ヤンゴンで写真について講演と交流

今年の8月、インレー湖の撮影を終えてヤンゴンに戻ったときに2014年以来の付き合いのあるZaw Minさんと新たに友人になったU Than Myint氏、Ko Kyaw Thu氏と私の撮影や作品作りの話をした時に「ミャンマーで写真を学び始めてた学生に対して講演をしてほしい」と話が出た。

Zaw Min さんは10年くらいの日本在住経験が有り日本語が堪能で、ミャンマーで旅行社を経営しフォトグラファーとしても様々な活動を展開し日本とミャンマーの架け橋となっている1人だ。彼は今年の夏、北海道東川で写真甲子園を見ていつかミャンマーでも開催したいと思っていると語り始めた。ただ現在ミャンマーの高校に写真部は無い、正確にはクラブ活動が皆無でそこから始める必要がある。

そこで彼は写真甲子園のイベントのひとつアジア枠に来年夏、ミャンマーの高校生を送り込み、きっかけにしたいと考えている。
彼はフォトグラファー仲間に声を掛けボランティアで毎週水曜と土曜にヤンゴンのアート高校で写真指導を行っている。アート系の高校で絵画専攻の生徒の中から写真に興味のあるメンバーを集めたそうだが、予想以上の手応えを感じはじめていると聞いた。ただ学校にカメラの備品は無く生徒が自前で用意するのは困難なのは容易に想像がつく。彼は自らを含め仲間に声をかけ以前使っていたカメラを集めて生徒たちのために持参している。その考え、志を聞き私も自宅で眠っていたオリンパスのミラーレス一眼を9月に彼が来日した際に渡し、今回の訪問に備え日本の友人たちの協力のもと5台のカメラを寄贈することができた。

会場は、高校内の講堂で演劇や伝統音楽の演奏ステージがあり客席もあるりっぱな建物だ。講演内容はZaw Minさんと事前に連絡を取り詰めて来た内容に沿ってプレゼン資料を作り彼の通訳で進めた。

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ミャンマーではもうフィルムも印画紙も薬品も手に入らないと聞いた。彼も環境が許せばモノクロ銀塩プリントを再開したいと話していたいが厳しさは日本の比では無い。

そのような状況のなかでこそ、私のようなスタイルで彼らの祖国、ミャンマーで撮影し作品作りを続けている話は意味があるのだろう。

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私は自分がミャンマーに来たきっかけ、作品作りを決意した1枚、タイミングや構図を狙い撮った作品、偶然の産物、現地の人たちとの関わり、写真を通した人との縁などについて話をした。短く分かりやすい言葉を選びながら話し、彼が通訳した。

日本からネガシートに入ったネガ、コンタクトシートとRCプリント数枚そしてバライタプリント20枚、その内10枚をパネルに貼り付け残りは手にとって観て貰えるようにPP袋にいれたまま置いた。

話し終わった後、カメラ5台をZaw Min氏に手渡した。そして校長先生に額装したプリント1点と写真集を寄贈した。

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そして私は生徒の1人がこの日のために描いた額装した鉛筆画を貰った。さらに
私の講演中に書いてくれた私の似顔絵を貰った。

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予定していたイベントが終わりジュースとパンで懇親会が始まった。私が撮影に使用しているRolleiflexは珍しいようで代わる代わる手に取りファインダーを覗いていた。構造上左右逆に見えるファインダーは新鮮なようでカメラを横に振りながら楽しそうにしていた。また、露出計も初めて観たらしく、入射式とスポットメーターを切り替えながら様々な方向に向けて測光していた。

今回の講演イベントはここで絵画を専攻している高校生と先生、ヤンゴン郊外にある芸術大学の学生、先生そして興味をもってくれたフォトグラファーの方々も来ていた。

20161227-008【高校の先生たちと】

20161227-007【ミャンマーのフォトグラファーたちと】

ある年齢以上のフォトグラファーは昔、当たり前のように銀塩モノクロプリントをやっていたのだろう、忘れてしまった何かを思い出しているように見えた。若いフォトグラファーのある人から今回の私の話を聞いていろいろ考えされられることがある。とても良い刺激が貰えたと嬉しい感想を話してくれた。

私はミャンマーで撮影し作品作りをを通してミャンマーから多くのことを学び、得ていることに対して、数年前からミャンマーで活動しているNPO法人、ミャンマーファミリークリニックと菜園の会(MFCG)をサポートをしている。理事として活動したり写真集や作品の売り上げの一部を団体に寄付している。

これは医療や教育の届かない農村に人たちの自立支援という意義の深い重要な活動だ。

ライフライン皆無で病院や学校も無い農村の支援と高校の写真部の支援、落差の現実を考えると正直複雑な思いもある。しかし、写真を通してミャンマーと関わりを持った私には写真活動を通して貢献できることは素直に嬉しいしやりがいもある。今回ミャンマーへはこのために来たと言って過言では無い。

今後もミャンマーの人たちが写真を身近に楽しめるよう活動していきたい。

20161227-009【高校の先生と生徒達と記念の1枚】

2014年6月に日本写真協会が東京写真月間、アジアの写真家でミャンマーを選びZaw Minさんと知り合えたことから始まっている。彼の細やかで丁寧な段取りでスムーズに全てが運んだ。前もって会場セッティングを確認し、停電に備えバッテリー駆動のプロジェクターも用意していた。私がヤンゴンの着いた講演前日にホテルまで来てくれ移動で疲れてる私に気を使い打合せしやすい静かなホテル内のレストランを選んでくれたことも有り難がった。

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