朝7時過ぎ、ガイドのイーさんがタウンジーに帰って行った。明日から別の客がいるそうなので仕方無い。祭りも昨日で終わり今日は全体的にひっそりとしていた。
今朝は遅目の朝食を取りDrとインティエンへ向かう。
インティエンは市場の日だが祭り直後のせいか店も人も少ない。いつも店に客に溢れてるパオ族の姿もまばらだ。アンさんの話だと祭りが終わっても一週間くらいは、あちこちの僧院を巡り寄進をして村まで帰るそうで、2週間くらい経たないと市場も平常に戻らないそうだ。さいころのようなモノを3つ転がすだけの簡単な賭場??らしきところだけが盛り上がっていたので我々も少しだけ参加。数字ではなく絵柄のさいころ、私は迷わず"亀"に賭けたが1000チャット未満の小銭ならぬ小札を使い切ったところで引き上げた。中には完全に目が据わりとり憑かれたように賭けている輩もいる。
インティエンの名物でもある12世紀ごろの古い仏塔の一部が真新しい白や金の仏塔に建て変わっていた。名をみるとタイやシンガポール、韓国が多い。
古い仏塔が人気で多くの観光客が国内外から来るのにこれではいずれ寂れてしまうだろう。国民性なのかバガンなども同様なようで、古いものを当時の手法で修復する考えは無いように思える。
前回ガイドさんと一緒に訪れたパオ族のある家へ向かう。私でも容易に解る場所なので迷うことなく辿り着く。2年前に来た時は母親と小さい子供2人で堆肥を取り、豆を栽培して居たが今日は大きい子供と主人も居た。主人と長男はヤンゴンへ出稼ぎと話してたが祭りの時期に合わせ帰郷していたのだろうか。
前回撮った写真を渡しすが残念だったのは母親が風邪で寝込んでいた。私の姿を見て起きてくれたが明らかに辛そうだった。ガイドさん不在だったので会話は成立しないが身振り手振りで早く休むように伝えて家を出た。Drと話していたが風邪なら良いがもっと違った重い病気でなければと願うしか無い。いつになるか分からないが次回訪れた時は元気に迎えて欲しい。本当なら市場でお菓子でも買って行こうと思っていたが市場は開店休業状態で観光客向けの骨董屋?しか開いてなかったから仕方ない。
お寺に行きお詣りし一休み、ここも爽やかな風と鈴の音色が美しい好きな場所のひとつだ。ホテルでマッサージをしてくれる女性(インティエンガールと呼んでいる)の実家がここにあり、両親が食堂をやっていてコーラを飲みに立ち寄った。彼女は5人姉妹とあと男兄弟が何人かいるそうだが妹のひとりもホテルでルームメイクスタッフとして働いている。10歳くらいに思える妹さんもホテルで働きたいと言っているらしく、父親がそう話していた(ように思える)。ホテルで働くことは一つのステイタスで、憧れでもあるのだろう。
ホテルに戻りザルそばと野菜天ぷらでランチ。インレー湖で完全な和食、天ぷらもまずまずで美味しい。
インティエンガールに1時間ほどマッサージをしてもらいウトウトしていたら午後の3時、ニコン羊羹とインスタントだがカプチーノを飲んでからボートでインパッコンの蓮布、シルクのお店や鍛冶屋、巻タバコ屋などいつものルートをのんびり巡りホテルへ戻る。
今日は午後から山の方で雷が鳴っていたが、上がると大きく綺麗な虹がでていた。
それでも反対側の山でまた積乱雲と遠く雷鳴、そろそろ乾期のはずだが不安定な天気だ。ただインレー湖では少しパラいつたくらいで気持ちの良い涼しい風と強い陽射しだった。
夕食はウォーターチキンとその小骨のから揚げ、チリトマト、春巻き、トマトスープ、豚カツ等々、中でも絶品なのはトマトスープだ。インレー湖産の水耕栽培完熟トマトのスープで程よい甘さとさっぱり感は今まで味わったことの無い美味しさだ。
食後、アンさんからファウンダゴンパゴタの夜祭りに誘われボートでに乗り込む。丁度月が隠れ夜空は天の川がはっきりわかる満点の星空、湖面に飛び交うホタル、夢のような世界が広がっていた。
ただ会場が近づくに連れステージの音量が大きくなりはじめる。黄金にライトアップされたファウンダゴンパゴタの裏手にはたくさんの出店。
その外れに特設のステージ。そしてゆうに5000人はいるだろう大観衆でステージは盛り上がっていた。私が写真を撮っているとDrやアンさんの口利きでステージは最前列の特設のエリアに入れてもらう。トラディショナルなダンスをもっと観たかったが歌のステージが続きあまりの大音量に耐えられなくなり、抜け出して来た。
夜店をいろいろ回っていると日本のそれとは異なる雰囲気を楽しみながら撮り歩く。感度を3200や6400に設定し撮ると肉眼以上に見えるのでは?思えるほど良く写り、デジタルならでは撮影しだ。ステージショーはオールナイトで続く。
ホテルに戻りベットのまくらには耳栓が。この耳栓を置いてくれた若いスタッフは今頃祭りを満喫していることだろう。
こんなに弾けてはしゃぐミャンマーを観たのは初めてだ。ただ夜店を歩いていても警戒感を抱くような雰囲気は無く、大音量ステージ側の店では力尽きた子供達が寝ていた。明日からは徐々に普通の生活へ移行して行く彼らの最後の夜祭りに外国人観光客の姿はほとんど無かった。
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