August/2019 ⭐︎その3 ;カローからメティラそしてマンダレー空港へ

8/5(月)
昨夜は断続的に激しい雨で雨音で何度か目が覚め、うとうとしていたら朝になっていた。9時にニャウンシュエに迎えの車がくるので早めに朝食をとり、荷物を確認して8時にチェックアウト。アンさんは忙しくずっとヤンゴンにいるそうで今回は会えなかったがホテルのスタッフが良くしてくれたので今回も快適なインレー湖だった。
土砂降りからカッパと傘で凌げる程度の小降りになりボートでニャウンシェへ向かった。

車は約束の9時より少し早くついて予定通りに出発できた。ニャウンシュエからシェエニャウンを左折して西へカローを目指す。ヘーホー、アウンバンをすぎて10:30、カローに到着。
カローへ向かう道中、ヤンゴンで買ったSIMの残高が無くなってしまいネット接続できなくなってしまった。その旨をドライバーさんに話をしたら車を止めて5000kytを購入してくれた。

カローで訪れる予定だった日本語学校の老先生が最近他界したことを数日前、友人からのメッセージで知ったがせっかくなので訪れたいと伝えた。中に入ると日本や日本語との関係を示すものがたくさんありここもミャンマーと日本をつなぐ貴重な場所だったことがしのばれる。

ここで戦争中日本軍が野戦病院に使っていた建物が今でもホテルで使われいてると聞き「カローヘリテイジホテル」へ向った。

カローヘリテイジホテルは100年以上前、英国の植民地時代に避暑地になっていた頃から建っていたようだ。そこを戦時中、日本軍の野戦病院として使っていた。当時、看護婦も日本から派遣されていたと本で読んでいたので周囲の景色は今と違ったのだろうかなど考えていた。

100年前からあるホテルは今でも現役でその佇まいを残していた。カローはいずれ何泊かしてゆっくり廻りたいと思わせる街だ。

友人の勧めでシャンレストラン「7シスターズ」でランチ。窓から街並みが見えるが、他のミャンマーの街と雰囲気が異なる、英国の影響か洒落た建物が多い。

12時少し前にカローを出発し一路メイティラへ。途中セキュリティチェックがあり少し驚く、ドライバー以外は車を降りてセキュリティチェックを受けて、車とドライバーは巨大なX線装置をくぐる、最初、何なのかわからなかったのでフィルムごと通してしまったのが少々心配だったが帰国後現像しても特に問題無かった。途中土砂降りの山道を走り車がかなり汚れていたのでガソリンスタンドでホースで洗車していた。ドライバーさんの運転や洗車を見ていて車を大切に乗っているのがよくわかり安心して乗っていられた。

午後3時少し前、概ね予定通りにメティラのホテルに到着しチェックイン。

メティラへ来た目的は私がミャンマー語を勉強している日本ミャンマーカルチャーセンター(JMCC)経由で私が里親サポートしている娘に会って激励しお土産の文房具を渡すことだ。

さて、これからどう移動しようかと思っていたらその子が通っている塾の先生から電話が来てバイクで迎えに来てくれた。

前もってJMCCの先生が色々伝えてアレンジしてくれていたようで、この日は何の苦労もなく移動できた。

最初、彼のバイクでダウンタウンにある彼の英語教室へ行った。そこに居るともう一人、数ヶ月前からFacebookで友達になりメッセージをくれていた女性から電話があり、彼に代わって話してもらったら知り合いということで話が早かった。

今回のメティラ滞在は僧侶、ダマタラ師がキーマンになっている。JMCCの先生も、今回会いに来た子のいる塾の先生もFacebookで友達になっていた女性も皆さん、ダマタラ師の教え子、同門生になる。そして彼らが各々塾を開きメティラの子供達に勉強を教えている。

Facebookで知り合った彼女の塾にへ行くと、今日の夜ここに戻って夕食をご馳走するから生徒たち(英語や日本など勉強している中高生)に話をしてほしいと頼まれた。

慌ただしいがその予定が決まるとサポートしている子が来る時間が近いので彼の塾へ向かった。インレー湖の仏像ファミリーにもらったマンゴーをここの教室へお土産として渡した。

彼の教室に着いて間も無く、約束の午後4時丁度にその娘がスクールバスと思われる乗合バスに乗って到着した。教室の後ろの黒板に最近のテスト結果一覧が書いてあり彼女が相当優秀なのがわかる。15歳の彼女は経済の大学進学を目指し勉強しているそうだ。

彼女の写真を撮って文房具の詰め合わせおの土産を渡し、激励を込めて話をした。

再び彼のバイクの後ろに乗りダマタラ師の元へ向った。少し街から遠いと聞いていたが15分くらいで到着した。ダマタラ師とはJMCCで確か2回くらい会っていたが私のことを覚えていてくれて、その時授業していた生徒たちに紹介してくれた。私も簡単に英語で自己紹介して記念写真を撮った。

ダマタラ師のところへ来たのは翌日、メティラからマンダレー空港まで車をお願いしていたので時間など相談するためだ。空港へ向かう途中に歴史のある珍しい様式のパゴダがあり、連れて行ってもらうことになりホテルの出発を朝8時に決めた。

その時、ダマタラ師から空港へ向かう車で英語を勉強している学生が2人同乗して話をしてもらっても良いかと聞かれたので、一緒に行きましょうと即答した。

ダマタラさんにた旧日本軍の慰霊碑と仏塔があると教えてもらい、バイクで連れて行ってもらった。慰霊碑に手を合わせ管理している僧侶に寄付して数枚写真を撮った。慰霊碑を見ると各部隊の名前が「戦友よ安らかに眠れ」の文字と共に刻まれていた。

日も傾いてきたのでそこから彼女の教室へ戻った。彼女は母親とお姉さんそして子供達7人とここに暮らして、夕方になると子供達が集まり勉強を教えているそうだ。

生徒さん達からの英語や日本語の質問、日本の歌を歌のリクエストまであったが、食事をご馳走になりつつ楽しい時間を過ごした。

夜8時半過ぎに先生はじめ子供達の何人かと一緒に私が泊まるホテルまで散歩することになった。ホテルはメティラ湖の大きな橋を渡った対岸にありのんびり歩いて行くと20分くらいかかりそうだ。

時々小雨降る道を歩きながら、数ヶ月前、彼女から突然Facebookに友達申請がきて、メッセージのやり取りが続き今に至ることを思い返していた。その時は彼女の目的・考えがわからず、正直少し警戒していた部分もあった。しかし子供達を自宅に住まわせ面倒を見ながら過ごしている彼女の生活、子供達に接する姿を見たら警戒心を持っていたことに対して申し訳ない気持ちになった。

また、メティラに来たらぜひ寄りたいと思う。

21:30ホテルに戻り部屋で一人になると盛りだくさん過ぎて不思議な1日が終わった。

8/6(火)
朝8時にダマタラ師が迎えに来るのでそれまでに朝食を済ませパッキング準備していると7時半ごろ電話が鳴る。出ると英語で話す若い女性の声だが発音がいまいち聞き取れないが、どうやらダマタラ師の学生で空港まで一緒に行く人だと分かった。部屋の前で待ちますと言ってたがまだ時間があるのでフロントで座っててもらうよう話をした。

8時少し前にチェックアウトし程なくダマタラ師が来た。車からドライバーさんともう一人若い女性。先ほどの女性と二人が英語を勉強中で道中一緒に行くとのこと。私は後ろの席の真ん中、両サイドに若い女性という状況でこれから数時間過ごす事になった。

連れて行ってくれた場所はマンダレー空港から近い、チャウセ近郊にある発掘中?の寺院だった。地中の埋もれていたのを発見され、屋根で囲い保存しながら博物館のようになっている。中でも印象的だったのは3つの仏像が重なっている仏像、最初の寄進者がいてその上に2つ目、一つ目の顔は2つ目の胸に穴がありそこから見えている、三つ目は2つ目の頭の上に作られていた。なんとも不思議な仏像で、ミャンマーでもこれだけだろうととの話だった。

何箇所かで記念写真を撮りながら表に出ると近くのレストランで昼食、ご飯、ラペットウなどよくあるローカルフードだったが思いの外美味しかった。

12時少し前、マンダレー国際空港に到着、噂には聞いていたが何もないところにポツンと空港がある。軍も使用しているようで戦闘機の離発着が何度かあった。

出発案内のボードを見るとカレーミョー行きフライトは「ON TIME」とあり一安心。

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