5/4 最終日(2012 Myanmar)

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前夜、バンコクで搭乗2時間前に飲んだ睡眠導入剤ドリエルが効いたのか6時間フライトが体感2時間程度だった。湖をボートで進んでいる夢を見ていたと思うが背後から声をかけられた気がし目が覚めた。朝食の時間は熟睡していたようで目覚めた私に客室乗務員さんが朝食を持ってきてくれた。適当に食べてコーヒーを飲んでようやく頭の中の霧が晴れてきた。

少しずつ高度を下げる飛行機の中で民主化だか経済開放だかで急速に変わりつつあるだろうミャンマーのことを考えていた。
軍政から議会政治に移行し今までの鎖国状態から変化がはじまり、アメリカのクリントン国務長官が訪れた頃から周辺諸国、欧州そして日本も我先にと何かの糸口でも探すようにミャンマーへ政府要人を送り込んできた。そしてその動きは今回のわずか1週間の滞在でも良いトコロも悪いところも身をもって感じた。
ヤンゴンへ到着するフライトが増えても泊まるホテルが足らないからオーバーブッキングや急な値上げが頻発、ホテルを増やすにも電力を筆頭にインフラ整備が追いつかない。いろいろな意味でミャンマーの玄関がヤンゴンだからこのような状態が続けばミャンマーにとって致命的になってしまうだろう。

ミャンマーの人達にとって予約では無く支払時が全てなのだろうか、予約した時の値段が支払時に上がるのは信用問題で海外からの人、金を遠ざけることに気付いていないのでは?と思ってしまう。
ミャンマーの人は一般的に人は好いが言われたコトしかしない、何かを工夫する発想が殆ど感じられない職業(仕事)に対する意識・責任感が低いと思える。だから間違えを認めようとしないし謝ることを嫌う。
20数年の学校教育閉鎖の影響は深刻で、外国の援助で何かを始めても現地で継続、メンテできる人材の決定的な不足は否めない。英語を話せるなど有能な人材は給料の良いシンガポールやドバイに行ってしまう。
素人考えなのだろうが、現地の現状をよく見ないで他のアジア諸国で成功したらと同じ方法を当てはめても上手く行かないと思えてしまう。

今のところ予定は無いが次回ミャンマーへ行くときはどうなっているのだろうか?

ANAの直行便でヤンゴンに行き、ローソンで買い物、マクドナルドで食べて、スタバでコーヒー等々。いずれも今年中に実現されると聞いているが正直そのような光景は今のヤンゴンから想像できない。

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羽田に定刻通り到着。入国、荷物のピックアップを済ませ人気の少ない羽田到着ロビーに出た。帰りは相模大野までバスが便利だが時刻表を見ると2時間半先まで無かった。仕方無く少し遠いが定期のある発車5分前の本厚木行きのチケット買ってバス停へ急いだ。
羽田は国内線がメインだから早朝はバスが少ないのだろう。バスは国内線ターミナルには寄らずそのまま首都高速に入り横浜方面へ向かった。まだ眠気が有りうとうとしていたが渋滞の東名高速で目が覚め日本はGW真っ直中だと思い出した。

平日の朝に比べ閑散とした本厚木駅から小田急線の各停に乗るいつもの通勤路でスーツケースを転がしながらの帰宅は少し不思議だった。

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このページは、kameyamaが2012年5月20日 18:25に書いたブログ記事です。

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