2014年8月アーカイブ

Mu Phan さん

ホテルからボートで10分少々、インレー湖の有名観光地インディエンへ向かう途中にいわゆるお土産屋さん"Inn Shwe Pyi"がある。ここも最初に来たときから何度か寄っている。少数民族のなかでも個性的なPadaung族の人達が機織りをしながら生活していることで有名な店だ。彼らは元々タイやミャンマー国境付近の山岳地域に住む少数民族で日本では"首長族"と呼ばれている。ここのいる彼らの村はインレー湖からさほど遠くないと聞いたことがある。そしてずっと同じ人が居るわけでは無く、村とお店とで入れ替わりがあるようで、訪れる度に違う人が居る。

今は雨季、乾季などは観光客も多く店も彼らも慌ただしいが今回はひっそりとしていた。そして幸運なことに1人ミャンマー語を話す女性が居た。他の少数民族と同様、彼らは彼らの言葉で話をするためミャンマーの標準語であるミャンマー語を話せる人は限られている。

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私は、今まで疑問に思っていたことをガイドさんに通訳してもらいながら質問をした。そして私自身勝手に心配していたような状況で彼らがここに居るわけでは無いことが分かり安心した。ここで聞いた話という前提であるが、最初のインレー湖の彼らが来たのは1980年台、ニャウンシェに連れてこられその時は半分以上"見世物"的な扱いで、程なく彼らは怒って村に帰ってしまったそうだ。その後、彼らの機織りの技術に眼をつけた人達が彼らと話をして、この店では彼らに住むところと働くところを提供し、機織りをして土産物として売り、恐らくその何割かをお店に渡しているのだろう。お店にしても彼らが居ることで得るモノも多い。正直、物珍しさで見に来る観光客も多いだろうが、その観光客がこの店で買い物をすることがお店に貢献するし、彼らの作る織物を買う観光客も実際に多い。黙々と仕事をする彼らに暗い影は感じなかったことからお店と共存共栄の関係を気付いていると思うし、そうあって欲しい。

写真の彼女はMu Phan さん、年齢は49歳、私と同世代だ。そして彼女は布のデザイン、製作指導をしている彼らの中のリーダー的存在だ。この日、1時間近く彼らの作業を見ていたが周りの仲間にいろいろ教えたり織ったものを確認したりしていた。

20140820-002.jpg首と手首と足に金属(真鍮)の輪をはめている理由を聞くと「山で虎に襲われたとき急所を守るため」との答え。納得できるような出来ないような感じだったが、これが彼らの文化だ。しかし外の世界を知り最近の若い人の中には拒む人が出てきているそうだ。それも時代の流れなのだろうが・・・

彼女は村よりもここの暮らしが気に入っていると話していた。そして今の悩みとか困っていることを尋ねると「腰痛」と言っていた。確かに時々立ち上がり腰に手をやりストレッチをしていた。彼女の後ろにかかっているのが新作、私も今回自分用に細長三角模様のを一枚買ってきた。手の込んだ模様で1枚織るのに2日はかかるそうだ。次回訪れた時はもっと沢山お土産に買おうと思っている。私の写真集「Thanaka」にも彼らは登場するが、その時はしっかりお化粧を決めているが今回は、マニキュアを除くとほぼすっぴんに見えた。やはりお客の多いシーズンとオフシーズンでは彼女たちの気合いも違うのだろう。

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U Tun Aye & Sons 仏像工房

ミャンマー、インレー湖の中心にあるPhaung Daw Oo Pagodaを正面に見て右手に水路を進むこと数分、Le Chay Villageがある。インレー湖に暮らす人たちの中心産業はインダー族に代表される漁師、水耕栽培トマト、織機やたばこなどになるが、この村はそれらに属さない、いわば"職人の村"だと聞いている。

2007年1月、初めてこの辺りを訪れて歩いていた時、ある少女が弟と思える男の子を2人連れてカメラの前に歩いてきた。

20140813-001.jpg(彼女は7歳、後に両サイドの子は弟ではなく近所の子だとわかる)

撮った後彼らに連れられて訪れたのは仏像を彫る職人の家&お店だった。さほど精緻な気品のある仏像と言うよりどこか愛嬌のある仏像を製作していると思ったのが第一印象だった。その後、インレー湖を訪れる度に立ち寄りお茶を貰い、写真を撮りそして何かお土産に小さい仏像を買って帰っている。訪れる度に立ち寄る家は何軒があるがここは場所が分かりやすく毎回新作仏像があり楽しませてくれる。

20140813-002.jpg彼が、主人で工房の名前にもなっている"U Tun Aye"氏、2014年で67歳ということで写真は2007年当時で60歳。2011年に軽い脳梗塞を患い手先の自由が効かなくなり仏像彫りは若手に譲っているが今回は病気療養中だった。

20140813-003.jpg写真は2010年10月、お祭りの時期の訪れた時。右の女性は英語を話していたが親戚だったようだ。インレー湖の祭りを合わせてこの時期はどの家も来客が多いと聞いていた。

20140813-004.jpgこれは2012年4月に訪れた時、最初に私をここに導いてくれた右端の彼女は12歳になっていた。その彼女の左隣りの男性は昨年肝臓病で他界していた。当たり前だが特にアポも取らずに適当に訪れているだが、幾たびに毎回居る人とたまたま来ていた人が居たり、ここで暮らしている人がどの人たちなのかはイマイチはっきりしない。最近、いつも通訳を頼んでいるガイドさんが居ると彼女を通していろいろな話ができるが話をするのは女性が圧倒的に多い。男性は静かに微笑み佇んでいる印象だ。

今回はこの2012年以来のインレー湖になるのだが、昨年私は主にインレー湖で撮影した作品で写真集「Thanaka」を出版した。Thanakaに一番多く出てくるのがこの一家だ。彼らとの出会いがなければ写真集まで作ろうと思ったか分からないし、作れたかも分からない。そんな思いを胸にThanakaを1冊持って彼らを訪れた。これが今回訪れた最大の目的だったのかもしれない。

何度も来ているので彼らも私を覚えてくれているのだが彼女は15歳、写真を撮られるのが恥ずかしいのか直ぐに階下に逃げてしまい、時々様子を見に上がって来るの繰り返しだった。ミャンマーで写真を撮っているとき、おおよの方は話をすると撮らせてくれるが唯一、この年頃の女性だけは恥ずかしがり逃げてしまうことがある。なので今回は皆で一緒に撮るからと話をして撮らせて貰った。(数日後、Phaung Daw Oo Pagodaの近くを歩いていたら学校帰りの彼女に遭遇し、ペコリと頭を下げて挨拶してくれた)

20140813-005.jpgここの主人が居ないのは残念だが次回訪れる時は元気になっていて欲しい。

写真集を手に取り、珍しそうに何度も頁を捲っていた。英語を話せる人が居ないが日本で言えば高校生になっている彼女は学校で勉強しているはずで、一部英語で書いて有る部分を時間をかけて見ていた。私はミャンマー語を覚えるよりは彼女が英語を覚えるほうが遙かに可能性が高い。いつか彼女と直接話ができる日が来ることが楽しみだ。

昨年写真集を作りながら、撮るだけ撮ってても彼らのこと、そう、名前すら知らずに居たことに愕然とした。今回は彼らの住む村の名前、工房の名前そして彼ら個人の名前や年齢をメモに取り、また少し彼らとの距離が近づいた気がしている。

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