2012年10月アーカイブ

2012年8月はドイツのミュンヘンからオーストリア・ザルツブルグに行って来た。
丁度ロンドンでオリンピックが開催中で、ミュンヘン経由でロンドンへ乗り継ぐ日本人ツアー客の人達も居たようだ。

ミュンヘンは往路の到着日と帰国前日の2泊、街中に出たのは最後の1日半くらいだったが、ゆったりとした雰囲気で街の規模も少しで歩くには丁度良く感じた。まぁ、ちょっと居たくらいで街の云々言うのはどうかと思うが、同じようなパターンで滞在した昨年のフランクフルトとくらべると、ホテルのサービスが良かったり天候も爽やかで快適、ライカショップで良い買い物も出来たし全てが順調だった気がする。
(その分帰国したときに体感気温2倍、湿度5倍でうんざりしたが・・・)

ミュンヘンの街の名は多分、私が最初に記憶したドイツの街だと思う。1972年に夏の五輪が開かれ私が観たオリンピックはこの時が最初だ。男子体操で団体5連覇を果たしたとか、男子バレーが金メダルなど。まだ東西ドイツだったころの話だ。

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先日、ANAが10数年ぶりに成田−ヤンゴンの定期便を復活させた。ただ週三便で小型の全席ビジネスクラスの完全に目的を絞ったような運航だ。
昨年頃からミャンマー政権が民主化に舵を切り始め、当初は疑いの目で見られていたが、アウンサン・スーチー氏が議員になったころから「本気」と思われはじめたのか日本でもテレビや新聞、雑誌等でそれまでとは比較にならないくらいの頻度で取り上げられはじめた。
私が今年の5月に行ったときもヤンゴンでスーツ姿の日本人グループを空港などで何組か見かけた。おそらくこの人達狙いの就航なのだろう。

まぁ、私の場合、まずビジネスクラスだけと言う時点で縁は無い。もし乗るにしても往路が昼便なので夕方ヤンゴン着なため、ヤンゴンに泊まる必要がある・・・
ヤンゴンに泊まるのが大きな問題だ。5月に泊まったとき2年前25ドルだったのが50ドルと倍になっていたし、そもそも部屋数が足りず確保するのが一苦労だ。その時聞いた話でヤンゴンに外国人を泊まれるホテルの部屋数がヤンゴンに約2,000部屋しかなく、ヤンゴンに入る飛行機便数が増えればホテル不足そして値上がりになってします。目下ホテルを建てたりしているのだろうが急に増えれば電力が追いつかず自家発電に頼らざるえず厳しいだろう。
ヤンゴンに手軽に泊まれないと観光客にも深刻な影響が出る、ホテルと客やツアー会社の間にトラブルが増える。外国資本が入ろうとしているが現実は観光収入は大きな産業の柱であり、この中に依存する人達も多い。

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私がいつもお世話になっているインレー湖のAnn sanもホテル、レストランを経営していて観光客が来なければ困ってしまう。
そんな中ではあるが、今、Ann sanはレストランを解体しそこにホテルを建てている。今のホテルは湖上に浮かぶホテルでその隔世のロケーションは魅力だったのだが、レストランのあった場所は今のホテルからボートで10分程度の湖畔に位置し、インレー湖観光の拠点には丁度良いところになる。レストランには長い間私の写真を展示してもらっていたから少々寂しさはあるが新たなホテルでも展示できるよう努力が必要だ。

インレー湖にはなぜかホテル総数の制約?が有り、長年役所に申請していたそうだが、今年やっと許可が出だ。今のところ具体的な予定は無いが今度私が訪れる時はきっと新しいホテルになるのだろう。

私にとっては湖畔のホテルは大歓迎だ。ミャンマーと日本には-2.5時間の時差があり、いつも早寝早起きで5時ごろ目が覚める。今までの湖上ホテルだとホテル内を散歩するしかないが、湖畔だと陸地を散歩できる。まぁ、湖上ホテルの散歩だけでも十分至福の時なのだが。

気付ば10月

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7月に更新してから2ヶ月以上、長かった夏もようやく終わり気付けば10月になっていた。

飽きたとか、サボろうとか思っていたわけでは無く、8月にミュンヘンやザルツブルグに行ったり、9月の終わりに長崎に行ったり、写真を撮ったり観たりと書き留めておきたいことは沢山あった。ところがどうもFacebookやTwitterで済ませてしまう・・・

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長崎の大浦天主堂、残念ながら内部は撮影禁止だったので入り口のマリア像。初めての長崎で一番印象に残っていたところ。

 
  

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