被災地の写真

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昨夜、被災地からバンコクに戻られたDr.T氏から現地の写真が送られてきました。許可を得てこちらに一部を載せさせて貰いました。

今回、もっとも被害の大きかった南部デルタ地帯の支援に向かわれたとのことで、写真と一緒にいただいたメールの抜粋です。

---- ここから引用 ----

今日ミャンマーから戻りました。
デルタ地帯の被災の大きな所に、皆様のお金で購入しました救援物資、お米(計11トン)、抗生物質(40kg)などを届けてきました。
 
~(途中略)~
 
現地はさながらベトナム戦争で空爆を受けたようでした。
樹はすべて、なぎ倒されており、サイクロンの恐ろしさを感じます。
ボガレーに行く道路際には、家をなくした人々(数千人)が、小屋を作り、通行する車からの食べ物を待っています。
しかし、車を止めると、反対に略奪を受けることになり、非常に危険です。
軍や警察が、彼らに村に帰るように強制していますが、彼らにはもう帰る家がありません。
 
ボガレーから船をチャーターし、3時間をかけて、食糧が全く無い、1700名の村にお米を1トン届けてきました。
飲料水は池の水しかありません。
ここでは400名が亡くなったそうです。
良いことをしました。
皆様に感謝。
その村から、海岸地まで、船で2時間ですが、村はすべて消滅したようです。そこから先はヘリコプターでしかいけません。
やはり、30万人規模の大被害です。
畑には、牛や豚の死骸と共に、人の姿もあります。

---- ここまで引用 ----
 
船で2時間の距離にある村が消滅しってしまったと文字で見るとこれだけですが、とても恐ろしい現実だと・・・たぶん戸籍など満足にない国事情を思えば正確な犠牲者などわからないのだと思います。

被災者の方々が立ち直れるよう継続的な支援と、備えが重要だと結ばれていました。私も全く同感だと思います。

国際社会が軍事政権を一方的に非難しても何も解決しないし、当事者の彼らにとってもどう対処していけば良いのか分からず手探りなのだろうと思うし、かと言って民間ベースの支援ではどうしても限界があるし・・・軍事政権を擁護するつもりもないですが・・・難しい現実です。
 
一枚目の写真は支援物資を待つ子供達で行儀良く並んでいるように見えます。はやく彼らに笑顔が戻って欲しいです。
二枚目は崩れた建物の下で雨や日差しをしのいでいる人々。
三枚目は家を失い、幹線道路脇で支援物資を待ちながら暮らさざる得ない人々。
 

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このページは、kameyamaが2008年6月 8日 21:18に書いたブログ記事です。

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