今は神奈川に住んでいますが、私は生まれたのは東京の大田区。ただ小学校に入った頃に横浜に引っ越し、その後は川崎そして相模原なので6年間の東京都民でした。
今日は肌寒いながらも久しぶりに多分30数年年ぶりに散歩してきました。JR蒲田駅で降りると以前の面影はなく明るくあか抜けた駅ビルに変わってました。子供のころ楽しみだった屋上遊園地はフットサルコートへ。学生の頃電車から見たときは小さい観覧車が見えていたので平成になってから変わったのだと思います。
アーケード商店街を抜けて京急蒲田駅へ。羽田空港線を含めた立体化工事真っ最中でこれからますます変貌していくのでしょう。首都空港へ向かう路線が部分単線で国道に踏み切りではなんとも不便で仕方ないのでしょう。
そのあと、親戚が住んでいて良く歩いた、遊んだあたりを散歩。ボーリングブームの時出来た川沿いの、確かベニーボールはそのあとスーパーになり、今はマンションになっていました。
良く聞く話ですが、子供の頃に歩いた道は大人になって見るとホントに狭い小さい道で、よくこの道に車で入っていたなぁと驚きました。私が今住んでいる周りの道も狭いですが比じゃないです。
1枚目の写真は新呑川から羽田空港方面を望む風景。当時金網は無く、土手を登って歩いたりした記憶があります。ヘドロ色した悪臭を放つ典型的な汚染河川だったのに比べればすっかり綺麗になっていました。少なくとも臭いは感じませんでしたから。
そして、買い物をしたりしていた商店街を抜け、住んでいたあたりをウロウロ、ただ当時のアパートは無くなっていたようで、なんとなくこのあたりだったかなぁくらいしか思い出せませんでした(2枚目写真)。
よく遊びに行っていたアパートの裏手にあった巨大な大田区体育館が更地化工事中だったのは驚きました(3枚目写真)。看板には新築工事とあったのでいずれ近代的な体育館ができるのでしょうが、正直さびしい感じでした。近所のおじいさんも歩道橋から工事の様子を感慨深化に眺めてました。当若くイキの良かった、ジャイアント馬場やアントニオ猪木のプロレスとか来ていたので賑わっていたのでしょう。
街全体の印象は、背の高いマンションが増えたこと、商店街の閉店が多かったこととまぁ、予想していた範疇でした。ただところどころは昔のまま、何軒かは記憶の通り残っていたお店や家、工場が残っていました。それと通っていた幼稚園がすっかり立派に綺麗になっていたのは、驚いたとともにちょっと嬉しい気がしました。