Myanmarの最近のブログ記事

新年

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本日、4月17日はミャンマーの新年です。
この時期のミャンマーは1年で最も暑い季節になり、現地では通称「水掛祭り」が全国で派手に行われています。水を掛けるのは暑いからだけでは無く、日本で言えば大晦日に1年の悪いことを水で流す意味もあるそうです。

昨日、私がミャンマーを知るきっかけを作ってくれてその後撮影の度にいろいろお世話になっているAnnさんがバンコク在住のDr.田中氏が我が家に来ました。前日から箱根に泊まられていたので私が土曜の朝、箱根の仙石原界隈のホテルまで来るまで行きそのまま芦ノ湖スカイライン、ターンパイクとドライブしながら途中我が家に立ち寄りました。Annさんが富士山を観たいと言うことで箱根で富士山が見えるホテルを探したそうですが、偶然にもそこは私が数年前に泊まったことのあるホテルでした。

ドライブの途中に寄ったドライブインでAnnさんはイチゴを2パック買って、我が家で紅茶を飲みながら食べました。そのとき食べる前にAnnさんが我が家の食器棚を観て小皿を指さし、私が渡すとイチゴを2コほど載せてリビングに置いてある金の仏像(私がいつも訪れるインレー湖の仏像屋さんでもらったもの)の前に置いて手を合わせていました。

20160417K-001.jpgそのあと、小田急ロマンスカーで新宿に向かいました。前日本当はロマンスカーで箱根へ向かう予定だったそうですが、人身事故がありロマンスカーは運休。急行で箱根まで行きとても遠く感じたそうです。ロマンスカー(一番新しい車両、VSE)に乗っての感想はとても快適で昨日(往路)も乗りたかったと話していました。夜はもう1人合流しいつもの新宿イタリアンで食事をしてきました。

Annさんにとっての大晦日、とても楽しい1日だったと御礼のメッセージが来ました。
今まで沢山お世話になっていたので少しでもお返しが出来たと思っています。

ミャンマーのみなさん、"新年あけましておめでとうございます"とミャンマー語でどのように言うのか分かりませんが。。(まだまだ勉強不足)

ミャンマー選挙2015

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2015年11月8日(日)、ミャンマーで選挙が行われた。おおよその結果はもう出ていて前評判通り、アウン・サン・スー・チー氏率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝し過半数議席を獲得する勢いだ。現在のミャンマーの法律ではスー・チー氏は家族に外国籍の息子が居るため大統領になれない。
ミャンマーで法案を通すためには大統領の署名と議会の76%の賛成が必要とされている。しかし法律で25%は軍人が議席を持つことになっている。NLDが大統領になっても25%の軍人枠の中からNLD側に賛同する人が出てこない限り何も変えることは出来ない仕組みになっている。これは軍事政権時代に作られた憲法だから仕方無い。

これに対してスー・チー氏が言っているは「25%の中にもかならすミャンマーの将来を考え賛同する人が出てくることを信じてる」という内容だとミャンマーの友人から聞いた。

ミャンマーはビルマ族を始め100を超える民族が暮らし、宗教も仏教が多いが、キリスト教やイスラム教徒もいる他民族・他宗教国家だ。日本のような、ほぼ単民族で宗教心が薄い(私にはそう感じている)国に生まれて育った私には想像・理解が難しいが冷戦後の世界で起こっている紛争、テロの多くは宗教、民族に由来していることを考えると軍事政権という強権のフタが無くなったときに何が起こるのか心配にならざる得ない。

周辺の他民族国家を観ると軍事政権や一党独裁が多く、逆にそのくらいの強権がないと治まらないのかもしれないと思ってしまう。

2005年、私が初めてミャンマーを訪れたとき、軍事政権下でスー・チー氏は自宅に軟禁されていた。それでも旅行者からはミャンマーの人たちは平和で穏やかに日々の暮らしを営んでいるように見えた。

スー・チー氏は大統領になることは出来ない。NLDの誰かを大統領にしてスー・チー氏が実権を掌握するかのような発言が報道されている。西側諸国の民主主義国家からするとこの考えは憲法を無視した、極端に言えば独裁者になろうとしているように見えるかも知れない。そのようなことは英国や日本に留学していたスー・チー氏は当然承知しているはずであるが、その上で発言している真意はどこにあるのだろうか。

私のミャンマーの知人友人に以前、スー・チー氏が政権を取ったらどうなるのか?少し話をしたことがある。正直彼らも未知数で分からないと話していたが、軍事政権より良くなる未来に期待したいと言うのが本心なのだろう。

ただ、中東やアフリカなどの民族紛争を見ると少数民族と軍の戦闘や停戦合意のニュースを聞くと複雑だ。イギリスがビルマを植民地にしていたとき、植民地政策として多数を占めるビルマ族の目を宗主国へ向かせないため少数民族に資金と武器を供与していた。欧米の身勝手な植民地支配が現在の地域・民族紛争を生んでいると思うとミャンマーのこれからも考えてしまう。

イギリスの植民地から日本が植民地にしていたとき、日本がビルマに何をして、何を残したのか私はほとんど知らない。ミャンマーへ行くと日本人墓地が今でも綺麗に維持されてることや、私がミャンマーで知り合った老人の人から聞く日本軍の印象は悪くは無さそうも思える。(日本人の私に気を遣ってくれいているだけかもしれないが)

軍事政権を肯定、支持するわけではないが、現実的なミャンマーの政権運営を考えるとNLDと軍が敵対していては不幸な未来になると思わざる得ない。

写真は2012年、インレー湖のある村で魚の養殖プロジェクトについての話し合い。日曜で休みの学校の教室で開かれたシーン。日本では良くあることだろうが、ミャンマーの軍事政権下集会が禁じられていた時代を知っていたから、この光景は私にはとても感慨深いものだった。

軍事政権下では集会だけでは無く、満足な学校教育システムも崩壊させていた。それでも僧院の存在で子供達は読み書きを覚えていたそうだが、日本では当たり前の生活や一般知識、道徳教育など皆無で、それもこれから発展しようとしている国には厳しい現実だと思う。

20151115-001.jpgミャンマーの多くの一般の人たちは敬虔な仏教徒で人柄も穏やかで良い人が多い。今回の選挙で多少の混乱も起こるだろうが良い方向へ進むことを本当に願っている。

クラウドファンディング」と言う単語を最近まで知らなかった。今年の夏頃に初めて耳にして目にした。

数年前から私の場合、写真の展示やイベントの撮影などで手伝っていたNPO法人「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会:MFCG」が先日から始めた活動だ。

「クラウドファンディング」を運営しているサイトがあり、そこに今回の場合「移動クリニックで、ミャンマーの人々の命と笑顔を未来へ繋ぐ!」という目的を実現するのに必要が車を購入する資金を集めたいという思いをアップし、一定期間、スポンサーとなる人達を募ることだそうだ。今回の場合、スポンサーになるには¥3,000、¥10,000、¥30,000、¥50,000、¥100,000と選択肢があり、それぞれ金額に応じた引換券と呼ばれる"御礼"をもらうことになる。

そして、僭越ながら私の写真集もこの"御礼"に中に加えて頂いた。このようなかたちで貢献できるのは名誉なことだと思っている。今の時点(12/2夜)で目標150万円に対して34%の達成度で50万円を超える申し出を頂いている。これは目標を超えないとゼロに、例えば149万円で期日を迎えてしまうとプロジェクトは不成立となってしまう。私も自分の出来ることで貢献できればと思っています。

興味を持って頂いた方は是非コチラを見て、プロジェクト内容に少しでも賛同されれば是非ご協力を頂ければと願っています。

私がMFCGと関わったきっかけなどはCanpanブログに以前書いたのでご覧頂ければと思います。

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Myanmar祭り2014

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2週連続の台風襲来の週末から抜け出した今週末、東京芝増上寺でミャンマー祭り2014が開催されました。昨年は1日開催で3万人以上が集まり大盛況でした。そして日本ミャンマー交流写真展では写真家関口照生氏の作品と共に私の作品も展示してもらいました。

今年は土日の2日間開催、会場も昨年より多くの建物を使ったり、多くのボランティアスタッフを集めて徹底したゴミの分別や人の誘導などを行い昨年の反省などを大いに活かし用意周到に準備された開催で、実行委員の皆様方の努力がうかがえる素晴らしいイベントとなっていたと思いました。

今回の日本ミャンマー交流写真展はミャンマー写真家の作品を展示していました。6月の東京写真月間2014では4つの会場の分散展示されていたのを1カ所に集めて展示し、写真から観たミャンマーの多様性、奥深さを感じることができたのではないかと思います。出入り口の脇のテーブルに置かれたミャンマーを写真と共に紹介した小冊子の山が瞬く間に少なくなっていたそうです。

昨年は写真を展示し1日開催だったためほぼ写真展会場に居り、祭りを全体を見ることができなかったのですが、今年は時間があり、のんびりブースを廻ったり、ミャンマー料理を食べたり、ステージを観たりと思っていましたが、1週間前になって、私がお手伝いしているNPO法人「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)」が写真展会場側のマンダレーステージで寸劇で参加することを知りそこから準備をして何とか本日13時から20分間のステージを無事?に終えることができました。始まったときは人もまばらでしたが途中気付くと大勢の方々が居てビックリ、そこからはあまり記憶が無いのですが気付いたら終わってました。

20141019-001.jpgステージ終了後、関係者以外立ち入り禁止の場所で落ち着いて記念写真を撮ってもらった出演者一同です。秋の柔らかな陽射しのなか良い記念になる写真です。写真中央が紹介とナレーション担当MFCG代表の名知さんです。両脇の女性はミャンマーの方々で向かって右の方がお母さん役、左の方がMFCGの女医さん役、左端が息子役そして私はお父さん役でした。ただ息子役の彼と私は実際は同級生、誕生日も5日しか違いませんでした。見た目で配役が決まったので何も言えませんが・・
自己紹介以外のセリフはありませんでしたが、このようなかたちで人前にでたのはもう数十年ぶりでしたが、楽しい時間でした。

健康診断の手伝い

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「ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:MFCG」

7月27日の日曜日、東京の早稲田奉仕園で日本に住むミャンマーの方々に向けて無料の健康診断・相談会がMFCG(Myanmar Family Clinic & Garden)の主催で開催された。今までは予定が合わず行けなかったが今回は参加し微力ながら手伝うことが出来た。

医師はMFCG代表の名知さん、在日ミャンマー人医師が数名が中心で診察。他に在日のミャンマーの人達も多くのボランティアとして参加していた。MFCGのイベントは過去に何度か参加していたが今回は協力しながら1日過ごせ、Facebook でも友達が増えた。何人かに日本に来た経緯や将来の話など聞くことができた。

検診を受けに来たミャンマーの人達も含めて人柄の穏やかで陽気だった。ボランティアベースの健康診断なので尿検査、身長、体重測定、血圧と問診だったが先生達は聴診器1本で熱心に診ていた。そして彼らにとって貴重なのは検診結果をもとに親身に相談に乗り必要に応じて最寄りで適切な対応をしてくれそうな病院に紹介状をもらえることだったのだろう。ミャンマー語で相談できたのは心強かっただろうと思う。

私はエレベータやトイレ周辺で案内・誘導がメインだったが最後エレベータで帰るとき皆、深々と御礼を言ってくれていた姿が全てを物語っていたのだろう。

そしてMFCG代表の名知さんの講演を先日聴いた医師志望の女子高校生もボランティアで参加していた。私も少し話を聞いたが受験を控えた高校3年の貴重な夏の1日を過ごしたようで将来がとても楽しみだ。自分が高校3年の時を思い出すと自分の事で精一杯でボランティアに参加など微塵も頭に無かっただろう。しかも彼女はとてもしっかりしていて、そのうえ可愛くミャンマーの若い男性陣の人気者になり代わる代わる一緒に写真を撮っていた。

私は明日から2年ぶりのミャンマー、雨季に行くのは2007年以来。雨季は時々スコールがあり移動が遮られたりする不自由さはあるが果物など食べ物は美味しく、観光客も少なくノンビリ彼らの日常に接することができる。それに私の目的地インレー湖のホテルには蛍も沢山居る。条件が良ければ天の川を含む満点の星空と蛍の共演を目にすることができる。

訪緬1週間前にこのような場に居られたのは私には良い機会だった。

写真は会場の早稲田奉仕園の建物。静かで趣のある佇まい。

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今日、書店で地球の歩き方「ミャンマー」の最新版を買った。
無くても特に困らないのだが買った。
2004年、初めて行くとき唯一のミャンマーガイドブックは「地球の歩き方」だった。国の基本情報や入国書類の書き方、簡単な現地語の挨拶など知るために貴重な一冊だ。その時のは2004〜2005年版、今年は2014〜2015年版で丁度10年経ったことになりどのくらい違いがあるのか興味があった。

2冊を並べてみると先ず、年号表記が「'04〜'05」から「2014から15」に変わっている。若干厚くなっていて頁の記載されている最終頁(索引の終わり)が213から278で65頁の差があり値段も税抜きで1,680→1,900円に。

地域毎の内容はヤンゴン周辺、バガン周辺、マンダレー周辺そしてインレー湖周辺と最後に旅の技術についてと中身の基本構成は変わっていない。最新版の特徴として料理やお土産関連が増えている。中身を読むのはこれからだがヤンゴンの渋滞が激しくなっていることやホテルの値段が高くなったことも分かる。

高級ホテル(値段はシングルの最低料金US$)
・ストランドホテル:450→450(観に行っただけ)
・トレーダースホテル:111→271
・パーク・ロイヤル:120→255(割引で何度か泊まった)
中級ホテル
・セントラルホテル:30→80
・パノラマホテル:20→80
・タマダホテル:30→100(ここ数年のヤンゴン常宿)
ドミトリー系
3〜5→8〜12くらい

それでもホテルは不足で建築ラッシュが続いているそうだ。

ヤンゴン国際空港も国際線から国内線の乗り継ぎが内部移動で可能になっているらしく、少なくとも行きはうっとうしいポーターに悩まされることは無いだろう。

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先週は東京写真月間2014の企画展アジアの写真家たち ミャンマー・ナウの展示でミャンマーから来日中の写真家3人と知り合うことが出来た。

品川キヤノンSタワー2階のオープンギャラリーで展示中のKyaw Kyaw Winn氏はミャンマーの美しい風景を中心にアート系の作品を制作されている。東京滞在中にフジヤカメラに通いカメラやレンズを購入したそうだ。ヤンゴンではまだまだ買える機材は少ないそうだ。私が会ったときはOM-Dを肩から提げていた。

新宿ニコンサロンで展示中のKaung Htet氏はドキュメンタリー作品、彼は医者から写真家に転身しMyanmar Times誌主席フォトグラファー&編集長として活躍している。彼が写真家への道を選んだ理由などギャラリートークで聞けたのは興味深かった。これからの彼の活躍がミャンマーの変貌を現すように思える。

銀座ArtGallery M84で展示中のZaw Min氏は日本に約10年 滞在した経験が有り、現在はヤンゴンで旅行会社を経営し日本人向けにミャンマーツアーをコーディネートしている。ミャンマー国内の少数民族など積極的に撮影したりミャンマー政府観光促進の一翼を担っている。彼は日本語が堪能で話すだけで無く漢字仮名交じりの読み書きもOKで我々日本人にはとても心強い。

私が8月にミャンマーを訪れる予定なので是非ヤンゴンで再会したいと最後の挨拶を交わした。

ミャンマーの写真事情や写真家活動、発表の場など初めて知ることができた。ミャンマーにも写真協会があり全国で会員が12,000人居るそうで定期的な展示活動も継続していると聞いた。民主化に舵を切ったミャンマーだがまだまだいろいろな事情があることも同時に聞いた。彼らの志が実現する日が一日でも早く訪れることを願いたい。

今回、私の渡した名刺を観て、「へーホーの飛行場に写真を展示していますか?」と聞いてくれた方が居た。へーホーの飛行場は私がいつも訪れているシャン州インレー湖の玄関口で、そこの出発ロビーに私のカラー写真を何点か飾って貰っている。それを覚えていてくれたのは嬉しかった。いろいろな国に行くと空港にその地域の名所の写真が飾られているがミャンマーではまだ少ない。

また、彼らの写真を観て、彼らと話をしているうちに、自分が撮っているミャンマーの「意味・意義」が自分なりに明確になり、迷いのように引っ掛かっていたモノがクリアになった気がしている、これも彼らに出会えてたからのコトだ。

写真はヤンゴンの中心にあるスーレーパゴダに続く道、ヤンゴンの地理について彼らと話しているとき何度か出てきた場所だ。以前は市内北部の空港から中心までタクシーで40分くらいだったが最近は渋滞が増え朝夕の通勤時間帯だと2時間以上かかる時もあるそうだ。

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先週から始まった東京写真月間、そして「アジアの写真家たち2014 ミャンマー」も4会場中3会場で展示がはじまった。週末に新宿ニコンサロンと銀座Art Gallery M84を観てきた。今までミャンマーに行ってもミャンマー人写真家の存在に触れることは殆ど無かった。最大都市ヤンゴンは大きな街だがギャラリーを観たことは無いし有るのかも分からない。
バンコクの書店で見かけたミャンマーの写真家が作った写真集を購入したのが唯一だった。
なので今回、ミャンマーの写真家たちの展示が日本で、東京で観れるのは嬉しい。新宿ニコンで観ていたときたまたま居合わせた人達がタウンジーのバルーン祭りのクライマックスシーンと思われる写真を観て何を撮っているのか分からないというような話をしていた。作家の簡単な略歴はあったができれば簡単でも作品の説明かキャプションがあった方が良いのにと感じた。

今週はギャラリートークやレセプションがあり、来日している何人かと話が出来そうで楽しみだ。

これは私がいつも訪れる仏像職人の一家のような彼ら。詳細は難しいが所謂家族では無いらしい。

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ミャンマー祭り2013

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2013年11月17日(日)、東京芝増上寺で「ミャンマー祭り2013」が開催された。

今までも年に数回民間主催のミャンマー関連のイベントは有ったが今回はミャンマー大使館や安倍昭恵さんも相当積極的に参加され、今までに無い大規模なイベントで、主催者発表で35,000人、報道でも20,000人の人出とあった。好天に恵まれて1日限りのイベントながら大いに盛り上がっていたように感じた。

私はこのイベントのひとつ、「日本・ミャンマー交流写真展」に参加していた。7月に冬青ギャラリーで展示していたモノクロ30点を展示しほぼ1日ギャラリーにいたが1,000人以上の人が来たように思える。写真展はコンテスト公募の入賞作品、安倍昭恵さんの子供のスナップ写真、コンテスト審査委員長の写真家関口照生氏の作品が展示され、それに私も参加させて貰った。今回は関口氏には展示を含めいろいろお世話になり貴重な経験が出来、とても感謝している。今までのどの展示よりも多くの人々、特にミャンマーの方々に観て貰い様々な感想、意見を貰えたのは貴重だ。
関口氏は次回(来年?)はミャンマーの写真家の作品を多く展示できるようにしたいと話されていた。と言うのも今回のコンテストに10数枚ミャンマーからの応募が有り、どれもクオリティの高い作品で専門誌に載っていても不思議では無いような作品に思えた。コンテストは応募総数約500点で受賞作品はどれも印象的で素晴らしかった。

展示会場の隣に特設ステージが有り、ミャンマーの人気歌手、メイスイさんを呼んだり本場のミャンマー舞踊なども披露されミャンマー語の歓声が飛び日本では無いような雰囲気だった。このイベントは日本に広くミャンマーをアピールするのと同様に日本にミャンマー人に楽しんで貰うことも重要な目的だったようで、こちらに駐日ミャンマー大使のコメントが書かれていて、とても素直で現実を見ている内容だと思う。

写真は撤収前に撮影した展示会場の様子。フレームマンさんが全て担当されこれは最近開発した自立壁だそうで天井から吊したり突っ張り棒など不要で釘打ちも出来る優れものだ。関口氏の作品やコンテスト作品はすべてカラーのなか地味にモノクロで展示していたが思っていた以上にじっくりと観てくれた人が多かった。ギャラリー内は撮影自由としていたから気に入った写真を携帯やスマホで撮影する人を観ていると面白かった。私の作品の中でも足が止まり、撮っていたのを何度も見かけた。

20131123-001.jpgコンテスト入賞者の中には中部地方や四国から来られて人も居ていろいろ話が出来たのは楽しかったし、今後私がミャンマーで撮影活動していくうえで何かのきっかけになるだろう一日だった。

世界平和パゴダ

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3/11、門司を訪れた際、関門海峡を見下ろす高台にある「世界平和パゴダ」に行って来きました。ここは日本で唯一の本格的ミャンマー様式のパゴダと言われています。
2011年末に運営資金難のため休館中なのはニュースで知っていたので入れないのは承知の上で門司市街地からレンタカーで向かいました。町中の道路看板にも出てきていたので名所として認知されていたのだと思います。前日到着した対岸の下関からも関門大橋脇にその姿を確認できるくらいで想像していたより遙かに大きく立派でした。

少し調べて観ると、昭和29年当時のビルマで仏典結集会が開催され、全日本仏教会の代表も出席しその際、上座部仏教を日本にも紹介したいという話が持ち上がり、ビルマ仏教会に希望を出したそうで、それがきっかけでここに土地を見つけ、総工費約4000万円をかけて昭和33年9月に世界平和祈念と第二次世界大戦の戦没者慰霊のため、世界平和パゴダは完成しました。門司が選ばれたのは、大戦中ここからたくさんの兵隊が船でビルマに渡ったからだそうです。
何人かのミャンマー人僧侶が近くの僧院で暮らしながら来た人たちを案内したり仏教行事などをこなしていたようです。数年前に高野山で開催されたビルマ戦線の戦没者慰霊でここの関係者の方が、運営資金の多くをビルマ戦線帰国者やその遺族の寄付でまかなっていたのですが、高齢化のため厳しい状況ですと話されていました。
日本とミャンマーの友好の象徴として、戦没者の慰霊、世界の平和を願うパゴダが資金難で休館というのは寂しい限りです。

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