8日目(Jan/6/2007)

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昨夜の段取りでは6時前に起床しパッキングを済ませ6時過ぎから朝食、そして6時半から托鉢を撮影する予定だったが6時前に起きるも、電気は来て無く日も出てないので真っ暗だった。仕方なく外に出るとSさんも呆然と出てきた。仕方ないのでチェックアウト準備をするコトにした。しかし、ペンライトも無いので電波の来ない携帯の電源を入れてカメラ用ライトで作業。なんとなく前途多難な一日の予感。

 

6時半頃にようやく明るくなってきたので托鉢撮影へ、一応撮れたが前回のピンダヤほど画にならず・・
ホテルに戻るとジェネレータがうなりだし要約ホテルが始動。7時ごろに朝食、Dr.T氏は7時半前にへーホー空港へ向けチェックアウト、そのままヤンゴンに一泊して明朝バンコクへ戻るとのこと。

私とSさんは7時半過ぎに迎えの車で本日の行き先タウンジー及びカックへA女史見送りのなか出発。A女史は明日、ヤンゴンへ向かうため我々と同じ飛行機に乗るので、明朝シェニャオ(ニャウンシェからタウンジーに向かう幹線道路との交差する街)で再び合流する予定。

ニャウンシェを出てしばらく行くと前回も寄った古びた僧院へ寄り撮影するも韓国人団体客が観光バスから大挙して押しかけて来て終了。向かい側にお土産物屋まで並び、すっかり観光地化していた。

車で山道を登ること約1時間、タウンジーに到着。タウンジーは標高約1400mにあり、インレー湖よりさらに500mほど登る高原の街。
本日の宿泊先ホテルエンパイアにチェックイン?(荷物はそのまま車)し30分ほどドライバーさんとマーケットを散歩。タウンジーはヤンゴン、マンダレーに次ぐミャンマー第三の都市。人も車も多い。普通の街でマーケットもインレー湖のそれとは規模も違う。そして一番の違いはインドやパキスタン等中央アジア系の顔つきの人が多い。ミャンマーの人は日本人に近かったので、"外国"っぽい雰囲気が強い。

車に戻ると今度はパオ族のガイドさんと合流するため立派そうなホテルのフロントへ。パオ族の村を回るのでガイドさんを連れて行かねならない。 フロントで待っているとパオ族の女性ガイドが爽やかに現れた。彼女は英語を話すガイドさんだが、発音がとても明快で私にもとても聞き取りやすい。そして明るく元気で、しかも色白で綺麗な人だ。朝からどたばただったが、今日は楽しい一日になりそうな予感。

本日の目的地カックーは12世紀頃に王がパオ族とシャン族の各家庭に仏塔を寄進するように指示したのが始まりと言われている仏塔が8世紀にも渡り作られ続けた遺跡だ。しかし近年は何故かシンガポールの誰かの寄付で立派な参道やメイン仏塔ができたそうで、私にとってはインデンの方が趣があると思える。

そして、この仏塔群を目の前に中華レストランが一軒。今日のランチは必然的にここだ。料理は既にA女史から話がいってて我々は飲み物だけ注文して待つことに。
料理を食べていると猫がテーブルの下に寄ってきて寂しそうに鳴く。食べきれない量だったのもあり、少し分けてやると嬉しそうに食べるが、野菜より肉が好きみたいで肉をやり始めたら野菜を食べなくなってしまった。人間も同じだと・・・

遺跡は早々に切り上げ、来る途中に見かけたお祭りらしき広場に寄って貰うと"スクールフェスティバル"とのことで近所の村々から人が集まりサッカーや徒競走で盛り上がっていた。 1枚目の写真はそこで撮ったガイドさんとパオ族の人々。今回の旅で最大の悔やむべきコトはこのガイドさんのベストショットが無かったことだ。この写真もイマイチ。

お祭り会場を後にタウンジーへ戻る途中、あるパオ族の村で車を降りる。この時間だと多くの人は農作業に行っているようで人の気配が少ない。時々小さい子供が走っているくらい。ここはガイドさんの知り合いのお宅があるようで、その家に行くとおじいさんが窓から我々を手招きしていた。ガイドさんに続き我々も中へ。パオ族の一般的な家だそうだが、一階は作業場兼物置になっていて住居は2階になる。階段を登っていくとガイドさんから、ここはリビング、向こうがダイニング、隣がキッチンで、あの向こうがベットルームと説明したくれた。
壁は竹を編んだ涼しい感じがする部屋だ。我々がいろり?のあるリビングに通された時、家にはおじいさん一人。家族構成はおばあさん、息子夫婦と孫もいるそうで、人数を考えるととても広いとは言えないが、昔の日本の長屋を思えば十分広いと思う。電気は無いので部屋の中は薄暗いが目が慣れてくるといろいろ見えてくる。黒い子猫が殆ど動かずに置物のように座っていた。また部屋の隅にはペットボトルもある。鍋や食器らしきモノも隅に積んであり、人々の生活感が溢れていた。きっともう少しすると家族が戻ってきて今日一日の出来事など話しながら夕飯を囲むのだろう。きっと我々のコトも少し話題に出るのかもしれない。なんだか判らんけど写真ばかり撮っていたとか・・

間もなくおばあさんが戻ってきた。黒いパオ族の衣装を着ている。観光用やお土産用ではなくホンモノだ。結構伸びる素材らしく、膝を抱えた体育座りに上着をすっぽり足に被せていた。そして、近くで翌週のお祭りに備え伝統舞踊の練習をしているというので早速ガイドさんと共に向かう。

お寺と学校が一緒になったようなトコロにある集会所兼祈祷所兼練習場所のような建物に入る。中には見学の子供や大人も沢山居た。村に人気が少なかったのは農作業もあったのだろうが、ココに沢山集まっていたことも一因だったのだろう。

丁度練習が始まるところで、我々はステージ正面側に案内され、撮影には良いポジション。すると民族衣装をきた女性達が20人くらい、演奏に合わせて踊り始める。
これが、ホテルなどで見た民族舞踊よりは数段しっかりしていて、あ、ホンモノはこうなんだと実感。全体的に力強く手先の動作も機敏だ。それでも数人はやはり周りの人の動きを見てワンテンポ遅れて踊っているように見える。昔から伝わる伝統舞踊だろうし、昨日今日始めたワケでもないだろうから、きっとワンテンポ遅れる人を混ぜるのも伝統なのだろう・・・
踊りを指導する男性の先生がいたので、ガイドさんが話を聞くと、翌週に近隣の村々から集まって踊りのコンテストがあり、今日はその練習をしているとのこと。(2枚目の写真)
スクールフェスティバルと言い、偶然とはいえ貴重な体験をする。彼女と話していたがパオ族ではさほどイベントが沢山あるわけでは無いので、今日はとても運が良いとのことで、やはり彼女はラッキーガールなのだろう。途中、英会話の練習も兼ねていろいろ話をしたが、彼女はタウンジーに住んでいるパオ族で、タウンジー大学で英語を勉強したと話していた。見たところまだ20代前半くらいで若いのにとてもしっかりしている印象だ。
タウンジー大学で他の外国語(日本語等)を勉強できるかと尋ねたところ、日本語やフランス語等英語以外はヤンゴン大学に行かないと勉強できないと話していた。A女史とも面識があり、会うこともあるとのことで、後日Dr.T氏経由で写真を渡すつもりだ。そしてまたタウンジーに行った時は是非彼女にガイドを頼みたい。

夕方5時過ぎにホテルへ戻り、再度夕暮れのマーケットを少し撮り歩き(3枚目の写真)。

タウンジーまで来ると欧米人観光客は少なく普通の東南アジアの地方都市の雰囲気だ。インド系の人が目立つし、華僑が幅をきかせているそうで、泊まったホテルや近くのお店も華僑の人達で経営していた。

夕食は7時に再度ドライバーさんに頼んでA女史とDr.T氏お薦めのバーガーハウスへ、パンはイマイチも肉は絶品のハンバーガー。地鶏のフライドチキンも日本では味わえないおいしさだった。普通の鶏のもも肉はこの程度の肉付きで、ケンタッキーなどで食べる鶏は養殖でたっぷり肉が付いているだけなのだろう、とにかく美味しかった。
それとフライドライス(チャーハンに近い)も美味しかった、コーラ2本で締めて二人で5300チャット(約530円)ととてもリーズナブルなお店だった。

ホテルまで送ってもらいドライバーさんと別れる、今日一日ご苦労様と気持ち心付けを渡す。明日はまた別の人が迎えに来る。

ニャウンシェと比べれば都会のホテル。お湯は普通に出るし、テレビでNHK-BSも見れる。明日はヤンゴンに戻るので段々都会へというのがなんとも寂しい。

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このページは、kameyamaが2007年1月27日 12:29に書いたブログ記事です。

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