾季などは観光客も多く店も彼らも慌ただしいが今回はひっそりとしていた。そして幸運なことに1人ミャンマー語を話す女性が居た。他の少数民族と同様、彼らは彼らの言葉で話をするためミャンマーの標準語であるミャンマー語を話せる人は限られている。
私は、今まで疑問に思っていたことをガイドさんに通訳してもらいながら質問をした。そして私自身勝手に心配していたような状況で彼らがここに居るわけでは無いことが分かり安心した。ここで聞いた話という前提であるが、最初のインレー湖の彼らが来たのは1980年台、ニャウンシェに連れてこられその時は半分以上"見世物"的な扱いで、程なく彼らは怒って村に帰ってしまったそうだ。その後、彼らの機織りの技術に眼をつけた人達が彼らと話をして、この店では彼らに住むところと働くところを提供し、機織りをして土産物として売り、恐らくその何割かをお店に渡しているのだろう。お店にしても彼らが居ることで得るモノも多い。正直、物珍しさで見に来る観光客も多いだろうが、その観光客がこの店で買い物をすることがお店に貢献するし、彼らの作る織物を買う観光客も実際に多い。黙々と仕事をする彼らに暗い影は感じなかったことからお店と共存共栄の関係を気付いていると思うし、そうあって欲しい。
写真の彼女はMu Phan さん、年齢は49歳、私と同世代だ。そして彼女は布のデザイン、製作指導をしている彼らの中のリーダー的存在だ。この日、1時間近く彼らの作業を見ていたが周りの仲間にいろいろ教えたり織ったものを確認したりしていた。
首と手首と足に金属(真鍮)の輪をはめている理由を聞くと「山で虎に襲われたとき急所を守るため」との答え。納得できるような出来ないような感じだったが、これが彼らの文化だ。しかし外の世界を知り最近の若い人の中には拒む人が出てきているそうだ。それも時代の流れなのだろうが・・・
彼女は村よりもここの暮らしが気に入っていると話していた。そして今の悩みとか困っていることを尋ねると「腰痛」と言っていた。確かに時々立ち上がり腰に手をやりストレッチをしていた。彼女の後ろにかかっているのが新作、私も今回自分用に細長三角模様のを一枚買ってきた。手の込んだ模様で1枚織るのに2日はかかるそうだ。次回訪れた時はもっと沢山お土産に買おうと思っている。私の写真集「Thanaka」にも彼らは登場するが、その時はしっかりお化粧を決めているが今回は、マニキュアを除くとほぼすっぴんに見えた。やはりお客の多いシーズンとオフシーズンでは彼女たちの気合いも違うのだろう。