来週の金曜、夕方の便でバンコクへ向かい空港近くのホテルで1泊し翌朝ヤンゴンへ着く予定だ。
過去の多くは夏休みや正月休みだったが今年は勤続20年のリフレッシュ休暇を取得できる。最初のミャンマーが5年前の2005年、勤続15年のリフレッシュ休暇だった。それ以来、2006年冬、2007年夏、2008年冬と訪れ2年ぶり5度目になる。
この時期を選んだのは、いつも滞在しているインレー湖で年に1度の大きなお祭りがあるからだ。最初に行った時、毎年雨季の終わりに湖に数十艘のボートをうかべレースで締めくくる半月におよぶお祭りがあると聞き、5年後の目標に決めていた。
毎度、脳天気に湖上ホテルでのんびりと過ごしボートであちらこちらと撮影に興じ、私にとっては心身ともにリフレッシュできるところだったのだが、今回は少々状況が異なる。
いつもお世話になっているホテルの一部が9月に火事で焼失してしまったと聞いたのが先月末。最新情報ではオーナーさん(本当にお世話になっているA女史)自宅、仮博物館、200KVトランス、発電機2台、水槽、ランドリー、製パン工場、アイスクリーム部屋、キッチン、食器類全焼失、女子寮2棟(25名被災)が全焼失、ダイニングルームのトイレ一部焼失してしまったとのこと。ただホテルの部屋、ダイニングは延焼を食い止め、10月初旬からホテルの営業を再開している状況。
仮博物館と呼ばれていたところにはA女史の家に先祖代々伝わる宝飾品、民族衣装、30年以上掛けて集めてきた漆器や工芸民芸品があり全て消失、お金では買えないものの多くが失われてしまったことだろう。
不幸中の幸いだったのは怪我人が無かったこと、そしてA女史がネパールに行き不在中だったことだ。もし燃えさかる自宅を目の前にしていたら火中に飛び込んでいたかもしれず、精神的なショックは今以上で計り知れないことは私にも想像できる。
目下、50人の大工を集め日々ホテルの復旧に、祭りの準備(彼女は祭りの中心的存在の寺院の総代を勤めているため例年祭り前は準備に忙殺されている)と、気丈に振る舞っているそうだ。
私も知らせを聞いた直後、彼女の携帯に電話を掛けてみたがミャンマーの電波事情が不安定なのか10回くらいコールしてやっと繋がったか数十秒で切れてしまった。その直後20回くらいリダイヤルしたが通じず断念した。
今日は旅行に向けて米ドルやタイバーツを両替し、ホテルのスタッフ(特に着の身着のままで焼け出された女性)に使ってもらえそうなモノを買い込んでスーツケースに詰めていた。
出火原因は、ネズミが電線を囓ったことの聞いているが、日本と異なり安全基準も無いからそう言った事故は起こりやすいのだろう。
私に出来ることと言えば知れているが出来るだけのコトはやりたいと考えている。
写真は建築途中だった仮博物館、裏手がA女史の自宅、奥にホテルのキッチン、左奥にスタッフ女子寮と発電機や水槽があった。