6日目(Jan/4/2007)

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今朝も早めに起床(5時半頃)、ベットでウトウトしていたがようやっと復調を実感。そう、久しぶりの空腹感で目が覚めた。
でも、朝食は念のため消化の良さそうなパンと、シャンヌードル等軽めに済ませる。

今日は一日かけてインレー湖南部カザ(Sam ka)へ、お昼ご飯はピクニックセット(ランチボックス)を持ってでかける。ボートに積み込む荷物の量に唖然とするが、これもA女史の心遣いと後でわかることに・・・

ここ数日、毎朝湖は霧に覆われている。気温が低いのか湖面からたちこめる靄が幻想的で、毎朝似たような風景を撮ってしまう。

朝8時前には出発。今日はパオ族の村を訪れる予定なので近くのホテルでパオ族のガイドさんを乗せるとのこと。
インレー湖上の他のホテルを見るのは初めてだが、Dr.T氏の話通り、A女史のホテルを一生懸命真似ようとしているのがわかる。でも真似は真似、オリジナルには及ばないのは"Shwe Inn Tha Hotel" に宿泊している我々の目には明らかだ。

ただ、このホテルのロビーに日本刀?らしきモノと旧日本軍と撮ったと思われる写真が飾ってあった。全く読めないミャンマー語に混じり、英語で

"General Governar Nishimura Takuma"と書いてある。
総勢100人くらいの集合写真で、軍服を着た日本兵と頭に布を巻いたパオ族らしき民族衣装の人達が沢山写っている。

このホテルを出る頃には少し視界が良くなってきて、靄の中を進む家族連れボートや漁師達のバックに黄金のパゴタという画になる状況だがレンズが短く思うように撮れなかったのは残念。

東南アジアと言っても乾期の標高1000m地帯、陽が差さないと気温も低い、しかも高速ボートの上で体感気温は15℃以下な感じだ。毛布にくるまって軍手は正解だった。
インレー湖は南北に大きな2つの湖があり中央部分が狭くなってりる、そうヒョウタン形の湖だそうだ。軍事政権故か正確な地図が無いので、ガイドブックやそのたあちこちで見るインレー湖の地図は同じモノがない。ボートで南下していくと段々幅が狭くなってくる。両岸が自然と視界に収まり始めた頃に橋が見えてきた。このアタリが多分インレー湖で一番幅が狭く、普通に川のようなトコロだ。

橋のたもとがチェックポイントになっていて、ここで一度ボートを降りる。子供達が普通に遊び、女性達が洗濯している傍で、カラシニコフを持った民兵が笑顔でバイクにまたがっていた。普通、銃を持った人を撮るなんてしないが、ココでは普通に撮れてします。恐る恐る近づき、カメラを指さしてみると、笑顔で頷いた。その表情はとても親しみやすい優しいオジサンの顔だった。

両岸に時々集落がある風景が続く中、まだ段々水面が広がってくる。南側の湖に入ったようだが、北側の我々が滞在しているインレー湖とは少し様子が異なる。
浮き草が少なくなり、水の色が青い。Dr.T氏の話だとアルカリ性の強い硬水なのだそうだ。でも綺麗だし思わず手を出して飲みたくなるが、自粛しておく。

目的地カザ(Sam ka)に到着すると、仏塔の土台部分が湖に埋まっていた。この雨期は水量が多く、今でも引き切れていないとの話、通常だとこの仏塔は歩いて廻るところらしい。近くの村を一通り散歩して撮り歩く。このアタリは観光客も少なく、素朴な人達が素焼きの器を作りながら暮らしている。そんな感じのところだ。

ランチは水上集会所のようなところにゴザを広げ、漆塗りの乗せ台を置き、クーラーボックスから冷えたコーラやスプライト、ポットからは熱いお湯で、カップラーメンと珈琲も戴く。私の体調を考慮して、クロワッサンまである。ドコに行っても完璧なもてなしをしてくるA女史にますます感謝。

強い日差しを避けながらランチ。そして食後に珈琲を飲みながら周囲を見回すと、墨絵のような水墨画のようなため息の出るような景色がどこまでも、どちらを向いても広がっている。時間の感覚も麻痺し、半日くらいココでボーっとしていたいが・・・・間もなく出発。もう少し南下すると水面からわずかに頭を出す壁や仏塔が見えてきた。ここは以前は陸地で、下流にダムができたため水没したトコロとのこと、壁はこの一帯を支配していた有力者が作った長く巨大な城壁のようなものらしい。
もし、ダイビングでもして潜れれば、きっと素晴らしい世界が見えるのだろうと思う。

1枚目の写真が水没した仏塔。

2枚目の写真はカザ(Sam ka)にいた黒髪の美しい女性。髪に椰子油を塗っていたところ、日差しが反射してとても美しい。

ここより南に行くとさらに大きな湖になっているとA女史の話だが、外国人は入れないブラックエリアなのが残念だ。

折り返し、北上する途中、幾つかの村に寄る。こちらの村々は各々、何かを作り生活の糧にしているようだ。あるところでは素焼きの器、別の村ではライスペーパー、地酒、ウイスキー等々。。

そんななかの一つの村でこの旅最強の子供に遭遇する。最初はあまり印象が無く、どこから着いてきたのか定かでは無いが、あまりの表情と周囲からの扱い(姉と思わしき女の子に首を絞められたり叩かれたり)に同行のSさんと笑いが止まらなくなり、最終的には相当枚数を撮ってしまった。

3枚目の写真がその子供。手前で写っているのが同行SさんのGR-D。液晶画面に映る自分の姿に感動していたようだ。

さらに北上しながら寄り道をし、夕方に無事ホテルへ戻る。ようやく体調も撮影も本調子になり一安心。

今日行ったインレー湖南部は次回、絶対にもう一度来たいトコロだ。風景と言い人々と言い今回の旅でもっとも印象深い。

夕食はアラカルト注文でで混雑するダイニングレストランを避けて裏手のオーキッドレストランへ、ここは静かで贅沢な空間。ここもA女史の指示のもと設計され建設されたと聞き改めて驚く。

夜は8時すぎからサンセットバーでショータイム。何度か見たパオ族の伝統舞踊だが、相変わらず気の抜けた盆踊りのようで、隣の人を見ながら踊っている人が多い。まぁ、本職はホテルのスタッフなので仕方ないのだろうが、どうも何年経ってもあまり上達など変化は無いとDr.T氏のコメントなので、きっとこれで完成形なのだろう。それでも一人の男性スタッフが披露するファイヤーダンス&刀を使ったダンスは見応えがある。他は孔雀ような飾りで廻ったりするだけの踊りなので、実質ファイヤーダンスの彼ひとりで持っているようなショーに思えた。どうもミャンマーはタイやインドネシアの様な緻密で高度な踊りは存在しないというか、そのようなモノを求めない民族性なのかもしれない。これは絵画などの芸術作品を見てもそう思える。

部屋に戻るとランドリーサービスの袋が戻っていた。インレー湖は今夜が最後、明日は陸地へと移る予定。5泊なんてすぐに終わってしまう。
連泊で広げ過ぎた荷物もそろそろ方付けねばと思いつつ、まずはランドリー袋の中身(私の着替え)をベットの上に開けると薄暗いながらも見慣れない"物体"が幾つか・・・ここのランドリースタッフさんは靴下など綺麗に丸めてくれるし、Tシャツもお店の様に畳んでくれるからすぐに詳細が判らなかったが、目が慣れてきて"物体"を手に取ると・・・正体が判明。靴下かと思ったのは女性モノ下着、しかもそうとう大きい・・・ほかも確認すると女性モノばかり。袋の番号を見ると合っている。中身を入れ間違えたのだろう。
再度、袋に戻し(入れ忘れが無いか良く注意し)ホテルのフロントへ。事情を説明すると顔なじみのフロント女性も大笑い。笑いながら内線で確認する。私のは探して部屋に届けるから待って居てくださいとの話。15分くらいしたらスタッフが来て、"これですか?"との問いに"ハイ、これで間違いないです"と答えみんなで大笑いしてしまった。本来なら単純なホテル側のミスなのだが、怒る気は全く起こらず、楽しい旅の軽いアクシデントという感覚。
部屋で荷物整理を済ませホテル内のお土産ショップに行くと丁度A女史と間もなくDr.T氏も現れた。洗濯物の一件を話すとA女史もDrもお腹を抱えて大笑いしていた。

体調も良くなり安心して就寝。明日はこの旅最後の宿題が待っている 。

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このページは、kameyamaが2007年1月24日 19:37に書いたブログ記事です。

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