3日目(Jan/1/2007)

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 朝、7時ごろ目が覚める。初めて迎える海外でのお正月だがそれほど実感がない、なんか不思議な感じがする。

昨夜は遅くまでパーティだったので(私は早めに寝てしまったが・・)朝食は8時半頃だ。

撮影に備え荷物を整理したり、今日行く予定のInDein(インデン)で渡す写真をプリントしたりしていた。それでも時間があったので8時過ぎにレストランへ行くともう多くの宿泊客が朝食を食べたり、もう出発していく人も居た。
展示した私の写真を見ながら話している人も多く、少し話をすると、結構喜んでいてくれて、"これは何処だ?"とか、"この人は誰だ?"とか聞かれたが明確に答えるのは難しい・・だが、いずれにしても反応があるのは嬉しいことだ。置いておいたポストカードも順調に減っていた。やはりインレー湖で撮ったモノクロの方が減りが早い。

朝食後、ボートでインデンヘ。11月に行った仲間の話では前回に比べ、観光地化が進んで観光客が増えているとのコトだったが、実際行ってみると、ボート乗り降り場が近づくと川がボートで渋滞していた。20分くらいかかり、ボートを降りて周囲を見るとざっと、50艘くらいとまっていた。

昨年撮った親子に写真を片手に探す。撮った場所はすぐに判り、お土産屋さんの人に見せたらすぐに裏から子供を抱えたお母さんが出てきた。とても喜んでくれたが、一年経つと当たり前だが子供は大きくなる。赤ちゃんっぽかったのが、すっかり"子供らしく"なっていた。そしてお父さんも入って記念に一枚撮ったのが、一枚目の写真だ。これで今回の旅の目的が一つ果たせた。

もうひと組の親子の写真もあったのだが、こちらは不在らしく、親戚?の人に写真を託す。必ず渡すからと話してくれた(と、思う)。

川沿いの土産物屋街を抜けていくと市場や学校があり広場、インデンの中心地へ出る。この学校は数年前にA女史とDr.T氏が建てた学校で今では地元の子供が数百人元気に学んでいるそうだが、今日は元旦?なのでお休み。

市場は相変わらずの活気で、インダー族、ダヌー族、パオ族など多くの人達がいろいろなモノを持ってきて、売って、買ってと生活感が溢れていた。

市場を抜けるとまたお土産屋さんが続くが、前回と違ってギャラリーで画を売る店が増えていた。あっさりとした水彩画のように見えたが、いずれもヤンゴンのマーケットなどでも沢山売られていた類のものだと思う。あえてココで売る?買う?意味があるのだろうかと考えてしまった。

大きめの木製の橋を渡っていると川の洗濯場?で沐浴しながら洗濯する地元の女性達が居た。これもミャンマーで良く目にする光景だったのだが、それを橋の上から見ていたフランス人らしき人達が、「日本の様だ」としきりに話していたが、いったいどんな"日本"をどこで見たのだろうか、「日本には沐浴の習慣は無い」とでも言ってやろうと思ったが・・・・でも、欧州人には珍しいらしく、もの凄い勢いで写真やビデオで撮っていた。

インデンは11~12世紀頃の仏塔遺跡の村、これが目当てで観光客が集まるのだが、前回は聞かなかった子供達の笑顔の後にでてきた「フォトマネー」、「マネーマネー・・」の言葉。写真を撮らせて貰った子供達にはボールペンをあげたりしていたが、この言葉が出てくるとなんか醒めてしまう。これも観光地化が進む上では仕方のないことなのだろう。バガンなどはもっと酷い状況だったと聞いている。

前回モノクロで撮って、気に入っている一枚が有って、もう一度撮ろうと狙っていたのに、結局場所が判らなかった。目立つ木があったので簡単に見つかると思っていたが、気がなくなってしまったのか育ってしまったのか、少々残念。

一番上にあるお寺に入り、お賽銭?を自分の神様のところに入れて、参拝する。これが今年の"初詣"になる。

帰りはお土産物屋の並ぶ参道を降りて行く。目的は前回翡翠?のカメの置物を買ったお土産屋さんを探すためだ。お店の女性がステキな人で撮った写真を渡したかったのだが、結局見つからず、いろいろ聞いて廻ると、本人は不在で、従兄??と名乗る人に写真を託す。

インデンを後に、戻る途中に、首長族の働く土産物屋へ、少々複雑な気もしたが、働く彼女たちは笑顔で楽しそうだったのが救いだった。

今日は子供のころにA女史が住んでいたオールドハウスでランチの予定、他の団体客が居たので遅めに向かうが、まだ少し時間があり、近くの僧院へ。薄暗い本堂?に入ると立派な仏像があり、奥の方から笑い声がする。そちらに行ってみると、小坊主達がテレビを囲んで楽しそにしていた。(二枚目の写真)その様子を撮っていると、住職らしき高齢の僧侶が来て、写真を片手に、この仏像はどうやら旧日本軍関係の寄付で出来たと説明しているようだ、一方的に現地の言葉で話すので全くわからないが、何となくは伝わるものだ。

遅めのランチを摂り、前回も見た50年前にモノクロプリント、何度見ても見入ってしまうトーンの豊かさ。なかでもA女史の御父様が若い頃に撮った写真が洒落ている。ストローハットにチェックの開襟シャツやスカーフにブレザーなど当時を考えると、とても太刀打ちできないセンスだと思う。

一度ホテルに戻りノンビリ休憩、そして黄昏時に近くの水上集落の路地ならぬ水路をノンビリと一回り、この周辺の人達はどこも黒豚を飼っていた。いつ逃げても不思議で無い申し訳程度の柵の中をクルクル動き回っていた。きっと豚は泳げないのだろう。
遠く山並みに沈む夕日を背にシゴトを終えた人達や遊び帰りの子供がボートで行き交う。とても愛想良く元気よく手を振ってくれる。これだけでもココに来たこと、この人々に会えたことに感動する。

ホテルに戻り、沈む夕日を撮影。空気が澄んでいて当たり前の様に毎日美しい時間だ。(三枚目の写真)

夕食は前回工事中で、最近オープンしたホテル裏手のオーキッドレストランへ、ボートで移動して、静かで雰囲気マンテンの大人のレストラン。
朝、Dr.T氏が話をしていたスイス人ファミリーと一緒に中華ディナー。
噂には聞いてた"I have a Bank"の台詞。欧米やアフリカのリゾートに行き飽きた欧州の金持ちが行き着くインレー湖と聞いていたが目の当たりにするとさすがに浮世離れしている。ご主人は銀行持ち、奥さんは自分の足で通学したことが無く、お城に住んでいたと言う、もの凄い令嬢、息子もシンガポールで銀行マン、お嬢さんの職業は不明だが、、スゴイ一家だった。一応挨拶はしたが、話題も無く、私と同行Sさんは、無言の食事、時々ミャンマー人のガイドさんと会話する程度だった。
こうなると英会話力以前のバックグラウンドの問題だ。

余談だが、別の日にはパリルーブル美術館の図書館長をしているという方や、数ヶ月前にはマンチェスターユナイテッドの監督アレックス・ファーガソン氏も滞在していたそうだ。Dr.T氏の話では "I have a Bank"どころか、"I have a Village"なるスイス人も居たそうだ。
そんな人達が泊まる水上ホテルに普通に泊まっている自分が信じられない気もする。

ただ、思うのは本当の贅沢を知っている人の行くところは、魅力的なトコロだと言うことだ。(ディナーをご一緒した一家がボートで2時間かけて行ってきたインレー湖南部は後日私たちも行き、そのコトを身をもって知ることになる)

一日満喫して22時半頃就寝。

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このページは、kameyamaが2007年1月20日 21:32に書いたブログ記事です。

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