2008年6月アーカイブ

1530064の意味

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一昨日と昨日、目黒で個展を開催中の仲間のところに行ってきました。

彼女とは4年前の10月、江古田の一室で会いました。写真家渡部さとる氏の主催するワークショップ2Bに参加した初日で、写真のワークショップにまったく似つかわしくない着物姿で現れた彼女の第一印象はいまだもって強烈に覚えています。
とても若く見える彼女ですが私と同世代ということもわかり、その後ワークショップも回を重ねる毎にいろいろ話す機会も増えWSの同期で一番の相談相手でした。

そしてWS終了後のグループ展、彼女は帰郷した際、たまたま取り壊し中の母校に遭遇し何度か通い詰めて仕上げた作品にはグループ展会場の入り口正面に展示され、私にとって着物登場に次ぐインパクトをもっています。

その後も彼女はグループ展などで活動を続け、私も別のメンバーでグループ展などを開催しお互い作品を観て、合って、話したりしていた・・・ところが、2006年長期入院を余儀なくされる病魔に冒され長い闘病生活に。

そして、今回の個展、彼女にとっての初個展。

藤田めぐみ写真展「快気内祝」
2008年6月25日(水)~6月30日(月)
OPEN 11:00~19:00(最終日17:00まで)
GELLERY「1530064」 東京都目黒区下目黒1-1-10

詳しくはこちら
http://megmego.com/

目黒駅からほど近い静かな一角にある、白くステキな佇まいのギャラリー"1530064"。

本当は一昨日訪れた後、写真の感想なりを書こうと思ったのですが、いろいろなコトがアタマに溢れてきてしまい文字に落としてみても、しっくりしない、私の文章力ではとても表すことが出来ないと思えました。

2階の一角にセルフポートレートを展示しているのですが、私が階段を上がったときに誰も居なく一人で見たとき最初、正直、正視出来ませんでした。他の壁面を観た後、そして階下で仲間と話している彼女の声を聞いた後もう一度ゆっくり一枚ずつ、それこそ穴が開くほど観ました。

記憶に残る強い写真に言葉はありません・・・

明日6/30までですが、是非観て、彼女の言葉を聞いて下さい。

2日、ギャラリーを訪れて一番感じたことは、毎日在廊し話をして、狭く急な階段を一日に何度も上り下りしている姿が本当に嬉しいです。そしてステキな仲間達が沢山居て応援しているコトも。

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今更ですが、ギャラリーの名前「1530064」は所在地の郵便番号だったのですね。なんともステキなギャラリーです。

少し遠回り

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ここ半年くらい会社と会社最寄り駅(小田急線本厚木)のあいだは自転車通勤している。

個展

今年の10月に個展やります。

 

この週末、エプサイトから審査通過の連絡が来ました。

2008年10月17日(金)~30日(木)の2週間、6月にオープンした新宿エプサイトのギャラリー2です。(以前からあったおおきなメインギャラリーでなく、小さい方です)

エプサイトはインクジェットという条件でしたが、最大壁面30m弱、新宿で2週間使える(土日が2回というのが嬉しいです)会場は私には十分なギャラリーです。

写真は3度行ったミャンマーで撮ったカラー写真です。

まずは、7月4日までにタイトル、メインイメージ、紹介文、略歴の提出です。

過去に数枚の小さな展示はやったことありますが、本格的な個展は初めてです。いろいろやることがあるので、ひとつづつ着実にこなして行こうと思ってます。

チケット

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先日、某チケットサイトで7月25日からの巨人-ヤクルト戦の東京ドームチケット事前申し込みなるモノを初めてやってみました。

 

有元伸也氏

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先週末、写真家有元伸也氏のビューイングに参加した。

お世話になっている渡部さとる氏主催のワークショップで企画されたイベント。

液晶

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週末、前もって値段やスペックを有る程度下調べしてEdyもチャージし町田ヨドバシカメラへ

もう十分かと

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さっき、寝室のテレビの電源を入れたら、プチプチと怪しい音が沢山、そしてかすかに点滅

’好評につき’とは書いてあっても・・

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今日、帰宅したらポストにオリエンタルダイレクトからクロネコメール便が、

被災地の写真

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昨夜、被災地からバンコクに戻られたDr.T氏から現地の写真が送られてきました。許可を得てこちらに一部を載せさせて貰いました。

今回、もっとも被害の大きかった南部デルタ地帯の支援に向かわれたとのことで、写真と一緒にいただいたメールの抜粋です。

---- ここから引用 ----

今日ミャンマーから戻りました。
デルタ地帯の被災の大きな所に、皆様のお金で購入しました救援物資、お米(計11トン)、抗生物質(40kg)などを届けてきました。
 
~(途中略)~
 
現地はさながらベトナム戦争で空爆を受けたようでした。
樹はすべて、なぎ倒されており、サイクロンの恐ろしさを感じます。
ボガレーに行く道路際には、家をなくした人々(数千人)が、小屋を作り、通行する車からの食べ物を待っています。
しかし、車を止めると、反対に略奪を受けることになり、非常に危険です。
軍や警察が、彼らに村に帰るように強制していますが、彼らにはもう帰る家がありません。
 
ボガレーから船をチャーターし、3時間をかけて、食糧が全く無い、1700名の村にお米を1トン届けてきました。
飲料水は池の水しかありません。
ここでは400名が亡くなったそうです。
良いことをしました。
皆様に感謝。
その村から、海岸地まで、船で2時間ですが、村はすべて消滅したようです。そこから先はヘリコプターでしかいけません。
やはり、30万人規模の大被害です。
畑には、牛や豚の死骸と共に、人の姿もあります。

---- ここまで引用 ----
 
船で2時間の距離にある村が消滅しってしまったと文字で見るとこれだけですが、とても恐ろしい現実だと・・・たぶん戸籍など満足にない国事情を思えば正確な犠牲者などわからないのだと思います。

被災者の方々が立ち直れるよう継続的な支援と、備えが重要だと結ばれていました。私も全く同感だと思います。

国際社会が軍事政権を一方的に非難しても何も解決しないし、当事者の彼らにとってもどう対処していけば良いのか分からず手探りなのだろうと思うし、かと言って民間ベースの支援ではどうしても限界があるし・・・軍事政権を擁護するつもりもないですが・・・難しい現実です。
 
一枚目の写真は支援物資を待つ子供達で行儀良く並んでいるように見えます。はやく彼らに笑顔が戻って欲しいです。
二枚目は崩れた建物の下で雨や日差しをしのいでいる人々。
三枚目は家を失い、幹線道路脇で支援物資を待ちながら暮らさざる得ない人々。
 

インレー湖から電話

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昨夜11時過ぎ、久しぶりに家の電話(NTTの)が鳴った。

何事かと思えばミャンマーのインレー湖にいるDr.T氏からだった。

サイクロン被災者救援のため南部デルタ地帯から戻ったところだそうで、やはり南部は想像を絶するの状況だったそうだ。バンコクに戻られたらその様子を含めたミャンマーの状況を写真で伝えてくれるとのこと。

伝染病などの蔓延も危惧されている中、A女史達と共に南部に支援に行くとは聞いていたので、健康面など心配していたので、電話の向こうの元気そうな声に一安心した。

日本ではほとんど報道されなくなりつつあるが、復興に向けてまだまだこれからだ。

 

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