U Tun Aye & Sons 仏像工房

ミャンマー、インレー湖の中心にあるPhaung Daw Oo Pagodaを正面に見て右手に水路を進むこと数分、Le Chay Villageがある。インレー湖に暮らす人たちの中心産業はインダー族に代表される漁師、水耕栽培トマト、織機やたばこなどになるが、この村はそれらに属さない、いわば"職人の村"だと聞いている。

2007年1月、初めてこの辺りを訪れて歩いていた時、ある少女が弟と思える男の子を2人連れてカメラの前に歩いてきた。

20140813-001.jpg(彼女は7歳、後に両サイドの子は弟ではなく近所の子だとわかる)

撮った後彼らに連れられて訪れたのは仏像を彫る職人の家&お店だった。さほど精緻な気品のある仏像と言うよりどこか愛嬌のある仏像を製作していると思ったのが第一印象だった。その後、インレー湖を訪れる度に立ち寄りお茶を貰い、写真を撮りそして何かお土産に小さい仏像を買って帰っている。訪れる度に立ち寄る家は何軒があるがここは場所が分かりやすく毎回新作仏像があり楽しませてくれる。

20140813-002.jpg彼が、主人で工房の名前にもなっている"U Tun Aye"氏、2014年で67歳ということで写真は2007年当時で60歳。2011年に軽い脳梗塞を患い手先の自由が効かなくなり仏像彫りは若手に譲っているが今回は病気療養中だった。

20140813-003.jpg写真は2010年10月、お祭りの時期の訪れた時。右の女性は英語を話していたが親戚だったようだ。インレー湖の祭りを合わせてこの時期はどの家も来客が多いと聞いていた。

20140813-004.jpgこれは2012年4月に訪れた時、最初に私をここに導いてくれた右端の彼女は12歳になっていた。その彼女の左隣りの男性は昨年肝臓病で他界していた。当たり前だが特にアポも取らずに適当に訪れているだが、幾たびに毎回居る人とたまたま来ていた人が居たり、ここで暮らしている人がどの人たちなのかはイマイチはっきりしない。最近、いつも通訳を頼んでいるガイドさんが居ると彼女を通していろいろな話ができるが話をするのは女性が圧倒的に多い。男性は静かに微笑み佇んでいる印象だ。

今回はこの2012年以来のインレー湖になるのだが、昨年私は主にインレー湖で撮影した作品で写真集「Thanaka」を出版した。Thanakaに一番多く出てくるのがこの一家だ。彼らとの出会いがなければ写真集まで作ろうと思ったか分からないし、作れたかも分からない。そんな思いを胸にThanakaを1冊持って彼らを訪れた。これが今回訪れた最大の目的だったのかもしれない。

何度も来ているので彼らも私を覚えてくれているのだが彼女は15歳、写真を撮られるのが恥ずかしいのか直ぐに階下に逃げてしまい、時々様子を見に上がって来るの繰り返しだった。ミャンマーで写真を撮っているとき、おおよの方は話をすると撮らせてくれるが唯一、この年頃の女性だけは恥ずかしがり逃げてしまうことがある。なので今回は皆で一緒に撮るからと話をして撮らせて貰った。(数日後、Phaung Daw Oo Pagodaの近くを歩いていたら学校帰りの彼女に遭遇し、ペコリと頭を下げて挨拶してくれた)

20140813-005.jpgここの主人が居ないのは残念だが次回訪れる時は元気になっていて欲しい。

写真集を手に取り、珍しそうに何度も頁を捲っていた。英語を話せる人が居ないが日本で言えば高校生になっている彼女は学校で勉強しているはずで、一部英語で書いて有る部分を時間をかけて見ていた。私はミャンマー語を覚えるよりは彼女が英語を覚えるほうが遙かに可能性が高い。いつか彼女と直接話ができる日が来ることが楽しみだ。

昨年写真集を作りながら、撮るだけ撮ってても彼らのこと、そう、名前すら知らずに居たことに愕然とした。今回は彼らの住む村の名前、工房の名前そして彼ら個人の名前や年齢をメモに取り、また少し彼らとの距離が近づいた気がしている。

このブログ記事について

このページは、kameyamaが2014年8月13日 20:46に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「健康診断の手伝い」です。

次のブログ記事は「Mu Phan さん」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アーカイブ