8月末のある日、バンコク在住のDr.田中氏とミャンマーからAnnさんが東京に来た。
Drとアンさんが居なかったら私がミャンマーに行くことは無かっただろうし写真展を2度も開催できたかわからない。2005年から昨年10月まで5度ミャンマーを訪れているがいつもインレー湖にあるアンさんのホテルに滞在し撮影していた。そんな訳でアンさんが日本に、東京に来るというので1日はおつきあいするつもりで午前10時品川駅改札で待っていた。
品川に集合したのは2つ目的があり、その1つであるミャンマー大使館へ向かう。前日Drが大使館宛にメールで訪問する旨を伝えてあり、大使に時間があればお会いしたいとも書いたそうだ。2年前にも似たような状況で大使にお会いしているので驚きはしなかったが・・・そのときの大使は今ミャンマーへ戻り出世しヤンゴン市長になったそうだ。
なので今回お会いしたのが昨年末から日本に来られた新しい大使だった。私はこれからもビザをとるために訪れることもあるだろうかと名刺交換と簡単な挨拶をした。アンさんと大使はミャンマー語で観光についてなど話をして約1時間、タマリンドの干したおやつを受付等のスタッフに差し入れして大使館を後にした。
ランチは品川駅近くに事務所を構えるDrの友人も合流しランチ。昼時でどこのお店も混んでいたがそば定食がおいしいというお店に入りアンさんもそばを美味しいと食べていた。友人さんの事務所で食後のコーヒーを戴き、新宿へ移動。三井ビルの中にあるトヨタ財団を訪問。
昨年、Drが提案書を作り財団から支援プログラムを受けている。「ミャンマーインレー湖水産資源開発 ―魚養殖の導入と専業漁師の生活安定化促進」と言うプロジェクトだ。詳しくはこちらへ。
http://www.toyotafound.or.jp/project/asian_neighbors/d10-n-0006.html
トヨタ財団の担当の方がDrとアンさんにいろいろインタビューし、今までの成果、現状そして今後の予定などを真剣にメモしていた。世界的な大企業トヨタが財団を作りこのような活動をしていることは以外と知られてない気がする。私も今回の件がなければ知らなかった。
午後4時ごろ、トヨタ財団を出る。この日は夜7時から師匠一家をはじめ写真関係の仲間で新宿で食事会だったので当初の予定ではこのあと夜までアンさんの好きな100円ショップやヨドバシカメラなどで買い物をする予定だったのだが、アンさんもDrも疲れ気味だったので一度部屋に戻り一休みし夜改めて集合しましょうと提案した。
前日の夜神戸を夜行バスで出発し早朝東京に着いたばかりで疲れは残っているだろうし、さらに数日前アンさんはヤンゴンを出てバンコクで一度降りて2泊しDrと合流し来日する予定を組んでいたが手違いがあってバンコクのビザが取れて無くタイ入国できず一度ヤンゴンにもどるか日本に向かうかの選択をせまられ日本のビザは取得していたから日本行きを選択。ただその日のフライトは満席で取れず、一晩あの寒いバンコクの空港待合室で過ごしたそうだ。暑い東南アジアから蒸し暑い東京へくるから上着などは無く本当に寒かったと話していた。冗談まじりに「バンコクの5つ星(five star hotel)ならぬ5つ椅子ホテル(five chair hotel)に泊まった」と話していた。
そして夜7時前、新宿三井ビル地下にいつものイタリアンに集合したときはシャワーを浴び、着替えてリフレッシュしたDrとアンさんが現れ一休みは正解だった。ミャンマーに居るときもだがアンさんは良く着替えをする。ホテルにいても朝昼夜とお客さんの前に同じ格好で挨拶することはほとんど無いように思える。
食事は14人があつまる盛況で、他にも来たかったがこれなかった方も数名、アンさんのホテルに泊まった人は皆アンさんのお友達なのだろう。
ここ数年はいろいろ有ったが平常に戻り、観光客も戻ればアンさんも年に一度か二度は来日したいと話していた。ミャンマーにいるとホテル業や他にもいろいろ忙しく日本にくるのが気良い分転換なのだそうだ。日本の現状は震災・原発事故以来重い空気に包まれているがそんな日本に来てよろこんでくれているアンさんに私も嬉しく思う。
食事会は久しぶりに会う人たちも居てのんびりと美味しいイタリアンを満喫できた。私は5月の写真展に展示していた6切りのアンさんがボートに乗っている写真を14×14インチのパネルのままプレゼントした。ボートの舳先にあぐらをかいて座り佇むアンさんの写真を見てとても喜んでくれた。撮った人に写真をプレゼントする。これは写真の基本なスタイルだ。
政治的はいろいろ大変なコトも多いミャンマーだが日本からも多くの人が訪れてほしいと思っている。そしてアンさんのホテルでしか味わえない時間を体感してほしい。