今朝も昨夜のゲリラ豪雨が嘘のように綺麗な朝焼けだった。
今日はインディエンマーケットの日だったがDrとAnn sanに日本の農業開発コンサルタント会社の人がニャウンシェで会いたいと話があったので私もEiさんと同行した。
彼らはJICAに企画等を持込み様々な国や地域の開発援助、特に土壌改善や治水と農業支援等を含めた地域開発を得意としていると話していた。今回はここインレー湖一帯の、主に浸食や産業の調査が目的で来ているそうだ。DrとAnn sanがインレー湖の現状、問題等を解りやすく説明していたのを聞くと彼等は未知の情報の多さに驚いていた。
電気、水道等のライフライン、数年前まで20年近くの学校教育が禁止されていたこと、英語が話せるような有能な人材はシンガポールやドバイに行ってしまうこと、川から流れ込む土砂による湖の浸食、誰かが持ち込んだ布袋草やタニシが増えて生態系に深刻な影響が及んでいるコトなどなど。
素人の私が観ても水質の悪化や人材の不足などは明白だ。
現場を観てはどうかとの提案で外来種の繁殖、浸食の現場、水田そして水耕栽培トマト畑などの現場が集まっているアンレストランに向かい少し遅いランチを済ませた。裏の村へ水田や湖に流れ込む川の様子など見に行くのについて行った。少し歩き始めて2年前と大きく景色が変わっていたのに驚いた。大きな木が伐採され、電柱が建ち電線が張られていたのだ。一日の数時間だが電気供給されるように3ヶ月まえから変わったとの話だった。
水路を挟み遊びまわる子供達や暮らす人々の様子に変化は感じなかったが飲料水の水道管らしきものも作られいてた。インレー湖の水質劣化が影響しているのだろう。それでも彼等の暮らしに良いコトだろうからと思いたい。私の好きな場所の一つで毎回数度訪れていたが電柱と電線は写真を撮るにはイマイチだと思ってしまうがそれは部外者の勝手な理屈だ。
レストランに戻り記念撮影のあと彼らは水耕栽培のトマトなどを見てニャウンシェに戻っていった。ニャウンシェ方向の空に黒い雲が低く垂れ込め始めていたから多分彼等はたどり着くまえにびしょ濡れになってしまったかもしれない。
一度ホテルに戻り一息ついてからシーソン村へ。昨日訪れたナンパン村に続き魚養殖プロジェクトを始める候補の村だ。ここはには以前、DrとAnn sanが建てた学校があり今回はその教室に養殖に興味のある人に集まってもらい説明会を開いた。つい最近まで5人以上の集会が禁止されてたことを思うと40人もの人が集まっているこの様子は大きな変化の一つでだと実感した。これだと協議し、みんなで決めるコトができるようなることは彼等にとってとても大きな一歩なのだと思う。
Ann sanとDrが興味のある人を集めてもらったら思っていた以上の集まりだったそうで、活発な質疑の様子がうかがえた。Eiさんに様子を聞いてみたが彼らが話している言葉はインダー語で彼女にも良くわからず、集中して聞き耳を立ててところどころ分かるのがやっとだそうだ。それでも村人達の関心の高さは場の雰囲気として充分伝わって来た。説明が終わり質疑、議論に移り最後に今の時期(乾季)の水の確保が大丈夫かとのDrの質問に、村人から近くの湧き水を引いているから大丈夫との話があった。これはAnn sanも初耳のようで日のあるうちに水源を観に行こうと村人の先導で狭い水路をボートで進んだ。水路は段々細くなりUターンできそうな場所も無く心配になったが15分くらいで視界が開けた。家も数軒あり川幅もボートがすれ違える程度に広がり水量も豊富で透明度が高く水中を泳ぐ小さな魚が確認できた。村人の説明では日本人グループの寄付でこの水源から7つの村へ飲料水としてパイプで供給されていることを聞いた。
湧き水の周りには夥しい数のトンボが飛んでいてこれだけでも水質の良さを感じた。
夕方ホテルに戻ったが前日も似たような時間でゲリラ豪雨に見舞われたコトを思うと今日は静かで穏やかな夕暮れだった。
明日は訳あり仕込み水上マーケットの様子を見る為、朝食前にホテルを出る予定だ。まぁ、ナンパンマーケットの日だから早朝からホテル周辺の水路を激しくボートが通るから目覚ましアラーム不要だろう。
夕食を一緒にとりつつ彼等が今日行ったインディエンマーケットや遺跡の話を聞きたかった結局21時近くなっても日本人のカップルさんは現れなかった。
Ann sanは明日、オールドハウスの40人ランチとアンレストランでのボートレース、インディエンのバンブーレストランランチとイベントが盛沢山で忙しそうに2つの携帯で話しつつスタッフに明日の準備を指示していた。今夜も星がきれいだが月が明るいため天の川は見えなかった。