2012年5月アーカイブ

失ったモノ

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今年のGWにミャンマーで失ったと言うか・・・

レンズの不調と撮影機材バックの寿命です。

ミャンマー3日目頃に、レンズのAF駆動時にカチカチと何かに引っ掛かるような音に気付きました。最短距離近辺にフォーカスリングが行くと音がしました。以前に50mm/f1.4でも似たようなことがあり数日後リングがスカスカになりピント合わせ不可能になったコトを思い出し帰国まで壊れるなと祈るような気持ちで使っていました。

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それと、必要機材一式を入れて手荷物で運んだバックのナイロン部分に穴が開いたり劣化していて、携帯や小物もベトベトになってしまいました。まぁ購入して7年以上経ち、もう寿命なのだと思います。バックはLoweproの大きめのショルダー型でレインカバーを内蔵していたタイプでした。突然の雨にレインカバーは活躍してくれましたが端の方がほつれたりしてしまってました。

帰国してレンズはキヤノンサービスセンターに持ち込み修理で直りましたが、文字板交換と各部点検清掃で約1万円かかりました。。。(部品代は700円でしたが)

バックは幾つかの条件を元にいろいろ調べて探してthinkTANK Photoを買いました。以前から気になっていたメーカのでしたが購入は初めてでした。
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機材バック選びはいつも一苦労で理想的なモノに巡り会うのは困難ですが条件を決めるのが重要です。機材が少ないときや雨の心配が無いときはDomkeのF-2やF-3Xもあるのですがミャンマー等で必要な機材を収容するために今回選んだ条件は
・Rolleiflex2.8F、EOS5DMk2、24-105mm/f4、35mm/f2or50mm/f1.4、70-200mm/f4
・露出計、中型ストロボ、折り畳レフ板、予備バッテリ、交換CFカード4枚
・ブローニーフィルム50本
を安全に収容出来ること。
・機内持ち込みOKサイズ(厚さ25cm程度)
・ノートPC収容は不要(iPadが入ればOK)
・ショルダータイプで理想は上面にファスナー(フラップのみだと出し入れが不便)
・外側にペットボトルや露出計入れが有る(若しくは後からでも付けられる)
・レインカバー有り
・外側に機能的なポケットが有る
などなどで、あとは出来れば外観が目立たないのが理想。

でもって選んだのがコレです。

これを含め候補を絞り、週末に銀一やヨドバシで現物を確認しヨドバシ.comに注文したのが昨日届きました。予定通りの収容を確認し、概ね満足な結果でした。
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前夜、バンコクで搭乗2時間前に飲んだ睡眠導入剤ドリエルが効いたのか6時間フライトが体感2時間程度だった。湖をボートで進んでいる夢を見ていたと思うが背後から声をかけられた気がし目が覚めた。朝食の時間は熟睡していたようで目覚めた私に客室乗務員さんが朝食を持ってきてくれた。適当に食べてコーヒーを飲んでようやく頭の中の霧が晴れてきた。

少しずつ高度を下げる飛行機の中で民主化だか経済開放だかで急速に変わりつつあるだろうミャンマーのことを考えていた。
軍政から議会政治に移行し今までの鎖国状態から変化がはじまり、アメリカのクリントン国務長官が訪れた頃から周辺諸国、欧州そして日本も我先にと何かの糸口でも探すようにミャンマーへ政府要人を送り込んできた。そしてその動きは今回のわずか1週間の滞在でも良いトコロも悪いところも身をもって感じた。
ヤンゴンへ到着するフライトが増えても泊まるホテルが足らないからオーバーブッキングや急な値上げが頻発、ホテルを増やすにも電力を筆頭にインフラ整備が追いつかない。いろいろな意味でミャンマーの玄関がヤンゴンだからこのような状態が続けばミャンマーにとって致命的になってしまうだろう。

ミャンマーの人達にとって予約では無く支払時が全てなのだろうか、予約した時の値段が支払時に上がるのは信用問題で海外からの人、金を遠ざけることに気付いていないのでは?と思ってしまう。
ミャンマーの人は一般的に人は好いが言われたコトしかしない、何かを工夫する発想が殆ど感じられない職業(仕事)に対する意識・責任感が低いと思える。だから間違えを認めようとしないし謝ることを嫌う。
20数年の学校教育閉鎖の影響は深刻で、外国の援助で何かを始めても現地で継続、メンテできる人材の決定的な不足は否めない。英語を話せるなど有能な人材は給料の良いシンガポールやドバイに行ってしまう。
素人考えなのだろうが、現地の現状をよく見ないで他のアジア諸国で成功したらと同じ方法を当てはめても上手く行かないと思えてしまう。

今のところ予定は無いが次回ミャンマーへ行くときはどうなっているのだろうか?

ANAの直行便でヤンゴンに行き、ローソンで買い物、マクドナルドで食べて、スタバでコーヒー等々。いずれも今年中に実現されると聞いているが正直そのような光景は今のヤンゴンから想像できない。

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羽田に定刻通り到着。入国、荷物のピックアップを済ませ人気の少ない羽田到着ロビーに出た。帰りは相模大野までバスが便利だが時刻表を見ると2時間半先まで無かった。仕方無く少し遠いが定期のある発車5分前の本厚木行きのチケット買ってバス停へ急いだ。
羽田は国内線がメインだから早朝はバスが少ないのだろう。バスは国内線ターミナルには寄らずそのまま首都高速に入り横浜方面へ向かった。まだ眠気が有りうとうとしていたが渋滞の東名高速で目が覚め日本はGW真っ直中だと思い出した。

平日の朝に比べ閑散とした本厚木駅から小田急線の各停に乗るいつもの通勤路でスーツケースを転がしながらの帰宅は少し不思議だった。
昨夜はDrが以前から目を付けていたホテル裏手のレストランで夕食を食べた。外観はミャンマーらしからぬ洒落た感じで、店内も少し高級そうなファミレスの様な作りだった。見た目は洋風だがメニューはタイ料理だが中華がまざったようなものが多かった。店員は一応英語が通じるようだが相当怪しく、見かねた上司らしき女性が後ろで控えいろいろ確認しメモを取っていた。お店のカウンターをみるとかなり強い口調で怒られているようだった。インレー湖でもそうだが女性の方がしっかりしている印象が強い。
デザートは近くの露店で売っていたマンゴスチンを10個2000チャットで買った。ホテルに戻り寝るには早いのでネットカフェでも行こうと思ったが以前何度か行っていたネットカフェが無くなってたので近くに見かけた店に入るもあまりの遅さ繋がらなさに20分そこそこで店を出た。なぜかfacebookだけがまともに見れたがYahooや Twitterは全くダメだった。仕方ないのでホテルに戻りマンゴスチンを食べ就寝。

ミャンマー最終日の今朝も5時過ぎに目が覚めて少しだけホテルの周りを散歩した。アウンサンマーケットに向かう線路上の橋にでも登ろうとしたが入れないようになっていた。この橋から見下ろす線路の景色が好きだったので残念だ。ただ橋のたもと近辺は朝市の準備で賑わっていて、今朝ヤンゴン川で採れた魚やヤンゴン近郊の畑で取れた野菜など新鮮そうな食材が沢山並んでいた。アジア最貧国と呼ばれて久しいミャンマーだが、いつも豊富な食べ物が溢れ人々の優しい笑顔からそれを実感したことは無い。昨今の急激な市場開放、民主化の動きが彼らの生活にどのような影響を及ぼすのだろうかなど、思ったりもしたが今の私に予想することは難しい。
今日も暑くなりそうな陽気を感じつつホテルに戻り24時間365日営業しているホテル隣の"レストラン365"で美味しくない毎度の朝食を摂り早々チェックアウトし空港へ向かった。空港へは前日頼んでおいたタクシーを利用、彼のタクシーはシートが綺麗でエアコンも動くヤンゴンでは希なしっかりと整備している。Drもバゴーやゴールデンロックで有名なチャイティーヨへ行く人が居ると彼を紹介している。
ヤンゴンも国際線ターミナルは数年前と見違えるほど立派だ。初めて来た頃、オンラインシステムは無く厚紙のチケットに座席のシールを貼っていくという原始的なチェックインだったことを思えばEチケットが使えるのは画期的なことだ。DrがTGゴールドカードを持っているおかげで私もラウンジに入り軽く飲み食いと今回のミャンマーで一番早かったWiFiで時間を潰した。ここでもスーツ姿の日本人集団に遭遇した、今回のミャンマー滞在やシゴトのことを話しているようだったがどんな業種で何をしようとしているかまでは分からなかった。タイ航空の飛行機は定刻より少し早くミャンマーを離陸した。窓から見えるミャンマーとタイの大地を見比べると、タイは区画がはっきりし治水もされていたのに対しミャンマーは適当に広げてた感じだった、同じような気候にも関わらずタイの方が肥沃に見える。早く離陸した分バンコクの到着も予定より15分程度早かった。しかしDrから入国審査窓口の混雑を聞いていたから一先ずふたり早足で窓口へ向かった。初日に日本から到着したのは夜遅かったため窓口はガラガラだったが今日はそここそ並んでいて約30分でタイへ入国した。これだけ待たされると荷物はもう出てきていてベルトからピックアップしタクシー乗り場へ。空調の聞いた建物から出た瞬間眼鏡が曇るくらいの温度と湿度だ。

Drとはここで別れDrはドンムアン方向の自宅に帰って行った。私はスクンビット近くのスイスパークホテルにタクシーで向かった。入国審査待ちの時Drが夜のフライトまで格安で部屋を使えるよう交渉してくれていた。今回も何から何まで本当にDrには良くしてもらい快適な旅だった。一歩外に出れば汗の噴き出るバンコクで最後に暑いお湯をたっぷり張った風呂で最後にノンビリできるのは格別だ。

ホテルにチェックイン後13:30にBTSのナナ駅改札で今年2月からこちらに来ているI氏と待ち合わせ。ホテルから2,3分の距離で改札に着くと少し日焼けしたI氏と数カ月ぶりの再会。私のミャンマー行きが決まった時に彼にメールを出し、帰国前に会おうと話をしていたからそうなっただけだが、外国に暮らす友人とこのような再会は少し不思議な感じがした。

先ずはアソークのショッピングモールにあるフードコートでタイランチ。ここは彼もタイ語の学校の帰りなど週に数回食べるそうで、地元の人達にも人気で安くて美味しい。50〜100バーツでたっぷり食べられた。
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タイ語で店員に普通に注文する姿に彼のココでの充実した生活を垣間見た。まあ、この後彼が暮らしている街を訪れ全て納得となったのだが。BTSを乗り換えて彼が彼女と共に暮らす街へ移動。田舎町だと聞いていたがアスファルトと鉄筋のビルも沢山有る下町だった。ミャンマーの田舎にいた自分が勝手に想像していただけなのだが。
駅から細い路地を抜けると日本の長屋のような趣の有る商店街、彼の話でこれが奥の市場まで続いているそうだ。
大きな通りに出ると彼の彼女が働くお店に到着。私が唯一知っている「サワディーカー」で挨拶すると可愛らしい笑顔を向けてくれた。彼がタイ語で彼女に私のコトを紹介してくれた。何て紹介したのかは少々気になったが幸せそうな二人をカメラに収めたらどうでも良くなった。熱いコーヒーをご馳走になり、彼と街を歩いた。
ここは観光地ではないが折りたたみ市場で有名なメークロンに行く国鉄の始発駅があるのでに行くとあと15分で列車が来るというので待つことに。
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ホームには売店が並び暑さもあってまったりとした空気が流れ、タイの人達は無料で乗れるため外国人向けの切符売り場も閑散としていた。
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最後にもう半分以上が店じまいしていたが市場へ寄った。店も多く活気があり庶民の暮らす普通の街だがカメラ片手にふらふら歩くには良いトコロだろう。彼がカメラ片手に5時間でも6時間でも散歩してくるのが彼女はとても不思議だそうだが、もし私もここにいたらそうなりそうな、そんなトコロで彼は元気にしていた。またバンコクへ来ることがあれば是非立ち寄りたい。
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BTSの駅まで送ってもらいホテルに戻り身軽になり少し早い夕食をいつもの和食屋で食べ、近くのスーパーで買い物をしてホテルに戻った。BS-NHKを観て時間をつぶし、最後にたっぷりのお湯をはったバスタブに身を沈め今回の旅を思い返した。空調の効いたホテルの部屋でバスタブに浸かっているとインレー湖で過ごした日々が遠い昔のような感じがした。
次回ミャンマーに行くときはANAがヤンゴン直行便を飛ばしているだろうからバンコクに寄るかは考えどころだ。ヤンゴンのホテル事情を考えるとヤンゴンに泊まるのは避けたいしミャンマーから東京に直接帰るよりバンコクあたりで一呼吸おいたほうが良いかもしれない。I氏のところにも寄れるし。

19時をすぎホテルをチェックアウトし空港までタクシーで向かう。ANAカウンターでチェックインし出国、免税店で職場にお土産の象チョコを買い今回見つけた乗り継ぎラウンジなるところのリクライニングソファーで一休み。堅いベンチに横になっている人が沢山居るのにここがガラガラなのは理解できないがこちらの方が空調もさほどきつくないしリラックスできる。

現在21:30、まもなく搭乗ゲートに移動し22:30にバンコクを発ち明朝に羽田に帰国する。
暑いヤンゴンも16時を過ぎやっと歩き回れる温度になった。私が普段使っている神奈中バスもまだまだ現役で頑張っている。
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Thamada Hotelから歩いてアウンサンマーケットに買い物に行き家で使う為のモノを物色しそれなりの品が見つかり購入、ロイヤルパークホテル隣のスーパーで充電に必要な変換プラグやポッカのライチジュースを2つ買いホテルへ戻ってきた。このホテルは元々ロシア系の建築だそうで他で殆ど見かけない電源プラグを使っている。前回来た時も買ったが持ってくるのを忘れてしまった。まぁ買っても30円くらいなのだが。
今朝は6時前に起き簡単に朝食を摂り6時半ごろAnn sanのホテルをチェックアウトした。最後にAnn sanが今度は是非日本で会いたいと話しをした。
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数ヶ月前、Drの話では5月ごろAnn sanが日本に来る予定と聞いていた。例年5月はシーズンオフで宿泊客も少なくAnn sanも出やすいとの話だったが今年は予約が多く出るのが難しい状況だそうだ。
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ボートで約45分、ニャウンシェに到着、Ann sanの車は貸出中だったため知り合いの車が迎えに来ていた。15年くらい前のトヨタビスタで内装も綺麗でエアコンも効き快適な車だった。ヘーホーまでの道は以前に比べだいぶ綺麗になり、不意打ちを食らうような悪路が皆無で時間も以前のより早く空港まで行けるようになった感じだ。何処かの国の支援で基金を作り、そこに地元の人達や観光客から少しづつお金を集めプールしある程度貯まったら地元の人達で工事するコトを繰り返して数年掛けて整備している。このような活動はミャンマーにとって現実的で有効だと思う。
ヘーホー空港に着くと一昨日チェックアウトしカローに2泊していた日本人カップルに再会。それと5年くらい前から出発ロビーに貼ってもらっている私の写真とも再会、Drにお願いしてバンコクでプリントとラミネート加工してもらった写真は予想していたより傷みは無く綺麗な状態を保っていたので一安心した。彼等も我々と同じエアーバガンのジェット機フライトでヤンゴンに到着。Ann sanが彼等のホテルも我々と同じThamada Hotelを予約していたので少々窮屈だったがタクシーをシェアしホテルに到着。空港で乗る時に7000チャットで話をしてたが途中渋滞が激しくかなり時間がかかったりしたし割り勘し易いし8000チャットを渡した。
ホテルにチェックイン、とここで問題が。私のは事前に$40支払い済みで問題無かったがDrが4/27に一部屋$35で予約していたのが$40だと言い出した。数日前、しかも何度も泊まっている客に対して一方的に約束を変えて来た。Drの怒りは当然だ、金額は$5だが額の問題では無い。今朝もニャウンシェで、さっき乗って来たヘーホーからヤンゴンのエアーバガンチケットも昨夜Ann sanが確認した金額より$5多く要求され、理由を、聞くと今日、値段が変わったとのコトだった。ただ、このホテルの$35で約束したマネージャーは最初から$40の一点張りでラチがあかない。Drの部屋はまだクリーニング中で入れなかったから私の部屋に荷物を置き一先ず出掛けた。
ランチは以前何度か行った中国人街にある中華料理へ行った。昼時の割に客が少なく以前ほど流行ってない感じもしたが、Drと焼飯、牛肉麺そして焼き餃子を注文した。7800チャット、日本円で780円で満腹になり店を出て中国様式の寺に行って少し歩いたが暑さにクラクラする。湿気は少ないから直射日光を避けて日陰を、歩いてもアスファルトな照り返しの強烈さに耐えかねタクシーでホテルに戻った。ここでDrがチェックインする時少しもめたが結局$40払って落ち着いた。
以前Drがベトナムに、行くと一日に三回は怒っていたが最近はミャンマーがそうなってしまったと話していた。空港の鬱陶しいたかりポーター、両替の異常なまでのドル札検査そして急な値段変更等。
冷房の効いた部屋で一休みし日が傾きしのぎやすくなった夕方、マーケットに出かけた。
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あとは夕食を何処か近くで適当に食べ、明日はヤンゴンを発ちバンコクへ、そして夜便で帰国だ。
昨夜Ann sanが、明日は早起きだと言われていたが毎朝5時起きの私にはいつも通りだ。いつもより少し早い時間にAnn sanとDrと三人でお餅を食べホテルを出てアンレストランへ。裏手にAnn sanが手配していたバイクに乗り私が良く歩く川沿いの路地を一気に走る。
HONDAとシールが貼ってあるが中身は中国製で3万円程度だそうで本物のHONDAだと倍以上するらしい。こんなところにもスーチーさんが堂々と存在していた。

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歩いて30分くらいの大きな鯉のいる僧院も数分で通過、ここから先は私にとって未知の地になる。このあたりはインレー湖に流れ込む細い川が途中いくつか合流し川幅は広がるががどこまで行っても茶色く濁ったままだった。川の両岸が水流で削られ濁っているのだろうか。日本の様に砂防ダムや護岸工事をすればインレー湖へ流れ込む水は綺麗になるのかもしれないが、長い目で見たときに正しいコトなのかは分からない。
途中、外国人観光客など絶対に居ないだろうローカルマーケットが有り立ち寄りたかったが昼までにレストランに戻らねばならないAnn sanの予定もあり一先ず目的地の村へ向かった。
バイクに揺られ30分弱で到着、Ann sanは2台の携帯電話で忙しそうに電話しつつ地元の案内を頼んだ人に話を聞いていた。ここまで概ね予定通りの時間でAnn sanもバイクの後ろでビデオ撮影と大乗り気だったがやはりランチの準備などでここから先の鍾乳洞まで行く時間が無いというコトで残念ながらDrとバイクの運転手、村の道案内ファミリーと出発しAnn sanは帰って行った。
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Ann sanから聞いていた話では30分くらい行くと鍾乳洞の入り口がありそこから中に降りると湧き水の池があるらしく、天井からは多くの鍾乳石が下がっているとのことだった。
最初は畑の中の道なき道を進むが正面の山が迫りやがて石灰岩だらけの山路を登り始める。Ann sanが気を利かせてくれて私の荷物を持ってくれるようバイク運転手に頼んでいてくれたがレンズ交換やフィルム交換があるからと遠慮していた。しかし登りが険しくなり、水の用意も食べ物も無く思っていた以上厳しい道のりで最初の休憩で私はギブアップし彼に荷物を預けた。彼等はビーチサンダルのような草履でスイスイ登って行くが付いてそのペースについて行くのは無理だった。英語を話せる人も居なく会話もままならないが私とDrがもうすぐ?という意図で"Near?"と聞くと、分かったようで頷きながら"Yes, Near Near!"と答えてくれた。でもDrが「前にランを探しに山に入ったとき"Near Near"と聞いてから3山超えて歩いた」と言い、油断は出来ないかもしれない。それでも登り一辺倒だった道が平らになりそして下りになり、大きな岩が口を開けているのが見えた。本当に着いたのかと確認したら笑いながら彼らは頷いていた。何度か休憩をしながら1時間30分でやっと鍾乳洞入口に到着した。

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やっと辿り着いた安堵感と共に強烈なコウモリの糞の悪臭が鼻をついてきた。一刻も早く涼しそうな鍾乳洞の中に降りたいと思い降りようとした時、道案内の人から裸足になるよう言われた。ここは彼等にはとって神聖な場所などだろう。今まで出番のなかったストロボを付け撮影。肉眼では分からなかった鍾乳石の様子などが良く見える。高感度撮影がデジタル最大の利点だと再認識した。
降りれるところまで降りるとこれ以上は入れないと言われたところで足を止める。英語を話せる人達ではなかったから理由は聞けなかったがこれも聖地だからだと思うことにした。

Ann sanに頼まれていた鍾乳洞の様子を撮影するという役目は果たせた。戻ろうと景色を見るとインレー湖からだいぶ登っていたことに気付く。
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それでも下りは足取りも順調で麓の村まで30分で到着。
案内さんの自宅に招かれ甘い甘い粉とぎオレンジジュースが出てきたがあまりの甘さに一口で遠慮した。本当に喉が渇いている時に甘すぎるのは駄目だ。少し落ち着いてきたところでDrが冷えたスプライトが飲みたいですねと話していたが、お互い身振り手振りの会話で行く途中に通った市場に行かないと無いそうだ。今回同行したメンバーをひととおり撮影しバイクに乗りひとまずその市場へ向かった。もう11時を過ぎていたからもう店じまい中だったがかろうじて非冷蔵のスプライトを4つ買って我々とバイクの彼らにも渡した。しかしこれほど美味しい温いスプライトを飲んだことは無かった。途中、川の浸食の様子を撮影しつつアンレストランに辿り着いたのが12時半ごろだった。
冷えたミネラルウォーターとシャンヌードルとコーヒーを飲む。北西の空が濃い雲に覆われ程無く降り始めた。
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数日前のような雷豪雨では無いがもうすでに雨季が始まっているような空模様そして湖の様子だった。降った雨の水と山から流れ込む泥水のグラデーションが不思議な印象だ。
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雨が上がり迎えのボートが来てようやくホテルに到着。先ずはシャワーを浴び汗を流そうと部屋に戻った。汗も引いて落ち着いたところでロビーにで比較的安定していたWiFiを使っていたらDrからAnn sanが戻ったら美味しい桃の缶詰をたべようと提案があり、Ann sanを待つ。雨も上がったし何処かに撮影に行こうかとも思ったが午前中の体力消耗が大きく響き結局、18時前に戻ったらAnn sanらと桃を食べた。
ホテル内敷地に乾季の3ヶ月間だけ現れる簡易運動場や受付のスタッフたちを撮影してから部屋に戻った。
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今夜はペペロンチーノパスタにチリトマトサラダ、Ann san特製オムレツそしてマンゴーとりんごのデザート。
明日はとうとうここをチェックアウトし午前の便で暑いヤンゴンへ戻る予定だ。
まだ21時過ぎだが今夜は足が心地よいダルさでもう眠い。

Ann sanの話で、ドイツだかフランスの映画のロケ隊が100人規模で昨日からインレー湖に来ていて、明日水上マーケットの撮影をするらしいとのこと。ロケ隊はパオ族がやっているインレー湖で最大規模の他のホテルに泊まっているが、ガイドさんがEiさんの知り合いでこのホテルに泊まっていた。
Eiさん情報で水上マーケットのロケは7時ごろから、場所はここからボートで10分弱のところらしく朝飯前に出かけて来た。
主役と思われる俳優と女優が少しだけ花で飾ったボートに乗りそこへ不自然とも思えるほどの若いパラウン族の若い女性が見たことも無いような民族衣装を来てボートに何かを売りにくるシーンのようだった。

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その周りには集めて来たエキストラボート売りの人達がこれまた異様な密度で集めさせられ、こんなのでは絶対商売になららい様相だった。Eiさんに聞くと彼女達の衣装はパラウン族の礼服のようなモノで普段はパオ族と同じような衣装を着ているらしい。

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エキストラ達も最初は面白がって野次馬含め盛り上がっていたが何度も行ったり来たりさせられ、一般のボートを通す為一時退避など強制されすでに飽きているのが私から観てもわかるような状況だった。一通り私も見て撮ったし何よりも空腹でホテルに戻り少し遅い朝食をとった。

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今日も美味しい焼きたての食べていると昼頃チェックアウトする日本人の2人が出かけるところで今日の行き先の話をしたらナンパンマーケットでそのあとホテルに戻りチェックアウトしニャウンシェから今日はカローに泊まるとのこと。その後はヤンゴンに戻る予定だそうだ。
EIさんとDrとで私もナンパンマーケットに向かう途中、先ほどのロケ隊が今度はカラウェイ祭りのロケを準備していた。
その様子はロケと言うよりたまたま休みでインレー湖に来ていたローカルの人達や観光客を喜ばせているような状況に思えた。

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ナンパンは他の市場では観たことの無い歯医者が居た。戦前から使われてる足踏み動力の削り機で彼(歯医者)の親の代に日本兵から譲り受けた日本製だそうだ。虫歯を治療し被せると5000チャット、約500円との話。彼等には安くは無いが痛さにはかえられないのだろう。結構繁盛しているようだった。ただ麻酔も無くお湯でゆすぐだけの荒治療、虫歯にはなりたくないモノだ。

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今日もマンゴーを買った。昨日は5個1000チャット、今日のは4個で1000チャットで確かに今日のが大きいし身は少し柔らかく食べ頃のように思えた。昼に食べたが今日のは甘く星は見えなかった。他にも揚げた水牛や豚の革スナックや花を購入し最後に豚足スープを作るため豚足を二つ購入で2000チャット。私はちょっと洒落た小型のシャンバックを購入した。
11時過ぎにホテルに戻り一休みしていると日本人の二人が丁度チェックアウトするところだった。ニャウンシェからカローまでのタクシー代相場やカローのホテルやその先のヤンゴンのホテルまでAnn sanが電話を掛けて話をしていた。このアタリのフォローなどはさすがだ。機転が効き回転が早い。彼等も仕切りにお礼を言っていた。なので多分彼等とはヤンゴンで再開することになるだろう。話をしていてとても楽しいので一緒に食事でも出来ればと楽しみだ。
Ann sanはインディエンのバンブーレンストランランチ、オールドハウスランチそしてアンレストランと今日は三箇所掛け持ちで忙しそうだ、我々三人は少し早いざる蕎麦ランチを済ませ13時過ぎにオールドハウスに寄りAnn sanをピックアップしアンレストランヘ。オールドハウスでランチをしていたフランス人団体26人が今度は15時へここへ来てボートレースを観るらしくAnn sanやスタッフはその準備に追われていた。ただ今日は朝のロケ隊の撮影で普段アンさんが集めているボート乗りの多くが駆り出されていてこちらの人集めが一苦労だったそうだ。
ボートレースの時私はDrと私は咲き始めていた温室の蘭を撮影していた。ボートレースが終わり片付けも終わるともうそろそろ17時、レストランの裏に散歩&撮影にでも行こうかと思っていたが、昨日雨が降らなかったたせいか今日はここ数日で一番暑く、疲れ気味だったしEIさんは夕方ガイド仲間の向かえでニャウンシェに戻るそうで早めにホテルへ戻った。彼女は今夜ニャウンシェに1泊し明朝タウンジーに帰宅、午後にチケットを購入すみのバスで15時間、ヤンゴンへパスポートを取りに行くそうだ。なのでEIさんとはこれで今回はお別れだった。

ただ、Drと私も明後日の朝便でヤンゴンへ戻るからEIさんとの再会もあるかもしれない・・・EIさんは今年の7月ごろにガイド仲間とカンボジア旅行を計画しているそうで、その為のパスポートととの話をだった。Drから飛行機チケットやカンボジアのことなど熱心に聞いていた。
夕食は豚足スープ、トマトサラダ、エビ天、スパイシーオムレツでどれも美味しかった。

今日も雨は降らず穏やかな夕暮れ、明日はまた暑くなりそう、そして7時にホテルを出て最近発見されたらしい鍾乳洞に行く予定だ。

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今朝も昨夜のゲリラ豪雨が嘘のように綺麗な朝焼けだった。
今日はインディエンマーケットの日だったがDrとAnn sanに日本の農業開発コンサルタント会社の人がニャウンシェで会いたいと話があったので私もEiさんと同行した。
彼らはJICAに企画等を持込み様々な国や地域の開発援助、特に土壌改善や治水と農業支援等を含めた地域開発を得意としていると話していた。今回はここインレー湖一帯の、主に浸食や産業の調査が目的で来ているそうだ。DrとAnn sanがインレー湖の現状、問題等を解りやすく説明していたのを聞くと彼等は未知の情報の多さに驚いていた。
電気、水道等のライフライン、数年前まで20年近くの学校教育が禁止されていたこと、英語が話せるような有能な人材はシンガポールやドバイに行ってしまうこと、川から流れ込む土砂による湖の浸食、誰かが持ち込んだ布袋草やタニシが増えて生態系に深刻な影響が及んでいるコトなどなど。
素人の私が観ても水質の悪化や人材の不足などは明白だ。
 
現場を観てはどうかとの提案で外来種の繁殖、浸食の現場、水田そして水耕栽培トマト畑などの現場が集まっているアンレストランに向かい少し遅いランチを済ませた。裏の村へ水田や湖に流れ込む川の様子など見に行くのについて行った。少し歩き始めて2年前と大きく景色が変わっていたのに驚いた。大きな木が伐採され、電柱が建ち電線が張られていたのだ。一日の数時間だが電気供給されるように3ヶ月まえから変わったとの話だった。

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水路を挟み遊びまわる子供達や暮らす人々の様子に変化は感じなかったが飲料水の水道管らしきものも作られいてた。インレー湖の水質劣化が影響しているのだろう。それでも彼等の暮らしに良いコトだろうからと思いたい。私の好きな場所の一つで毎回数度訪れていたが電柱と電線は写真を撮るにはイマイチだと思ってしまうがそれは部外者の勝手な理屈だ。
レストランに戻り記念撮影のあと彼らは水耕栽培のトマトなどを見てニャウンシェに戻っていった。ニャウンシェ方向の空に黒い雲が低く垂れ込め始めていたから多分彼等はたどり着くまえにびしょ濡れになってしまったかもしれない。
一度ホテルに戻り一息ついてからシーソン村へ。昨日訪れたナンパン村に続き魚養殖プロジェクトを始める候補の村だ。ここはには以前、DrとAnn sanが建てた学校があり今回はその教室に養殖に興味のある人に集まってもらい説明会を開いた。つい最近まで5人以上の集会が禁止されてたことを思うと40人もの人が集まっているこの様子は大きな変化の一つでだと実感した。これだと協議し、みんなで決めるコトができるようなることは彼等にとってとても大きな一歩なのだと思う。

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Ann sanとDrが興味のある人を集めてもらったら思っていた以上の集まりだったそうで、活発な質疑の様子がうかがえた。Eiさんに様子を聞いてみたが彼らが話している言葉はインダー語で彼女にも良くわからず、集中して聞き耳を立ててところどころ分かるのがやっとだそうだ。それでも村人達の関心の高さは場の雰囲気として充分伝わって来た。説明が終わり質疑、議論に移り最後に今の時期(乾季)の水の確保が大丈夫かとのDrの質問に、村人から近くの湧き水を引いているから大丈夫との話があった。これはAnn sanも初耳のようで日のあるうちに水源を観に行こうと村人の先導で狭い水路をボートで進んだ。水路は段々細くなりUターンできそうな場所も無く心配になったが15分くらいで視界が開けた。家も数軒あり川幅もボートがすれ違える程度に広がり水量も豊富で透明度が高く水中を泳ぐ小さな魚が確認できた。村人の説明では日本人グループの寄付でこの水源から7つの村へ飲料水としてパイプで供給されていることを聞いた。
湧き水の周りには夥しい数のトンボが飛んでいてこれだけでも水質の良さを感じた。
 
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夕方ホテルに戻ったが前日も似たような時間でゲリラ豪雨に見舞われたコトを思うと今日は静かで穏やかな夕暮れだった。
 
明日は訳あり仕込み水上マーケットの様子を見る為、朝食前にホテルを出る予定だ。まぁ、ナンパンマーケットの日だから早朝からホテル周辺の水路を激しくボートが通るから目覚ましアラーム不要だろう。
 夕食を一緒にとりつつ彼等が今日行ったインディエンマーケットや遺跡の話を聞きたかった結局21時近くなっても日本人のカップルさんは現れなかった。
 
Ann sanは明日、オールドハウスの40人ランチとアンレストランでのボートレース、インディエンのバンブーレストランランチとイベントが盛沢山で忙しそうに2つの携帯で話しつつスタッフに明日の準備を指示していた。今夜も星がきれいだが月が明るいため天の川は見えなかった。

昨夜は頑張って22時まで起きていたがその後は溶けるように眠ってしまった。ここに来るといつも朝早く目が覚める。2時間半という時差の為もあるが、早朝にホテルのそばを行き交うボートの音やお寺から流れるお経?の放送が毎朝目覚まし代わりをしてくれる。外はまだ暗く撮影は無理そうだと思いベットでウトウトしていたらカーテンの隙間から東の空が薄っすら染まってくるのが見えた。
テラスに出ると東の山から朝日が漏れ始め明るくなりはじめ湖面を照らし始め、逆光のなか静かに進むボートがいた。部屋に戻り望遠レンズを付けた5Dを持ち出し数カット。近づいてきたところで三脚に付けたローライをテラスに据えてスポットメーターで測光し、レリーズで数カット撮影した。テラスはボートの波で微かに揺れてブレる可能性があるが過去の経験から数カット撮ればどれかは救われると思い同じカットで4,5枚づつは確保した。

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山から完全に日が登るころ撮影を終えてレストランへ朝食。今朝はパンと半熟たまご、ソーセージにトマトサラダ、最後にフルーツとコーヒーだった特にパンは専用窯があり、焼き立てで美味しい。昨夜はスコールがあったりでガイドのEiさんとは会えなかったからここで2年ぶりの再会を喜んだ。今回も4日間ガイドというより通訳をしてもらうコトになる。撮影にはコミュニケーションが必要な場合が多く、英語、ミャンマー語そしてパオ語を話す彼女は私の撮影は欠かせない。
インレー湖では5日周期で市場が順番に5箇所で開かれる。今日はホテルから一番近く最も規模も大きいファウンダウンマーケットだ。ホテルからボートで数分で到着、EiさんとDrと三人でEiさんの説明と通訳を聞きながら周り歩いた。様々な種類の店を撮り歩き改めて彼らの生活に欠かせない市場を認識できた。

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魚、野菜、肉、薬、日用品、雑貨、お菓子、御供物等彼らの必需品に混じり観光客相手の土産物屋がある。ここで売られて居る土産は民芸品のような仏像関係のようなよく分からないモノが多く私は殆ど買ったコトが無い。ホテルに戻り食べようとマンゴーを5個1000チャットで購入、約100円。この後いつも訪れている仏像屋に行こうと思っていたが彼らに渡す写真をホテルに忘れたことに気付き一度ホテルへ戻った。
市場で買ったマンゴーを切ってもらい食べたが私のは微かに甘みのあるサッパリとした味だったが、Drのは相当酸っぱかったようで目を白黒させていた。するとEiさんが"Can you see stars in the sky?"と笑いながら聞いていた。Drが自分のを彼女に差し出し彼女も口にすると空を見上げ目をパチパチしていた。落ち着いたとこで聞くとこちらの人達は酸っぱいモノを食べると昼間でも空に沢山の星が観えるとのコト。そのブツを私も食べてみたが思ったほど酸っぱく無く充分食べられるマンゴーだった。
このまま仏像屋へ行こうとも思ったがAnn sanが多分彼らも市場へ行っているだろうから午後にしたほうが良いとのアドバイスがあり、それに従うコトに。そして少し早いランチを摂り、私はいつもの女性にマッサージを一時間ほどお願いした。絶妙な力加減ですっかりほぐれたところで眠くなり30分ほどウトウトした。
目が覚めてコーヒーでも飲みたくなりホールに行くとAnn sanが出て来て察したようにコーヒーを出してくれた。お茶菓子が私が持参した私の地元の洋菓子屋の焼き菓子。

暑さのピークが超えた15時過ぎ、仏像屋へ向かうが乾季の為水位が下がりいつも行けてた店までボートが入れず100mくらい手前の僧院から歩いて向かった。
久しぶりの訪問も私のことを覚えていてくれ2階の住居へ案内してくれた。主人は3ヶ月前に脳梗塞?で会話が困難になってしまったと聞いて驚いたが歩くことは可能で重傷ではないようで少し安心した。

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こちらの一家は少し不思議な集まりで生活を送っている。
主人は61歳で結婚歴無し、その姉が64歳で独身だが彼らの兄弟の多くが病気や事故で亡くなり、その兄弟の子供達を引き取り育てているうちに彼女自身が結婚するタイミングを逸してしまったそうだ。何度か撮影している娘さんは13歳でファウンダウンパゴタ近くの学校に通っている。彼女の両親は彼女が小さいころ、3ヶ月の間に相次いで亡くなり遠縁にあたるこちらに身を寄せていると今回初めて知った。
兄妹や親族を中心で生活している彼ら。主人が倒れたと聞き収入源であろう仏像屋がどうしているのか心配したが昨年から若い後継者を指導し仏像屋の商売は順調そうだった。チャイントンやタチレク辺りに卸して売られているとの話。
彼らの集合写真やポートレートを撮り、土産に新作らしいお地蔵スタイルの仏像を買ってホテルへ戻った。

Ann sanとDrがナンパンとインパッコンに行くというので一緒に行った。ナンパン村ではトヨタ財団の補助金で2年前から始めている魚の養殖の状況を調べるため村のとりまとめを依頼しているAnn sanの知人の家へ立ち寄り魚の生育状況を確認した。

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雲行きが怪しくなり始める中インパッコンへ向かったが用事を済ませた帰りとうとう雨が降り始めた。ホテルが近くなるに連れ激しくなり雷も光り始め、ホテルに着く数分前には前も見えないほどの激しさで全身ずぶ濡れ。早く着替えたかったが風が強くとても部屋まで辿り着けない状況。ホテルのダイニング裏手のAnn sanの部屋に入れてもらいDrに服を借りて毛布をまとい、熱いお茶を飲みやっと落ち着いた。
1時間程度で嘘のように晴れ上がり星空が綺麗だ、夕方豪雨のなか日本人の2人連れが来たとのコトで夕食を共にいろいろ話をした。

この日はオーストラリア人男性とタイ人女性のカップルがバガンで400ドル財布から抜かれたとかでAnn sanにお金を借りたいと相談していたりとか、夕食後私はノンビリ過ごしていたが相変わらず忙しそうなAnn sanだった。

今朝は6時15分ごろに空港でDr.T氏と待ち合わせだった。
目覚ましは5時40分にセットしておいたが熟睡感の無いまま4時半ごろ目が覚めた。昨夜は空港至近のNovotelにチェックインできたのが23時半過ぎ、寝付けずテレビをつけたらNHKで梅ちゃん先生が始まり観てしまい結局寝たのは多分1時を回っていただろう。
頭の中が半分寝ている状態で空港へ行きDr.と無事合流。満席のタイ航空でヤンゴンに到着した。しかしヘーホーヘは14時30分のフライトなので一度タクシーで馴染みのタマダホテルで荷物を預かってもらった。この時Dr.は帰りの5/2一泊を$35で話をつけていた。私は$40だからさすがDr.だ。しかしこの$35が後日問題に。
時間もあるし手持ちのチャットが心許なかったので両替、そして私の帽子を買うためアウンサンマーケットへ向かった。夜しか滞在しなかったバンコクと違い良く晴れた暑気のヤンゴン、想像していたくらいの暑さに一安心。多分36〜38℃、真夏の東京くらいな感じだったがそう思うと東京の暑さも充分尋常では無いと実感した。


紙幣読み取り機を2台通され、3人が舐めるように確認された我々の100ドル札2枚、噂には聞いていたが待たされる側はイヤな感じだ。ひとまずOKで両替となり始めて5000チャット札を手にした。なんか色の違う1000チャット札のようなのが第一印象だったが以前より財布が膨れずに済むのは助かるが同時に札束で膨れる財布を味わえなくなるのは少しつまらない気もした。この日の100ドル札のレートが817チャット。今までは1000以上だったからここでもドル安だ。
マーケットに戻り手頃な帽子を探した。インレー湖のボートで飛ばないよう調整できるあごひもの付いた無難なのを値札3500を3000チャットで購入。以前Dr.がニャウンシェで買った帽子は一度洗ったらボロボロになったそうだが、少し力を入れ引っ張っても大丈夫そうに思えた。

正月明けのミャンマーは新年度へ向けて学校は休みで市場でも学校の制服がいろいろ売られていた。皆同じように見えてもバリエーションが思っていた以上に有ると初めて知った。

マーケットから出ると一段と強くなっていた日差しに堪らず近くの静かなレジデンス内の涼しいお店でオレンジジュースとシーフードヌードルで少し早いランチを済ませた。空港へ向かうには早すぎるしヘーホーまでのチケットを確認するためANA等日系企業も多く入ってるサクラタワーにある旅行会社へ立ち寄った。まだまだ時間はあったがこの陽気で外を歩き回るには慣れない私にはキツすぎ。近くのカフェでコーヒーでも飲みにと行ってみるとカフェは改装中か分からないが無くなっていた。仕方無く近所の食堂?喫茶店?のような店に入った。雰囲気からとても美味しそうなコーヒーは期待できそうもなく、無難なリプトンティー500チャットを飲み話しているとチェックインできる時間だろうと空港へ向かった。いつに無く空いていた国内線ターミナルでチェックインするとDrが持っているエアーバガンのシルバーカードのおかげでクーラーの良く効いたラウンジでのんびりと時間をつぶしすことが出来た。その時隣にいたグループは半分が日本人ビジネスマン風、噂通り仕事で来ている人は今までより多いと数時間のヤンゴン滞在だけでも感じた。この飛行機はヤンゴンからヘーホー、マンダレーそしてバガンに寄りヤンゴンへ戻るルートだ。このあとヘーホーで降りなかったから多分マンダレーあたりに仕事でもしに行くのだろう。それにしてもあの暑いヤンゴンでスーツの上着まで着ていたのには恐れ入った。
ヘーホーが近づくと段々雲行きが怪しくなり飛行機を降りようとしたら激しい雨、一人づつ傘をさして建物へ走り込んだ。わずか数十mでびしょ濡れになってしまうほどだった。雨に気を取られて気づかなかったがヤンゴンにくらべ遙かに涼しい。長袖シャツでエアコンOFFの車に普通に乗っていられた。ヘーホーの街を抜け峠道を下りシェニャウンを右折、途中所々で激しい雨に会うも空は北のほうから明るくなってきた。ボートでスコールは荷物もあるし一気に冷えるので勘弁してもらいたかった。ニャウンシェのボートで乗り場に着くとアンさんの秘書さんや見覚えのあるスタッフが居て一安心。空模様も先は明るくなり眠気も飛んできた。ガイドのイーさんがニャウンシェか別のホテルのに居るらしく途中でピックアップする予定と聞いて居たが結局別のボートが迎えに行ったとか行く話になり我々のボートは一路アンレストランを目指した。

レストランに着くと数年前から居る人たちと再会、アンさんもボートに乗り込み雨上がりの美しい夕陽のなか、最終目的地アンさんのホテルのに到着した。
チャチャやクロとも再会し広い3ベットの部屋に案内してもらい一息。そしていつもの美味しい料理をDr、アンさんとテーブルを囲みやっとリラックス。
ようやく辿り着いた。

朝5時前に起きて飛行機2つ乗り継ぎ12時間以上かけてようやく到着。フライト時間は正味2時間半程度でそれだけを考えると、なんとも効率の悪い旅だ。しかし、それを全くもって忘れるに値するこの地だと今こうして満天の星空の元、今日一日を振り返りながら書いていると実感している。まだ22時を少し回ったところだが日本時間だと深夜0時半、もう充分眠い。明日はここから一番近いファウンダウンパゴダマーケットの日だそうで、今回の始まりにはちょうど良い感じだ。
日本時間の23:30, ANA915便はあと1時間程でバンコクスワンナムーブ国際空港に到着する。機内アナウンスが現地の気象情報を天候曇り、気温は少し下がって32度と告げていた。小雨の降る肌寒い成田を出て6時間、暑季の東南アジアが待っている。
2005年以来6回目のミャンマーだ。前回、2010年10月はインレー湖のカラウェイ祭りに合わせ訪れたが今回はミャンマーの正月開けで、この季節は初めてなので暑さは覚悟しているがそれ以上に楽しみな部分は大きい。
今夜はバンコク空港のノボテルに泊まり朝便のタイ航空でヤンゴンへ向かい、昼過ぎのフライトでヘーホー、そして夕方インレー湖に着く予定だ。昨年ごろから急速に民主化政策に舵取りをしたミャンマーに対して日本でも連日ニュースや新聞の話題になっている。今までのミャンマーと何かと違ってくるのだろうか、最大都市ヤンゴンの変化を体感できるだろうか、インレー湖にもその波は押し寄せて来るのだろうか等興味は尽きない。
今日は昼まで仕事をして一度帰宅してから成田へ向かった。スーツケースもあるから新宿から成田エクスプレスが便利だが丁度良い時間のが無かったので日暮里へ周りのスカイライナーを使った。実際このルートの方が時間も早く料金も安い。遠かった成田が近く感じた。
明日は6時前に起きて空港でDr.田中氏と待ち合わせだ。出来ればホテルでぐっすり眠りたいがこのパターンのバンコクでぐっすり寝れた記憶がない。
今回はデジタルデータのバックアップ用にiPadを持参しているが今後の試しにiTuneストアで借りた映画を機内で観ていた。4時間半くらい観てもバッテリは75%残、これだと欧州フライトでも持ちそうでこれから旅行で活躍してくれそうだ。
 
  

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