ミャンマーへ行ったきっかけ

1月の終わりから2月下旬まで鎌倉にある友人のクリニックに写真を展示していた。クリニックなので在廊することも無く期間がすぎたが搬出の時友人の話では多くの患者さんが観てくれて、置いておいたテキストも手にとってくれていたそうだ。

3月12日から24日まで横浜の綱島にある旅カフェ「Point Weather」で写真を展示している。

こちらも在廊してない時間が多いため顔写真を入れた自己紹介と写真の説明を作ったのをそのまま置いている。

その最初に書いたのがミャンマーへ行くようになった話。


2005年、私がミャンマーへ行くきっか けは、写真のワークショップなどでお世話 になっていた写真家渡部さとる氏が募集し ていた「ミャンマー撮影ツアー」だった。 ツアーはタイのバンコクに住む日本人男性 とミャンマーのシャン州にある風光明媚な 観光地インレー湖でホテルやレストランを 経営する女性(ミャンマーの最初の友人)が コーディネートし、当時貴重だったエアコ ン付きのマイクロバスで移動し四つ星以上 のホテルに泊まる。ツアー参加費の一部が 学校や孤児院を作る活動に寄付となり、そ の学校へ訪問するなどが含まれていた。あ のころミャンマーと言われても殆どの日本 人は「映画ビルマの竪琴」と「アウンサン スーチーさんが軟禁されている怪しい?国」 くらいしか知らなかったし、私もその1人 だった。入国にビザが必要で取得のため大 使館へ2回行く必要があり、申請にサラリー マンだったら源泉徴収票、自営業だったら 過去数年分の確定申告の提示が必要でビザ 申請費用は銀行振込なのだがATMでは受 付不可、窓口に行き書類を書かねばならな いなど“ただならぬ国へ行く”など思ったこ とを思い出す。
バンコクに一泊し翌朝の飛行機でヤンゴ ン国際空港に着くとゲートは無くタラップ を降りて迎のバスに乗った。そのバスが“神 奈川中央交通”だった。これは私が通勤な どに使っている馴染みのあるバスで押しボ タンや他にも日本語表記がそのまま残って いた。これが私にとってミャンマー第一歩 だった。
空港や政府(軍)関係の施設にはカメラを向けないなどいくつかの説明を受け「どんな街なんだろう?どんな人たちが暮らしているのだろうろ?」など不安と期待が交錯していた。
空港を出て用意された日本のどこかの旅 館名が残っていたマイクロバスに乗り街中 へ向かう。車窓から街並みを見ると全体的 に古びている。車は15年以上前の日本車 がたくさん走り、ある意味懐かしくも思え る。バンコクにたくさんあった高層ビルや 華やかなショッピングセンターも皆無、軍 事政権下で経済制裁を受け半鎖国状態が続 く国の首都(この頃はヤンゴンが首都で後 にネービードーに遷都された)の現実を目 の当たりにした。そんな街並みや経済状況 を他所に人たちは穏やかな表情で我々に優 しく微笑む。軍事独裁、経済制裁、半鎖国 と言われれば、そこから連想される国の人々 のイメージとはかけ離れていた。今思えば この時の印象は今でも私がミャンマーへ撮 影に通い続ける源になっている。
訪れる回数が増えると、楽しいことばか りで無く負の部分(医療や教育の問題など) も知るようになった。
ミャンマーの人たちの気質は日本人に近いと私は感じている。物ごとをあまりはっきり言わなく自己主張も控えめ。しかも私が訪れているインレー湖のあたりは顔立ちも日本人に近い人が多く一層そう感じる。
多民族多言語、宗教に深く根ざした生活 などほぼ単一民族・言語で島国、宗教心の 薄い日本人に想像し難い社会だ。それゆえ ミャンマーが長年に渡り抱えてきた少数民 族問題なども未だ山積している。


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