特別な夜景 -函館-

hakodate.jpg小雪の舞う夜空の下、我々は最後の宿泊地函館の街をロープウェイ乗り場に向かい歩いていた。

 函館といえば「夜景」があまりにも有名で当然目的地は函館山だ。長いようで短かった旅行もあと2日、明日の夜行でもう帰る予定。3月中旬とはいえ北海道は、まだまだ真冬で外を歩いている人は少なく、降り積もっている雪が音を飲み込むので、街はとても静かだった。

 今を遡ること20年、中学を卒業し高校入学前の春休み同じクラスだった仲の良い?友達同志5人で北海道を旅行した。メンバーは私を含め元鉄道少年だったので、北海道観光よりも様々な列車に乗るほうが楽しみだったかもしれない。また、学生の身で当然予算は限られ全行程10泊中6泊が車中泊の貧乏旅行だった。

 5人はあまり喋らず黙々と歩いていた。きっと今まで旅行中の出来事でも思い出していたのかもしれない。暫く歩きつづけるとロープウェイ乗り場に着いた。麓から見ても山頂がかすんでる。5分後に登るのが最終で、そのまま山頂で15分後に最終の下りになるとアナウンスしている。これを逃すと登れないが、天気が悪く登っても見えないかもしれない。それでも「せっかく来たんだから行こう」と皆で決めた。ロープウェイに乗ると全部で15人くらい客が居た。発車のベルが鳴り登り始める。雪がさっきより激しくなってきた気がし、他の観光客も口々に諦めの声を漏らしていた。山頂に着く頃には少し小降りになっていたので、期待して展望台に出て見た。
  眼下にかすかに街の明かりが見える程度で、ともて「夜景」と言えるほどではなく、三脚を構え写真を撮っている人たちも「今日はダメか!」、「雪じゃしょうがないか」など言っている。私達にとっては「今日の今」しかないのでとても残念だった。展望台には多分30人位の人がいて、皆各々景色を見ず、喋っていた。我々も建物の中に入り今までのことを振り返りながら話をしていた。  
どのくらい時間が経ったか覚えてないが多分5分くらいだったと思う。展望台の前の方から急に静かになってきた。私も急いで展望台に出た。雪は止み、雲が流れだした。すると、急に眼下に宝石をちりばめたような、函館の街が 浮かび上がってきた。良く見ると函館駅、青函連絡船もはっきりと見えた。東京や横浜と違い派手なネオンを皆無で、家の灯り、街灯、信号、車のライト等だけで構成された素朴で美しい夜景だった。
 誰も、声一つ出ない。静寂が展望台を包んでいた。

そんな中、誰かがカメラのシャッターを押した。「カシャ」の音で皆、催眠術から解けたように、我に返り、カメラを持っている人は夢中でシャッターを切って、双眼鏡を持っている人は双眼鏡であっちこっち見ていた。当時私は夜景を撮れるカメラは持ってなかったので、この感動を一生懸命脳裏に焼付けていた。ただ、相変わらず言葉を交わす人は無く、無言で各々がこの美しい夜景を楽しんでいたのかもしれない。

 どのくらい時間が経ったかまた、覚えてないがきっと5分くらいだったと思う。また空から、白い雪がパラパラと音も無く降り始めた。そして宝石をちりばめた目の前の景色はかすみ始めやがて見えなくなった。
 下り最終ロープウェイ発車を知らせるベルが鳴り、皆無言で乗り込んで行った。車内も静かで黙々と下っていく。御利用ありがとうございましたのアナウンスが聞こえ、程なく麓駅に到着。
 ホテルへ帰る時も、雪は降り続いていた。皆口数は少なく、「綺麗だったな」位しか話したことを記憶していない。

 このあと、もう一度、夏に函館に行き、函館山から夜景を見たが、「綺麗」なだけだった。また、綺麗な夜景で有名な神戸に行ったときも六甲山から夜景をみたが、やはり「綺麗」なだけだった。

 あの時、あのシチュエーションで見た夜景は私にとって「特別な夜景」だった。

この北海道旅行の仲間に私がホームページ関係で御世話になっている友人、SQALLのしけたさんがいる。しけたさんは確か、一眼レフで夜景を撮っていた。このとき、初めて夜景の撮れるカメラ=一眼レフカメラなる、図式が頭の中に残った。

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このページは、kameyamaが2002年1月18日 22:16に書いたブログ記事です。

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